フリジッド
テオはマンションで一人で暮らしていた。
洗濯も掃除も料理も自分でやる。
大げさに言ってはみたが、そう、たいしたことでも無い。
洗濯は基本ランドリーバスケットに投げておくだけ、洗剤の補給は家電を統括する家庭用AIからデバイスに連絡が来て、承認さえすればデリバリーしてくれる、
掃除だって似たようなものだ。
テオのマンションは空調設備が完備されているから埃の類いはほとんど無い。こだわりの無いテオは一般に普及している付着物を弾く素材の布や、家具を使っている。不注意をしても、拭き取るだけでおしまいだ。
料理なんて、もってのほか、いまどき、テオの半分の歳も行かない子供だって出来る。
家電機器とAIが発達したこともあるが、バイタルマネジメントと連携したアプリが役に立つ。
いくつかのメニューをピックアップして、近場の量販店か、配達専門業者ごとにシミュレート決算を表示してくれる。その場で確定をして配達依頼もいいが、テオはできるだけ自分で量販店に行くことを好んだ。
今日も自分のために料理をしなくてはいけない時刻になったのだが。
ちらり、
台所から、ソファへ目線をやる。
そこには背筋がぴんと伸びた同居人が、半開きの気怠げな目でちょこんと座っていた。
丈の合わないテオのスウェトを着ているから、等身大以上に小さく見えた。
彼女の眺めるモニターには、幼児向けの知育チャンネルが表示されている。
いたずら心が芽生えて、デバイスが操作して過去の世界を取り上げたヒストリードギュメンタリーチャンネルに合わせてみたが、ツクモにリアクションは無かった。
まあ、そうだろう。
ツクモがモニターに注目しているのは生理反応だ。
動くものに反応しているだけ。
自己意識の欠陥は『自壊衝動精神疾患』の大きな特徴だ。
彼らは自分に対しての興味も持ってはいない。
だから、食べたいものを聞いたって、返事なんか期待できないに決まってる。
いつも通り、リストアップされたメニューから適当なのを選び、最低限の仕上がりになるシンプルコースをタップ、最後に頭数を入れて確定するわけだが……。
『君がツクモの面倒をみるんだ』
テオが食事を用意しなければツクモは衰弱し、訪れる死に身を委ねることになるだろう。
ため息を吐いて『二人』で確定をした。
テオがこの奇妙な同居生活を承諾することを余儀なくされたのには、もちろん原因があった。
部屋を強襲したツクモは、いつから握っていたのかも知れない、記憶ストレージをテオの眼前に突き出してきた。
刃物でも出したかと思い、目をぎゅうっと瞑ったテオはゆっくりと瞼を開き、それを受け取った。
裏に表にひっくり返しても、宛名は無く、内容に関するような表記も無い。
上目に、隠れるようにしてツクモを覗いても、彼女が何かしらの主張をすることは無い。彼女に期待できることは無い、テオが自分で行動しない限りなにも得られない。
なんなのだ、昨日から。
試されているようだ。
問いかけられているようだ。
なんにもやってこなかったお前に、何かを決められるのか。
ぎりり、奥歯を噛み、ストレージをリングデバイスに翳した。
ストレージにはテオの端末情報の登録がされており、それらの登録情報との承認プロセスを必要とする商品は高級世帯、企業向けだ。端末の基盤情報を書き換えるようなウイルスプログラムの類いも検知されず、問題なくインストールが完了した。
ストレージの内容は、複数のファイルと、テオが月ごとに支給される額とは比較にならない大量のクレジットだった。
しばらくテオは下から桁を数える作業を繰り返した。間違いが無い桁だけでもとんでもなかったが、間抜けに5回以上は指を向けて数えた。
これだけの金があれば何だって出来る。
クラスのみんなが憧れる最新のデバイスも、年齢にそぐわないなんて嫌みを言われそうなブランドも好きなだけ買い放題だ。国の援助で生活をしているテオが敬遠していたゲーミングソフトにだって遠慮はいらない。
だからこそ怖退けた。
博士の不在のまま、博士の実験は続いている。
それが誘拐されたはずの博士の意図によるものかは知れないが、この金はテオにツクモの面倒を見させるために用意された金に間違いない。
これだけの金を支度してまで、テオとツクモの交流に期待し、その結果の観測を望んでいる者がいる。
そいつは、テオにツクモを差し向け、この部屋の入室権限さえ勝手に操作できる力を持っている。
遮光スモークがかかっているガラス戸の性能を疑ったことは無い。しかし、今はその向こうに視線が潜んでいる気がして心許なく感じた。
「おにいちゃん」
そういう鳴き方をしているようにツクモが言う。
「……分かったよ」
他に選択肢があるのか?
例えこれが、博士では無い第三者によるアプローチだったとしても、ツクモと交流することは、今となってはテオが博士と繋がっているための唯一の手段だ。
もしも、本当に博士によってツクモが送り込まれたのなら、きっと、行方知らずになった博士と再会する機会が巡ってくるだろう。
「『お兄ちゃん』をやったらいいんだろ」
ツクモに向いて言う。
強要にも近いシチュエーションだからじゃない、自分で決めたのだと、お前や誰かに恭順したわけではないと、そう伝えるように。
博士のためという対価を前提に、良いだろう、このデブリとの家族ごっこをやってやる。 ストレージを握ったままのテオの拳には、力が入っていた。