終わりの闘拳
繰り返しになるが、よしこ先生は絶世の美女にして、まさしく女神と呼ぶにふさわしい人格を備えた保育士である。
彼女が微笑めば萎れた花は色鮮やかに蘇り、餌を奪い合う鳥達は皆集まって歓びの歌を歌う。嵐が来ても彼女が歩けば雨雲は割れ、天使のはしごが降り立って、荒れ狂う風は優しくなって彼女を包む。天神地祇が彼女を言祝ぎ、慈しみ、守り導き奉る...かように人知を超えた魅力を持つ保育士が園児達の熱い支持を得ない訳はない。
一般園児達は皆そばに居るだけで心が温かくなるよしこ先生に心が惹かれ、ひとときの間とわかってはいたが、恐怖政治の影響を忘れ、やすらぎを得ていた。というよりその問題となる二大派閥の連中すらもよしこ先生に如何に気に入られるかが最大のテーマとなっており、彼らもまた一般園児心への興味が薄れていたのである。
かくして一般園児達が巻き込まれない形となって抗争は進行していた。
その変化に気付いた石田サトルは急ぎ策を練り、その第一段階として武闘派筆頭のケンジへと接触を図る。サトルは彼が昔(一年時)は気風の良い、男気溢れる快男児であることを知っていた。今はヨシキの悪辣な罠に影響され、ほんの少しだけ人を信じられなくなっているだけであると、人の心からの呼掛けに応えぬ程、芯の底から冷たい男へと変わった訳ではないことを祈っていたのである。
接触は上手くいった。初めこそヨシキの間者ではないか、またしても自分を嵌めようとしているのではないか、話など聞く必要は無い、こいつをつまみ出せ!(ダンボール基地から)などと全く耳を貸さぬ様子ではあったが、何度も足を運び続け、ようやっとのことで一度だけ謁見の機会を得ることが出来たのである。
基地の奥に通されたサトルが、その目で見たものは、疑心暗鬼に陥った暴虐の王の姿であった。常に人より大きい弁当を食べ、誰よりも早く寝付くことで得ていたあの肌ツヤ、ふくよかさはない。あるのはイタズラを恐れ、お昼寝が出来なくなったことで寝不足になったことを示す青白い肌、人の嘘や裏切りを恐れ、定まらぬ瞳などかつての快男児の面影はどこにもなかった。
「何の用だ。早く言え。」
声までドスが聞いている。母には内緒で父がこっそり見せてくれたヤクザ映画を連想させる、よしこ先生の前では絶対に出すことの無い、大人びた声であった。
それも、大変に悪い大人の声であった。
サトルの心は圧されかけた、自然とごくりとのどが鳴る。だがこちらとてせっかくチャンスを逃すわけには行かないと己をなんとか奮い立たせる。今や愛しい学び舎の命運は我が双肩に掛かっているのだと己で己に叱咤する。沸々と盛り返してきた気持ちを支えに、落ちかけた視線を持ち直し、睨み付けるように練りに練った策を改めて告げた。
「君達が、いや君とヨシキ君の争いが始まってから、このクラスはとても暗い感じになっている。それだけでも嫌なのに僕達のクラスを見て、今や下級生、いや上級生まで君達の争いを真似て、ボスを作り、争いごっこを始めている。このままではこの幼稚園はこれから先ずっと互いを疑い合う争いが引き継がれていく悪夢の学び舎になりかねないんだ」
「そんなことは俺には分からない。原因はサトルだって知ってるだろう。アイツが汚い罠に俺をハメたんだ。どうやったかなんて知らない。何を目的にしたのかなんて分からない。ただ悪いのは間違いなくアイツのほうだ。アイツが俺に謝らない限り、俺は許すわけにはいかないぜ」
ケンジはまるで耳を貸そうとしなかった。だがここまでは予想通り。
「僕もそう思う。君は間違っても理由も無しに年下の子を泣かすような人じゃない。君はいつもみんなで楽しく遊ぶことが大好きだった。それは僕もよく知っている。だけど、それだけに今の君の姿は見ていられないんだ。誰かがまたヨシキ君みたいに騙してくるんじゃないかって何時までも他人を疑う君の姿は!」
それは世辞やゴマすりなどではなく、サトルの本心であった。交渉事においてまず相手の関心を引く為に、こちらの内心を有る程度さらけ出すというのは重要なテクニックの一つである。彼はそれをわかって行っていた訳ではないだろう。だが、このように肯定的に理解していると伝えられて喜ばぬ人間もまた居ない。ケンジの顔に僅か、僅かではあるが緩みが生じ、眼差しも敵対する者を見つめるものではない、訪問者を迎えるそれになりつつあった。サトルは畳み掛ける。
「だけど実際に、ヨシキ君に謝ってもらうのは難しい...と思う。彼も、彼も頑固で、簡単に誰かに謝るような人じゃないから。君に叩かれ、蹴られたことをまだ悪く言っていることもみんな知っている。」
「それじゃ何も変わらない。何を言いたいんだ?」
基地の温度が再び下がり始めてしまう。
「僕はただきっかけを作りたい。君達二人の争いが終わるきっかけを」
「それではサトル君は俺達がお互いに謝れというのか。叩いてごめんね。ずるいことしてごめんね、と。冗談じゃないよ。俺は絶対に悪くない。もっと叩いてもよかったくらいさ。あんなにずるい、みんなの前で、俺は恥ずかしかった。お前に分かる訳がない。」
あの時の屈辱を思い出したのか、ケンジの顔は話している内に見る見るうちに赤く染まりだし、言葉も早口に、感情だけが先走っていた。
