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陰キャの境界線

新学期が始まって、もう二ヶ月が経った。


春のざわめきは落ち着き、教室の空気もようやく「慣れ」という名前の色に染まってきた頃。木嶋翔太、16歳。自他ともに認める陰キャ歴10年、静寂と気配消しに生きる日々。初日から誰とも目を合わせず、席はいつも教室の角。休み時間は文庫本を盾に人波を遮断し、昼食はほぼ無言。自己紹介のときも声は蚊の鳴くような……というより、蚊のほうがまだ主張が強かったかもしれない。


「……ふ、普通に、木嶋です……よ、よろしく……」


思い出すだけで背中がぞわりとする。だが、そんな彼にも、わずかに気になる存在がいる。


西堀茜。同じく16歳、同じクラス。黒髪ロング、常に眼鏡をかけ、教室の片隅で静かにしている女子。


どちらがより「真の陰キャ」であるかを競い合うという、くだらなくもプライドが火花を散らすバトル。最初のルールは「メッセージを送った方が負け」。しかし、今や双方が送受信を済ませているという事実は、もはやルールの崩壊を示していた。


だが、それを言葉にしたら――負けだ。



ーーーー

今日も教室の空気は変わらない。喧騒を避けるようにして、僕はそっと席についた。誰にも話しかけられないし、話しかけない。窓際で風に揺れるカーテンをぼんやり眺めていると、声がした。


「木嶋くん。今日のHR、先生がクラスでレクリエーションをやるって言ってたよ」


背筋が伸びる。まるで警報が鳴ったかのような緊張感。声の主は――西堀だった。


「……レクリエーション?」


「うん。なんか、グループで簡単な発表をするらしい」


「……無理じゃん……死ぬじゃん……」


「同意する。けど……」


西堀の眼鏡の奥がわずかに光る。……いや、気のせいか? でも、確かにそこに「意図」があった。


「君は、このまま陰キャの代表でいいの?」


ぐっ……! なんだその挑発は……!


「いや、君こそ。レクリエーションなんて一番嫌いなやつでしょ?」


「でも、ここで君が逃げたら、私の勝ちだよ」


ぐぬぬ……こいつ、なぜここで勝負を仕掛けてくるんだ……!



ーーーー

昼休み。先生がクラスの前に立つと、声が響いた。


「はい、今日はちょっとしたグループワークです。自分たちの好きなことをテーマにして、一分だけでいいので簡単に発表してください。グループ分けは、私が決めます!」


教室中がざわめく中、僕の胸は早鐘を打っていた。いや、これ絶対地獄でしょ。死んだ方がマシレベル。


「じゃあ、木嶋くんと……西堀さん、君たち二人ペアで!」


……は?


「え? ちょっと、先生、そこは……」と西堀が即座に口を挟む。


「文句は受け付けませーん。さ、他の人たちもペア作ってね」


……こいつ……まさか、最初から仕組んでいた……?


僕の視線に気づいたのか、西堀がふっと笑った。


「勝負しようか。どっちが、より『陽キャ的』にこの発表を乗り切れるか」


「ふざけるな……!」


「逃げてもいいんだよ? 陰キャ代表の称号、私が預かってあげる」


……これは、完全に罠だ。


でも……でもなんだ、この、ほんの少しの高揚感は。いつもの陰鬱な空気と違う。心のどこかで、「やってやる」という気持ちが、ほんの少し、芽を出した。



ーーーー

放課後、教室の隅。二人きり。


「……で、テーマどうする?」


「好きなこと……って言われても、僕、特にないけど」


「じゃあ、ゲーム。私はRPG派。君は?」


「……アクション寄りだけど、ストーリーが深いやつが好き」


二人の間に、わずかに笑いが生まれた。心の中で、何かがほぐれていくのがわかる。


「ねえ、木嶋くん」


「……ん?」


「君、変わったよ。ほんの少しだけど」


「……そっちこそ」


気まずい。気まずいけど、嫌じゃない。この沈黙も、何も話さない空間も、なぜか心地いい。



ーーーー

翌日。ついに発表の日。


教室の前に立たされた瞬間、足が震える。でも、横を見ると、西堀も同じように緊張していた。


「……せーので、言おう」


「は?」


「せーの、って言ったら、一緒に話し始めるの。そしたら怖くないでしょ」


「……バカか、お前……」


「バカで結構。でも、負けたくないんでしょ?」


ふ、と笑って、西堀が言った。


「せーの」


「ゲームが好きです……!」


ハモった声。クラスがざわつく。でも、そのあとの一分間、僕たちはちゃんと話せた。好きなゲームのこと、選ぶ基準、ストーリーで泣いた話。


誰かが「おー、意外に喋ってるー」って言った。


でもそれよりも、横で笑ってる西堀の顔が、今はやけに明るく見えて。



ーーーー

放課後。帰り道。


「……結構、やれたな」


「うん。やればできるもんだね」


「……で、どっちが勝ち?」


「……今日は、引き分けってことでどう?」


「そっちがそれでいいなら」


静かな春の夕方。二人の足音が、並んで響いた。


少しだけ、前より近くなった気がした。


そして、僕の心の奥底に、ひとつの言葉が芽吹いた。


もう少し、話してみたいかもな。


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