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15通目【蝶の軍服】

 


 独り立ち宣言をし実家を出た翌日。

 リゼットはハロウズ伯爵邸のソファーの上で、行き交う人を眺めながら縮こまっていた。



「どれも古臭いデザインだねぇ。いまの流行は? 私が使うのではないんだよ。デビュタントを控えた若い娘に見合う明るく華やかなものはないのかい」



 スカーレットは山ほど積まれた家具のカタログを眺めながら、様々な商会から派遣されてきた商会員たちに文句と指示を飛ばしている。

 商会員たちはペコペコと頭を下げながら、部屋を出たり入ったりと慌ただしい。



「あのぅ、スカーレット様。先ほども言いましたが、私はこの部屋に元からあったものをお借りできるだけで十分なのですが……」

「何言を言っているんだ。せっかくあの家を出られたんだよ。リゼットは自由に好きなものを選び、好きなものに囲まれて生活する楽しさを知るべきだ」

「で、ですが、そういった生活をするにはお金がかかることは、さすがに私も知っているので……」

「……本当にお前は欲がないねぇ」



 スカーレットは見ていたカタログをぽいと商会員に投げて返し、また新たなカタログを手に取る。

 リゼットにも真剣に選べと命令するのも忘れない。



「リゼット。お前は私の代筆者になった。それも住みこみの」

「はい! 光栄すぎて、考えるだけで何度でも天に昇れそうです!」

「昇るんじゃない、降りておいで。つまりねリゼット。私はお前の雇い主として、従業員の生活環境を整える義務がある。よってお前の部屋は最高級の品で揃えることが決まっているんだ」



 女王様にズバッと言い切られ、リゼットは「決まっているんだ……」と愕然とした。

 それならばなるべく安価なものを選ばなければと、リゼットは真剣にカタログに目を通し始めた。

 しかしこの部屋に最初から置かれていた家具がすでに高価そうなものだらけなので、もったいないという思いばかりが浮かんできて目が滑る。



「リゼット、好きな色は? 春らしく明るい色がいいかね」

「明るい色も好きです。でもいちばん好きなのは、赤や緑の深い色です」

「……セリーヌも好きだった色だね。お前たちの髪と瞳の色だ」



 懐かしそうにスカーレットが目を細めるので、リゼットは少し照れながら笑った。

 母譲りの夕日のように鮮やかな赤毛と、若葉のようなエメラルドの瞳。あまり自分に自信を持てずにいるリゼットだが、母とよく似たこの色彩だけは自信を持って好きだと言えた。



「よし。その二色でカーテンや寝具の布製品はそろえよう。聞いていたね。赤と緑の布見本を持っておいで」

「かしこまりました!」

「ただいまお持ちいたします!」



 スカーレットの一声で、商会員たちがまた慌ただしく動き出す。


 申し訳ないなと苦笑いしていたリゼットの目に、必要ないとよけられた青い布のサンプルが止まった。

 北の冷たい海を思わせる深い青だ。まるでウィリアムの瞳のような青。



「……あの! あちらの布で、クッションカバーをひとつ作っていただくことは可能でしょうか?」



 リゼットが呼び止めた商会員は「もちろんです」と笑顔で答えた。



「おひとつでよろしいのですか? いくつでも、ソファーの布と揃えることも可能ですが?」

「いえ、ひとつだけでいいんです」

「リゼット、いいのかい? 赤と緑でそろえた部屋に、青は合わないかもしれないよ」

「ひ、ひとつだけなので! そんなに目立たないと思うし、とても、綺麗だなと思ったので……いけませんか?」



 こわごわと尋ねたリゼットに、スカーレットは「反対したわけではないよ」と苦笑する。

 お前の部屋なのだから好きにしていいと言われ、リゼットがほっとしたとき、突然背後から「何の話です?」と低い声がしてリゼットは飛び上がった。



「ウィ、ウィリアム様⁉」

「ああ、来たねウィリアム。いまリゼットが……」

「私が! その、赤と緑が好きだという話をしていました!」



 慌ててスカーレットの話を遮るように立ち上がり叫んだリゼットに、ウィリアムもスカーレットも、ついでに商会員たちも目を丸くした。

 ウィリアムの海の青の瞳が、真っすぐにリゼットを見下ろしてくる。


 しまった、と思ったがもう遅い。

 のろのろと腰を戻しながら、リゼットは「失礼しました」と小さくなった。



「何だ、どうした? お祖母様にあれこれ口出しをされて疲れたか?」

「私を意地悪ばあさんのように言うんじゃない。……しかし、ふぅん。そういうことか」



 スカーレットがにやにやと笑うのを見て、リゼットは顔を真っ赤にした。


 これは間違いなく気づかれた。あの青い布が、ウィリアムの瞳の色に似ているから選んだのだと。

 他意はない。ただ、ウィリアムの瞳の色に似ていて素敵だと思っただけなのだ。それなのに、恥ずかしすぎて窓から飛び出したい気分になるのはどうしてだろう。



「決めた。ウィリアム。午後はドレスメーカーにリゼットを連れて行っておくれ。いくつかドレスを買ってきてほしい。私も行こうと思っていたが、用事を思い出した」

「えっ? 家具だけでなくドレスもだなんて、さすがに申し訳――」

「従業員の制服を用意するのも、雇用主の義務だ」



 ドレスが制服になってしまうのか、とリゼットは気が遠くなる。

 このままだと宝石も必要な備品だなどと言い始めるかもしれない。



「構いませんが、仕立て屋を呼ぶのではありませんでしたか」

「すぐに着る普段使いのドレスのほうが先に必要だろう。既製服をいくつか選んで買っておいで。デビュタントや社交時に着るドレスは別で仕立てる」

「そういうことでしたら」

「えっ?」

「責任を持ってリゼットに似合うものを選んでくるように。この子はすぐに遠慮するから、お前がしっかり決めるんだよ。私が納得できないものを買ってきたらただじゃおかないからね」

