26通目【差し出す人】
「うそ……気づかなかったわ……」
「しかし、気づくチャンスはあった、か」
「そして、王女殿下がミモザの香りをまとわれていたので、これは特別にミモザを愛でていらっしゃるのだなぁと確信しました。その、私もミモザ、素敵だと思います」
もじもじしながらリゼットが言うと、王女は「嬉しいわ」と笑ってくれた。
ルークとララはと言うと、口をぽかんと開きながらリゼットを凝視している。
それは驚くだろう、とリゼットは申し訳なく思った。
高度な知識を手紙で伝えているふたりに対し、リゼットは好きな花でレターセットを選んだのだ。
こいつがなぜ、と思われても仕方ない。
「フェローさんは鋭い観察眼をお持ちですね」
「え!? そ、そんな……」
「謙遜されることはありません。素敵な才能だと思います。人をよく見ているということは、その人に興味があるということでしょう?」
言われてみれば、とリゼットは自分の思考回路について振り返ってみた。
いつも自分は誰かへ、何かへ、外への興味が尽きなかった。この人とどんな手紙のやり取りが出来るだろうと、想像するだけで胸が躍るのだ。
しかしそれが才能だと言われると、ピンとこない。
「手紙の内容についても話しましょうか。フェローさんのお手紙は、まず初めて手紙を出す挨拶と、自己紹介から始まりました」
「は……?」
「自己紹介って」
冗談だろう? と言いたげなふたりの視線に、リゼットの肩が跳ねる。
嫌な汗が背中を流れるのを感じた。
「ええと……マナー違反でしたでしょうか? 王女殿下には、初めてお手紙を書いたので。まずはそこからかなと。あっ。名前などは書いておりません! 趣味や、好きな食べ物など、そういうことを書きました!」
「手紙のお相手のことを知れるのは嬉しいことです。そしてフェローさんは、私の迷いについて尋ねてくれました」
「迷い?」
「王女殿下が何かに迷っていると?」
どんどんふたりに距離を詰められ、リゼットは身を縮ませながらうなずく。
王女はこの部屋でリゼットたちに話していた。ヘルツデンの王太子殿下にお手紙を書きたいと思い、指南役を募ることにしたのだと。
ただ、いまは指南役ではなく代筆者をと気持ちが変わったとも言っていた。
最初はヘルツデンの王太子に自分で手紙を書きたいと思ったことは間違いない。それなのに、途中で自分で書くのではなく代筆者を立てることに考えを変えた。
それは一体なぜなのか気になったのだ。
「考えを変えられたのは、もしかして何かに迷われているからではないかと思ったので」
「フェローさんは、もし迷っているのなら、その迷いについて聞かせてほしいと書いてくれました。手紙のことであれば、何か力になれることがあるかもしれないからと」
「私に出来ることは、本当に手紙についてだけなので……」
ふたりのような知識はないし、経験だって浅い。それでももしかしたら、欠片でも自分が役に立てることがあるかもしれないと思ったのだ。
「嬉しかったですし、心強いと感じましたよ。そして最後の最後に、フェローさんは婚約を祝う一言を書いていました。ヘルツデン語で心よりご婚約をお祝い申し上げます、と」
「まさか、大陸一難解とされるヘルツデン語で?」
「ですが、ヘルツデンは大陸公用語が……」
「ええ。ヘルツデンは大陸公用語で通じます。ですが、現地ではヘルツデン語も日常的に使われているそうです」
ルークとララは顔を見合わせ「もしかして」と同時に口を開いた。
「王女殿下は、最初ヘルツデン語で手紙を書こうとされていたのですか?」
ふたりの問いかけに、王女は恥じらうようにうなずいた。
せっかく手紙のやりとりをするのなら、将来夫となる人の言葉で、そして自分が暮らすことになる国の言葉で書いてみたいと思ったのだと言う。
だが、実際ヘルツデン語を学び始めてみて、その言葉の成り立ちや文章を組み立てる法則が、あまりにも公用語とは違いがあり過ぎて、あきらめてしまったのだそうだ。
