筆休め【高貴な兄妹】
「王宮敷地内において無許可で剣を抜いた罰として、近衛騎士シャルル・デュシャンに一週間の謹慎を言い渡す」
王太子アンリの決定に、シャルルは苦渋に満ちた顔を隠しもしなかった。
采配に不満がある、自分は悪くない。そんな心の声がすべて表情に現れていた。
シャルルの上司である隊長は部下のそんな態度に憤り、アンリに謹慎期間を延ばすよう進言してきたほどだが、アンリは怒るよりもあきれてしまった。
シャルルは部屋付きではないものの、騎士内の評判がよく勤務態度も真面目で、見た目が華やかなのもありアンリから労いの声をかけることもあった。
いずれ部屋付きに昇格するだろうと思っていた矢先、今回の騒ぎである。
仕える王族を前に反省の色をまったく見せない様子に、本当にこれはあの優等生然としたシャルルなのかと疑ったくらいだ。
同僚騎士に伴われ去っていくシャルルの背中を見ながら、アンリは「あれは一体どうしたのだ?」と不可解さを口にせずにはいられなかった。
「幼なじみを守りたい、アンベール子爵やハロウズ伯爵に騙されている彼女を救いたい、とそればかりだったが。何か聞いているかレオンティーヌ」
その場に残っていた妹に話しを振ると、彼女は不愉快そうに眉を寄せた。
「いいえ。どうやら彼はリゼット・フェローさんの幼なじみのようですが、それにしてはフェロー先生は怯えていましたし」
「彼女を守っているのはアンベール子爵のほうに見えたしな」
「スカーレット叔母様にお手紙を出して聞いてみましょう。お兄様、よろしければ私の宮でお茶でもいかがです?」
「ああ。お前を訪ねようとしていたところだったのだ。代筆を決めると言っていたが、先生と呼んでいたということは、リゼット嬢を指南役に決めたのだな?」
アンリがエスコートのために腕を差し出すと、レオンティーヌは当然のように手をかけ微笑む。
しかし、ニコリと言うよりニヤリと表現したほうが正しい黒い笑みだった。
***
王女宮に場を移し、アンリに紅茶を用意したあと、レオンティーヌは三通の手紙をアンリに見せた。
指南役兼代筆者を決めるにあたり、候補者三名にそれぞれ書かせた手紙だという。
「……なるほど。これは特殊だな」
「どの方も素晴らしい能筆者でしたが、迷わず決めました」
「私がお前でも同じ選択をしただろう。あまりにも適任すぎたな」
だが、アンリが仮にアンリとして代筆者を選ぶとしたら、リゼットのことは選ばないだろう。
レオンティーヌも「お兄様なら別の方を選ぶでしょうね」とわけ知り顔で言う。
カヴェニャークの弟子であるルークか、ラビヨンの弟子のララか、どちらかで迷うことはあったかもしれないが、最終的にはルークを選ぶだろう。
ルークの能力もララの能力も、アンリの王太子という立場から見ると同じくらい有用だ。例えるならルークは盾で、ララは剣。どちらも欲しいが、どちらかしか選べないのなら、性差でルークを選んだはずだ。
しかし、今回のレオンティーヌの目的に合致するのは、間違いなくリゼットだった。
むしろリゼット以外ありえないと言ってもいいほどである。適材適所とはこういうことを言うのだなと、アンリは三通の手紙を興味深く見比べた。
「妖精の力か……」
「稀有な力です。でも、妖精の力を持つ者は、王族の指図でその能力を使うことはないのですよね」
「本人の意思が伴わなければ、妖精は力を貸さないという話か。どこまで本当なのか」
「試そうとしてもダメですよ。フェロー先生はもう私の先生ですから、お兄様にはあげません。どうしても気になるのであれば、他の方にお声がけくださいね」
「わかっている。だが、リゼット嬢がヘルツデン語に明るいとは。そこを加味するとやはり三名の中で一番興味がひかれるのはリゼット嬢で――」
「絶対にダメです」
にべもなく断られ、アンリはティーカップを片手に笑みを深めた。
レオンティーヌは柔和で王族の中で最も慈悲深い理想的な王女である。……と、いう印象を持たれているが、実際は笑顔の下で他者を評価し、笑顔のまま切り捨てる非情さを持つ、実に王族らしい王女である。
国王ですら敵わない女傑と謳われる、スカーレットのほうがよほど慈悲深く温かい。
「珍しいなレオンティーヌ。お前がそこまで執着を見せる人間とは、ますますリゼット嬢に興味がわく」
「お兄様のそういうところがご令嬢たちに嫌われるのですよ。ちょっと怖いって」
「む……。私は嫌われているのではない。あまりに高貴な存在すぎて近寄りがたく思われているだけだ」
「そうですわねぇ。いまだに婚約者が決まらないほど遠巻きにされているのですよね」
「お前……兄より先に婚約が決まって、そんなに嬉しいか」
ギリギリと歯嚙みしながら言う兄に、レオンティーヌは「それはもう」とにっこり笑う。
天使の微笑と言われる妹の笑みだが、実の兄にはどこにもその要素が見受けられない。
これまで様々な事情があり、縁談がまとまりかけるたびそれがご破算になってきた、不運な兄に対してこの態度。
まったく、これのどこが慈悲深い理想的な王女だ、とアンリは妹を改めて小憎らしく思った。
「やれやれ。我が妹ながら嫌な性格をしている。リゼット嬢もかわいそうに」
「まぁ、失礼な。私は気に入った方はとても大事にします」
「気に入った奴だけな。そういえば、アンベール子爵……あれはスカーレット叔母上の命でリゼット嬢の護衛をしていたのか?」
「どうなのかしら、ヘンリー?」
扉の近くで待機していたレオンティーヌの騎士が「はっ」と胸に拳を当てて前に出る。
「私もウィリアムから詳しい話は聞いておりませんが、以前死者の祝日にハロウズ伯爵と三人でいるところ遭遇しました。リゼット嬢のことをハロウズ伯爵の代筆者だと紹介していましたが、明らかに他のご令嬢たちとは違う扱いをしていたと記憶しております」
ヘンリーという騎士は、アンベール子爵ことウィリアム・ロンダリエと親しいらしい。
序列一位の大貴族、ロンダリエ公爵家の跡取り。戦場の悪魔と恐れられ、アンリとはまた違った怯えられかたで令嬢から遠巻きにされている男。
えり好みが激しいため長い間婚約者を探し続けているアンリだが、ウィリアムの場合はあまり女性を必要としていない、むしろ毛嫌いしているようにも見受けられていた。
(それが、ここにきて特別な相手が登場したと……)
貴族令嬢たちに大人気のシャルル・デュシャンまで、幼なじみだというリゼットにかなりの執着を見せていた。
癖のある人物たちが魅入られている、リゼット・フェローとは一体どのような令嬢なのか。
見た目は幼さの残る愛らしい小動物のようだったが、当然それだけの存在ではないのだろう。
この手紙で見せた非凡さ、あの女傑スカーレットの後見を得ているという事実。
社交界でも注目されがちなふたりの男が、リゼットをめぐり王宮で私闘を繰り広げたのだ。これで興味を持つなというほうが無理な話である。
「次にリゼット嬢が来るのはいつだ? そのときは私も呼んでくれ」
話をしてみたい、と好奇心を隠さず言ったアンリに、レオンティーヌは――。
「絶対にイヤです」
と、今日一番の笑顔で言い放つのだった。
仲良し兄妹だなぁー(棒) と思った方はブクマ&☆☆☆☆☆評価をぽち!




