44通目【王宮書庫の片隅で】
王太子視点は次回でした申し訳ありません!
色々案を出し合った末、最終的にレオンティーヌはリゼットが提案したシンプルなレターセットを選んだ。リゼットが次に来るときまでに、ミモザの押し花を施しておくという。
ミモザの押し花の作り方を伝えたところで、迎えにきたウィリアムが応接室に現れた。
「また王女宮に入り浸っていたのですか、王太子殿下」
「やあ、アンベール子爵。どうした、そんなに不機嫌そうな顔をして」
ウィリアムにじろりと睨まれても王太子はどこ吹く風だ。
戦場の悪魔と畏れられるウィリアムの眼光に耐えられる人間はそういないと聞くが、さすが次期国王には通じないらしい。
そもそもこのふたりは遠戚なので、リゼットが思うより気安い関係にあるのだろう。
ウィリアムはアンリの大叔母であるスカーレットの孫に当たる。しかしウィリアムは王族に多い金髪を有していないので、見た目からはあまり血縁を感じない。
「最近殿下が公務を放り出して行方をくらませると、陛下が嘆いていらっしゃいましたよ」
「今日は違うぞ。先日は私の近衛が迷惑をかけたからな。リゼット嬢へのご機嫌伺いだ。……シャルル・デュシャンは先日復帰したぞ」
突然出された幼なじみの名前に、リゼットはどきりとした。
シャルルからは手紙の返事がないので、てっきり謹慎は継続中だと思っていたのだがそうではなかったらしい。
(シャルルお兄様はきっと、もう私の手紙に返事はくださらないのね……)
もしかしたら手紙を読んでもいないかもしれない。
悲しいが、仕方のないことだ。シャルルがこれまで幼なじみであったことは事実だが、これからの未来で彼と交わることはなくなるのだろう。
幼なじみだった人。リゼットにとってシャルルが限りなく赤の他人に近づいてしまったようで、乾いた風が胸を吹き抜けていくのを感じた。
「そう警戒するな。今日のところは私の宮内の警護を担当しているから、リゼット嬢と顔を合わせることはない」
「できれば今後も顔を合わせることがないよう手配していただきたいですね」
「善処しよう。……ところで、リゼット嬢を王宮の部屋付き侍女にする案を、子爵はどう思う?」
「……は? なぜそのような話に?」
あきらかにウィリアムの機嫌が急降下していくのがリゼットにもわかった。
それでもアンリは笑顔のままで、レオンティーヌはあきれたようにため息をつく。
「お兄様。その話は却下だと申し上げたでしょう」
「だが、悪くない話だ。王女宮の部屋付きにしてしまえば、王宮に通う道中でのリスクも減らせる。私がここにデュシャン卿を連れて来ない限り、リゼット嬢が奴と遭遇する心配もない」
「アンベール子爵。騙されてはいけませんよ。お兄様はゆくゆくはフェロー先生を自分の侍女にしたいだけなのです」
「騙すとは人聞きの悪い。私は嘘は言っていないぞ。リゼット嬢がほしいのも事実ではあるがな」
「お断りします」
低い声できっぱりと言ったウィリアムに、アンリは笑顔のまま「ほぅ?」と足を組み替える。
「なぜアンベール子爵が断るのだ? 私は意見を聞いただけだぞ」
「私は彼女の保護者のようなものなので」
「保護者? そなたが?」
アンリは一瞬目を丸くすると、はじかれたように笑いだした。
スカーレットそっくりの豪快な笑い声が応接室に響き渡る。
その声を聴きながら、リゼットはなんとも言えない気持ちでうつむいた。
確かにウィリアムはこうして王宮までついて来て、エスコートしてくれる。リゼットにとってそれは特別なことだったのだが、ウィリアムは保護者として当然の義務だと思っていたのだろう。
残念で、がっかりする気持ちや、特別だと思っていた自分が恥ずかしいという気持ち。それらを表に出さないように、笑顔でフタをするのに苦労した。
「リゼット嬢!」
「は、はい⁉」
「こんな無粋な男はやめにして、私にしておかないか?」
「へ……? しておかないか、とはどういう……?」
アンリは身を乗り出すと、こちらに向かって手を伸ばしてきた。
「まずは私の専属侍女。そしてゆくゆくは妃に。どうだ?」
何を言われたのか脳が理解する前に、ウィリアムに強引に立たされていた。
まるで抱きしめるようにされ、混乱していた頭がとうとう思考停止する。
「邪魔するな、アンベール子爵」
「お断りすると言ったでしょう。殿下の妃はさすがに荷が勝ちすぎる。どうか妃教育を十分に受けた令嬢の中からお選びください」
失礼しますと言うと、ウィリアムはそのままリゼットをさらうようにして退室してしまった。
