しがらみ
これがあたしの名前の由来なんだって。
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
そのときイエスはこう言われた。「父よ彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」彼らはくじを引いて、イエスの着物を分けた。
十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪行を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
ところがもうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「お前は神をも恐れないのか。お前も同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は悪いことは何もしなかったのだ」
そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」
〈新改訳聖書 ルカによる福音書より引用〉
「諏訪御国」これで「すわ みくに」と読む。なんとも厳しい名前で、あたしはあんまり好きじゃない。
御国とはイエスが説いてまわった「神の国」俗に言う「天国」「パラダイス」っていう意味。
あたしの父は…っていうか、家族、親戚、いや、あたしの住んでる村全体がキリシタンの村で、遡れば江戸時代のキリシタン弾圧の時代、迫害を逃れてこの場所に移り住み、以来秘密裏にキリスト教を信じ続けたという筋金入りの一派なのである。
しかも我が家は庄屋(いわゆる村長さんね)で、蔵には由緒正しき(?)マリア観音だのバテレンのイコンだのがわんさかあって、時々歴史家の人が尋ねてくるような家。
父は当然熱心なキリスト教徒で、毎朝5時から行われる教会の早天祈祷会も欠かさない。
品行方正で温和な父と専業主婦の優しい母親。
父と母が言い争う声など生まれてこのかた聞いたことがない。
絵に描いたようなクリスチャンホーム。
しかし、あたしはそんな家庭が少し重苦しい。
「ね、だからイエス様は水を葡萄酒に変えるという奇跡を行われたの」
新約聖書のヨハネ伝に書かれている『カナの婚礼』という有名な話で、イエスが親戚の結婚式に招かれた際に葡萄酒が足りなくなり、水を葡萄酒に変えたというアレね。
教会のジュニアクラスで、あたしは些かうんざりする。
幼児科や初等科にいたころは、そんな話も目をキラキラさせて聞いたものだが、今やあたしも高校生となり、それなりの物事の分別はつく。
しかし、ジュニアクラスの担当教師である竹内さんは目をキラキラさせて語り続ける。
――――いけない、この目はマジだ――――
あたしは素朴なツッコミを飲み込んだ。
隣で英知君が知的オーラ全開でメガネをくっと上げる。
「竹内先生の解釈も、もっともですが、僕はその逸話をこう解釈します。空になった壷、それは自分自身という器を指し、自身のすべてを神に捧げつくし、空っぽになって初めてそこに神の愛がそそがれるのだと」
竹内先生の顔が綻ぶ。
「まあ、さすが英知君は牧師先生の息子なだけあって、素晴らしい解釈だわ」
英知君はこの村の教会の牧師先生の息子で、あたしより1つ年上の18歳だ。いささか神経質そうな目元に知的なメガネをかけている。
田舎の教会ということもあり、教会に集う人数はせいせい20から30名ほどで、あたしの属するジュニアクラスなぞ、あたしと英知君の2人しかいない。
まじまじと英知君を見つめると、気のせいかうっすらとその頬に赤みが差したような気がした。
「で、御国ちゃんは今日のお話を聞いてどう思いましたか?」
「え…っと、水が葡萄酒に変わってすごいなって思いました」
自分で言って、なんだか悲しくなってきた。小学生でももっとまともな感想いえるぞ?
隣で英知君も苦笑している。
毎週日曜日は教会へ行って、全体の礼拝に出席してその後にこのジュニアクラスに出て、お昼ご飯を食べて帰るのが日課となっている。
今日は婦人会の滝さんの担当で、ビーフシチューとサラダだった。
「うん、絶品」
半分これで教会に来てるようなもんだ。
そしてもう半分は親への義理。
「ねえ、御国ちゃん聞いた?」
テーブルをはさんで、吉田のおばちゃんが座る。
「舘先生とこの英知君ねえ、東京の大学の神学部に進むんだって」
ここだけの話をあちこちでする典型のおばちゃん、吉田夫人が囁く。
「ふ~ん」
あたしは気のない返事をひとつした。
「ふーんじゃないよ、あんた私ら婦人会でいつもあんたらのこと祈ってるんよ。英知君は東京の大学に行くけど、将来この教会の牧師になるでしょ?そしたらその嫁が必要だわねぇ。この教会、他に似合いの年恰好の娘つったら、あんた以外におらんでしょうが」
一瞬口に含んだビーフシチューを吹きそうになった。
「はあ?」
「何事も自給自足が大切なんだわ~きひひ」
ふざけんな!とテーブルを星一徹してみたい衝動に駆られた。
食べ終えた後も、むかむかとした気持ちが治まらない。
あたしはひとり礼拝堂で祈るふりをしていた。
「冗談、なんであたしがあんな面白みのない男と結婚しなくちゃなんないわけ?」
まっぴらごめんと中央に据えられたキリストの磔刑の像にこっそり「あっかんべー」をした。
だいたいキリスト教なんて、2000年も前のユダヤの出来事でしょ?平成の日本を生きるわたし達には思想が古すぎるっつうの!
「水を葡萄酒に変えただの」って本気で信じてる人の気が知れない。
そう思ってぷうと口を膨らませた時だった。
「あの、御国ちゃん。ちょっといいかな」
背後に英知君が立っている。
「ん?なに?」
あたしは何気に振り返ると、英知君は茹蛸になっている。
「み…御国ちゃん、僕君のことが…す、好きなんだ!
知ってると思うけど、僕もうすぐ東京に行っちゃうから、それで思い切って…」
好青年だとは思う。でも正直好みじゃない。
「気持ち、手紙にしてきたから読んで」
そういって英知君は背を向けて走り出した。
あたしは手の中の手紙、を持余す。
17歳のあたしにとってそれはいたしかたのない事だったのかもしれない。
あたしは手紙を読まなかった。
夕方、庭にいるあたしに母が声をかける。
「御国、なにしてるの?」
「うん、ちょっとね」
「冷えてきたから、早く家にお入りなさいな」
「うん、すぐにいくよ」
母の背を見送ってあたしは鼻歌を歌う。
「白山羊さんからお手紙ついた、黒山羊さんたら読まずに焼いた…」
英知君のくれた可愛い白い封筒は炎に包まれ、一瞬痛みにのけぞるようにして灰になった。
彼の想いとともに、空っ風が灰をコバルトブルーの空に舞い上がらせた。




