40通目【嫁ぎ先のしきたり】
「ヘルツデンの王太子殿下、ヨハネス様は私の三つ年上で、我が国の王太子殿下とは比べ物にならないほど落ち着きのある方です」
今日もミモザの香りをまとった王女レオンティーヌは、婚約者の姿を思い浮かべるように目を閉じ語る。
宝石のような大きな瞳が隠れてもさほど関係ない美貌には、リゼットはまだまだ見慣れることができぞうにない。
そんな目が眩むほど美しい人間が、もうひとりソファーに腰かけている。
ここ、ルマニフィカ王国の王太子、アンリ王子が堅い笑顔で向かいに座る妹の話を聞いていた。
「欲望に忠実な我が国の王太子殿下とちがい、ヨハネス様は己を律することに非常に長けていらっしゃる。国の益を最優先とし、ご自身のことは二の次三の次。まさに王太子の鑑と言うべきお方なのです」
「す、素晴らしい方なのですね」
「ええ、本当に。次期国王とはこうあるべき、という見本のような、私にはもったいない方なのです」
レオンティーヌの言葉に棘を感じるのは気のせいではないのだろう。
証拠にアンリのこめかみが先ほどから目立つほどに痙攣している。
ヘルツデンの王太子を褒めたいのか、ルマニフィカの王太子を貶したいのか、どちらが目的がわからくなってきた。
「我が妹よ。それでは私が次期国王にふさわしくないように聞こえるだろう」
「まぁ。そう聞こえてしまったなら、もしかしたらお兄様ご自身に心当たりがあるからかもしれませんね」
「私が? まさか。私ほど王位にふさわしい人間は他にいない」
「うふふふふ。お兄様ったら冗談がお上手なんですから~」
これが王族のコミニュケーションの取り方なのだろうか。
何やら不穏な空気が流れ始めたので、リゼットは文章を綴ることに集中する。
ただでさえ、ヘルツデン語を書くには集中力が必要なのだ。似ている文字が延々と連なっているため、気を抜くと文字が抜けていたり、どこまで何を書いたかわからなくなったりもする。
何度か書き直したものを読み返し、それをアンリが連れて来た外交官に渡す。
ヘルツデン語の添削と、王族間の手紙のやり取りにおいて問題はないかチェックしてもらいたく、レオンティーヌを通して協力を仰いだのだ。
それに王太子がくっついてきたのは謎だが。
「これは……素晴らしい。筆跡もさることながら、文章の構成も自然です。リゼット嬢はヘルツデンに縁がおありなのでは?」
「いいえ。私は生まれも育ちもルマニフィカです。恥ずかしながら、王都から出たこともないくらいで」
「何と……」
「リゼット嬢。失礼ですが、外交官の仕事にご興味は?」
さすが他国の要人をもてなす外交官。お世辞だとわかっていても、そんな風に言ってもらえると悪い気はしない。
お礼を言って流すのが礼儀だと思ったのだが、なぜか残念そうな顔をされてしまった。
「それより、どこか直しが必要な部分はありませんか? 国際的なマナーなどは、私は詳しくないので……」
外交官ふたりは額を突き合わせてリゼットが下書きした手紙を確認する。
ふたりはヘルツデン担当の外交官で、滞在歴もあるらしい。そんな頼もしい人たちに確認してもらえるなんて贅沢なことだが、同時にとても緊張した。
「そうですね……。強いて言えば後半部分のここですが、明らかにそれまでの文章とは文体も異なって見えます。唐突過ぎて不自然とでも言いましょうか」
「これは何か意図があってのことなのでしょうか?」
外交官たちの問いに、王女と王太子も「確かにそこが少し気になった」とうなずいている。
「これはヘルツデンの古い習わしを用いた部分なのです」
「まぁ。ヘルツデンにそのような習わしが?」
「はい。ヘルツデンでは昔、求婚する際に相手の好きなところ、素晴らしいところを三つ挙げ、手紙にしたため褒めていたそうです。受け取ったほうは同じように相手を三つ賛美して返す。それを七度繰り返したら、ようやく直接会って求婚する権利を得られるという習わしです」
リゼットが指で数を表しながら説明すると、外交官が難しい顔になる。
「そのような習わし、ヘルツデンには――」
「いや、待て。大昔の記録にそういった記載があると、随分前に聞いたことがあるような……」
先代の外務長官が、いやヘルツデンなら先々代の、と外交官が補佐官たちも含めて話し合いを始める。
リゼットの言った古い習わしは、二百年前のヘルツデン貴族でもあった作家のエッセイに書かれていたものなのだが、その本はフェロー子爵邸に置いてきたままだ。
申し訳ないが、いま取りに戻る勇気はない。何せ図書館での予期せぬ事件のあとも、あんなことがあったばかりで――。
「いや、だとしても、自国内での婚姻ならいざ知らず、古い習わしなど知る由もない他国の姫君との婚姻に持ち出すだろうか?」
「うーむ。ヘルツデンは伝統を重んじる国ではあるが……」
「あ。実はヘルツデンの王太子殿下の手紙に、さりげなくその古い習わしが用いられているようなのです」
「何ですと!?」
驚く外交官たちにとことこと歩みより、リゼットは手紙の該当する部分を指差した。
「ここと、ここと、ここです。王女殿下の笑顔や、思慮深さ、それから香りのことを素敵だったとほめています」
「本当だ……」
「偶然、と断じてしまうには少々合いすぎているような」
「習わしが一般的に行われていた当時はもっと大胆に、情熱的に相手を賞賛する書き方をしていたようなのですが、こちらは知るはずもないだろうからと遠慮されたのではないでしょうか」
ヘルツデンの王太子が、レオンティーヌのことを思ってあれこれ考えながら手紙を書く姿を想像し、リゼットは恐れ多くも微笑ましくなる。
レオンティーヌはほんのり頬を赤らめて「確かに」とうなずいた。
「何も知らない状態でそこまであからさまに褒められると、やり過ぎじゃないかしら? と不審に思うかもしれませんね」
「はい。なので、あえてこちらからはこのくらい大胆に書くと、ヘルツデンの王太子殿下にも気づいていただけるのではないでしょうか。王女殿下もその習わしを知っている、と」
リゼットの考えに、一同は「なるほど」とうなった。
直接「こういう習わしがそちらにはあるんですよね?」と聞くのはさすがに情緒がない。尊き方々ならきっとこれくらい遠回しな伝え方をするのではないだろうかと思ったのだが、王女たちの反応を見るに正解だったようだ。
ちなみにヘルツデンでは初夜を迎えた翌朝にも、名実ともに妻になった相手に夫が手紙を送るのだという。
この場でそれを言うのは気恥ずかしいので、あとでレオンティーヌにそれとなく話してみよう。
「フェロー先生のお手紙は、本当に思いやりに満ちていますね」
あなたを選んで良かった。
レオンティーヌのその言葉にリゼットは胸がいっぱいになり「光栄です」とおじぎをしようとした。それが途中でカクンと体勢が崩れてしまい、とっさに手を伸ばした王太子に助けられた。
「なるほど。リゼット嬢はアンベール子爵から聞いていた通りだな」
「も、申し訳ありません。……ちなみに、ウィリアム様は何と?」
「そそっかしくて目が離せない、と」
初対面時にインクをぶちまけてしまったり、窓から逃亡しようとして落ちそうになったりした散々な光景を思い出し、リゼットは両手で顔を覆い隠すのだった。
次回はウィリアムが子爵邸に乗りこんだあとに起きた出来事をお送りします!(予告)




