41通目【妖精のシグナル】
その後、およそ二百年ほど前にあった王族同士の結婚の記録を発掘した外交官たちが、ヘルツデンの王族側の手紙に求婚の習わしの記述を見つけ、リゼットの読書記憶が確かだったことが証明された。
リゼットが読んだヘルツデン作家の『夜と朝の間に』という本は王宮書庫にはなかったようで、王立図書館に至急手配をすることになったらしい。
検証を、有識者を、と外交官たちが慌ただしく退出していったので、王女宮の応接室には王女とリゼット、それからなぜか残った王太子だけとなる。
「それでは、外交官様からお墨付きをいただいたので、さっそくレターセットを選びましょう!」
リゼットはうきうきしながらテーブルにレターセットを並べていく。
選定のときにも思ったが、さすが王宮に献上される品々だ。紙質は最高級、デザインはどれも華やかでいて品がある。王家の紋章が箔押しされたものは、そのあまりの希少性と貫禄に、思わずひれ伏したくなったほどだ。
さすがにこの場でひれ伏すのはためらわれたので、せめてと神にするように祈りを捧げると、王太子に「リゼット嬢は神だけでなく紙にも祈るのだな」と笑顔で言われた。
小刻みに震えているように見えたのは気のせいだろうか。王女も似たような顔で震えていたので、似たもの兄妹だとこっそり思う
「王女殿下。ご希望のレターセットはおありでしょうか?」
「そうですね……これだけたくさんあると、何が良いか迷ってしまいます」
「たかが紙ごときで何を迷うことがある?」
「お兄様。そういうところですわよ。というか、なぜまだ私の宮に居座っていらっしゃるのかしら」
「居座るとは心外な。妹の為に助言をしてやろうと残ってやったのだ。ところで、そういうところとはどういうところだ?」
レオンティーヌは兄が心底邪魔だという顔を隠しもせずにため息をつく。
隙あらば口論を始めるふたりを、リゼットは微笑ましく見ていた。兄弟というものは、本来はこんな風に本音を言い合うものなのだろう。それは甘えにも似ていて、信頼し、愛し合っているからこそ成り立つ関係にちがいない。
リゼットがジェシカとは築けなかった、強くゆるぐことのない関係だ。
「王太子殿下は、王女殿下が隣国に嫁がれてしまうのが寂しいのですね」
ふたりはリゼットの言葉に一瞬固まり、互いに視線を合わせて、同時にぷいと顔をそらした。
「このようにひねくれた妹を嫁にもらってくれる相手がいて安心こそすれ、寂しいなどと思うものか」
「フェロー先生は心の綺麗な方なので、お兄様の黒い腹も美しく見えてしまうのでしょう」
「でも、おふたりとも楽しそうです。……とてもうらやましくなるくらい」
リゼットが笑うと、ふたりは決まりが悪そうにもう一度顔を見合わせる。
「……スカーレット叔母様から少し聞きました。ご家族と、あまり良好なご関係ではないとか」
「あまり? とんでもなく性悪な継母と義姉に虐げられているのだろう?」
「お兄様! そういうところだと言っているでしょう! いい加減になさってください!」
「本当のことだろう。遠回しに言ってリゼット嬢の心が慰められるわけでもない。本当に彼女を想うなら、フェロー子爵に離婚を勧めるか、昨夜の騒ぎを義姉の反抗と断定し、投獄するほうがよほど為になる。そうだろう、リゼット嬢?」
平然とした顔で言った王太子に、リゼットはどう返して良いのかわからなかった。
昨日、王立図書館でジェシカと遭遇し、万年筆を折られたリゼットはワロキエ商会に飛びこんだ。わざわざ商会まで迎えにきてくれたウィリアムとハロウズ伯爵邸に戻ると、リゼットから詳しく話を聞いたウィリアムは重要な仕事があるからと出かけていった。絶対に邸から出ないようにリゼットに言い含めて。
その後たくさんの護衛騎士を引きつれてスカーレットが王宮から戻ってきたので、図書館での出来事を話し、どうか身の回りに気を付けてほしいとお願いした。
スカーレットはジェシカに憤慨しながらも、リゼットをしっかりと抱きしめてくれた。
自分は大丈夫だから、リゼットこそ気をつけるように。
