【柔らかな洗脳】
ふとジェシカが問いかけると、シャルルはわかりやすく肩を揺らした。
やはり王宮でもあのいけすかない軍人の恋人の噂は回っているのだろう。きっと夕焼け色の髪と聞いて、リゼットが思い浮かんだはずだ。
「ねぇ。もしかしたら、女伯と一緒になって、あの男がリゼットを監視しているのかも」
「……そ、そうだろうか」
「そうに決まってる。リゼットがあなた以外の男に心を開くわけないものね?」
「リゼット……そうだ。リゼットは僕がいなきゃダメなんだ。きっと僕に会えなくて泣いているはずだ」
「ああ、かわいそうなリゼット! あの子、シャルルが助けに来てくれるのを待ってるわ。あなたはリゼットにとって王子様だものね」
シャルルの背中を励ますように撫でながら、ジェシカはほくそ笑んだ。
このちょろい男が上手く動くことが出来れば、リゼットを再び邸に閉じこめることが叶うかもしれない。
だがジェシカは他人をそこまで信用したり、期待したりもしない。自分を裏切らないのは自分だけだからだ。
(図書館に出入りしているなら、そこで待ち伏せすればいい)
常にあの軍人が一緒にいるわけではないだろう。
リゼットがひとりになる瞬間もあるはずだ。そこを狙う。
まずは王立図書館に入るための手続きから始めなければならない。あそこは貴族でなければ入れない。その証明のためにはフェロー家の印章と義父の承認が必要だ。
女伯との一件から、義父はジェシカの行動を監視しているような節がある。
突然図書館に行きたいなどと言い出したら不審がられるだろう。どう自然に義父から印章を借りられるか。
方法はいくらでもあるし、演技は得意だ。元商人の娘が貴族の仲間入りをするために、どれだけの擬態が必要だったか。
(リゼット。いまのうちに思い出でも作っておくといいわ)
いま目の前の鏡を見れば、シャルルもいまジェシカの顔がどれほど醜く歪んでいるか気づくことが出来ただろう。
しかし生憎シャルルはリゼットのことで頭がいっぱいで、ついぞ顔を上げることはなかったのだった。
*****
「緊張して転ぶなよ」
「だだだ大丈夫ですっ」
差し出されたウィリアムの手をとり、リゼットはゆっくりと馬車のタラップを降りた。
正面には千人以上腰かけられそうなほど広い階段、その奥に白亜の宮殿がそびえ立っている。
生まれて初めて訪れる王宮は、リゼットの想像を遥かに超える巨大さだった。
輝くタイルで整えられた馬車回しだけで、リゼットの家がすっぽり入ってしまいそうなほど広い。
ウィリアムの話では、外宮内をくまなく回ろうとすると、丸二日はかかるだろうということだ。その宮殿の周りには趣向を凝らした庭園がいくつもあり、王族それぞれの宮があり、北側には運河まで流れている。運河は三つほどある離宮に繋がっているという。
「私、生きて帰ることができるでしょうか……」
「お前はここに戦争をしに来たのか?」
「あ、ある意味そうかもしれません」
やれやれと首を振ったウィリアムに「もっと力を抜け」と肩を優しく叩かれたが、ガチガチに固まった体は言うことを聞いてはくれそうにない。
今日は王女の指南役候補として、王女宮に参殿する。
王女宮で何をするのか、他の候補者たちもいるのか、詳しいことは聞かされていない。
スカーレットの話では、恐らく王女と直接会うことになるか、実際に筆跡を見せることになるだろうとのことだ。
失礼がないように、ドレスはスカーレットとウィリアムが選んでくれたものを着てきたし(決めるのにひと悶着あった)、母の形見の文房具一式も鞄に詰めて持ってきた。
それをウィリアムに預け、彼の腕にそっと手をかける。
「行くか」
「はい。転んでしまったらごめんなさい」
「転んでもいないのに先に謝るな」
フッと笑う声が落ちてきて、リゼットもようやくくすりと笑うことが出来た。
王女宮に繋がる回廊を渡り切ったところで、ウィリアムは立ち止まった。
すぐ目の前には宮殿の入口を守る騎士と、受付に侍女らしき女性がいる。
「私はここまでだ。あそこの受け付けで名乗り、サインをすれば中に案内されるだろう」
鞄を受け取り、リゼットはしっかりとうなずいて見せる。
「ありがとうございます、ウィリアム様」
「お前なら大丈夫だ。私は宮廷の軍務局に顔を出してくる。用を済ませたら迎えに行くから、私が来るまで王女宮で待たせてもらえ。絶対に王宮内をひとりで歩かないように。いいな?」
「わかりました。道に迷ったら大変ですもんね。大人しくここでウィリアム様をお待ちしています!」
「……まぁいい。では、また後で」
お前ならできる、とリゼットの肩を叩き、ウィリアムは来たばかりの回廊を戻っていった。
広い背中が見えなくなり、リゼットは深呼吸し受付に向かった。
「リゼット・フェロー様ですね。お待ちしておりました。こちらにサインをお願いいたします」
侍女にピカピカの万年筆と入殿記録の表を渡される。来訪者名の欄にはすでに、二名の名前が記入されていた。
(すごい……おふた方とも、何て綺麗な筆跡なの)
特徴はまったくちがう筆跡だが、優劣をつけるのは不可能だと思うほど、どちらも美しい筆跡だ。
つい目を奪われ手が止まってしまったが、侍女が「いかがなさいましたか?」といぶかしげに尋ねて我に返った。
慌ててサインをし、中に通される。外宮は壮大な壁画や金銀で装飾され目が痛いほど煌びやかだったが、王女宮の中はもう少し落ち着いた雰囲気だ。
華美な装飾の代わりに、花があちこちに飾られている。華やかだが品があり、甘い香りに包まれた王女宮のほうがリゼットは好きだ。
スカーレットもここで王女時代を過ごしたことがあったのだろうか。
「リゼット・フェロー様がご入室されます」
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