虚飾
純和風の我が家に、改装工事がはいったのは数年前。
なのでリビングは、ばっちり床暖房でぬくぬくなわけだ。
夕食後、あたしは今日発売の10代の女の子雑誌「Cute」を愛読していた。
お母さんは夕食の後片付けで、お父さんは隣で歴史小説を読んでいる。
少し前にこの雑誌で特集されていた、癒し系のロングヘアを目指して伸ばしはじめたあたしの髪は、ようやく肩甲骨に届くようになったのだが、今月は春を意識したイメチェン特集が組まれていた。
『え?ロングヘアーですか?なんだか重たい気がして、そうですね、僕は断然活発なショート派です』
今をときめくイケメンモデルに、それらしく流行の女性について語らせる企画なのである。
時代の流れ(ってちょっとオーバーか…)にいささかショックを受けつつ、あたしはお母さんに切り出した。
「ねえ、お母さん。あたし髪を切りたいのだけど」
お母さんは水仕事の手を止めて、あたしを振り返った。
「まあ、せっかくそこまで伸ばしたのに、なんだかもったいないわね」
と残念そうな顔をする。
そうするとあたしもなんだか、髪を切るのが申し訳ないような気がしてきた。
「うんと…じゃあ髪はもう少し考えようかな」
「そうね、とてもきれいな髪なのだし、今のロングヘアもお母さんはとても似合っていると思いますよ」
と言ってにっこりと微笑んだ。
翌日、やっぱりクラスの女子の話題は「Cute」の特集についてだった。
同じ仲良しグループの真紀が、トイレの鏡の前で徐に口紅を取り出すと、
「え?それって、『Cute』で特集されてた新色じゃん」
由香があざとくそれを見つけた。
「そうよ、これ売ってるお店、なかなか無くて見つけるの大変だったんだから」
女子トイレは、貴重なおしゃれの情報交換の場所でもある。
真紀はあたしたちのグループのリーダー的存在でもあり、目鼻立ちの整った派手な美人タイプで、当然流行にもすごく敏感だった。
悔しいけど、春色の新色の口紅は真紀にすごく似合っていた。
「え~、いいなぁ、で、どこで売ってるの?」
由香が物欲しそうな声を出すと、真紀は満足気に微笑んだ。
「ん?教えな~い」
優越感丸出しの笑み。
真紀はバッグからヘアアイロンを取り出すと、コンセントに差し込んであたためはじめた。
栗色の長い髪が、巻き毛に変わると、真紀がなんだか本当のお姫様のように思えてきた。
真紀は念入りに身だしなみを整えると、
「今日、これから沢口君とデートなんだ。だから…あとの掃除お願いね」
とにっこりと微笑み、ひらひらと手を振り出て行った。
「なにあれ、みくが沢口君のこと好きって知ってて、わざとだよ」
意地悪気に由香が鼻の頭に皺を寄せる。
「みく、かわいそ~」
普段は大人しい智美が、そっとあたしの手を握った。
「あはは、やだなあ。あたし別に気にしてないよ。真紀は美人だし沢口君とお似合いだと思うよ。うん。こうなったらみんなで真紀のこと応援しようよ」
――――あたしは、自然に笑えているだろうか――――
震える指先にぐっと力を入れた。
皆と別れてあたしは駅前の百貨店に向かった。
『Cute』で特集されていた新色のコスメが、ショーウィンドウに飾られてある。
真紀がつけていた口紅は
「4800円かぁ」
バイトをしていない高校生には、幾分厳しい値段である。
ガラスケースに映るあたしの物欲しげな表情に、真紀の勝ち誇った顔が交差した。
「すいません。この口紅ください」
気がついたらそう言っていた。
あたしのお財布の中には5000円札が入っていた。
本当は参考書を買うからと、お母さんに貰ったお金だった。
――――だって、この口紅はあたしのステータスなんだもの――――
――――真紀になんて、負けたくない――――
お母さんに対する後ろめたさに、必死で言い訳をしているあたしがいた。
「ただいま当社の化粧品をお買い上げいただいたお客さまには、メイクの無料サービスを実施しておりますので、よかったらいかがですか?」
店員が愛想よく微笑みかけてきた。。
あたしはそのサービスを受けることにした。
――――本当は鏡に映る自分の顔がキライ――――
――――ううん、嫌いなのは顔だけじゃなくて全部――――
店員があたしの眉毛をチョンチョンと器用にカットし、整えてゆく。
「あっ彼女この化粧水ね、新商品なんだけど鮫の軟骨から抽出した天然コラーゲンがたっぷり入っていてお肌が、ほら見て、ぷるんぷるんになるでしょう?」
50代くらいだろうか、やり手の販売員っぽいスタッフが、瞳孔が開いた目で鏡越しのあたしの目を見つめ『ね?』と凄むのには、多少気圧された。
