筆休め【王太子の思惑】
王太子はだいぶ王太子です。
ウィリアムがリゼットを連れ退出していったあと、レオンティーヌがこれみよがしな長いため息をついて兄を非難した。
「お兄様、いい加減にしてくださいませ。これ以上悪い癖をお出しになるなら、私の宮へは出入り禁止にいたしますので」
恐い顔の妹にそう叱られ、王女宮を追い出された王太子アンリは、この時は多少反省はしたのだ。少しやり過ぎたかな、と。
というのも、遠戚にあたるウィリアムが、ちっともらしくない反応を見せるのが面白く、ついいたずら心がうずいてしまうのだ。
大叔母であるスカーレットの孫、ウィリアムは王族の血をほぼ感じさせない男だ。
ウィリアムの漆黒の髪もそうだが、王族はすらりと細身で、華やかかつ中性的な顔立ちの者が多い中、彼は真逆。アンリより一回りも二回りも大きく屈強な体格で、顔立ちは整ってはいるが、男らしく黙っているだけで威圧感がある。
まさに軍人。大将であるロンダリエ公爵に髪色以外は瓜二つだ。
女に困らなそうな見た目をしているのに、そういった噂はまったくない。
ロンダリエらしい真面目な堅物といったウィリアムを、アンリは面白味のない男だと評価していた。
しかし、ここ最近のウィリアムは何やら面白いことになっている。
その原因は間違いなく、レオンティーヌの手習いの指南役となった、リゼット・フェローだろう。
本人に自覚があるのかないのか知らないが、あのウィリアムに遅い春が来たのだ。これがからかわずにいられるだろうか。
リゼットも興味深い令嬢なので、合わせて反応を楽しんでしまうのだが、やり過ぎて逃げられては元も子もない。妹にこれ以上嫌われるのも避けたいところだ。
しばらくはウィリアムを挑発するのは控えようと考えていた次の日。
王宮の廊下を歩いていたアンリの耳に、好奇心を掻き立てられる噂が聞こえてきた。
「ねぇ、聞いた? アンベール子爵が……」
「文官の彼がいる子から聞いたわ! 子爵が女性に迫っていたって」
「しかも王宮書庫でですって!」
「戦場の悪魔、なんて言われているあの子爵がよ!」
「やだ~! 見てみたかった!」
足を止める必要はなかった。
よくよく周りの声に耳をすませてみれば、そこかしこでウィリアムの噂話がされている。
侍女にメイド、貴族や普段は静かな文官まで。誰もがロンダリエ次期公爵の噂に夢中だった。
「アンベール子爵の相手って誰なの?」
「王宮の侍女ではないらしいわ」
「例の王女殿下の指南役がそうなのか……?」
「知っているか? その方は、ハロウズ女伯の代筆者でもあるという噂だ」
「一体何者なの?」
「どこかの没落貴族の娘だとか」
「私が聞いたのはさる尊き方の庶子という噂ね」
「きっととんでもない美女に違いない」
「いいえ、戦場の悪魔にも負けない女傑じゃないかしら」
実際のリゼットはこりすのような人畜無害といった風の普通の令嬢なのだが、噂というものは勝手に広がり大きくなっていく。
リゼット本人がこの噂を聞いたら、あの大きな目をさらに真ん丸に見開いて震え出すだろう。
その様子がありありと想像できてしまい、アンリは笑った。
飛び交う様々な噂を拾いながら自身の宮に戻る。
護衛騎士が配置に着くのを待たず、アンリは窓際に立とうとしていたひとりの騎士に声をかけた。
「デュシャン卿、そなたはどう思う?」
騎士の肩がびくりと揺れる。
居心地が悪そうに振り返ったのは、王太子付き近衛騎士シャルル・デュシャン。
シャルルの謹慎が解けたあと、アンリの権限で部屋付きに昇格させたのだ。
なぜ自分が昇格したのかシャルルには理解できなかったようで、喜ぶよりも不安がって見えた。
その不安は正しいものだ。シャルルが実力や功績で得た昇進ではない。あくまでアンリが自分の娯楽のために与えただけの飾りの席である。
「どう、とは、一体何のことでしょう」
「決まってるだろう? 王宮中に広まっている噂のことだ。アンベール子爵が迫っていたという相手の令嬢は、卿の幼なじみであるリゼット嬢のことだろう?」
「噂は、噂でしかないので……」
「そうだろうか? 目撃者は多いようだし、信憑性は高いのではないかな」
執務室の椅子に深くこしかけ、アンリはすらりと長い足を組むと固い表情のシャルルを存分に眺める。
品行方正で、社交界での評判がすこぶる高いシャルル。王太子であるアンリ以上に令嬢たちに熱い視線を送られるこの男が、アンリは少々気に食わずにいたのだ。
この貴公子然とした取り澄ました顔を歪ませたい。みっともなくあがく様を見てみたい。
正直、王宮内での抜剣などアンリにとっては些事でしかない。広い国の未来を背負い、更に広い大陸を見据えているアンリには、大抵のことは取るに足らない些事だ。
そして些事だからこそ面白い。もっと遊び楽しみたくなる。
(レオンティーヌの言うそういうところとは、こういうところだろう)
自分でも良い趣味だとは思わないが、それで誰かが迷惑をこうむろうと、やはりアンリにとってはそれも些事でしかないのである。
「あのアンベール子爵が本気なのだとしたら、相当手強いと思わないか?」
入口に控えるもうひとりの騎士が「またやってる」と言いたげな顔でこちらを黙って見ている。
アンリの玩具にされてしまった後輩に同情すれど、アンリを止めようとまでは思わないのだろう。止めに入ったが最後、今度は自分もアンリの玩具にされてしまうのだから。
「すでにリゼット嬢の信頼を勝ち得ている子爵が相手となると、我々には分が悪いかもしれないな」
「……我々?」
いぶかしげに顔を上げたシャルルに、アンリはにっこりと完璧な王族スマイルを見せた。
「先ほどリゼット嬢に聞いてみたのだ。まずは私の専属侍女に、そしてゆくゆくは妃にならないかとな」
愕然とするシャルルに、王太子はますます笑みを深めた。
「身分は少々足りないが、しかるべき高位貴族の養子にしてから娶ればいい」
「な、なぜ、殿下がリゼットを……?」
「リゼット嬢が気に入った。それだけだ」
実際にリゼットは魅力的な令嬢だ。まだ幼さはあるが顔立ちは整っており、振る舞いはスカーレットの指導のおかげか洗練されていて高位貴族の令嬢と遜色ない。
野心がない分純粋で、手紙へのひたむきな情熱は見ていて面白い。アンリやレオンティーヌに媚びを売るどころか、手紙の魅力をいかに伝えるかに注力する様子は清々しいほどだ。
欲望や悪意がうずまく宮廷において、リゼットの存在は清涼で静かな木陰のように心地よく得難いものになるだろう。
(何より、このシャルル・デュシャンを袖にした事実が最高に好ましい)
アンリは足を組みかえてると、机に肘をつきシャルルを見上げた。
「そういえば、子爵は自分をリゼットの保護者だと言っていたな。それならば我々にも勝機はあるか?」
シャルルが体の横でぐっと拳を作るのを見て、アンリは喉の奥で笑う。
もっと面白くなればいい。
妹に嫌われるのは困る、という考えはいつの間にか頭から抜け落ちていたのだった。
感想毎回とてもありがたく思っておりますが、強い言葉の書きこみはご遠慮いただけると幸いです。




