【青い羽】
「え? そうなのですか? ……では、私の記憶違いかもしれませんね」
本がずらりと並ぶ本棚の前で、嬉しそうに本を探す母の姿を覚えている。
だが、本当にそれが王立図書館の中だったかはわからない。
幼いリゼットもそこで様々な絵本を読んだ記憶がある。それも狭いところにこっそり隠れながらだったりするのだが、夢でも見たのだろうか。
自由に出かけることもできるようになったし、落ち着いたら王立図書館に行ってみよう。夢だったかどうか、行けばわかるかもしれない。
夢だったとしても、国でいちばん多くの本が集まる場所だ。想像するだけでドキドキする。
たくさんの本を読んで、心を潤わせて、そこに種をまくのだ。
種が芽吹いたとき、リゼットはまた手紙に素敵な言葉をしたためることが出来るだろう。
「ウィリアム様。今日は連れてきていただき、ありがとうございました」
「気にするな。私はお祖母様に言われただけだしな」
「……でも、嬉しかったです」
例えスカーレットの指示があったからでも、実際に一緒に街に出られたことが嬉しかった。
ドレスにこだわる意外な一面も見れたし、デイヴィットと親しげなのも意外な発見だった。ちょっと疲れたけれど、幸せな一日だったと思う。
「お祖母様がリゼットを気に入った理由が少しわかる」
「え……?」
「あの人は、気に入った者への愛情がとても深い。覚悟するんだな。お祖母様の愛は重いぞ。たったひとりの為に、負担でしかない伯爵位を継いだくらいだ」
ウィリアムの言葉に、リゼットは目を瞬かせた。
「たったひとりの為に、爵位を? ウィリアム様の為ではないのですか?」
いずれ伯爵位をウィリアムに譲る為に、スカーレットが一時的に爵位を得たのだとばかり思っていた。
だが考えてみれば、ウィリアムはすでに子爵位を得てはいるものの、軍での地位も高く次期公爵でもあるのだから、更にいま伯爵位を継いだとしても問題はない気がする。
「私の為ではないな。お祖母様にはもうひとり、孫がいるんだ」
馬車の外へと視線を向けながら言ったウィリアムの声は、なぜだかいつもより柔らかく、しかしどこか冷たく聞こえた。
行きよりも、帰りの道はあっという間だった。
ウィリアムは遅くなったので、伯爵邸には寄らずにすぐに出るという。このあと軍の幹部の集まりがあるらしい。
そんな日に申し訳なかったなと思っていると、淡い水色のリボンで飾られた箱を手渡された。
「これは……?」
「部屋に戻ったら開けてみるといい。……今日の詫びだ」
詫びとは一体なんの? と首を傾げるリゼットに、ウィリアムは肩をすくめただけで答えることなく、馬車で去っていった。
スカーレットに今日の報告をしたあと部屋に戻り、ウィリアムに渡された箱を開いたリゼットは、思わずあっと声を上げた。
「どうして……」
それはリゼットがロイヤルストリートで目を奪われた、レースアップの青い靴だった。
深く鮮やかな青い色が、ウィリアムの瞳を思わせる、ショーウィンドウに宝石のように飾られていた、あの。
嬉しくて胸が苦しくて、リゼットはその日の夜、もらった靴を抱きしめながら眠りについたのだった。
*****
「リゼットが出ていっただって!?」
ジェシカに夜会のエスコートを頼まれ、シャルルはフェロー家を訪れた。
連日は勘弁してほしいと思いながらも、リゼットの様子が気になっての判断だった。代筆を引き受けてどうだったのか、それとなくでも聞いておきたい。
しかし子爵邸に着くなりジェシカから教えられたのは、昨日リゼットが家を出ていき、もう帰ってくることはなさそうだという衝撃の話だった。
「一体どうして! というか、出て行ったって、行き先は? あの子に僕以外の知り合いなんていないだろう?」
「だから、例のナントカ伯爵って女のとこよ!」
「それって、ハロウズ伯爵のこと? 代筆をすることになった女伯のところに行ったのか?」
素晴らしき能筆者である三蹟のひとり、スカーレット・ハロウズ。
何年も前に療養のため社交界から遠のいていたらしく、シャルルの世代にはあまり知られていないが、元王女、そして前公爵夫人という異例の経歴を持つ女性だ。
実際、シャルルも先日親に聞いて詳しく知ったばかりである。
「なぜ女伯のところにリゼットが行くんだ? 住みこみで働けと言われたのか?」
いくら元王女とはいえ、貴族の嫡子であるリゼットにそんな横暴な要求がまかり通っていいはずがない。
相手が王族だろうと抗議する気でいたシャルルだが、ジェシカは忌々しげに顔を歪めて否定した。
「あいつが自分で出ていくって言ったのよ」
「は……? リゼットが? なぜそんな」
「住みこみで働く代わりにダンスを習うんだって」
「いや、待ってくれ。リゼットはダンスを習うためだけに家を出ていったと?」
「そうだって言ってるでしょ! あたしがシャルルと舞踏会に行くのが羨ましかったんじゃないの? そうまでしてダンスが踊りたかったなんて……はっ。笑える」
笑える、などと言っているが、ジェシカはひどく不機嫌顔だ。
それはそうだろう。ジェシカやメリンダは、リゼットを社交界に出さず邸に閉じこめ、代筆として好きなだけこき使っていたかったのだ。
それが邸を出ていったうえに、女伯にダンスまで習うということは、何もかもジェシカたちの思いどおりにはいかなくなったということである。
「嘘だ……信じられない。リゼットが出ていくなんて……」
「なんか、一人前になりたいとか言ってたけど。自分のことは自分で決めたい、みたいな。意味わかんないし。とにかくデビュタントを迎えたかったんでしょ」
「デビュタント……。リゼットがそう言った? 子爵が許可したのか?」
「お父様ぁ? 知らなぁい。全然喋らなくなっちゃったし。……っていうか、シャルルもかわいそうね」
ジェシカはどろりとした甘い蜜のような声で「同情しちゃう」などと言ってきた。
それは同情というより、憐み、もしくは蔑みのほうが正しく思える表情だ。そんな感情をジェシカに向けられる謂われはないと、シャルルは眉を寄せる。
「どういう意味だ?」




