32通目【一日の終わりには】
ウィリアムの大きな手に頬を包まれ、自分を保てと叱られる。
まずリゼットが大切にするべきは、リゼット自身だと。そのあとに大切にしたい人を、自分の心に偽ることなく大切にすればいいと。
そしてそれは自分を大切にしなければできないことなのだと、ウィリアムは言う。
(そんな風に考えたこと、いままでなかった……)
自分を大切にしなければ、他の人を大切にすることはできないのか。
親指で目元を拭われ、リゼットは自分がまた涙を流していたことに気がついた。
「私は……スカーレット様と、ウィリアム様が、大切です」
「光栄だ」
「スカーレット様の代筆をがんばりたくて、それで、その次に王女殿下の指南役もちゃんとやりたい」
「やるといい。君は自分のしたいことをするんだ」
肩を抱き寄せられ、涙が止まらなくなったリゼットに、そのあとスカーレットは紅茶をいれてくれた。
伯爵邸のシェフが作った薔薇ジャムが砂糖の代わりに添えられていて、紅茶に混ぜると華やかな香りとすっきりとした甘みが、萎れかけたリゼットの心を癒してくれる最高の一杯になった。
「おいひいれす……」
鼻をすすりながら言ったリゼットに、スカーレットは「気分が沈んだときに飲むと心が軽くなる」と言って、もっと飲むようすすめてくれる。
つらいとき、寄り添ってくれる人たちがいる。それだけでもう、リゼットはとっくに救われていた。
シャルルにはいるのだろうか。そんな人が。
「リゼットがその幼なじみと話をしたいのなら、邸に招くかい」
「お祖母様、私は反対です。王宮で剣を抜くような男です。リゼットやお祖母様に何をするかわからない」
とても冷静ではなかったシャルルの姿を思い出し、リゼットはぐっと奥歯を噛みしめた。
もうシャルルにはリゼットの言葉は届かないのかもしれない。だとしても、あきらめて縁を切ってしまうのは早すぎる。
これまでのシャルルの態度に傷ついたことは変わらないが、それだけではないのだ。
シャルルはリゼットのことを考えていたと言った。彼の考えがわからない。わからないから、聞いてみたかった。
「私、シャルルお兄様にお手紙を書きます」
「リゼット、それは……」
「せめて、シャルルお兄様が私に書いてくれたお手紙の返事分は書かせてください。お願いします」
一通ではだめでも、くじけずに手紙を出す。
それが、孤独だったリゼットの救いでいてくれた、あの頃のシャルルへ出来る恩返しだ。
頭を下げたリゼットに、沈黙ののちスカーレットが「リゼットの思う通りに」と言ってくれた。
上手くいかなかったとしても、その方法が間違っていたとしても、そのときは紅茶に混ぜる薔薇ジャムのように溶かして飲みこんで、また次の一杯を考えればいいと。
その分、身の安全を第一にするために警護を増やすとも言われてしまったが。
「手紙でも相手の対応が変わらないようであれば諦めるんだよ」
「はい……」
「そのときはお前のところのやかましいのも一緒に、リゼットに近づけないよう手を打とう。必要ならお兄様……前王殿下の助力も請う」
「いえ、さすがにそこまでしていただくわけには! 大丈夫ですから!」
スカーレットは少し言いにくそうに、実はリゼットの父からも娘をいつ家に帰すのかと、帰宅を求める手紙が届いているのだという。指南役に決まるまで戻さないつもりか、と。
それがリゼットを心配してのことなのか、継母や義姉に催促されたから書いた手紙なのか判断しかねると。
リゼットは元気にしているから心配するなと返したが、相手の出方が気になる。そう言ったスカーレットに、リゼットは申し訳ない気持ちになった。
スカーレットは、リゼットが何が何でも帰りたいと言い出さない限りは返すつもりはない、とはっきり告げてリゼットを安心させてくれた。
そんな気持ちになる日が訪れるのかは疑問だが、スカーレットの手を握り感謝した。
「この話はおしまいにしよう。今夜はリゼットの指南役決定のお祝いだ」
「はい! ありがとうございます、スカーレット様」
「礼は不要だ。改めて、おめでとうリゼット。お前ならできると思っていたよ」
スカーレットに抱きしめられ、リゼットもまた涙を流して抱きしめ返す。スカーレットの身体は驚くほど華奢で、そして甘いバラの香りがした。
指南役に選ばれた。これでようやく父に認めてもらえ、スカーレットの代筆も続けられる。
スカーレットの肩越しに目が合ったウィリアムが微笑んでいたので、リゼットも満面の笑みで返した。
「選定での話をもっと詳しく聞かせておくれ。レオンティーヌはどうやって選定した? 他の候補者たちはどんな者たちだった?」
「はい! 候補者は私の他におふたりいらっしゃって、おふたりとも三蹟のお弟子さんでした! カヴェニャーク様の弟子がルーク様。聡明な方で、筆跡はきっちりとしたお手本のような正確さでした! ラビヨン様の弟子はララ様とおっしゃって、とても意志のはっきりとした強さをお持ちでした! でも筆跡はぞくぞくするほどしっとり艶めいていて! 私もう感動してしまって! ルーク様とララ様とは、今後お手紙のやり取りをするお約束をしたのです!」
「そうかい。お前に友人が出来たのは喜ばしいが……カヴェニャークの弟子か」
「そういえばルーク様が、お師匠様にハロウズの弟子にとよろしく伝えるよう言われている、とおっしゃっていました」
「何がよろしくだ、あの男……」
忌々しげに呟くスカーレットに笑い、リゼットはレオンティーヌに言われて嬉しかったこと、レオンティーヌや王太子の笑い方がスカーレットそっくりだったことを興奮しながら報告した。
スカーレットはそれを始終楽しげに聞いてくれ、降嫁前は王女宮で暮らしていたことも話してくれた。
スカーレットがいた頃は、王女宮はこの伯爵邸のようにバラで囲まれていたらしい。いまはレオンティーヌの好きなミモザで、スカーレットの前はアイリスが咲き誇っていたのだとか。
リゼットも、いつか自分だけの家に住む日が来ることがあれば、そのときは自分の好きな花をたくさん植えようと決めた。
しかしバラも好きだし、ミモザも可愛いし、アイリスも綺麗だ。他にもたくさん素敵な花はあり、いまはまだどれかひとつに決められそうにない。
いつか“これが特別”と思えるひとつを決められるときがくるのだろうか。
そう思うと少し、わくわくするのだった。
その夜、父に指南役に選ばれたことを報告する手紙を書いた。
しかし待てども、その手紙の返事が来ることはなく、リゼットを落胆させるのだった。
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