隠キャ代表の座、譲れません
春の風が校舎の窓を揺らす。四月の空気はまだ肌寒く、教室に差し込む日差しも心なしかどこか頼りない。でもその静けさが、僕──木嶋翔太──にとっては心地よかった。
クラスメイトの名前すらまだ全部覚えていないが、すでに僕の中で特別な存在になりかけている人がいた。
西堀茜。
長い黒髪。眼鏡。無表情、というよりは感情があまり表に出ない。誰かと楽しそうに話しているのを見たことがない。でも、周囲から浮いている感じもしない。存在感を消すのが上手いのだ、僕と同じように。
メッセージを送った方が負け。
そう、これが今、僕たちの間で進行中の静かな戦争のルールだ。
どちらからも連絡はしない。なぜなら、隠キャとは、必要最低限しか人と関わらない種族だからだ。
送ったら、それは「関わりたい」という意思表示。そんなことは、隠キャのプライドが許さない。
でも──
西堀さんから、ある夜、3通目のメッセージが来た。
《明日のHR、場所変わるらしい。後ろの掲示見た?》
……終わった、と思った。
いや、これはただの連絡だ。ただの、連絡事項。何の感情も込められていない。ただの事務連絡。そう自分に言い聞かせた。
でも、わざわざ僕に送ってくる必要、あるか?
他にもクラスのグループメッセージがある。僕に個人で送ってきた意味、ある?
──いや、これは罠かもしれない。
僕に「お、これは話しかけていいやつか?」と期待させて、その隙に「やっぱこいつ隠キャじゃないわ」と見限るつもりかもしれない。
それとも、単に善意か? いや、善意に見せかけた……なんだろう、なんだこれ。どう捉えれば正解なんだ。
僕の脳内会議が、深夜二時まで続いたのは言うまでもない。
ーーーー
翌朝、教室に入ると、西堀さんはいつも通りの無表情だった。
目が合う。
会釈。
それだけ。
……な、なんだよそれ。何か、もっとこう、あるだろ。メッセージの件、言及しないの? しないのかよ! こっちはもう寝不足だぞ!
僕は机に座りながら、ため息をついた。
(……いや、落ち着け。そもそも、これで舞い上がってる時点で、僕の負けじゃないか?)
心の中でそう思うが、すでに何度もメッセージの通知履歴を見返している自分がいて、もう言い逃れできない。
……気になってる。
気になってる、西堀さんのこと。
ーーーー
午後、放課後。
帰り支度をしながら、ふと斜め後ろを見ると、西堀さんが鞄を閉じたところだった。目が合う。
……ああ、まずい。また会釈するタイミングが重なってしまった。こういうの、気まずい。何か言おうか。でも、何を? 話題? 昨日のメッセージの話題? いや、あれを持ち出すのは負けじゃないか?
僕が内心でバグっていると、西堀さんがふいに口を開いた。
「……返信、ありがとう」
「……えっ」
声が裏返りそうになった。
「いや、あれは……事務的な返信で……」
「そう。私も、事務的に送ったから」
間。
沈黙。
──勝負の駆け引きが、今始まった。
「じゃあ、事務連絡以外は、送らない?」
「……当然。隠キャだから」
「私も」
どちらがより隠キャであるかを競う、誇り高き沈黙のバトル。言葉少なに、空気を読む力だけで刺し合う。
だけど、その空気の中に、何かがあった。確かにあった。
ちょっとだけ、距離が近づいた気がした。
ーーーー
その晩。
僕はベッドに寝転びながら、スマホを見つめていた。
メッセージ欄を開く。未読はない。既読はある。昨日のやり取りが残っている。
(……送ったら、負け、なんだよな)
分かってる。なのに、画面を見てる自分がいる。
(でも……もし、今、僕が送ったら……西堀さん、どう思うんだろ)
嫌がるかな。呆れるかな。──それとも、ちょっとだけ、期待してくれるかな。
──バカだな、僕。
指が、画面の上で止まる。
メッセージ欄に「こんばんは」って打ちかけて、すぐ消す。
この文字列が、こんなに重たいなんて思わなかった。
すると──通知音が鳴った。
《今日の帰り、タイミング一緒だったね。偶然?》
──うわあああああああ!!!
叫びたい。壁を転げ回りたい。けど、声は出せない。
(いや、いやいや、これは……! なんだ? どういうことだ? これも、事務連絡? いや、事務じゃない、絶対!)
けど、負けたくない。この勝負、降りたくない。
指が、震える。
「偶然、だね。僕もびっくりした」
打って、送信。
……終わった。完全に踏み込んだ。隠キャの境界線を、自ら越えてしまった。
……でも、ちょっとだけ、うれしかった。
ーーーー
翌朝、教室で目が合った。
彼女は、ほんのわずかに笑った気がした。
その笑みが、僕の中の何かを優しく崩した。
隠キャであることに誇りを持っていた。でも、誇りって、ちょっと重たかったのかもしれない。
少しずつでいい。相手の心に踏み込むのも、悪くない。
そんなことを、僕は初めて知った。




