20通目【母を知る人】
少し疲れた様子のスカーレットをウィリアムに任せ、リゼットはジーンを見送りに出た。
「リゼット様。お時間がございましたら、ぜひうちの本店にお越しください。リゼット様にご覧いただきたいものがたくさんございます」
妖精が好む木材を使ったペン軸に、妖精の好きな香りのインク、妖精文字と言われる不思議な模様が刻まれたペーパーウェイト。
文具に限らずベルやキャンドル等の日用品と、商会では様々なものを取りそろえているという。
「わぁ……素敵ですね! 私、妖精のことをあまり知らなくて……」
「私でよろしければ、いくらでも妖精についてお話いたしましょう」
「本当ですか?」
「ええ。妖精の話ができる相手はそう多くありませんので、私はいつだって話し相手に飢えているのです。ですからリゼット様、ご迷惑でなければ私の妖精友だちになってはいただけませんか?」
妖精友だち、と聞きなれない言葉にリゼットは目を瞬く。
「妖精の話をする友だち、ということですか? 私でよろしいのですか?」
「リゼット様がお嫌でなければ」
ぱぁっと顔を輝かせ、リゼットはジーンの手を握った。
生まれて初めて友人ができた。妖精に詳しい商会長と友だちになるなんて、子爵邸で引きこもっていた頃には想像もできなかったことだ。
「嬉しいです! よろしくお願いいたします、ジーンさん!」
「こちらこそ、リゼット様。当店でお買い物の際は、お友だち価格でご提供いたしますよ」
「まぁ、ふふ。それはいけません! お支払いはきちんといたします。あ、でも、実はスカーレット様には内緒でお願いしたいことがありまして……」
首をかしげるジーンに、リゼットは辺りを見回してから顔を寄せて声をひそめた。
先ほどの印章のデザインを、一部変更したいのだと。
「ペン先の下に、小さなバラの絵を入れることはできますか?」
「バラ……なるほど。スカーレット様の象徴ですね?」
「はい。母と、妖精さんと同じくらい、スカーレット様にも救われたので。感謝の気持ちを忘れないという意味で、バラを入れたいなと……。欲張りでしょうか?」
リゼットは少し不安になって聞いたが、ジーンは笑顔で首を振る。
「いいえ。バラを小さく入れるだけなら、すっきりとした印象のままに出来ると思いますよ。いくつか意匠案をご用意しておきましょう。スカーレット様には内密に、リゼット様おひとりでご来店することは可能ですか?」
「こっそりひとりで行くんですね……やってみます!」
まともにひとりで出かけたことのないリゼットにとっては、かなり難易度の高いミッションである。
だがひとりでおでかけ、と考えると不安以上にわくわくした。大人なレディはひとり歩きくらいお手の物でなくては。
よろしくお願いします、と握手を交わしたとき「何をしている?」と背中から声がかかった。
振り返るとウィリアムが軍神様がご降臨したような顔でこちらを睨んでいた。
「ウィリアム様。スカーレット様は大丈夫でしょうか?」
「少し部屋で眠るそうだ。それよりいま……」
「商談成立のご挨拶をしていたところです。それではリゼット様。次にお会いできるときを楽しみにしておりますね」
三日月の目で微笑んだまま、ジーンはリゼットの手をとると、甲にそっと口づけた。
ただの挨拶だとわかっていても、男性に触れられ慣れていないリゼットはかちんと固まってしまう。
「ワロキエ……」
「ウィリアム様、スカーレット様によろしくお伝えください。では、本日はワロキエ商会をご利用いただきありがとうございました」
失礼いたします、とジーンは商会の馬車に乗りこみ風のように去っていった。
何だか不思議な雰囲気の人だ。妖精が人間になったらジーンのようなのではないだろうか。素敵な人とお友だちになってしまった、とリゼットはジーンの繊細な美貌を思い出し笑みを浮かべた。
「随分仲良くなったようだな」
低い声がしてウィリアムを見上げると、厳しい顔つきで腕を組んでいる。
もしかして、内緒話をしていたところを見られてしまっただろうか。
「ジーンさんは妖精のお話が出来る相手を探していたそうです。私が妖精のことを知りたがっていたらお友だちになってくれました!」
「ほぉ……?」
「妖精にまつわる商品を取り扱っているということは、お店にも妖精さんがいたりするのでしょうか? どんなお店なのでしょう。印章も完成が楽しみで楽しみで……」
「そんなに楽しみか。それなら図書館は行かなくてもいいな」
なぜか突然意地悪めいたことを言われ、リゼットは慌ててウィリアムの前に回りこんだ。
「そ、それって、王立図書館のことですか⁉」
「ああ。だが別に行きたくないのなら――」
