28通目【思わぬ再会】
ヘンリーおすすめの庭園は、チューリップがずらりと並ぶ春の庭だった。
黄色にピンク、グラデーションのかかった白いチューリップが明るく咲き誇り、規則的に並んだオベリスクには紫のつるバラが絡み、花々の色を引き締めている。
「さすが、王宮のお庭は見事ね。でもバラはやっぱりスカーレット様のお庭がいちばんだわ」
きっとスカーレットの庭には、妖精が住んでいるにちがいない。
あれだけ手入れの行き届いた美しいバラ園を好きにならない妖精はいないだろう。
「……スカーレット様、喜んでくださるかしら」
王女の指南役になったことを報告したら、スカーレットはどんな反応をするだろう。さすが弟子、と誇らしく思ってくれるだろうか。
無事王女の指南役になれたのだ。これで父にも認めてもらえ、スカーレットの代役も続けられる。
自由と居場所を守ることができたと、早く報告した。
その前にウィリアムだ。一番はじめに伝える相手の反応を想像しながら庭園を歩いていると、背後で足音がした。
「リゼット」
それは、あの低く心に直接響いてくるようなウィリアムの声ではなかった。
しかしとても聞き覚えのある声にゆっくりと振り返ると、そこには白い騎士服に身を包む、幼なじみが立っていた。
「シャルルお兄様……」
「向こうの回廊から君らしき姿が見えて、走ってきた。久しぶりだねリゼット」
「そう、ですね。本当に」
じっとこちらを見下ろしてくるシャルルは、心なしか以前より少しやつれて見える。
(どうしよう……)
リゼットは困惑した。
突然現れたシャルルにではなく、シャルルを前にしても、何も言葉が出てこない自分にだ。
元気だったかとか、何か言うべきなのだろうが、本当に何も出てこない。
それよりも、シャルルに何を言われるか身構えてしまう自分がいる。
さすがにリゼットが家を出たことは知っているだろう。
だが、どうして家を出たのか、そのいきさつについてどう聞いているだろうか。きっとジェシカに色々言われているはずだ。義姉がどんな風に自分のことを話したか、想像に難くない。
「どうして……僕に何も言わずに、出ていってしまったんだ?」
「……え?」
「ジェシカに何かされて、それが嫌で逃げ出したんだろう? 僕に話してくれれば必ず力になったのに」
かわいそうに、大変だったね。そう言ってリゼットの手を握りしめてくるシャルルに、リゼットは反応するができない。
ジェシカからあることないこと吹きこまれたわけではないのだろうか。
それとも、色々聞かされたうえで、それでもリゼットのことを信じて心配してくれたのだろうか。
(力になったって、本当に? 本当にシャルルお兄様は、そう思ってる……?)
リゼットがもし部屋に閉じこめられたこと、スカーレットとの約束を反故にされそうになったことを相談していたら、本当にシャルルは助けてくれただろうか。
助けて、と言えば、手を差し伸べてもらえた?
それはこれまでもそうだった? リゼットが何も言わずにいたから、シャルルはリゼットの境遇に見て見ぬふりをしていたというのか。
「ハロウズ伯爵だっけ? その方のところに居候しているんだろう? よく知らない他人の家で生活するなんて、たくさん我慢したんじゃないか? もう大丈夫だよ」
「それは、どういう意味ですか……?」
「僕と一緒に帰ろう、リゼット」
くもりのない目で言われ、リゼットは視界が暗くなるほど落胆した。
シャルルは何もわかっていない。結局何も知ろうとはしていないのだ。
「ごめんなさい、シャルルお兄様。私は……帰りません」
「ジェシカのことは気にしなくていい。僕からもリゼットをいじめないよう言うし、フェロー子爵からもしっかり注意してもらう。夫人にも、リゼットを酷使しないよう頼んでおくよ」
「そういうことではもうないのです、お兄様」
「わかってるよ。あの母子にいいように利用されてつらかったんだな? 僕が守ってあげるから」
「シャルルお兄様、私は――」
「どうしても子爵邸に戻りたくないなら、うちに来ればいい。母上もリゼットを心配していたんだ。いまの子爵夫人が来て疎遠になってしまったけど、元気にしているのかって」
さすがに無視できない名前を出され、リゼットは動きを止めた。
「おばさま、デュシャン伯爵夫人が……?」
シャルルの母に反応を示したリゼットに、シャルルは顔を輝かせた。
「そうだよ! うちに来て、母上を安心させてあげてほしい。本当に心配しているんだ。子爵夫人に遠慮して手紙を控えたのを後悔していたよ。リゼットのことを娘のように思ってるのにって」
「おばさまが……」
優しかったデュシャン伯爵夫人を思い出し、リゼットは目をうるませた。
母セリーヌの友人で、リゼットのこともとても可愛がってくれた。自分に娘がいないから、リゼットがお嫁に来て本当の娘になってくれればいいのにと、よく冗談を言っていた。
「リゼット……寂しい思いをさせてすまなかった」
シャルルがそっと、リゼットを包みこむように抱きしめてくる。
そんなことをされたのは、シャルルが寄宿学校を卒業して帰ってきたとき以来だ。
あのときの気持ちを思い出し、リゼットは唇を噛む。
シャルルがようやく帰ってきて嬉しかったが、ほとんど手紙を返してくれなくなっていたシャルルの気持ちがわからず、複雑な思いもあった。
いま、あのときと似たような気持ちを抱いている。
シャルルの考えていることがわからない。ただ、目の前のシャルルは、リゼットが大好きだった頃の彼ではもうないのだということだけはよくわかる。
シャルルの胸を押し返し、リゼットは顔を上げた。
「リゼット……?」
「シャルルお兄様。私は家には戻りません」
「うん。僕の邸に――」
「デュシャン邸にも行きません。私はスカーレット様の元で学びたいことが、まだまだたくさんありますから」
一人前になるまでお世話になるつもりだ。スカーレットからもそうしなさいと言われている。
そして一人前になったときにスカーレットの邸を出て本当の意味で独り立ちをするのだ。そのとき自分がどんな風になっているのかはわからないが、それがリゼットの目標だった。
話せばシャルルもわかってくれる。そう思ったが、シャルルはリゼットの肩をつかみ、ため息をついた。
「リゼット……君は自分がどれだけの人に迷惑をかけているのかわかってるかい?」
「……え?」
「子爵夫人とジェシカに来た手紙、いままでリゼットがすべて処理していただろう? いま子爵邸には開封すらされないままの手紙が山積みだよ」
「それは、」
「そうだよね。まぁあのふたりは自業自得だ。そのせいで評判が落ちたとしても、同情もわかない。でも……その影響が子爵にも及んでいるのは知ってる?」
「お父様に、ですか? でもお父様は……」
父、フェロー子爵は自分宛ての手紙は執事によって選り分けさせ、自分でチェックしていたはずだ。
時折リゼットが返信を手伝うことはあっても、基本的に自分で管理していた。
「自分の妻と娘の社交界での評判が地に落ちているんだ。子爵に影響があるのは当然だろう? 社交界だけでなく王宮でも噂になっているんだ。きっと仕事でも大変なことになっているだろうね」
シャルルは貴公子らしく穏やかな笑顔でそう言ったが、リゼットは重く絡みつくような圧を感じた。