39通目【隠し下手】
「いいえ、違います!」
どうやらウィリアムは真っ先に、謹慎中のシャルルが頭に浮かんだらしい。
シャルルは今回関係ない。リゼットが慌てて否定すると、ウィリアムはさらに眉間のしわを深くする。
「ではあの義姉か。くそ……すまない。やはりひとりで行かせるのではなかった」
「そんな……私がわがままを言ったのです」
「……何やら事情がおありのようですね。リゼット様、よろしければこちらをお持ちください」
ジーンが差し出したのは大きな封筒と、革張りの冊子のようなものだった。
「ジーンさん、これは……」
「印章のデザイン候補です。今日のところはお持ち帰りいただき、ゆっくりと御覧ください。それからこちらは万年筆のカタログです。妖精の好む素材の詳しい記載もございますから、眺めているだけでもリゼット様にはお楽しみいただけるかと。……貴女の大切なものを直して差し上げられず、誠に申し訳ございません」
「いいえ! いいえ……ありがとうございます。本当に、嬉しいです」
本当は、今日ここで印章のデザインの最終案をまとめる予定だった。
そのあとジーンに店の案内をしてもらい、妖精たちが好むという商品を色々見せてもらい、また妖精について教えてもらうはずだったのだ。
店内には見たことのない色で光るランプや、何もセットされていないのに音楽を奏でる蓄音機など、不思議なものが所せましと飾られていて、こんな時でなければおとぎ話の世界のような空間を目いっぱい楽しむことができただろう。
それらを叶えられなかったことを少し残念に思いながら、リゼットはウィリアムの手を取り立ち上がる。
「あ……そうだ、ジーンさん。もし月光薔薇の夜蜜があれば、購入したいのですが。可能でしょうか?」
ウィリアムは「月光薔薇?」といぶかしげに言い、ジーンは三日月に戻っていた目を丸くした。
「ちょうど入荷したばかりですが……よくご存じで。どちらでそれを?」
「図書館で読んだ本に、妖精は月光薔薇の夜蜜が好物だと書かれていたのです。傷ついているだろう妖精さんに、少しでも元気になってほしくて」
フィルが教えてくれた母の愛読書には、月光薔薇の夜蜜は妖精にとって極上の美酒のようであると書かれていた。
夜に窓辺で紅茶をいれ、そこに月を映しながら夜蜜を入れる。するとティーカップから不思議な音がし、紅茶の水面が揺れるらしい。妖精が夜蜜入りの紅茶を喜んでいる証拠なのだそうだ。
他にも妖精について様々なことが書かれていた。本当か嘘かはわからないが、母が読んでいたのなら、そこに書かれていたことを実際に試していた可能性がある。
母が試したのなら、妖精もきっとそのときのことを覚えているはずだ。
ジーンは王立図書館にそのような本があるのかと驚き、すぐに月光薔薇の夜蜜の入った瓶を用意してくれた。
六角形のガラス瓶に入った夜蜜は、透明でとろりとしていた。月光にかざすと色を変えるらしい。
「私の知らない、不思議なものが世の中にはたくさんあるのですね。ジーンさん。おいくらですか?」
「お代は結構ですよ」
「え? そういうわけには……」
「これは友人としての贈り物です。また貴女の元気な笑顔を見せていただけると嬉しいです」
ジーンに手を取られ、瓶を渡される。
今日は突然来て迷惑をかけたというのに、友だちだからとこんなにも気遣ってくれるなんて。
「ジーンさん……ありがとうございます」
そうやって微笑み合っていると、手の中の瓶をウィリアムに奪われた。
不機嫌そうな顔でリゼットたちを見下ろしたかと思えば、ふいと背を向ける。
「行くぞ、リゼット」
「あ、はい! ジーンさん、今日はご迷惑をおかけしました。夜蜜、ありがたく使わせていただきますね」
「上手くいくといいですね。またのお越しをお待ちしております。リゼット様ならいつでも歓迎いたしますので」
「リゼット!」
「わわ、はい! ではジーンさん、また!」
ウィリアムにせかされ、慌ただしくワロキエ商会をあとにした。
***
てっきり向かいに座ると思ったウィリアムが、隣に腰かけたのでリゼットはドキリとした。
右腕がウィリアムの身体に当たるほど近く、なぜか急に呼吸がしにくくなる。
「それで、一体何があった?」
「え、ええと……」
どこまで話してよいものか迷う。そもそも、正直に話すべきなのだろうか。
ジェシカは変装してまでリゼットを脅しに来た。
なぜあそこまでして家に戻れと言うのか、リゼットにはわからない。代筆なら頼まれれば請け負うつもりだし、リゼット以外にも代筆できる者はいる。
確かにこれまではリゼットがすべて引き受けていたので、お金もかからず便利ではあったかもしれないが、代筆を雇えないほどフェロー家は困窮していないはずだ。
継母も義姉も夜な夜な宴に繰り出し、ドレスや宝石に湯水のようにお金を使っている。父はそれに良い顔はしないが、無理に止めることもなかった。
ジェシカは一体なぜ、リゼットを家に呼び戻したいのだろう。
しかもスカーレットやウィリアムに危害を加えるようなことを暗に示した。これは貴族としてかなり危うい行為だ。
(私がウィリアム様に話したことがバレたら、お義姉様はどうする……?)