「違う!それが一番だけど、そんなことを提案しても、きっとヨシキ君も嫌がると思う。だからケジメをつけよう。」
「...ケジメ?」
「あ、うん。これはヤクザって怖い大人が出る映画で言ってたんだけど。お互いになんて言うか、納得する為に何かすることなんだって。例えば...何かで勝負する、とか」
それを聞いたケンジは二マリと笑う。
「改めて喧嘩でもするなら俺は良いよ。もう一度叩いてやりたかったところだし、それならすっきりする。」
「いやそれじゃダメだ。ヨシキ君は頭は良いけど、足は遅い。体を使う勝負なら、何しても君には勝てないだろう。それにさ、何より、それでお互いに顔に怪我でもしたら、二人ともよしこ先生に嫌われてしまうんじゃないかな?」
その言葉を聴いた瞬間に、ケンジは痛いところを突かれたと言わんばかりにグッと黙り込んだ。確かに叩きたい。もう一度アイツをこの手で黙らせてやりたい。それは本心だ。だけどそんなことをすれば間違いなくよしこ先生に言いつけられて、嫌われてしまう。言いつけられずとも、顔に痕が残ってしまえば...。よしこ先生だけには嫌われたくはない。だけど、せめてもう一度ヨシキには謝って欲しいという気持ちも一方ではある。先に謝ってくれるなら。叩くのも我慢できる。それにもしかしたら、もしかしたら少しくらい叩いたことを謝ってやってもいいという気持ちが湧くかもしれない。ケンジの中で数多の思いが、疾走し、激突し、暴走していた。
「いいかな。だから、これもヤクザ映画の中で言ってたんだけど…」
迷える人間は、吊り下げられた糸にいとも容易く縋りつく。
その先に何があるかを、何も知らなくても。
岡崎ヨシキは絶句していた。
「だから二人ともよしこ先生には嫌われたくないと思うんだ。喧嘩なんてしたら二人とも怪我しちゃう。そうしたらそのことがバレて良くてお説教...いやもしかしたら悪い子として、もう口を利いてもらえなくなるかもしれないよ。」
ヨシキは、石田サトルが日野ケンジの元を訪れて何かを話していた、とスパイから報告を受けていた。基地内への潜入は出来ず(物理的に狭かった)、詳しいことはわかっていないものの、“名前を漢字で書ける”知恵者がケンジに何か吹き込んだと思うと彼は気が気で居られなかった。その折にサトルがこちらにも訪問したと聞き、普段ならば情報を漏らすまいと跳ね除けていたものの、むしろこちらから情報を取り出せないものかと話を聞く気になったのである。
しかし、彼の話の内容はまた恐るべきものであった。
ケンジはこの長期に渡る抗争に見切りをつけ、近々ヨシキの元へ殴りこみに行こうと画策しており、その計画のアドバイザーに着任して欲しいとサトルへ呼びかけたのだという。
もちろん真実には程遠い内容ではあるが…そう言われてしまったヨシキにとってそれは最も望まぬ展開である。こちらの戦力はまだ彼を迎え撃つほどには充実していない。長引かせ、戦力を蓄え、彼が油断した頃に攻め入り、囲んで叩いてやろうと思っていただけに、このような事態の変動は予想外であったのである。得てして自分が賢いと考える人間は、全て自分の思うがままに事が進むと思いがちであり、想定外の事態に弱い。そしてまたパニックに乗じて成される提案に対して疑問を抱かずに飲み込みがちになる。
そう、平素の、本当は弱く、それ故に慎重な筈のヨシキであれば、不確定要素の多さに乗らないはずであろう、サトルの次なる提案も、非常に甘美なるものに彼の内に、響いたのである。
「そこで、ケンジ君の叩きたいって気持ちも、ヨシキ君の叩きたいって気持ちも一緒にすっきりして、二人が傷つかない方法を考えたんだよ。」
「そ...それは?」
「うん。代打ちって言うんだけど。誰かに二人の代わりに叩きあってもらって、負けた方が勝ったほうに謝るんだ。そうすれば見ててすっきり決着が着くし、よしこ先生にも二人とも嫌われなくて済むよ。どうかなぁ?」
任侠の世界では様々な形でのケジメがある。
組内でドジった人間は昔であれば指を、現在では莫大な金を、代償として払わなくてはいけない。あるいは組織を追放される破門や絶縁といった処分が下されることもある。だが対外組織とのシノギ争いに陥った場合、互いのトップが何らかの条件をお互いに飲むことで手打ちとすることがある。そして、その条件の一つに、しばしばフィクションの題材とされる麻雀勝負がある。互いに腕一本で世を渡る雀士を揃え、金と面子を賭けた勝負をさせるというものだ。
サトルの提案はまさしくその代打ちであった。
このような発想が通常の園児に出来る筈がないのであるが、偶然にも父と見たヤクザ映画が雀聖・阿佐田哲也原作の作品だったことが運命の分岐点であったのかも、知れない。
ともあれその提案はヨシキの目に非常に魅力的に映った。自分は傷つかずにケンジに頭を下げさせることが出来るのだ。そうすればケンジは更にプライドを傷つけられ、自分に逆らうようなこともなくなるだろう。よしこ先生へのアプローチについても、もう妨害を受けずに済むはずだ。そう。上手くいけば...。だがそこまで考えたところで疑問が生じた。
「その考えは良いと思うけど、ボクの代わりに喧嘩してくれる人間は誰でもいいのかな?
