【長い夜の終わり】
「もう誰にも、私の存在など、知られることはないと思っていました……」
寂しかった。そう、寂しかったのだ。
世界でひとりぼっちになってしまったと。これから先もそうなのだろうと。そうやって半分諦めながら生きてきた。
涙を耐えるリゼットの目の前に、そっとハンカチが差し出された。
いつの間にか後ろに立っていたウィリアムが、怒っているのか同情しているのか、よくわからない表情でこちらを見ている。
恐るおそるハンカチを受け取ると、隣にスカーレットが移動してきて、なぐさめるように抱きしめてくれた。
「私にはすぐにわかったよ。セリーヌの筆跡を見て何度も練習したんだろう。これまでよくがんばったね、リゼット」
ひとりぼっちの自分を見つけてくれるのは、父でも幼馴染のシャルルでもなかった。
母が、天国の母が遠くから連れてきてくれたのだ。
リゼットはハンカチで目元を拭うと、意を決して顔を上げた。
スカーレットの右手を取り、きりりと彼女を真っすぐに見つめる。
「スカーレット様。あなたの代筆、お引き受けいたします」
***
スカーレットたちの見送りに外へ出たとき、ちょうど馬車が一台駆けこんできた。
馬車から降りてきたのはリゼットの父、フェロー子爵だ。義母たちは一緒ではないので、邸からの報告が行って王城から直接駆け付けたのかもしれない。
父は出てきた瞬間から顔色が悪かったが、スカーレットを見て更に顔面を蒼白にした。
「久しぶりだね、フェロー子爵」
「ハロウズ夫人……なぜ、あなたが」
混乱しているのか、挨拶も返さず礼も取らない子爵に、スカーレットがスッと目をすがめた。
「いま私は伯爵夫人ではない。ハロウズ伯爵だ」
「……失礼いたしました、ハロウズ伯爵。それで、本日はいったいどのようなご用件で我が邸に?」
「白々しい。こちらからの手紙を散々無視しておいて、なおその態度か」
えっ? とリゼットは父の顔をうかがった。スカーレットから手紙を受け取っていたのか。
しかし父もまた、リゼットと似たような戸惑った顔をしている。
「手紙……? まさか」
「はぁ……飽きれた。お前は妻の手綱を握るのはおろか、使用人の教育すら出来ないのかい」
愕然とした様子の子爵に、スカーレットは失望したとばかりにため息をついた。
「何度セリーヌの墓を参りたいと、リゼットに会わせてほしいと送ってもなしのつぶて。いい加減たえかねてこうして直接訪ねたわけだが……正解だったね」
「大変、申し訳ありません……」
「天国のセリーヌも泣いているだろうよ。こんなに愚かな夫の元に、大切な娘をひとり残していかなければならなかったことを」
まだまだ続きそうなスカーレットの苦言に、ウィリアムが「お祖母様」静止の声をかける。
父が助かったとばかりにそちらを見たが、ウィリアムはウィリアムで威圧感たっぷりの上背と鋭い目つきで父を震えさせた。
「ふん。……フェロー子爵。いや、ダニエル。リゼットに私の代筆をしてもらうことになった」
「……は? 引き受けたのか、リゼット⁉」
焦ったように振り向く父に、リゼットは控えめながらうなずいた。
やはり反対されるのだろうか。せっかく心躍る素敵な役目をもらったのに。
「はい……。お引き受けしてはいけませんか? スカーレット様は、お母様の先生だったのですよね?」
しかし父は、怒りに満ちた表情でスカーレットと向き直ると「お帰りください!」と叫んだ。
「お父様!?」
「貴女はまた私から家族を奪う気か⁉」
「奪う? 何を言っている。セリーヌは病気で亡くなったのだろう」
スカーレットの言う通りだ。それにセリーヌが病に倒れるよりも前にスカーレットも病を患い、領地に移り療養していたと言っていたはずだ。
「貴女を師事しなければ、セリーヌは死ぬことはなかった!」
初めて聞く父の慟哭のような叫びに、リゼットは驚くことしかできない。
スカーレットはしばらく沈黙したあと、深いため息をついた。
「なるほどね。だからリゼットを社交界に出さず、邸に閉じこめたのか?」
「……娘を母親の二の舞にさせるわけにはいきませんから。私なりにこの子を守っているのです」
「守る? 飼い殺し、使い潰すの間違いだろう?」
スカーレットの鋭い指摘に、一瞬父が口ごもる。
「ダニエル。リゼットを本当に守りたいのなら、お前がやるべきなのはリゼットに自分を大切にする術を教えることじゃないのか」
「それは……」
「すでにリゼットの代筆した手紙は、社交界で評判になっている。このままではお前の後妻とその連れ子に、リゼットはいいように使われ続けることになるよ」
「……メリンダたちには、もうリゼットに代筆させないよう言い含めます」
「それを素直に聞く女ならいいがな」
スカーレットが鼻で笑い、父は上手く反論することが出来ず黙りこむ。まるでリゼットの様子を気に留めることがなかった父も、継母たちの行いには気づいていたのだ。
いましかない、とリゼットは父の腕をつかんだ。
「お父様、スカーレット様の代筆をやらせてください! どうしてもお役に立ちたいのです!」
「お前は、どうして……」
「スカーレット様は、私の書いた手紙を見て素晴らしいと褒めてくださいました。お母様の筆跡に似ていると。私はそれが、とても嬉しかった……。私の代筆で、スカーレット様のお役に立ちたいのです。どうか、お願いいたします。お父様が認めてくだされば、きっとお継母様たちも許してくださると思うのです。だから……!」
父は一瞬、眩しいものを見るような、痛ましいものを見るような目で何か言いかけたが、結局渋い顔をして口を閉じると頭を振った。
「……粗相のないようにしなさい」
「は、はい……! 許可してくださり、ありがとうございます。お父様」
「勘ちがいするな。賛成したわけではない。お前も、セリーヌも……手紙など、何がそんなにいいのか。私には一生理解できん」
声をしぼり出すように言う父の姿が、リゼットの目にはなぜかひどく傷ついて見えた。
聞いていたスカーレットが、短くため息をつく。
「もちろん報酬は払う。リゼット個人にね。必要ならダニエルにも別に支払ってやろう。何か問題はあるか?」
「いえ……かしこまりました」
「リゼットには私の邸に通ってもらうことになる。明後日、迎えを出す。……余計なことをさせるなよ、ダニエル」




