「乙女の柔肌に傷をつけるなんて、酷い兄だとは思わないの?」
竜兄と喧嘩したことは今この時だけじゃない。大学に行く為に竜兄が家を出る前はしょっちゅうだった。私が悪事に手を染めようとしているのを竜兄が発見して止めようとしたり。大抵は私に全ての非があるのだけれど……。
喧嘩の時はお父さんが教えてくれた武術を使って派手に殴り合った。最後にはどちらかが腕や体を固めて抑え込んで終わりになる。勝率は私が四で、竜兄が六だ。私が負け越しているというべきか、年上の竜兄に切迫出来ていると見るべきかは人に寄るだろう。
竜兄に腕を取られ抑え込まれる風景が今でも目に浮かぶ。あぁ、懐かしいな。私にとってはじゃれあいみたいなもので、負けるのも決して嫌いじゃなかったよ。
でも今は退けない戦いだ。
「う、ぬわあああぁぁっ!!」
右から突き! 捌くと蹴り! 返す刀をすり足で躱すと背後!? 倒れ込むようにして回避ぃ!
「きっつ!」
迫る青紫のレイピアをどうにか凌ぎつつ私は息を吐いた。いやきっつい! 人間の動体視力を越える剣撃をサクサクかましてくるんだもん。技術も勘も総動員してやっと防戦することが出来るレベルだ。反撃の隙が無い。
しかも、足場が悪い。列車の屋根の上。踏み外したらそのまま吹き飛んでしまう。まぁ落ちた場合でも電磁スラスターで着地こそできるが、急制動に電力を大量消費するのでその後が続かない。
……いや、目的は果たした今、逃げる為に列車から飛び降りるというのは有りといえば有りなのだが……。
「……逃げられたらなぁ、迷わずやるんだけども」
ヒーローである竜兄からそのまま遁走できるというのは楽観すぎる。というかヒーローならば列車から飛び降りたところで無傷の可能性がある。どのみち追われ戦う定めにあるのなら、電力を消費する電磁スラスターは避けたいところだ。
しかし足を浮かせたらそのまま飛んでいってしまうってのは……そうだ!
「足、裏!」
廃工場でやった時と同じように、ブーツの底の鉄板を電磁石に変えて列車の屋根に張りつく。これで足場は心配ないし、電力の消費も少ない。電磁石のオンオフをしなければ動けないから、また他に集中すべきことが増えたけど……。
何せ、剣撃を受け切るのにすら多大な集中が必要だ。
「……速過ぎだよ……」
どうやらあの青紫の姿はスピード特化のタイプらしい。すごく速い。躱すので精一杯だが、やはりある程度手加減してくれているのか頭や首といった致命傷部分は避けているようだ。まぁ腕とか脚は余裕で狙ってくるから、そこまで優しい訳じゃないが。
「……どうした、反撃しないのか?」
「出来たらやってるってんだよ……」
受け切るので限界で、反撃の余地が無い。いや肉を切らせて骨を断つ、という理論で敢えて攻撃を受けて反撃すれば当たるっちゃ当たるだろうけど、たぶん私の方がダメージが大きくなる。5のダメージを与える為に100喰らったら絶対負ける。
「ちょっと休憩したいな……」
「すればいい。終わった後にな!」
言葉と同時に瞬速の刺突を突きこんでくる。私はそれをベイオネットの刃で受け流しつつ頭を巡らせた。
銃弾は多分避けられる。というか構えて撃つ暇が無い。グレネードも同じくだし万が一当たった場合を考えて撃てない。……電撃はどうか?