そう、その点が引っかかるのだ。もしも弱い奴なんかを勝手に代理にされてしまったら、逆に自分が頭を下げることになる。二の段もまともに出来ないような頭の悪い奴に、この自分が、だ。ヨシキは自分のプライドにかけて、絶対にケンジなんかに謝るのはごめんだった。
「そこは安心していいよ。時間と場所は僕が決めるから、君達は自分で選んだ代打ちさんを連れてくればいい。」
「決着の方法は?」
「うん。...どちらかが参ったを言ったら負けでいいんじゃないかな。」
実にシンプルなルールだとヨシキは思った。
「分かったよ。それでいい。」
通常の叩き合いであれば恐らく園内最強はケンジで決まりだろう。だが代打ち同士という条件である以上彼は出れない。となれば園内で二番目に強い男が最も有利な駒となる。
そしてその駒となる人物...カツヤはヨシキの数少ない友人―舎弟ではない―であった。
頼みは断らないだろうし、そうなれば絶対に負けるはずが無い。そう確信はしていたが念の為を思いヨシキはダメ押しをする。
「それと一つ。叩き合いじゃ分かりにくいからボクシングみたいにしようよ。キックなんかして服がひどく汚れたら、よしこ先生にもっと酷く代打ちのヒトが怒られてしまうもの
「ああそうだね。それじゃキックは無し。倒れたところに攻撃も無しでボクシングみたいにやろう。」
サトルは何の疑念も持たずにヨシキの申し出を快諾し、タカシに代打ちが成立したことを伝えに帰っていった。
カツヤがボクシングジムに通っていることは、情報通のサトルも把握していなかった。
決闘当日。
天候はあいにくの曇り模様。場所は裏庭。
お弁当の後の空き時間、騒ぎにならぬよう関係者だけが集められた。
すなわちケンジ、ヨシキ、その代打ちであるタカシ、カツヤ。
そして立会人たるサトルである。
ルールはボクシングのようなもの。レフェリーストプとギブアップだけが勝敗を決する。
掴んだり、蹴ったりは無し。
そのルールは事前に双方受け取っていた。
ヨシキは自分の申し出が通り、ボクシングのようなルールであることに安心し、また同時にケンジ側の代打ちを見て笑いを堪えざるを得なかった。
そこに居たのはいつも眠たげな目をしている、遊びにも勉強にも加わろうとしない、皆から落ちこぼれと見られているタカシだったからだ。
代打ちを引き受けてくれたお礼には報酬を支払わなければならない。ヨシキも家からくすねてきた大蘭堂のスマッシュプティングを“3つも”カツヤに渡す契約を結んでいた。恐らくそういった報酬がまともに用意できなかったことと、代打ちさせる人間は内緒にするというルールを破り、こっそりケンジの代打ちは園内で2番目に強いカツヤと戦わされるという噂を流しておいたことが原因だろうとヨシキは推測した。汚くても何でも勝てば良いのである。双方の派閥により協力な緘口令を敷いている以上、この決闘が先生サイドに流出する恐れも無い。まさしく2手、3手、いや打てる手を全て打った万全の状態でヨシキはこの決闘に臨んでいた。ケンジの様子を伺うと、案の定青ざめた顔で恨めしげにこちらを睨んでいる。恨むなら人材不足にして戦略不足のまま過ごしてきた己の愚かしさを恨むが良いと、ヨシキは鼻で笑ってやった。
サトルが審判として地面に書いたリングの中央に立ち、寝ぼけ眼のタカシと早くもプティングを楽しみにするカツヤが向かい合う。ぼさぼさの髪で猫背のタカシと短めの金髪を刈り上げ、ボクサーらしくすっと背筋が伸びたカツヤではもはや勝敗は見えたようなものだった。
そして、サトルの両手を打つ合図で決闘が始まった。
ぱぁんっ!
