許し
「開けてよ、ねえ、英知君、開けて!」
部屋の扉を必死に叩き続けたけど、英知君は扉を開けてはくれなかった。
「ごめん、御国ちゃん……悪いけど帰ってくれないか?」
扉の向こうから英知君の声がするけれど、それはひどく辛そうだった。
「どうしたの? 英知君。体調悪いの?」
「ああ、少しね。だからこれから少し眠るよ。大丈夫だから御国ちゃんはもう帰って」
隔てられたのは扉ではなくて、心だと思った。
身体を預けた鉄の扉がひどく冷たく感じられて、寂しかった。
「うん……わかった。じゃあ帰る……ね」
あたしは必死で涙をこらえてそう言うのが精いっぱいだった。
帰り道、あたしは前に英知君から手紙をもらったことを思い出した。
英知君はあたしのことを好きだといった。
だけどその頃のあたしは、その気持ちが重くて、貰った手紙を封さえ開けずに燃やしてしまったのだ。
痛みに仰け反るようにして一瞬のうちに灰になってしまった英知君の手紙。
その光景が瞼裏に鮮明に思い出されて、あたしは涙が溢れた。
「あたしは……ばかだ」
他人の気持ちは平気で残酷に踏みにじる癖に、それでいて拒絶されたら傷つくだなんて虫のいい話だ。
そう思うと、泣きながら渇いた笑いが込み上げてきた。
それはどこまでも空虚で救いのない笑いで、しかし幾分は罪意識にひきつれる心の痛みを麻痺させてくれもした。
「神様は見ていたんだよね。きっと……だからあたしが佐伯君に失恋するようにされたんじゃないかな?」
それでも手紙を燃やされた英知君の心の傷よりは、はるかにマシなのだと思う。
罪を犯してしまったのなら、人は一体どうしたらいいんだろ。
どうやってその罪を償えばよいのだろう。
見上げた夕焼けの空は、まるで血のように赤かった。
「神様、あたし……罪人なんです……」
どうしようもなく苦しくて、あたしは空に向かって呟いた。
「大切な人を傷つけてしまたんです。でも、どうしたらその罪が償えるのかわからなくって、悲しくて、痛くて、辛いんです」
その時、通りの向こうからあたしを見つけて駆け寄ってきてくれた人がいた。
「御国ちゃんじゃない。どうしたの?」
真理さんだった。
真理さんは泣きじゃくるあたしの顔を心配そうに覗きこんだ。
あたしは真理さんに今までのことを全部話した。
◇ ◇ ◇
「罪……ねえ」
公園のベンチに腰かけて、真理さんは小首を傾げてみせた。
「御国ちゃんの罪を許すために、キリストは2000年前に十字架にかかって死んでくださったんじゃない」
真理さんはなんでもないことのようにさらりと言った。
「あなたはそれを神様ありがとうといって受け取ったらいいだけなのよ」
すでに許されている、そのことをただ受け取ればいいだけ。
「受け取りたいです。でも理屈じゃよくわからないんです」
「そうね。確かに理屈じゃないのよ。これは」
真理さんは腕を組んで、少しの間目を閉じていた。
「祈ってるわ。あなたがそれを受け取れるように」
そういって、あたしは真理さんと別れた。
駅の前で、やたらと元気のいい男の子が古びたギターを弾きながら、これ以上ないくらいに嬉しそうに歌っていた。
きっと英知君と同じ大学の神学部の学生だろう。
それはゴスペルソングだった。
「神の愛とイエスの十字架で心裸にされた
僕のすべてで神様を見上げてありのまま生きよう
僕の心のうちにある黒く穢れた服を 愛の血潮の雨で洗い流された 弱い自分を着飾って無理して傷ついて 深く刺さった罪の針をあなたは抜かれた
神の愛とイエスの十字架で心裸にされた 僕のすべてで神様を見上げてありのまま生きよう」
その歌声にとらえられて、あたしはその場から一歩も動くことができなくなっていた。自分の意思とは関係なく涙があふれてくる。
空っぽで空しかった心が熱くなって、あたしはばかみたいに泣いている。
恥ずかしいじゃん。
こんなのやだ。
そう思うのだけど、涙は止まらなくて、心は必死に叫んでいた。
「神様あたしはあなたのことを信じたいです」
黄昏はやがてコバルトブルーに色を変え、一番星が煌めいていた。