「行きたいです! とってもとっても行きたいです!」
連れて行ってください! とつま先立ちをしながら手を挙げたリゼットに、ウィリアムはしかめっ面をふと和らげた。
そして上げていたリゼットの手をとると、甲にそっと口づけてくる。
先ほどジーンにされたのと、同じように。
「……それなら、私の気が変わらないうちに準備をしないとな?」
「い、いますぐ準備してきますっ」
ウィリアムの手から自分の手を引き抜くと、リゼットは脱兎のごとく駆けだした。
後ろから「転ぶなよ」という機嫌のよさそうな声がしたが、顔が赤くなっているのが自分でもわかったので振り返ることができなかった。
***
ルマニフィカ王国の王立図書館は、大陸一の蔵書数を誇り、貴重な歴史書、また人類と妖精が共生していた頃の資料も多数保管されているとされている。
基本的に許可証のない者は入館することが許されず、平民で入れる者はほとんどいない。
「アンベール子爵と、お連れ様が一名様ですね。お連れ様にはこちらの仮入館証をお持ちいただき、お帰りの際にこちらにお戻しください」
受付の図書館員に「ごゆっくりどうぞ」と見送られ、リゼットはウィリアムとともにとうとう憧れの王立図書館内へと足を踏み入れた。
「ふわぁ……!」
元は修道院の建物だったとされる図書館の天井には、鮮やかな宗教画が描かれていた。
三階建ての吹き抜け構造で、各階にずらりと並ぶ本棚を下から一望できる。改築増築を重ねた建物には終わりが見えず、ずっと奥まで続く本の海は圧巻の光景だった。
それでもどこか懐かしさを感じるのは、記憶の中の光景と似た部分があるからだろうか。
「どうだ? 子どもの頃に行った図書館と同じか?」
「わかりませんが……でも、何でしょう。体が微かに覚えているような感じがするんです」
近くにあったテーブルに触れ、高い所の本を取るための梯子に触れる。
懐かしい、と自分の中の何かが言っている気がする。でも確信はない。
「ゆっくり見て回るといい。そのうち思い出すかもしれない」
「そうですね。でも私、本当にゆっくりしてしまうと思うので、止めてくださいね?」
「閉館時には鐘が鳴るから、さすがに気づくだろう」
ウィリアムはそう言うが、その鐘すら聞こえないほど集中している可能性があるのだ。
リゼットが探したい本がたくさんあって時間がかかるかもしれないと言うと、ウィリアムも軍略についてまとめた本を探すので、後ほどここで落ち合うことになった。
「好きに過ごしていいが、ひとりで図書館を出ることだけはしないでくれ。出たいときは必ず私にひと声かけるように」
いいなと念を押され、リゼットは神妙にうなずいた。
外で迷子になると思われたのだろうか。そこまで子どもではないのに、と少し面白くない気持ちにはなったが、たくさんの本に囲まれた空間で負の感情を持ち続けるのは難しい。
ウィリアムと別れ、リゼットは早速目当ての本のある棚を探し始めた。
まずは詩集。絶版になった本や、見たことのない言語で書かれた本もあり、リゼットは興奮で叫びそうになるのを我慢するのに苦労した。声を出せない分、ぴょんぴょん飛び跳ね喜びを表現する。
窓際にいた老紳士に目撃され、孫を見るような温かい目を向けられ恥ずかしい思いをした。
次に向かったのは三蹟について記録された本が集まる棚だ。歴代三蹟を紹介する本と、三蹟の始まりと歴史について、そして先々代三蹟の伝記本を選んだ。
ぱらりと中を確認したとき、スカーレットの名前を発見しまた興奮で飛び跳ねてしまった。
最後に向かったのは妖精についての本が集まる棚だ。
それは図書館の中でもかなり奥に位置しており、ひと気がほとんどない場所だった。
本もこれまでの棚よりずっと古いものばかりで、ほとんど持ち出し禁止の札が貼られている。
「あら……? ここにだけ別の机が用意されているのね」
リゼットは棚の裏に小さな空間があるのを発見し、中を覗いてみた。
そこには歴史を感じる古い机と椅子がひとつだけあり、目の前のステンドグラスからの柔らかな日差しを浴びて静かに輝いていた。
よく見るとステンドグラスには、妖精が髪の長い少女と木の下で寄り添い合う姿が描かれている。
(このステンドグラス、見覚えがある……)
吸い寄せられるように窓に近づき、机に本たちを置いたとき、後ろからカツンと靴音がした。
振り返ると、そこには図書館員の制服を着た大人の男性が立っていて、リゼットを見て大きく目を見開いていた。
「……セリーヌ様?」
見知らぬ男性の口から母の名前が出てきたことに、リゼットも驚きで目を見開いた。
このあとも間に合えば更新します!