ボクシングジムに2ヶ月前から通わされているカツヤの動きは流石に早かった。
踵を浮かせ、つま先に力を込め、両の手の親指を口元に持っていくピーカブースタイルのまま、1、2とステップを刻み、瞬時に間合いを詰める。最初の踏み出しで巻き上がった砂埃が再び地に落ちる、その数瞬の間には、もうタカシの目の前に居た。
ヨシキはその華麗なステップに息を呑み、そして歯をむき出しにして笑った。
ケンジもまた疾風のステップに目を奪われ、そして歯をむき出しにして食い縛った。
明らかに動きが違う!カツヤは何か、普段から練習しているのではと気付くのに時間は掛からない。どこまでも容赦の無いヨシキの策略に三度、彼は憤りを感じていた。
一方、タカシは慌てず、冷静に顔を守るように腕でガードを作った。テレビで見たボクシングを真似るように手の甲を相手に向けて、がっしりと踏ん張るようなポーズを取ったのである。本来は踵を浮かせ、膝のバネで衝撃を逃がすのがセオリーであるが、当然そこまでの彼には知識は無かった。蟹股でどっしりとカツヤを迎え撃つ。
距離は詰まり、カツヤの間合い。
その場に居た全員が次の瞬間を見逃すまいと目を見開く。
ぱ...しんという軽い音が響いた。
一瞬の空白。カツヤの左手がタカシの腕を軽く弾いた音であった。
そして次の瞬間。
パパパパパパパパンッ!
高い、高い衝撃音が鳴り響く。
一瞬の内に8回ものパンチが飛び交ったことに気付いたのは、最も動体視力の良いケンジだっただろうか。いや彼にも知覚出来ぬ速度であっただろう。それほどまでに彼のパンチは迅い。初撃の拳で距離を測り、最速のコンビネーションを一気呵成に繰り出す。それも一瞬間で8回。その余りの速さからボクシング界では蜂の羽音に例え、ビー・ブロウと名づけられた禁断のコンビネーションである。経験を積んだボクサーでも難しいとされている技をなぜ園児が出来たのか、ご疑問に思われる方も居るだろう。それはひとえにカツヤに元々備わっていた天武の才、そしてまた園児特有の未完成にして柔らかすぎる肉体が究極の脱力とバネを彼に与えたことによる一つの奇跡の結晶だとお答えさせて欲しい。だが古のビー・ブロウが廃れたにも理由があった。それは人間の瞬間最大出力を容易く超えてしまう為、放った後に―筋肉が動かなくなる―いわゆるつってしまう、のである。その数秒にも渡る隙を狙われ、ハードな一発をブチ込まれてしまうボクサーが後を絶たなかった為、次第に使われなくなっていったという。
しかし、カツヤはその弱点をそもそもつるほどの筋力を持たないという未完成の肉体を用いることで克服し、更に改良を重ねたビー・ブロウ、“真蜂撃”を完成させていた。
瞬時に8回のパンチは衝撃力を指数関数的に増加させる。
そして8回目に至ったその瞬間の衝撃力の大きさにタカシのガードは弾き飛び、両手が、ああ、両手が天を仰ぎし万歳のポーズへと…変化してしまった!
がら空きとなった上半身へ、フィニッシュ・ブローを打ち込まんとカツヤの左足が大地を蹴り、その反作用にて生み出されたエネルギーが足から腰、背を通り抜け、否、その質量すら糧として、膨大しながら、右足に支えられつつ、その右拳に宿り、一直線にタカシの顔面へと突き刺さり…破裂する!
ぐ…しゃ、あっ!
蜂の最後の一刺し―右ストレート。
真蜂撃―ビー・ブロウ・エリミネイテッド―の秘奥が決まった。
決まりだ…!
まさか…!
倒れるなぁ!
歓喜と絶望、戸惑い、各人の思惑が渦巻き、そして。
そして、それは驚愕の一点に集約する。
………‥…………………………………………………ぺろり。
「うわぁあっ!」
響いた声の主はやられたタカシの物ではなく、殴った側、カツヤの物であった。
「こ…こいつ!僕の拳を…舐めた!」
ぽたり…ぽたりと鼻血を滴らせながら…タカシは平然としていた。
「前がよく見えなくて、邪魔でね」
目は死んでいない。いやそれどころかむしろ試合開始前よりも、活きている…!
思い切り殴られた顔は真っ赤であり、鼻血を滴らせているだけでも不気味であるのに、平素からの不遜な態度にまるで変化が無かった。いつもの昼寝好きの寝ぼすけ男、そのままであった。先ほどの凄まじい衝撃の後であるにも関わらず、痛みをまるで感じていないように、あまりにもそのままであった。
「全く早いなぁ。まるで見えなかった。それに最後のパンチも効いたよ。ボクシングってああやってやるんだね。テレビとは大違いだ。あれだととても遅く見えるのにね」
ぶつぶつと呟きながら、構え直し、パンチの練習を始める彼の姿にその場の全員が呑まれていた。
「こうかな?1、2の…3!」
ぶわぁっ!
