24通目【誰がための】
隣室には正面、左右の壁に向かう形で三台の机が置かれていた。
部屋の中央のテーブルには、手紙を書くための道具がきっちり並べられている。
羽ペンに金ペン、ガラスペンに万年筆。様々な色インクにレターセット。吸い取り紙にブロッター。
そのどれもが一目で高級だとわかるほど細工が美しいものばかりで、リゼットはあまりの眩しさに目を覆いたくなった。
とてもこれらを借りようという気にはなれないなと思いつつ、じっくり眺めたくなってしまいテーブルにふらふらと吸い寄せられてしまう。
リゼットが文房具の罠にかかっている間に、ルークとララは迷うことなく左右の机に向かうと、自分の荷物を広げ始めた。
素早く道具を設置していくふたりを見て、リゼットも我に返る。
(そうだ、素敵な文房具に見惚れている場合じゃないわ!)
リゼットがもたもたしている間に、ふたりは準備を終えると中央のテーブルからレターセットをそれぞれ選び取り、席につき早速書き始めた。
その手際の良さに圧倒され、また感動してしまうリゼットだ。
(おふたりともすごい。動きに迷いが全然ない。それに書く姿勢も美しいのね)
ふたりの筆跡が見たい。短いサインしか見ていないので、ふたりがどんな美しい文章を綴るのか気になってしかたない。
書き終わったら見せてはもらえないだろうか。さすがに王女宛の手紙だから無理だろうか。
ふたりのことは気になるが、いまはリゼットも王女に手紙を書く時間だ。
リゼットは正面奥の机に着くと、使いこんだ鞄を開き、使いやすいよう慣れた位置に文房具をセットしていく。
次はレターセットだ、と中央のテーブルの前に立つ。
侍女は文房具は好きに使っていいと言ったが、レターセットは用意されたものの中から選ぶように言った。公平にこだわるのなら、不正を防ぐためにそうするべきだろう、と。
ララが怒ってまた侍女とのにらみ合いが始まるのではとヒヤヒヤしたが、彼女は特に反応を見せることはなかった。
(たくさんあるわ……どれも素敵。どこで作られたものかしら?)
ぜひ売っている店を聞きたいが、特注品という可能性もある。王女のために作られたものであれば、ここでしか目にすることはできないだろう。
選ぶのと同時に目に焼き付けておこう、とリゼットはカッと目を見開きながらじっくりとレターセットを見ていく。
ルークは確か、緑と白がメインで青の模様が入ったデザインのものを選んでいた。恐らく、王女の婚約者の国ヘルツデンの国旗と似た配色を意識したのだろう。
ララが選んでいたのは白地に金の小鳥の模様が入ったデザインだった。白と金は婚姻を祝福する色で、二羽の小鳥は仲睦まじい番を表している。恐らく王女もふたりの意図に気づくに違いない。
(こういう細やかな配慮に気づいたとき、嬉しくなるのよね。さすがだわ)
だが感心している場合ではない。早くレターセットを選ばなければ、とリゼットは真剣にテーブルの上を眺める。
しかし迷うことなくすぐに決まった。最初に見たとき「これだ」と思ったものから、候補が変わることがなかったのだ。
この美しいレターセットで王女に手紙を書くことができる。それだけでも光栄だが、お返事をもらえたりするのだろうか。そう考えると自然と机に戻る足取りも軽くなった。
ウキウキしながら席に着き、早速レターセットの便せんを一枚とる。
リゼットが選んだのは、うっすらと透ける素材の紙に、ミモザが描かれたレターセットだ。よく見ると罫線が金で、ミモザの影の部分にも金箔が使われているのがわかる。
さりげなく、しかしふんだんに資金が投入されている。金額を考えると手が震えそうになったが、リゼットはそちらは一旦忘れることにして手紙を書くことに集中すると決めた。
インクは黒だと、このレターセットには強すぎる。もう少し柔らかな色はと考えて、エボニー(黄緑みのある黒)に決めた。スカーレットにもらった金混じりの黒も考えたが、それだと少し派手になりそうなので、主張を抑えたもののほうが良いだろう。
道具が決まれば、あとは王女に送る心の言葉を書きこんでいくだけだ。
それからリゼットは、周りの存在を忘れるくらい、ペンを走らせることに夢中になっていった。
***
約一時間後、リゼットたち三名は応接室に戻り、王女とともにソファーに腰かけていた。
紅茶に茶菓子が用意され、さぁくつろいでくれという雰囲気を出されるが、リゼットたちの緊張はまだほどけそうにはない。
リゼットが書き終えたとき、ルークとララはとっくに書き終え片付けも済んだ状態だった。
夢中で手紙を書いていた背中を観察されていたようで、ルークには「椅子の高さが合っていないようだったが大丈夫か?」などと心配されてしまった。
椅子と机の高さは良い姿勢で書き物をするうえでとても重要なのだと、丁寧に教えてくれまでした。
それにララは「だからそういうのがお節介なのよ」とあきれていたが、リゼットの選んだレターセットを見て「春らしくて悪くないんじゃない」と褒めてくれた。
ルークは厳しそうな雰囲気だがとても心配性で、ララは思ったことを嘘偽りなく口にするとても素直な人なのだろう。
何となくふたりのことがわかった気がして、リゼットは嬉しくなった。
「皆さん、お疲れ様でした。私が手紙を読む前に、何か確認しておきたいことはございますか?」
王女は順にリゼットたちの顔を見て「ないようですね」とうなずき隣室の侍女を呼んだ。
侍女はトレーにリゼットたちが書いた手紙を乗せて現れ、王女に差し出した。
「レターセットの選び方から、三者三様ですね」
王女は侍女に手紙を開封させ、まずルークの手紙を読み始めた。
目の前で手紙を読む王女の姿にソワソワしてしまう。
いいなぁ、羨ましいなぁ。どんな手紙なのか気になるなぁ。
そんな気持ちが漏れ出てしまったのか、ルークとララに不審そうな目を向けられた。
テーブルに置かれたララとリゼットの手紙には封はしてあるが印章は使っていない。個人が特定されないようにするためだ。
リゼットの発注した印章は間に合わなかったので、師とするスカーレットの印章を貸してもらったのだが、使えなかったのが残念だ。他のふたりの印章も気になる。
後で聞いてみよう。それか、手紙のやりとりが出来ないか尋ねてみようか。
そうやってルークたちの手紙を気にしたり、王女が真剣に手紙を読む姿に共感したりと過ごしているうちに、いつの間にか三通の手紙は開封され、テーブルに置かれていた。
いよいよ王女の手習いの指南役兼代筆者が決まる。
いまさら緊張が戻ってきて、リゼットはソファーの上でひっくり返りそうになるくらい背筋を伸ばし、ルークに心配そうな目をされてしまった。
「皆さん、私にお手紙をありがとうございました。どなたも素晴らしい筆跡で、楽しませていただきました」
王女の言葉にルークとララが頭を下げたので、リゼットも慌ててそれに倣う。
スカーレットの教育で少しはマナーを覚えられたと思っていたのだが、自然に振舞うのがなかなか難しい。もっと勉強しなければ。
「皆さん全員が能筆者だということはよくわかりました。優劣はつけられない、素晴らしい才能をお持ちの方々ですね。その上で私は、こちらの手紙を書いた方に私の先生になっていただきたいと思いました」
そう言って王女が示したのは――。