リゼットに従う意思なしとみなし、脅しを行動に移すかもしれない。
かと言って、ウィリアムたちに伝えなければ、それはそれで彼らが危険だ。
「……お騒がせしてしまい、申し訳ありません。知らせを出したのは私の勘違いです」
「勘違い……?」
「万年筆は私の不注意で壊れました。それで、何だか不吉な予感がしたので王宮に知らせを。大げさに騒いでしまって申し訳ありません!」
ウィリアムの視線を顔の右側に感じながら、リゼットは正面を向いたまま笑顔で言った。
何ともない演技をしなければ。明るく、元気に、いつも通りに。
「それで、予備の万年筆を家に置いてきてしまったことを思い出したので、明日取りに行ってこようと思います」
「……わざわざ子爵邸に? お祖母様からもらえばいい。あの人は万年筆だけで博物館ができそうなほど持っているだろう」
「スカーレット様のものをいただくなんて、とんでもない! 大丈夫です。すぐに戻りますから」
不自然にならないように言えただろうか。
内心ドキドキしながらウィリアムの反応を待っていると、隣から聞こえてきたのは大きなため息だった。
「リゼット。君に隠し事は向いていない」
「か、隠し事なんてしていません」
「すべて話せ。そうでないと、君を守れない」
そう言うと、ウィリアムは何を思ったのか距離を詰めてきた。
驚いて詰められた分離れようとすると、さらに顔を近づけられ、馬車の壁に追いこまれるような形になる。
覆いかぶさるようにして迫るウィリアムに、リゼットは顔が真っ赤になった。
「ウ、ウィリアム様っ」
「いいのか? このままだと顔がもっと近づいてしまうが」
「ダメです! 離れてください!」
心臓が持たない、とリゼットが訴えると、小さく笑うような吐息がかけられる。
「だったら吐け。私に隠し事をするな」
「わかりました! 話しますから!」
ウィリアムの胸を押し返しながらそう叫ぶと、なぜか「それは残念だ」と言いながら体を離してくれた。
残念とはどういう一体意味だ。
壁に背中をつけたまま混乱するリゼットに、ウィリアムは苦笑する。
「悪かった。もうしないから、話してくれ」
「……私をからかったのですか?」
「まさか。本気で君を心配しているんだ」
少し欲はかいたかもしれないが、とぼそりと言ったウィリアムが、微かに耳を赤くして適度な距離に戻ってくれる。
リゼットは若干疑いながらも体勢を整え、覚悟を決めて王立図書館であったことを話した。
迷いはあったがすべて話した。ウィリアムの言うとおり、リゼットには隠し事が向かないし、隠し事の取捨選択も絶望的なまでに向いていないのだ。
引き受けた仕事は大切だが、スカーレットやウィリアムの安全のほうがもっと大切だ。自分が家に戻れば丸く収まる。代筆はルークやララ、他の能筆者たちがたくさんいるからなんとかなるはず。
そう思いとっさに嘘をついて家に戻ろうと考えてしまったが、本当はスカーレットたちと比べるものではないけれど、仕事もとても大切だし、誰かに任せるのではなく自分でやり遂げたい。
全部守りたいのに、その力が自分にはないという現実から、逃げ出しそうになったのだ。
力がないとわかっていても、くじけて逃げるのは違う。それはスカーレットやレオンティーヌ、お世話になった人たちを軽んじることと一緒だ。
まだ出来ることがあった。それは頼れる人に助けを求めること。
ウィリアムはそれを教えてくれたのだ。
改めて駆けつけてくれた軍神に感謝したリゼットだったが、正直に話し終えたあと、ウィリアムがあそこまで激怒することになるとは想像もしていなかった。