明らかに素人丸出しの、体の使い方をまるで知らない大振りの右パンチ。
左足で踏み込んで、アーチの軌道を描く、俗に言うテレフォンパンチ。
ボクサーの目を持つカツヤには当たるはずが無い、不細工なパンチ。
しかしその踏み込みで舞い上がった土ぼこりは明らかにカツヤのそれを大きく上回っている。一発の大きさを期待させるパンチだった。
ケンジは内心ずっと不安を抱えていた。
代打ちを探すことに苦心したのは事実である。ヨシキが流した噂を皆が知っており、ケンジとの接触自体避けられていた。誰もがケンジの次に体格の良いカツヤと、何を貰えたとしても、戦いたくは無かった。ケンジは己の宝でもある色違いのバンギラスすらも提供すると話はしたが、勝てる自信は無いし、負けて恨まれるようなことがあっても嫌だと誰も乗ってきてくれなかったのである。
絶望するケンジに差し伸べられた手、それはサトルのものであった。
本来であれば中立を保たなくてはならない筈のサトルだったが、誰もが身動きを取れぬお昼寝の時間、こっそりとケンジに糸電話を投げ、こう告げたのである。
「どんな条件であっても、代打ちを引き受けてくれるヒトを、僕は紹介出来る。そして必ず彼は勝つだろう。僕が保証する。」
ケンジは狼狽した。
「そんな、そんな奴がこの幼稚園にいるのか?相手はあのカツヤだぞ?」
「疑うならそれでもいい。でも君にはもう選ぶチャンスはないと思う。もし代打ちを用意出来なければ君の負け。君はヨシキ君に頭を下げ、かつ彼がよしこ先生に甘えるのを黙って見届けなければならない。いや近づくことすらヨシキ君は許さないだろう。このままであればよしこ先生にずっと頭を撫でてもらえなくなる」
ケンジにとってそれはやはり死よりも辛い絶望である。園児はえてして目の前の女、いや先生の手のひらにしかその生き甲斐を見出せない。黙り込んだケンジ。
「…納得してくれたかな?でも、もちろんタダという訳にはいかない」
「いや。いやもう何でも払う。俺の、俺のフォロータでも…何でも…!」
「それは君の大事なパートナーじゃないか。こないだやっと最終進化したって喜んでいた大切なポケモンだろ?そんな貴重なモノは受け取れないよ。ただ勝って、ヨシキ君が謝ってきたら君も許してやって欲しい。そして君も叩きすぎたと謝ることを約束してくれるなら、僕は彼を紹介するよ」
「それで良いなら…もちろん構わない。ちょっと俺もやりすぎたと少しだけ思わないことも無かったから。」
その答えを聞き、サトルはケンジの奥底にまだ快い風が―たとえ弱くとも―吹いていたことに安心した。そして落ちこぼれのタカシの名を告げる。万年寝太郎の怠け者。その名を聞いたケンジは勝てる筈が無いだろうとサトルに抗議したが、彼はタカシならば必ずこの決闘に勝てると言って効かなかった。
その理由も教えてくれなかったので、この決闘に臨む今の今まで不安で仕方が無かったのだが、あのパンチを受けて平然としている謎の頑丈さを見て、もしかしたら何か起こるのではないかと、彼は今までにない興奮を感じ始めていた。
今やその場に居た全員がタカシに呑まれていた。圧倒的有利だと思われたボクシングエリートをもしかしたら落ちこぼれにして謎の寝ぼすけ男が打ち倒すのではという風が…吹き始めていた。その不穏な空気を察知したか、すぐさまヨシキが叫ぶ。
「大丈夫だ!鼻血を出しているんだから効いていない筈がないよ!直ぐに畳み掛けて!」
叱咤、ではない。不安を打ち払うかのような悲鳴のニュアンスが籠った叫び。
「い、行くんだタカシ!今なら相手の動きも鈍い!押し切れる!」
こちらは叱咤。但し自分の戸惑いを払うようなそれが多分に込められては、いたが。
それに影響されてか、先に飛び出したのはカツヤだった。得意のステップで再び間合いを詰める。だがタカシももはや黙ってやられてはいない。大振りではあったものの、パンチを繰り出す。ぶおぅん!それをステップで回り込むようにカツヤ、がらがらの側面への高速4連撃を決める。
パパパパンッ!