レオンティーヌたちに挨拶もできなかったとリゼットが気づいたのは、王女宮を出たあとだ。
「ウィリアム様、王女殿下にご挨拶を……」
「問題ない。いまごろ王女殿下が王太子殿下を諫めてくださっているだろう」
レオンティーヌに叱られるアンリがやすやすと想像できてしまい、リゼットは苦笑した。
王太子はどうも人をからかうのが好きなようだ。先ほどの話もただの冗談だとわかっている。
侍女はともかく、王太子妃など長年引きこもりだったリゼットに務まるわけがない。自分にできるのは手紙を書くことくらいなのだから。
しかしウィリアムは不機嫌なオーラをまとったまま、リゼットを抱え早足に進む。まるで一秒でも早くここから離れようとするかのように。
なぜウィリアムが怒っているのかわからないが、このままでは帰りの馬車まで一直線だ。リゼットは慌ててウィリアムの軍服を引いて止めた。
「ウィリアム様。このあと、寄りたいところがあるのですが……」
「……どこだ?」
「王宮書庫です。ヘルツデン王室関連の書籍を読みたくて。でも、お忙しいようでしたらまた今度でも」
「問題ない。行こう」
ウィリアムはふと眉間のしわを消すと、微かに微笑んだ。くるりと行先を変え、本宮に繋がる回廊を進んでくれる。
王女宮に近い本宮の一階に、王宮書庫はあった。
王立図書館ほどの広さはないが、書棚の数が非常に多く、またひとつひとつが天井まである。長い梯子があちこちに立てかけられ、文官たちの出入りが激しい。実務に必要な書籍が揃えられているのだろう。
レオンティーヌからもらった書簡を見せると、書庫の管理文官は快く迎え入れてくれた。
「あなたが噂の、王女殿下の指南役でしょうか?」
「は、はい! リゼット・フェローと申します」
「おめでとうございます。想像していたよりずっとお若くて驚きました。これから書庫をご利用されることが多いでしょう。どうぞよろしくお願いいたします」
眼鏡をかけた穏やかそうな管理文官に言われ、リゼットは「こちらこそ」と慌てて頭を下げる。
何となく王立図書館の副館長に、雰囲気が似ている気がした。
「あの……指南役のことが、噂になっているのでしょうか?」
「ええ、それはもう。素晴らしい才女だと皆が噂しておりますよ」
「さ、才女……」
「あと、王女殿下だけではなく、あの王太子殿下もたいそうお気に召していると」
がんばってくださいね、と笑顔で言うと、管理文官はヘルツデン関連の書棚の場所を言って去っていった。
とんでもない爆弾を落とされた気分で、リゼットは誤魔化すように「行きましょう!」と書棚に急いで向かう。
しかしヘルツデン関連書籍の棚を、書庫の奥で見つけると同時に、後ろからトンとウィリアムが棚に手をついてきた。
書棚とウィリアムに前後を挟まれるような状況に、リゼットは身動きがとれなくなる。
ウィリアムの吐息を近くに感じぞくりとしたとき、耳元で囁かれた。
「リゼットは、殿下の妃になりたいか……?」
低く、何かを我慢するようにかすれたウィリアムの声に、リゼットは全身が震えた。
苦しげで、切なげで、いまウィリアムがどんな表情をしているのか気になったが動けない。
(何か、言わなくちゃ)
そう思うのに言葉が見つからない。ただただ固まるリゼットに、焦れたようにウィリアムがまた距離を縮めてくる。
「リゼット……?」
もう吐息で耳を撫でられたように感じ、リゼットは夢中で首をぶんぶんと横に振った。それしかできなかったのだ。
鼓動がドキドキと激しく鳴りすぎて、静かな図書館に響いてしまうのではないかと本気で思うほど。
「……殿下の妃になる気はない?」
今度はぶんぶんと首を縦に振る。
そんな気はこれっぽっちもない。どうか正しく伝わってほしい。
しばらくウィリアムは黙っていたが、やがて「そうか」と安堵したような声で呟いた。
良かった、伝わったらしい。リゼットもほっとしたのだが、ウィリアムはなかなか動かない。どうしたのかと振り返ろうとしたとき、頭の上に何かが触れ、温もりとともにゆっくりと離れていった。
(いまのって……?)
「俺は、一体何を……」
「ウィリアム、様?」
「す、すまない。すぐそこにいるから、ゆっくり選んでくれ」
慌てたようにウィリアムが、口元を手で覆いながら離れていく。
ぼうっとしながらも目で追うと、ウィリアムの耳がほんのり赤く染まって見えた。
そっと頭頂部に触れてみる。
リゼットはかつてないほど、自分の顔が熱くなっているのを感じた。
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