「肌のお手入れはね、若いうちからやんなくちゃだめ、定価は6800円なんだけど、期間限定で今なら5800円で販売してるのよぉ~、いかがかしら?」
しかし、さすがにそれは断った。
販売員のおばちゃんは、驚愕の表情を浮かべ、まるでこの世が終わるかのように残念そうである。
「そお、残念ね、こんなチャンスは二度とないから!」
この商品を買わないと、あたしは死ぬんだろうか…もしくは呪われる?そんな気がしてきた。
しかし巧みな話術とともに、手早くメイクを施していく様はさすがにプロだと実感した。
キリっと整えられ眉に、目元を強調するアイライン、ブルーのアイシャドウでクールさをアピールしたのだという。
そこにはいつもと違う少し大人のあたしが映っていた。
「どお?」
「はい、気に入りました。ありがとうございます」
あたしは満足気に鏡の中のあたしを見つめ、メイクをしてくれた店員にペコリと頭を下げ、売り場を後にした。
いつもと違うあたしの顔に、少しだけ自信を持てたような気がした。
バス停でバスを待っていると、くりくりの坊主頭の少年が猛烈な勢いで駈けてくる。
「みぃくぅ~~~~~~~!!!」
少年は存分に助走をつけ、あたしの前でバビョ~ンとジャンプし、首っ玉に抱きつくと、足でがっちりあたしの体を挟み込んだ。
これぞ少年が編み出したいわゆる『カニ鋏み』の進化系、『カニ鋏み抱っこ』なのである。
「ちょ…三太、重い…恥ずかしい…やめて」
彼は同じ教会の教会員さんの息子なのであるが、12月24日のクリスマスイブに生まれたので、サンタクロースのサンタとかけて三太と名付けられたのである。
なぜだかあたしは幼少期からこの三太に異様なほど慕われている。
三太があたしの顔をまじまじと覗き込んだ。
「みく、お前化粧しとるんか?」
「そうよ、似合うでしょ」
あたしは得意気に胸を張って見せた。
「なんだか妖怪人間ベラみてぇだな」
そのとき小学一年生の三太には、悪意というものが全くなかった。
それが彼にとって見たまんまの素直な感想だったのだろう。
それゆえに救いようがない…。
「だ…だれが妖怪だ!失礼なっ」
「何を怒っとるんじゃ?みくに」
心頭怒髪するあたしに、三太は目を白黒させている。
「そんなことより、聞いて。オレな今度の教会の復活祭の子供劇で主役をやることになったんじゃ」
復活祭ってのはキリストの復活を祝う行事で、春分後の満月直後の日曜日に行われる祭事なのだ。だから毎年その日にちは異なる。
聖誕祭と同じくらいキリスト教会にとっては大切な行事なのだが、日本では聖誕祭ほどは浸透していない。
しかし一般的に宗教的に重要なこの祭事にかこつけて教会では、伝道集会や祝会などの特別なプログラムが組まれることが多い。
うちの教会では毎年劇をやる。
うちの教会は人数は少ないのだが、教会員にもと劇団員の方がいて、その人の指導のもとに公民館を借り切ってのかなり大掛かりな劇を上演することになっている。
演じるのは子供たちなんだけど、それなりに見応えがあり、密かにあたしも毎年楽しみにしている。
「すごいじゃん、三太。で演目は?」
「『たいせつなきみ』で、オレが主役のパンチロネなんじゃ」
三太が誇らしげに胸を張る。
「みく、絶対見に来てくれな!」
「わかったよ、楽しみにしてる。三太がんばれ!」
笑顔で三太とバイバイすると、さっきまでのむしゃくしゃは嘘みたいにどっかに行っていた。
あたしは伸びをひとつする。
やっぱり今日はバスに乗らずに歩いて帰ろ。
帰宅するなり、お母さんがびっくりしたように目をしたたかせた。
「御国?」
そしてあたしは気付く。
メイク落とすの忘れてた。
そしてあたしは、参考書を買わず、口紅を買ってしまったことを正直にお母さんに白状する事態となった。とほほ。
お母さんは少し悲しそうな顔をしたが、決して咎めたり、否定したりはしなかった。
「そうね、御国も年頃なのだし、そういうものに興味を持つわよね。いいわ、じゃあ今回はお母さんから御国へのプレゼントってことにするわ」
「本当?ありがとうお母さん」
そういってあたしはお母さんに抱きついた。
「でもね、御国、あなたはまだ10代でへたにお化粧なんてしなくたって、そのままで充分美しいのよ」
お母さんの優しい手があたしの顔を包み込む。
入浴後、鏡に映る自分の顔を見て、あたしは愕然とした。
―――― ない ――――
あたしの眉毛がない。
正確には眉毛の真ん中半分がカットされ、遠目には薄ぼんやりとした平安時代の麻呂みたいになってる。
次の日から、あたしはクーピーの焦げ茶色で、せっせと眉毛を書き足す破目に陥ったのであった。




