17通目【憧れの場所】
恐縮しながら試着室を出ると、ウィリアムとデイヴィットが並んで目の前で待っていた。
「まぁ~~~! きれいよリゼットちゃん! とっても似合ってるわ! お姫様みたいに素敵! ねぇウィリアム様? って、何黙ってるのよっ」
「……………悪くはないが、少々胸元が開きすぎだな」
「はぁ? 散々沈黙しておいて言うのがそれ? ウィリアム様、それは聞き捨てならないわ。デコルテが美しく、上品に見える絶妙なラインを作ってるのがわからないのかしら?」
「リゼットは首元まで詰まっているタイプのドレスのほうが似合う。腕ももう少し隠れる長さのグローブはないのか?」
「……大変。これは長期戦になる予感しかしないわ」
どこか遠い目をして呟いたデイヴィットに、リゼットもごくりと喉が鳴る。
大変な一日になるかもしれない。
デイヴィットとリゼットの予感は当たり、その後もウィリアムが次々と「肩が出すぎだ」「背中が開きすぎ」「腰のラインが強調されすぎる」とダメ出しを繰り返し、すべてを試着する頃にはふたりとも疲労困憊だった。
カタログを片手にソファーに座っていたウィリアムだけが涼しい顔で「やはりオーダーメイドに限るな」などと言って、デイヴィットを怒らせていた。
しかし結局、ウィリアムはリゼットが試着したドレスをすべて購入すると言い、またもリゼットを震え上がらせた。これは一生働いても返せないかもしれない。
しかし、スカーレットの代筆者として、王女殿下の指南役を目指すものとして、みすぼらしい格好はもうできないのだ。つまり、買わないという選択肢はないのである。
もう帰りたい、とハロウズ伯爵邸が恋しくなったとき、ウィリアムがリゼットを見て微かに微笑んだ。
「どうだ。楽しかったか?」
その言い方があんまり優しいものだったので、リゼットは帰りたいと思ったことなどさっぱり忘れて、嬉しくなってしまい何度もうなずいた。
「はい! 別世界を体験したような気分です!」
「そうか。では次はセミオーダーだな。まずは基本の形から選ぶぞ。これは胸の下から広がるタイプであまり腰が強調されない――」
長い足を組み直しながらペラペラとウィリアムが語り始めた瞬間、リゼットはやっぱり帰りたい! となったが後の祭りなのだった。
***
すべてが終わったとき、もう日が暮れかけていた。
ヘロヘロのリゼットとは対照的に、ウィリアムはいつも通りしゃんとしており、心なしかいきいきしてさえ見える。なぜなのだ。体力の違いだろうか。
リゼットは己の引きこもり生活の長さを呪い、これからは毎日広い伯爵邸の庭を散歩することを心に決めた。
「それじゃあ、お買い上げの品物はすべて、ハロウズ伯爵邸に送ればよろしいのね?」
ほくほく顔のデイヴィットの後ろでは、従業員たちが総出でドレスの箱詰めに取り掛かっている。
今日中に届けろとウィリアムが無茶を言ったからだ。
「ああ。それと、ドレスとセットの帽子や靴があれば、それも一緒に頼む」
「んな⁉ ウィ、ウィリアム様。出来たら帽子も靴も、ひとつだけで――」
「すまないなリゼット。ドレスと同時に試着すれば良かった。ドレスに集中し過ぎた私の失態だ。次は靴の専門店に行き、そのあと帽子屋に……」
「わ、私! ドレスとお揃いのものが使えるなんてとっても嬉しいです! わあ、夢みたい!」
とても嬉しいので専門店は結構だと必死で訴えると、ウィリアムはしぶしぶ了承してくれた。
安堵の息を吐きながら、リゼットは貴族の金銭感覚にまたこっそり震える。貴族は着回しという言葉を知らないのだろうか。
デイヴィットたちに見送られ『蝶の軍服』を後にしたリゼットは馬車に乗りこみ、やっと家に帰れると歓喜した。
帰るのが長年住んだ子爵邸ではなく、昨日から住み始めたばかりの伯爵邸である事実に、そして伯爵邸を帰る場所だと思えた自分に嬉しくなる。
そのときふと、赤レンガ造りの大きな建物が目に入った。貴族の邸かのような立派な佇まいだが、門にかけられた看板にハッとする。