「私は勉強は得意だという自負があったのですが、すっかり自信を失ってしまいました。ヘルツデン語は読むだけでも一苦労で、辞書は手放せません。辞書があっても手紙一通で何日も時間がかかるでしょう」
「……リゼット・フェロー。あなたはヘルツデン語を理解しているの?」
「ええと……完全に理解しているかと言われると、それはちょっと言い過ぎかなと思うのですが。ただ読み書きだけで言えば、よほど難解な言葉ではない限りは、問題なく出来ると言うか……」
「はっきりしなさい! あなたはヘルツデン語の読み書きが出来るのね⁉」
「は、はい! 出来ます!」
ララの剣幕につい反射で答えていた。
しかし出来るのは読み書きだけで、会話でヘルツデン語を使ったことは一度もない。
ひとりきりで邸にこもっている時間が長すぎて、母が集めていた色々な国の物語本を読み漁っていたら、いつの間にか多言語の読み書きを習得していただけなのだ。
「わからないな……。ハロウズの弟子がヘルツデン語に堪能であるなら、最初からその情報を王女殿下に伝えていれば、今回のような選考など必要なかったはずだ」
「はぁ……。でも、手習いの指南であれば、皆さま恐らく他国の言語であっても難なく書き写すことが出来るだろうと思いましたし、代筆をするとしても現地語である必要はないと思ったので……」
手紙のやり取りは心のやり取りだ。心がこもっていれば、言語の違いはさほど壁にはならないとリゼットは思う。
王女に迷いや悩みがあり、自分が力になれるのならとは思うが、ヘルツデン語に明るい人間ならリゼットの他にもいるはずだ。外交官など、リゼットよりもっと堪能な文官は多いだろう。
「あなたは……王女殿下に仕えたいのではないの?」
「えっ。それはもちろん、お仕えしたいと思ってここに来ました」
「だが僕たちの目にはそうは見えない。君はまるで、自分が選ばれなくても構わないと思っているようだ」
「構わない、と思っているわけではないのですが……」
むしろ、選ばれたいと心から思っている。指南役になれば、父に認めてもらえるのだから。
自分が自分でいるためには、王女の指南役にならなければいけない。それは切実な願いだった。
「でも、私の意志はともかく、王女殿下にとっては、指南役や代筆は私でなければならないものではありませんから。大事なのは、王女殿下が満足のいくお手紙を出せるかどうかだと思うので」
リゼットが自分の考えを口にすると、ふたりはハッとした表情で固まってしまった。
正直に言い過ぎただろうか、とリゼットは自分の口を手で覆う。ララの正直さに少し憧れて、思ったままを口にしてしまった。
やる気がないと思われただろうか。それとも生意気に聞こえただろうか。
どうしよう、とリゼットがぐるぐる考え始めたとき、王女が突然王女らしからぬ豪快な笑いを響かせた。
驚くルークたちだが、リゼットはとても聞き覚えのある笑い声だと思った。
「ほら、在り方そのものが違うでしょう? おふたりは私を通しヘルツデンという国とその王太子殿下を見ていましたが、フェローさんは最初から最後までずっと私自身を見てくださいました。私を案じ、私の心に寄り添い、私の婚姻を祝福してくれたのです。ああ、手紙とは本来こういうものなのだと思いなおすことができました」
「王女殿下……そんな風に思っていただけたのですか」
「ええ。私も王太子殿下に、こんな手紙を送りたい。そう思いました。ですから、私はリゼット・フェローさんに指南役と代筆を受けてもらいたいのです」
これがリゼットを選んだ理由だと、王女はきっぱりと言い切った。
自分が選ばれた理由がわからなかったリゼットだが、王女の思いはよくわかった。
そして彼女の力になりたいと、改めて強く思う。
「これが、リゼット・フェローさんを選んだ理由です。ご理解いただけましたか?」
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