揺らぐタカシが振り向いた時にはもはや影すら無い。
既に背後へ回り込み、再びの高速コンビネーション。
明らかに速度が、世界が違っている。
タカシが大きく右を振りかぶり、ステップアウト&インからの連撃をカツヤが決める。
まるで一つのダンスかのように決められた動きが続く。
先ほどの不気味な雰囲気と、テレフォンパンチを警戒してか、必殺のビー・ブロウは出されなくなっていたが、ムードは再び反転し、やはりカツヤ優勢の雰囲気が漂い始める。
一撃では仕留めきれないと判断したカツヤはじわじわとタカシの体力を奪うやり方に変えているようだった。元より天才であり、かつ努力を欠かさぬ者に、素人は勝てない。
だが。
「1、2の、3!」
ぶわぁっ!
愚直に、殴られながらも愚直にタカシは大きな声を上げながら右拳を振る。
もはや殴られようといまいと関係無しに振り上げる。
一撃必殺のラッキーパンチがボクシングにあることはある。
それを見越しての事だろうか、だがこれはもはやボクシングではなく、処刑だ。じりじりと嬲られ続けるタカシにケンジは苛立ちを隠せなくなり、何度もサトルへ疑問を込めた視線を投げかけるものの彼は極めて冷静だった。そしてタカシが勝つことを欠片も疑わぬ眼差しがそこにあった。サトルには一つの考えがあった。
そう。この試合の勝敗を決めるルールは“まいった”を言うこと。
その裏の意味を考えさせる前にヨシキに勝負を呑ませることが出来るかが肝だった。
本来のボクシングにはギブアップの他に当然ノックアウトがある。大人のパンチはそれだけの、相手を気絶させるだけの破壊力を備えている。だがここはあくまで幼稚園。いくら努力をしたところで、また体格に恵まれていようと園児は絶対的にヒトを気絶させるだけの力を持てないのである。つまり、いくら叩いたところで根本にあるのは相手にまいったを言わせるかどうかに限られる。
必要なのはフィジカルではない。
この園児ボクシングに限り、勝敗を分ける真に決定的な要因はメンタルにある…!
そして誰が最もこの幼稚園にてタフネスなメンタルを備えているのか。
それを見極めることが出来る人物はただ一人。
抗争に巻き込まれず、冷静にクラスの動向を観察し続けたサトルこそが可能としたのである。
(僕は君達の争いが始まってからすぐに何とか仲直りさせられないか考えていた。その中で僕の力だけでは難しい。誰かの助けを借りないと解決は出来ないんじゃないかと思うようになったんだ。そこで一番頼りになりそうな奴は誰かを見ていた。とにかく絶対に泣かない奴、諦めない奴、そして何より裏切らない奴はいないかってずっと探していたんだ。
空振り、高速の2連撃。
(そこで目をつけたのが誰とも、そう、恐るべきことに一年の頃から誰とも関わろうとしないタカシの姿だった。彼はあくまでも、どこまでも孤独だった。何せ誰も彼が泣き出したところを見ていないくらいだ。僕でも一度や二度、どうしようもなくて泣いたことだある。それはこの金毛堂幼稚園において、いや全幼稚園児において泣き出したことが無いやつは居ないはずなのに。彼はずっと泣かない。サボっているのを怒られても、仲間達に叩かれてもだ。僕は彼なら信用できると思って接触した。)
高速2連撃、空振り、高速ジャブ、空振り。
ぽつり、ぽつり、気付けば雨が、降り出していた。
(最初は昼寝の邪魔をしないで欲しいとあまりにもつっけんどんな彼だったけれど、しつこく話しかけ続けていると、むしろさっさと話を終わらせた方がいいと思ったのか、邪険にされることも無くなっていた。抗争を止めるアイディアについて、彼は余り話さなかったけど、ちゃんと言葉は返してくれた。それだけで自然と考えがまとまっていくようだった。その折によしこ先生が来た。)
次第に雨脚は激しくなり、地面もぬかるみ始めた。
1、2の3。空振り、ジャブ。
戦況は再び怪しくなっていた。長時間の決闘に両者体力を奪われ、パンチのキレも、フットワークも鈍くなりつつあり、全く読めなくなっていたのである。全てはタカシの謎のタフネスが原因であった。
(先生には誰も彼も僕も、ケンジ君もヨシキ君も惹かれる中で唯一動じなかったのがタカシ君だった。とうとうあの特別な先生にすら、全く動じない姿に僕は心から惹かれたんだ。だから参ったを言ったら負けという条件であれば彼なら負けない。他人から心を動かされることがない石のような気持ちを持つタカシ君に賭けてみたくなった。)
昼休みの時間も終わりに近づいていた。みなずぶ濡れだった。これだけ激しい雨ならば他の園児は皆教室に戻っているだろう。そうなれば目立つ生徒がいないことに先生達が気付くのも時間の問題だ。
決着が、求められていた。
もはやカツヤの頭の中にはプティングのことなど無かった。何度叩いても倒れないゾンビのようなタカシの姿に、恐怖し、また落ちこぼれを倒せぬ自分を認めたくないという気持ちが入り乱れたまま必死で戦っていた。そして自身の体力が尽きかけている以上、もはやタカシの体力を削るなど悠長なことをやっている場合ではなくなっていることにも気付いていた。
一撃。
自身のパンチ力だけで倒れぬのならば、奴の力も利用したカウンターしかない。幸いタカシはパンチを振るタイミングを何度も口にしている。あの“3!”に合わせて右ストレートを入れれば、カウンターが決まれば、流石の奴も倒れるはずだ。だが、これは罠だろうか。あれだけ声高に叫んでいるのはわざとらしくないか。こちらのカウンターを更にカウンターで取ることが奴の真の目的ではないか?