あれは王立図書館だ。貴族か、それに準ずる者しか入館することが出来ず、あとは例外として特別な許可証が発行された者のみが足を踏み入れることが出来る、警備の厳重な本の楽園である。
「王立図書館か。寄っていくか?」
リゼットの視線に気づいたウィリアムに聞かれ、首を横に振る。
確かに図書館は魅力的だが、今日の予定にはないことにウィリアムを付き合わせるのは申し訳ない。
「いいえ。ちょっと、思い出しただけです。昔ここに、母に連れてきてもらったことがあったなぁと」
「子どもの頃に? それは変だな。王立図書館は、十四歳以下の入館は許されていないはずだ」
「え? そうなのですか? ……では、私の記憶違いかもしれませんね」
本がずらりと並ぶ本棚の前で、嬉しそうに本を探す母の姿を覚えている。
だが、本当にそれが王立図書館の中だったかはわからない。
幼いリゼットもそこで様々な絵本を読んだ記憶がある。それも狭いところにこっそり隠れながらだったりするのだが、夢でも見たのだろうか。
自由に出かけることもできるようになったし、落ち着いたら王立図書館に行ってみよう。夢だったかどうか、行けばわかるかもしれない。
夢だったとしても、国でいちばん多くの本が集まる場所だ。想像するだけでドキドキする。
たくさんの本を読んで、心を潤わせて、そこに種をまくのだ。
種が芽吹いたとき、リゼットはまた手紙に素敵な言葉をしたためることが出来るだろう。
「ウィリアム様。今日は連れてきていただき、ありがとうございました」
「気にするな。私はお祖母様に言われただけだしな」
「……でも、嬉しかったです」
例えスカーレットの指示があったからでも、実際に一緒に街に出られたことが嬉しかった。
ドレスにこだわる意外な一面も見れたし、デイヴィットと親しげなのも意外な発見だった。ちょっと疲れたけれど、幸せな一日だったと思う。
「お祖母様がリゼットを気に入った理由が少しわかる」
「え……?」
「あの人は、気に入った者への愛情がとても深い。覚悟するんだな。お祖母様の愛は重いぞ。たったひとりの為に、負担でしかない伯爵位を継いだくらいだ」
ウィリアムの言葉に、リゼットは目を瞬かせた。
「たったひとりの為に、爵位を? ウィリアム様の為ではないのですか?」
いずれ伯爵位をウィリアムに譲る為に、スカーレットが一時的に爵位を得たのだとばかり思っていた。
だが考えてみれば、ウィリアムはすでに子爵位を得てはいるものの、軍での地位も高く次期公爵でもあるのだから、更にいま伯爵位を継いだとしても問題はない気がする。
「私の為ではないな。お祖母様にはもうひとり、孫がいるんだ」
馬車の外へと視線を向けながら言ったウィリアムの声は、なぜだかいつもより柔らかく、しかしどこか冷たく聞こえた。
***
行きよりも、帰りの道はあっという間だった。
ウィリアムは遅くなったので、伯爵邸には寄らずにすぐに出るという。このあと軍の幹部の集まりがあるらしい。
そんな日に申し訳なかったなと思っていると、淡い水色のリボンで飾られた箱を手渡された。
「これは……?」
「部屋に戻ったら開けてみるといい。……今日の詫びだ」
詫びとは一体なんの? と首を傾げるリゼットに、ウィリアムは肩をすくめただけで答えることなく、馬車で去っていった。
スカーレットに今日の報告をしたあと部屋に戻り、ウィリアムに渡された箱を開いたリゼットは、思わずあっと声を上げた。
「どうして……」
それはリゼットがロイヤルストリートで目を奪われた、レースアップの青い靴だった。
深く鮮やかな青い色が、ウィリアムの瞳を思わせる、ショーウィンドウに宝石のように飾られていた、あの。
嬉しくて胸が苦しくて、リゼットはその日の夜、もらった靴を抱きしめながら眠りについたのだった。
ウィリアムのイケメンムーブでした笑
誤字脱字報告にブクマ&☆☆☆☆☆評価、たくさんありがとうございます!




