筆休め【底なしの欲】
7/27にこちらのエピ追加いたしました!
リゼットの義姉、ジェシカは舞踏会や夜会が大好きだ。
こんなにも貴族らしい催しが他にあるだろうか。
女たちは豪奢なドレスで花を競い、宝飾品を自慢し合い、噂話を肴にワインを飲み明かす。男たちはいかに大きく見せるかに余念がなく、その為には湯水のように金を使い、美しい女を口説いては自らの飾り代わりに囲い込む。
(ああ楽しい!)
何て毒々しくも煌びやかな世界だろう。この世界にいると、自分も生粋の貴族になったようで、最高の気分に浸れる。
ジェシカは元々商家の娘だった。平民ではあったが裕福だったので、ちょっとした貴族の令嬢並みの生活を送れていた。
同じ年頃の平民の娘たちとは違い、いつも新しい服を着られたし、使用人を雇い家をのことする必要もなく、不自由がなく優越感に浸れる日々だった。
しかし裕福でも所詮は平民。平民の中ではヒエラルキーの上位にいても、その上の位階には貴族がいて、更に上には王族がいる。ジェシカは最下層ではないというだけで、それほど特別な人間ではなかったのだ。
それがわかったのは、世界で一番立派で偉いと思っていた父親が、顧客の貴族に厳しく叱責され、膝をつき頭を地面にこすりつける姿を見たときだ。
その貴族の連れは少女と言っても良いくらいに若く、ジェシカの着ている服よりもずっと美しいドレスを身に纏い、床に這いつくばる父を見て笑っていた。
ジェシカはがっかりした。大したことのなかった自分の父の情けなさにもだし、自分がそんな男の娘で世界の主人公ではなかったことに。
だから父が事故で亡くなったときは、さほど落ちこむことはなかった。一応悲しみはしたが、それよりも周囲が父親を亡くしたジェシカに優しくしてくれるのが心地よかった。
それに父が亡くなって一年と経たず、母に縁談があったのだ。しかも相手は貴族。
父が死んでくれたおかげで、本来越えることの出来ないヒエラルキーの壁を、ぴょんと飛び越えることが出来たのだ。
あの貴族の娘が着ていたような美しいドレスが着れる。誰かに頭を下げて床に這いつくばる心配も必要ない。ジェシカは最高の幸せを手に入れられたのだ。
(実際は貴族の中でも序列はあったけど、関係ないわ。同じ貴族の中ならいくらでもやりようはあるし)
「ジェシカ様。先日は手紙のお返事ありがとうございます。評判通り、美しい筆跡でいらっしゃるのですねぇ」
「私もお手紙を出しましたわ! ジェシカ様からのお手紙を読むと、何というか良い気分になるんですの」
「私はお手紙をいただいたあと、なくしてしまった祖母の形見を見つけました。ジェシカ様の手紙を読むと良いことがあると言う方も多いですわね」
「まぁ、本当ですか? きっと偶然だと思いますが、嬉しいですわ」
柔らかな座り心地のソファに深く身体を預けながら、ジェシカはほくそ笑んでワインを傾ける。
最近、ジェシカと手紙のやりとりをしたいと言ってくる貴族が増えて、夜会に出るたび声をかけられるようになった。
ジェシカ自身は返事を書くどころか手紙を読んでいないのに、いつもちやほやされる。この状態は最高に気分が良い。
視界の奥で若い男がチラチラとこちらを見ていることに気づき、ジェシカは挑発的に微笑んで見せた。
フェロー家よりも上の階位の貴族と射止めれば、ジェシカはより特別な人間になれる。さすがに王族との結婚は無理かもしれないが、侯爵夫人辺りなら不可能ということはないだろう。
「あちらの男性、先ほどからジェシカ様のことを見ていらっしゃるわ」
「本当にジェシカ様はおモテになるのねぇ。そんなに男性を惹きつけられるなんて羨ましい」
「私たちにも秘訣を教えてほしいくらいですわね」
よく夜会で一緒になる令嬢たちに言われ、ジェシカは「私は何もしてませんわぁ」と悪くない気分で返す。
「でもジェシカ様にはシャルル様がいらっしゃいますものね」
「今日もシャルル様と一緒にいらっしゃったのでしょう?」
「他の方がシャルル様をお誘いしても、いつも断られるのですって」