もしそうであるなら。こちらが先に仕掛けるしかない。奴がこちらのカウンターを狙えるのは確実にこちらがカウンターを仕掛けると分かった時だ。そのタイミングは分かっている。
鐘だ。
恐らく奴は休み時間終了を告げる鐘の音に、焦った自分が踏み込む瞬間を狙っている。それしか何かを狙える確実な瞬間は無い。いやカウンター狙いかはわからないが、場が乱れる機会を狙うには鐘が鳴り響く瞬間の他は無い。
つまりは先手必勝。鐘が鳴る前の、間隙を突いたタイミングで仕掛けるしかない!
本能による計算。焦りとプライドが、園児の限界を超えた論理演算能力を彼にもたらしていた。もはや豪雨と化した天候。だがケンジ、ヨシキはおろかサトルですら戦いを止めようとはしなかった。園児とはいえ、男児であった。決着をつけなくてはいけないと、彼らは誰に命じられたわけではない。だが、どうしても、これだけは決着をつけさせなくてはいけないと、彼らは分かっていた。
タカシはぼろぼろだった。全身くまなくずぶ濡れで、背も、肩も、腕も、殴られた痕が尽いていない場所は無い。流石の彼も豪雨と長期戦に体力がなくなってきたのか、息切れして、体を支えるのがやっとのようだった。但しガードした腕の隙間に現れる瞳、それだけはよりギラツキを増していた。手負いの獣、そのものだった。普段の寝ぼけ眼の彼は消え、目覚めさせてはいけない獣がのそりと、雨のカーテンに紛れて現れているようだった。
再びの空白。
カツヤが距離を空ける。
次の一撃で恐らく全てが決まる。
その場の全員が確信していた。
ケンジもヨシキも、抗争の因縁などいつの間にかどこかに消えていた。
代打ちへとその意識を宿らせていた。タカシの拳はケンジの拳であり、カツヤの拳はヨシキの拳であった。
サトルもまた、全てを見逃さぬよう、豪雨の中、瞬きすらしなかった。
そして鐘が、鳴りかけた、その瞬間。
その一歩前のタイミングで、カツヤは飛び出した。
泥が跳ね、雨を弾き飛ばす青き弾丸が一直線にタカシへと向かう。
ラストダンス。
その始まりのコンビネーションが刻まれる。
瞬間8撃―とまでは行かないが―全力を尽くした高速のコンビネーション。
パ…パ…パ…パ……!
誘われるかのように、
「1、2…の!」
タカシは言葉を紡ぎだす。最後の言葉を。
(“3”!)
その瞬間。
コンビネーションを切り上げ、
一撃の重さを込めた必殺の右ストレートを、カツヤは放った。
それはタカシの、空を切る右の大振りに合わせた完璧なる一撃...のはずだった。
恐らく晴れていれば。
いや晴れていれば間違いなく突き刺さったであろう。完璧なタイミングのそれだった。
しかし、金毛堂幼稚園の神の采配は、豪雨のぬかるみは、違う未来をもたらした。
タカシは最後まで己のテレフォンパンチを変えなかった。
その理由は誰にも分からない。
だが、結果として、
豪雨によって作られたぬかるみが彼の左足を滑らせ、繰り返されてきた軌道を変化させる
タカシの左足が伸びきり、右足が曲がり、体が沈みこむ。
タカシの左肩の上を、カツヤの右ストレートが通過する。
止まらないタカシの右拳はややアッパー気味の軌道と化して。
ぐ…ば…きッ!
