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訪問者 4

 

「悪かったね、誰かが連絡を一つ入れるべきだったんだ」


 施設のフロアでソファに腰掛け、テオは見知った研究員の一人に接待されていた。このあたりは被害が少なく、人の往来の密度を除けばテロの前と変わりが無く見える。


 テオが座っているだけで疑いは晴れた。

 やましいことなどもちろん無かったし、施設の関係者とは顔見知りだから、もちろんそうなってしかるべきだが、だからこそ、先ほどの焦ってこの世の終わりみたいに思っていた自分が恥ずかしくて仕方が無かった。

  

「テオ君の登録はナラバ博士と紐付けで登録されていたんだ。博士が身元を保証するから入場を許可すると言う具合にね。でも、ナラバ博士はほら、……いまは居ないから、一時的の登録が解除されている。悪用されるのを防ぐために。だから、AIは君の入場にブザーを鳴らしてしまった」


 と、まあ、そういう事情らしい。

 考えてみれば、すでに施設を出て部外者として生活しているテオが、我が物顔で未だに国の重要機関である施設に出入りしていたことのほうが不自然なことだろう。


 世の中のことはなんにもしなくたって決まっていってしまう。

 それが自分が関わることだったとしてもだ。

それらに関わって行くには、まず知ることこそが重要で、これまでのテオはその努力のベクトルについて考えることすら及んでいなかった。


「報道を見てここに来たんだろう。共同研究なんてもってのほか、ワンマンを貫いていたナラバ博士なのに、テオ君をたいそう可愛がっていたからね」


 同情されている。

 彼はテオと博士と関係をどんな物だと認識しているのだろう。テオの生い立ちを知っている彼はもしかして親子に近いものと認識しているのだろうか。


 実際はどうだろう。

 テオにとっては、そうなのかも、しれない。

 博士はテオにとって最も身近な大人だった。その意思はいつだってテオ自身よりもテオの指針だった。

 博士とは違う研究員に、例えば目の前の見知った彼だったとしても、テオは研究を手伝うことはしないだろう。

 怪しい飲み物はもちろん拒否するし、トラックを走れと言われたら心の中で悪態を吐きながら笑顔で断る。


 やはり博士はテオにとって特別だ。いなくなって初めてに認識した事実は、少しの気恥ずかしさと諦念に似た感傷を呼んだ。

 あの博士がテオに我が子に向けるような愛情を抱いていたなんてことは無かっただろうけれど、テオは確かにナラバ博士に親愛と呼べる感情を抱いていたのかもしれない。


「博士が僕を構ってたのは、それが博士の研究のためだったからだと思います」

 博士の関心は結局は自分の研究だけに向けられていた。テオへの執心もその延長でしか無い。きっと、ほかの患者でもよかったのだ。たまたま選ばれたのがテオだったというだけのこと。長いこと博士の研究の備品として使われて、書き留められて束になったレポートこそが、テオを博士の特別たらしめた。

 博士はテオの人格を求めたわけで無い。


「そんな悲しそうな顔をしないで、君がそうであるように、博士もきっと君を心配している。なんて言ったって、君はあのナラバ博士がただ一人、大事にしていたんだからね」

「……えっ?」

 センチになっていたテオは、ふと顔を上げる。


「おや、意外だったかい? でも本当の話だよ。ナラバ博士は病棟から患者をいくつか連れて行くことはあったが、それは無作為な人選で、協力した患者の名前を記憶していたかさえ怪しかったね。君だけだよ、テオ君。名前を呼ばれていたのも、ここを出た後も住む場所やその他諸々の援助を申し出てまでつなぎ止めようとしていたのは」


 博士はそんなこともしていたのか。

 国の援助で暮らしているにしては、良い部屋をあてがわれたと思ってはいたが、まさか、博士が手を回してくれていただなんて。……本当に、あの人はテオに何一つ話してくれていなかったのだ。


「でも、博士が大事にしていたのが僕だけだなんて、それは流石に極端ではないですか?」

 少なくとも、もう一人いるはずだ。

 テオは実際にナラバ博士が彼女の頭を撫でながら名前を呼んでいる姿を覚えているわけだから。


 しかし研究員は、首を傾げて、

「いや? 居ないはずだよ。居たのなら間違いなく仲間内では伝わるはずだ。ナラバ博士は、ほら、ああだけど、すごく有能な方だったから。間違って彼のお気に入りの患者とブッキングするようなことになったらいけない。この施設では、彼の動向は下手なゴシップよりよっぽど注目されるんだ」


 なんだって?

 では、ツクモは何だというのだろう。

 幽霊とでも?


 バカバカしい!


「じゃあ、じゃあ、僕以外のその、誰かが、最近、博士の個人研究室に入ったとか、そういったことも無かったんですか?」

「おやおや、そんなに前のめりになるなんて。大丈夫だよ、僕の知る限りでは博士はここ二週間は、ほとんど自宅と個人研究室を行ったり来たりするだけだった。病棟にも行っていない。だれも君のお父さんを取ったりしていないさ」

「ちが、そんなんじゃ」

 顔を真っ赤にして否定するが、彼は「分かってるから」と聞き入れはしなかった。


「……帰ります」

「そうかい? それが良いかもしれないね。ナラバ博士の研究室はいまとても立ち入れる状態では無いから」

 世間はテロリストを警戒して自粛ムードだ。黙ってくれてはいるが、国の所属機関である施設にテオのような未成年が訪ねてくるのは、いい顔されない。


「ご迷惑おかけしてすみませんでした」

 固い顔のまま、テオは頭を下げた。

「いいんだ、テオ君。ナラバ博士はきっと戻ってくるよ」

「……はい、僕もそう信じています」


 そう、できるならば今すぐにでも、もう一度博士に会って問いただしたい。

 なぜならば、ここに来る前と違って、後ろ暗いことがテオの中に生まれてしまったから。


 なぜ周囲の人間は、ツクモのことを知らなかったのか。


 施設には多くの患者が収容されているが、ツクモの容姿は明らかに一般とは浮いている。あの妖しい虹彩の瞳は、虚ろさも相まって、いっそ神秘的にすら見えた。

 そんな彼女をあの博士が連れ回していて、誰も知らないなどと言うことが、はたしてあり得るのだろうか。


 博士は意図的に周囲からツクモを隠していた。存在を明かしたのはテオにだけだ。その意図がはっきりするまでは、むやみに秘密を暴露するべきではない。

 博士はきっとそれを望まない。


 もう一度研究員の彼に会釈をすると、彼は小さく手を振って応えてきた。

(いったい、なんだって……)

 うつむいたまま、彼に背を向けたテオは、胸中で悪態を吐いたのだ。



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