「まぁ、そうなんですか? いっつもシャルルから誘ってくれるから、私全然知らなくて……」
申し訳なさそうな顔を作りながら、ジェシカは内心高笑いだ。
デュシャン伯爵家のシャルルは、美形揃いの近衛の中でも特に麗しいと評判だ。未婚の令嬢たちに大人気で、皆ジェシカを羨んでくる。優越感を満たすのにこれほどぴったりな相手はいない。
シャルルは元々、義妹のリゼットの幼なじみでフェロー家と繋がりがあった。
だからジェシカはリゼットから、美しいシャルルを奪ってやったのだ。
リゼットのことは初めて会ったときから大嫌いだった。
フェロー子爵の実子で生粋の貴族。生まれたときから、ジェシカが欲しかったすべてを持っていた少女。
綺麗なドレスも美しい宝飾品も、本当に立派な父親もかしずくたくさんの使用人も、誰もが羨む麗しい幼なじみの騎士も何もかも。それらはジェシカが持つべきものだった。
ジェシカがこの世界の主人公になる為に持って生まれるべきものだったものだ。
(あの子の代わりに私が本物になるの。だってそれが本来のあるべき世界だし)
「愛されているんですのねぇ。もうご婚約はされているのでした?」
「シャルル様はもったいないことにご嫡男ではありませんものね。もしかして婿として迎えられるのかしら?」
言葉の裏に潜む蔑みを感じ取り、ジェシカは心の中で舌打ちする。
紳士で麗しいシャルルの唯一の欠点。それが伯爵家の次男であることだ。
デュシャン伯爵家は長く続く由緒正しい家柄で、領地も豊かで裕福だ。しかし爵位を継ぐ長男はシャルルではない。シャルルはいまのところ、王族の近衛という職務による騎士爵しか持っていない。
ジェシカが求める結婚相手の基準に、残念ながらシャルルは届いていないのだ。
「あら。でもフェロー子爵には確か……」
「ああ、そうでしたわね! 義理の妹さんはまだデビュタントはされないの?」
嫌な話題を振られ、ジェシカは顔が引きつりそうになるのを堪えながら「それが……」と困ったように眉を下げた。
「妹はとても良い子なんですが、少々その、のんびりとしてるというか。身内としてお恥ずかしいんですが、少し怠惰なところがあって……。まだ社交が出来る段階ではないからって、許可が下りないみたいです」
「まぁ……。それはジェシカ様も姉として心配ですわね」
「ええ、本当に。困った子ですわ」
こうやって、リゼットの評判を落としておけば、いずれリゼットがデビュタントを果たしたあともジェシカに有利に事は運ぶだろう。
社交も上手くできない娘を、子爵は跡取りにはしないはず。ジェシカが社交界で成功し、良い婿を迎えれば、実子ではなくても跡取りにと考えてくれるだろう。
高位貴族に嫁ぐか、ジェシカ自身が子爵でも爵位を得るか。どちらが人に羨ましがられ、敬意を集められるだろう。
天秤はいまのところ拮抗している。だからジェシカはシャルルのことはしっかりと繋ぎとめておく必要があった。
だがまだ婚約はしない。シャルルをキープしつつ、高位貴族との出会いも求めていく。そうやってより素晴らしい物語の主人公になるのだ。
「きゃっ。シャルル様!」
隣の令嬢が思わずと言ったふうに声を上げたので、ジェシカがそちらを見ると、シャルルが友人を連れてきたところだった。
「ジェシカ。あまり飲みすぎないようにな」
「もう、いっつもそう言うんだから。私は子どもじゃないのに」
「シャルル様は本当にお優しいんですのねぇ」
「こちらで一緒にお話しいたしましょうよ」
少し酔った令嬢たちに誘われて、苦笑しながらシャルルと友人が輪に加わる。
この友人は確か、シャルルと同じ爵位の嫡男だったはず。悪くはないが、良くもない。
一応愛想良くしておこう、とジェシカは自分が一番美しく見える角度に座り直した。
(誰よりも幸せになるべきなのよ、私は)
扇の裏でそう傲慢に笑うジェシカだったが、次の日子爵にリゼットに起きた出来事と、リゼットの今後を聞かされ愕然とすることになる。
“自分の思いどおりになる世界”にヒビが入ることになるとは、いまはまだ想像もしていないのだった。