カツヤの頬にめり込んだ。
そしてそのまま、体の勢いのままに、その右拳は振り抜かれる。
カツヤは、ゆっくりと、仰向けに倒れていった。
どばしゃん。
倒れた彼に、豪雨が降り注ぐ中。
「...まいった」
殴られた頬を赤くし、泥まみれとなったカツヤが仰向けのままにこぼす。
プライドも、体力も、全てを使い果たした男のセリフだった。
決着だった。
振りぬいた拳を下ろし、肩で息をするタカシ。
思いもよらぬ決着に、呆然とするヨシキ。
雨と共に、喜びと感動の涙を流すケンジ。
「ボクシング勝者...タカシ!代打ち勝負勝者...ケンジ!」
そして拳を天に突き上げ、サトルが叫んだ。
彼もまた一筋の涙を流していたが、その涙の訳は誰もわからなかった。
なぜなら。
タカシは拳を突き上げ、感極まったサトルに歩み寄ったかと思うと。彼の左肩を押さえつつ、右足を刈る、大外刈りのようなもので―彼を引き倒したからだ。
どばしゃん。
その場に居る全員があっけにとられた。倒されたサトルも、倒れてたカツヤもだ。
「や...やめろタカシ!僕は関係な...」
「五月蝿い」
どばしゃん。そしてヨシキも引きずり倒され。
「おい、お、俺はお前のマスターだろ!?」
「俺はお前のポケモンじゃない」
どばしゃん。ケンジも引きずり倒された。そうしてからタカシ本人もあお向けに倒れる。
どばしゃん。
結局五人全員がその服も靴も顔も、何もかもを泥で汚す羽目になった。
皆がどうしたらいいかわからず、降りしきる雨にひたすら打たれている。
「よく分からんが、決着は着いた。これで両成敗でいいんだな?」
仰向けのまま、タカシが言う。
彼の目にはもう獣はいない。いつもの眠たげな、呑気者の目が帰ってきていた。
そしてほとんど話さなかったくせに、ここに来て強引に話をまとめようとする。
何が何やらわからなくなって、タカシ以外の全員が、殴られたカツヤですら、妙におかしくなって一斉に吹き出した。
雨音と笑い声だけが満ちていた。鐘がいくら鳴ろうと皆どうでもよかった。
「ああ。もう僕も何だかすっきりした。…ごめんな、ケンジ君。あの時、他の奴に糸を結び付けた積み木を引っ張らせたのは僕なんだ。運動が出来て、皆に人気がある君がうらやましかった。だからつい、あんなことをしてしまった。本当に…ごめん。」
仰向けのまま、ヨシキが声を上げる。戦いが終わり、彼の心にも風が吹き始めていた。
爽やかな、光の冴え渡る美しい風が。
「うん。謝ってもらえたらもう俺はそれでいい。俺もあの時、カッとなってやりすぎたようにも思う。俺もごめんな。」
ケンジもまた謝罪した。こちらは元より気風のよい男だ。明るく晴れ渡る太陽のような生来の性質が、すっかり蘇っていた。
ここに抗争の、本当の終結が成されたのだ。
「ああ、良かった。苦心した甲斐があった。でもタカシ。僕達まで引き倒すことは無かったんじゃないか?」
サトルが呟いた。彼らは見事なまでに泥んこだ。全員ともあのよしこ先生といえど弩級の雷は免れ得ないだろう。
「俺達だけにあんな真似をさせて、助かろうなんて甘い。連帯責任でみんな怒られるべきだ。」
タカシは最近覚えた言葉を使った。“れんたいせきにん”。皆、聞いたことが無い言葉だったが、何となく意味は分かり、また笑った。友達に殴り合わせるなんてことをさせておいて、プティングで済まそうなんてのは確かに虫が良すぎる。ある意味代打ちの二人はこの抗争終結の一番の功労者なのだ。そんな扱いは失礼にも程があるだろう。
「全く、言われてみれば都合がいいぜ。倒れるつもりなんて無かったから引き受けたものの、終わってみればこんなびしょびしょだしな。ああヨシキ。負けたけど約束は果たしたんだしプティングは忘れるなよ。」
カツヤも言った。わりとセコイ性格ではあるが、彼もまた雨の中投げ出さず、最後まで戦い抜いた男であった。
「大丈夫。後で渡すよ。…そういえばタカシへのご褒美は、なんだったんだいケンジ?」
「いや、実はタカシを連れてきてくれたのはサトルなんだ。俺がどうしても代打ちを用意出来なかったと言ったら呼んでくれたんだよ。」
ヨシキは立会人であるはずのサトルが手助けしていたことに少し引っかかったが、そもそも妨害工作をしたのは自分であることに気付き、また恥ずかしく思った。
「俺のご褒美なんてどうでもいいだろ…お、先生が来た。さてみんな仲良く怒られようぜ。」
タカシが会話を打ち切るように身を起す。
先生達の呼びかける声がする。声は怒気を孕んでいる。
休み時間を過ぎても戻っていないのだから当然だ。加えてこれだけ泥まみれになっている。
どれだけ怒られるのだろうか…考えるだけでタカシを除いた全員とも、改めて身震いがした。
その後。
怒られに怒られた全員ではあったが、決着がついたことですっかり安心していた。
また再びよしこ先生が優しくしてくれるまでにそれほど時間は掛からず、関わり合いの薄かった五人は金毛堂幼稚園で最も仲の良い五人組となる。最もタカシだけは以前とあまり変わらずに隙あれば昼寝をしようとし、それを他の四人が引っ張り出すようになっていた。
彼が勝手に作った昼寝スペースにはいつの間にか彼専用の枕とプティング、そして睡眠妨害禁止と漢字で書かれたアイマスクが置いてあった。
もっとも、先生達は誰も、その禁止を守るようなことは無かったが。