「わかりました。お祖母様も文句のつけようのない、リゼットに似合う完璧なドレスを選んできましょう」

「えっ? えっ?」



 なぜかリゼットの目の前で、祖母と孫が火花を散らし始めた。

 リゼットはごくりと喉を鳴らし、これは責任重大だぞと震えた。ドレスがことごとく似合わなかったら大変なことになる。


 どうかせめて“まぁ見れる”というくらいのドレスが見つかりますようにと、願うのだった。



 ***


 馬車を降りたらそこは別世界――というわけではないが、リゼットにとっては未知の世界。

 道路が舗装されきちんと景観が整えられた大通りは、貴族たち御用達の大商会が軒を連ねる商店街。通称ロイヤルストリートと呼ばれる華やかな地域だった。

 丈の短い着古したドレスを着た自分がひどく場違いで居たたまれない。

 しかし目に映るものすべてが真新しく輝いて見え、リゼットはキョロキョロしてしまう。


 ウィリアムが御者と話しているので、その間周囲をぐるりと眺めていると、ふと近くの店のショーウィンドウに飾られた靴が目に留まった。

 鮮やかでいながら落ち着いた深い青のハイヒール。シルクのレースアップが光沢を放ち、上品な大人の女性を想像させる靴だ。


(あんな靴を履きこなして踊れたら、素敵な淑女という感じ)


 だが自分では上手く想像することもできなかった。

 まだまだ淑女への道は遠い、と思ったところでウィリアムに呼ばれ、差し出された腕をおずおずと掴む。


 そのドレスメーカーは、大通りに面した王都の一等地に立つ、王族御用達の店だった。

 店名は『蝶の軍服』。高級感があふれ出過ぎた店構えにリゼットが躊躇していると、ウィリアムに問答無用で連れこまれてしまっう。


 こんな立派な店のドレスが自分に似合うわけがない、と絶望したリゼットを迎えたのは、栗色の豊かな髪を三つ編みにした、すらりとした長身の店主だった。



「あらあらあらあら、まあまあまあまあ!」

「デイヴィット、やかましい」

「だってぇ~! スカーレット様がうちにいらっしゃると聞いておめかしして待っていたら、あの愛想も面白味もないザ・武人のつまらない男代表みたいなウィリアム様が、こ~んなに可愛らしい子を連れてくるんですもの! 興奮するなというほうが無理だわ~!」



 低い声で興奮しながら叫ぶデイヴィットは、三つ揃えのグレイスーツを着た明るい男性だった。

 何となくドレスメーカーは女性が店主のイメージを持っていたリゼットは、デイヴィットが整った容姿でくねくねと迫ってくる姿に圧倒されてしまう。



「お名前はなんておっしゃるの? リゼットちゃん? まあああ可愛らしくてぴったりなお名前! 私はデイヴィットと言います、よろしくね?」

「リゼット。こいつはこんな奴だが、ドレスを作る腕だけは確かだ。その点だけは安心していい」

「ちょっとウィリアム様ったら! それ以外は安心できないみたいな言い方やめてくださる? あたしは見ての通り紳士で美しく清らかな最高の仕立て屋よ!」



 失礼しちゃうわ、とぷりぷり怒るデイヴィットは、確かに見た目は紳士的だし美しい。

 彫りの深い顔立ちは自信に満ち溢れ、彼自身を大きく輝いて見せていた。



「よろしくお願いいたします、デイヴィット様」

「あら、様はいらないわ。デイヴィットって気軽に呼んでちょうだい? 仲良くしてくれると嬉しいわ。あたし、リゼットちゃんみたいな可愛らしい子が大好きなの」

「まぁ! ふふふ。私もぜひ仲良くしていただけると嬉しいです」



 友だちと呼べる相手がひとりもいないリゼットは、これは家を出てさっそく一人目のお友だちが出来るのでは、とウキウキする。

 しかしウィリアムが間に割って入り「ふざけるな」と地を這う声でデイヴィットを威嚇し始めるではないか。



「リゼットはデビュタント前の子どもだぞ。お前みたいなのがみだりに手を出していい存在ではない」

「あらまあ……いやだわ、どうしましょ。ウィリアム様がやきもちを焼くなんて、明日雹でも降ったらどうするんです?」

「こんな時期に雹など降るものか。わけのわからないことを言うな」



 賑やかに言い合うふたりを前に、リゼットはわなわなと震えていた。

 また言った。デビュタント前の子どもだと。

 気にしていることを、それもウィリアムにこう何度も言われては、リゼットも黙ってはいられない。




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