そう言ってくれたスカーレットに救われた。尊敬する師であり、憧れであるのと同時に、スカーレットはリゼットにとって敬愛する家族のような存在になっていた。
(スカーレット様が私のお祖母様だったら……)
きっともっと幸せだっただろうと、考えても仕方のないことを思ってしまうくらいには。
ウィリアムは遅くなるが必ず今日中に邸に一度戻ってくると言っていたので、リゼットは夕食後も眠らずに起きて待っていた。
ワロキエ商会でジーンからもらった、月光薔薇の夜蜜を妖精と一緒に楽しみながらウィリアムの帰りを待とうと思いついたのだ。
窓辺で紅茶を二杯いれ、上手い具合に月が紅茶の水面に映ったところで、そっと夜蜜をスプーンでたらす。夜蜜はほんのり虹色に光りながら紅茶に溶けていった。
(わぁ……ひんやりと涼やかな香り)
自分の分の紅茶を静かに飲んでいると、やがて凪いでいた紅茶の水面が微かに揺れた。
風かと思ってじっと見つめていると、また二度、三度と紅茶が揺れる。
リゼットは嬉しくなって、そこに友だちの姿を想像しながら語りかけた。
「夜蜜、はじめて飲んだけど美味しいのね」
「今日はごめんなさい。大切な万年筆を守れなくて」
「万年筆は、調べたいことがあるからとウィリアム様が持っていかれたからいまはないの」
「新しく万年筆を作ろうと思うのだけど、どう思う?」
妖精は答えてはくれないが、語りかけるたび紅茶が揺れてくれるので、リゼットはそれで充分だった。
すっかり紅茶を飲み終え、またこうして夜のお茶会をしようと思ったとき、シャランと神秘的な音がした。
それはワロキエ商会で聞いた、ガラスのベルを鳴らしたような繊細な妖精の羽音だ。
思わず周囲を見回したとき、窓の外でキラリと光るステンドグラスの欠片が見えた。
妖精の羽だと気づき、窓から身を乗り出したリゼットの目に、夜空に上がる煙の筋が映ったのだ。
焦げ臭い匂いに、火は見えないが火事だと気づいたリゼットは、迷わず駆けだしていた。
使用人たちに火事だと大声で知らせ、スカーレットの部屋に飛びこみ説明もそこそこに彼女を引っ張り外へ避難した。
スカーレットが王宮から連れ帰った騎士たちと、ウィリアムが手配していた兵も集まり、邸はとんでもない騒ぎとなった。
「結果ボヤ騒ぎで済んだとはいえ、元王女の叔母様の邸で起きた火事だ。犯人らしき男は逃がしたが、いくらでも義姉を拘束することは出来る」
「ですが、ウィリアム様の話では義姉は自室にいたということですし、証拠がありません……」
「その日の出来事の時系列が証拠だろう。王族権限で手続きの諸々を省略し、すぐにでも処刑するか?」
面白がるような王太子の言葉に、リゼットはびくりと肩を揺らす。
この人ならそれが本当に出来るのだろう。
絶対的な権力を前にしてリゼットが固まっていると、レオンティーヌが「そういうところです」とあきれ顔で言い、リゼットの手を握ってくれた。
「フェロー先生のおかげで叔母様は無事でした。大姪として心から感謝いたします」
「……! そ、そんな! あのときは無我夢中で、とにかくスカーレット様を安全な所にとしか考えていなくて……」
「そんなフェロー先生だから、妖精も危機を教えてくれたのでしょう。……不思議ですね。妖精がそんな風に知らせて人間を助けるなんて、聞いたことがありません」
それについては、スカーレットも遅れて駆けつけたウィリアムも驚いていた。
リゼットはもしかしたら、月光薔薇の夜蜜のお礼だったりするのかもしれないと思っている。
また昨夜のお礼にお茶会を開こうと心に決めてはいるが、それがいつになるのかはまだわからない。というのも――。
「それで、叔母上とロンダリエ公爵邸に移ることになったそうだな?」
やはり人の悪そうな笑みを浮かべながら聞いてくるアンリに、リゼットは青ざめながらうなずく。
王太子の言う通り、ハロウズ邸の修繕と警備の編成が済むまでの間、しばらくウィリアムの実家、スカーレットも暮らしていたロンダリエ公爵邸にスカーレットとともに厄介になることになってしまったのだ。
まだ恋人にもなっていないのに軍神のご実家に向かうことになってしまったリゼットの心境やいかに……!