そう考えた私は再度迫った刃を受け止めつつ紫電を放った。
「むっ!」
至近距離ゆえに紫電は過たずジャンシアヌの鎧を貫く。出力は高くない。だが常人であれば余裕で気絶させられるし、怪人でも痺れる電撃だ。しかしジャンシアヌは……。
「ぬるいっ!」
「くっそぉ!」
全く止まらず、追撃を繰り出した。効いていない! 多分だが、植物の力というのが影響しているのだろう。植物は自身に流れた電気を地面に受け流せる。全身植物の鎧であるジャンシアヌには、電撃は効きにくいということか。
他の手段を考えねば。シールドは身動きが取れなくなるし、スラスターはもっての外だ。はやてと違い、私は飛び立とうものなら一瞬で後方へ流れていくだろう。ソードは、あまり意味が無い。そもそも攻撃に転じれなければ切れ味を増したところで何も出来ない。
「ホントにどうしろってんだ……!」
考えれば考えるほど、突破口が見えない。そのまま剣閃を凌ぐだけの時間が過ぎる。刻一刻と時間が消費され、それと同じく体力も消耗していくことに焦燥を覚える。
だが、それを感じていたのは私だけでは無かったらしい。
「チッ……埒が明かない……!」
竜兄もまた、防ぎ続ける私に苛立ちを募らせていた。反撃こそできないが、防御には成功している私に対して大分もどかしく思っているようだ。
それもその筈だ。何せ私と竜兄の武術剣術の源流は同じ。父から直々に習ったか、父の知己に教えてもらったものだからだ。人を傷つけることにどうしても積極的になれなかった百合とは違い、私も竜兄も一通り同じものを収めている。
私たちの習った剣術はレイピアや銃器の付いた槍を振るうものでは無かったが、足運びや攻撃の捌き方に面影はある。微かではあるが、初見と比べれば遥かにマシな情報アドバンテージだ。
故に、私は寸でのところで堪えられている。
「くそっ、だから俺は親父に言ったんだ! 女の子に剣を教えてどうすんだって!」
「おいおい、男女差別かい竜兄」
「結果的におしとやかとは正反対だろ、今!」
確かに反論できないな……。機械の義手で巨大な銃槍を振るう私の姿は控えめに言っても貞淑とは真逆を行っている。女の子らしい幸せとは反対方向へ突っ走っていると言えるだろう。
だが、後悔は無い。だからこそ今、ここで抗っている。
攻めあぐねるジャンシアヌは攻勢を緩めないまま突破口を探している。一方の私も、どうにか反撃できないか糸口を模索する。
今、私にあるアドバンテージは何か。電撃は効かない。武器で活かせるのも、今はまだ重量ぐらいだ。
……足場に電磁石を使って安定感を出しているが、向こうはどうだ?
「……棘、か」
攻撃を凌ぎつつ足元を垣間見ると、ステップの合間に足裏から伸びる緑色の棘が見えた。どうやら植物の鎧はある程度形に融通が効くらしく、スパイク代わりの棘を生やす事は朝飯前なのだろう。そしてそれが容易く鉄の屋根を貫くことすらも。
これでジャンシアヌを叩き落とすプランもほぼ無くなった。いやそもそも反撃できなければ落とすも何もないのだが。
そうこうまごまごしているうちに、先に作戦が整ったのは竜兄の方だったようだ。
「――フッ!」
そう言って竜兄は、弧を描くような足捌きで数歩後ろに下がった。距離を開けた? それならばこちらが色々有利になるが……。
当然、竜兄には目論見があった。
「紫突剣!」
手に握った青紫のレイピアに、バックルから外したタリスマンを装着する。そしてレイピアを、逆手に持つと、ジャンシアヌは床――シルヴァーエクスプレスの屋根――へと突き刺した。最早鉄を容易く貫いているのは驚きに値しないが、何故?
その答えは、私が開いた距離を幸いと利用しようとベイオネットを構えた瞬間に起こった。
まるで、学校の映像で植物が芽吹く瞬間を早回しで眺めているようだった。
突如鉄の屋根から、穴を開け貫き、緑色の若芽が芽生えた。アスファルトどころじゃない場所から地を割って芽生えた植物は、それだけに留まらず急速に成長して見せた。
芽から蕾に、蕾から花へ。
青紫の鮮やかな花は、一瞬だけその美しさで見る者を魅了すると、更にその姿を変えた。
同じ色をした……レイピアの切っ先へと。
鋭くなった花弁は、がくより射出され私へと迫った。
「なっ……ぐぅっ!?」
突然飛んできた刃に私は反射的に身を逸らして当たるのを避けた。しかし咲いた花は一輪だけではない。
まるで花畑のように咲き誇り、屋根の上で花の刃が牙を剥く。花は突き刺したレイピアから放射状に広がるように咲き、私へ近づくごとにその攻勢を増した。
私は身を捻って躱し、ベイオネットを振るって弾き凌いだ。命中精度はあまり良くなくて、見当違いの方向へ飛ぶ刃も多かったがそれでも雨霰の如く私へと刃が放たれる。
こればかりは、無傷では捌けなかった。
「――ぐうっ!」
右の太ももに灼熱。避け切れなかった刃の一本が、私の大腿部を切り裂いた。
突き刺さりはしなかったが、深い。パッと血が弾けるが、勢いは無い。重要な血管が裂けるのは免れたか。失血死はまぁしないだろう。
それでも互いに大きな差があるこの対峙では、単なる負傷以上に重く圧し掛かるハンディか。
「当たったのは一本か。頭や首は狙わなかったが……」
刃の雨が止み、花を失った茎や葉が枯れていく。刃を飛ばす攻撃は終わったようだ。しかしダメージは通ってしまった。
「乙女の柔肌に傷をつけるなんて、酷い兄だとは思わないの?」
「先に銃弾をぶっ放したのはお前だった気がするが」
そう言えば食堂車で対峙した時に先制したのは私だったっけ。
何にせよ、ちょっとヤバいかも?




