それぞれの決意(4)
息を吐いて呼吸を正す。
重心を絶えず意識しつつ、友樹は右手に持つ長剣を振る。
朝錬は友樹が異世界に着てから欠かしたことのない日課だった。少しでも剣に触れない日を作れば腕を落とすことになる。共に剣を振ってきた友人に教わったことである。
実戦において気持ちの高ぶりでミスをしたことはあるが、それでも生きていけるように友樹は剣を振って感覚を養っていた。
「ふっ…………はっ!」
気合と共に振りぬかれた剣は朝の日差しを反射しながら空気を裂き、友樹が生んだ虚像へと迫る。
両手剣を持った持った虚像は友樹が上段に振りかぶった一撃を弾き返すと、すかさず距離を詰めてきた。
慌てて弾かれた剣を手元に引き戻し迎え撃とうとしたその時には、ピタリと首筋に大剣が突きつけられていた。
「…………駄目だな……これじゃあ……」
いつもより、動きが鈍い。
それはただの訓練であっても友樹の感情が如実に表れてしまった結果だった。
誰かを傷つけるかもしれないという躊躇いが、友樹の剣から鋭さを奪い、右手に持って振るう一撃を鈍らせていた。
「剣が、重いな……こんなに………重かったんだ……」
右手に持つ鋼鉄の剣を改めて見据える。
かつて向こうで手にしていた包丁とは違い、明確に誰かを傷つけるためだけに作られた鈍色の刀身は、毎日欠かさず手入れを行っている御かげで酷く輝いているが、微かに残る黒色の染みのせいで真っ赤に染まって見えてしまった。
剣を握る右手がブルりと震えた。
思わず取り落としそうになるのを必死に堪える自分が酷く滑稽に思えて、友樹は乾いた笑みを浮かべた。
(こんなんじゃ、きっとまた笑われるな……)
王城で友樹と共に剣を振った友人に友樹は笑われてばかりだった。
田舎とはいえ現代で平和に暮らしていた友樹に刃物を握る機会など滅多にあるはずも無く、剣の握り方さえ知らなかった頃、騎士団に変わって年齢の近い彼がよく教えてくれていたのだ。
振った剣がすっぽ抜けてしまったときには良く、
「あははははははは、何だそれ、勇者の癖になってないね」
と、笑われて……
「えっ……!」
幻聴かと思ったが、聞えてきた足音にすぐ否定された。
唐突に聞えた声に視線を向けると、そこには心底楽しげに笑う少年が立っていた。
意匠が凝らされた戦闘衣に身を包む長身の少年は、悪戯が成功した時のような意地らしい笑みを浮かべて、ニヤニヤとこちらを見てきた。
「王子っ!」
余りに想定外の状況に思考がおいつかないまま、友樹が叫ぶ。
「やあ、久しぶりだね、って言ってもそんなにでもないかな。友樹君」
そう言って、優しげな微笑を浮かべる彼は、友樹の良く知る王国の第二王子――エゼルウルフ・フォン・ルンデンベルク・ヴィクトリア、その人だった。
「どうして、ここに……?」
「どうしてって、酷いな……僕は十四歳だよ? 学校に通うのは当然じゃないか」
戸惑う友樹にエゼルウルフはさも当然のように言う。
「知らないのかい? 箱庭には王族が通うことも稀にあるんだよ? 僕は武芸意外がまるで駄目だからね、机で帝王学を学んで偉そうにするより、こいつを振り回すほうが好きなんだよ」
優しげな顔立ちをしている王子とは対照的に彼の持つ獲物は無骨で禍々しい。魔宝具であるらしい大剣は王子の身長と同じくらいの大きさを誇る上、全体が黒鉄で覆われているため見るからに物騒だった。華美な装飾は一切無く、ただ相手を叩き斬るためだけに打ち鍛え上げられた一品であった。
自慢げに相棒を見せ付けてくる王子の姿はあいも変わらず無邪気そのものだった。
「いやー、でも驚いたよ。ひとっ走りして朝錬に来てみれば、演習場に見知った姿があるんだからさ。ちゃんと毎日剣を振ってるようで安心した。――でも――――あんなに雑に剣を振るなんて、何か悩み事かい?」
ほんの少し剣を見ただけで、当然のように王子は核心を突いてくる。
まるで見透かしたように語り掛けてくる王子に、友樹は首を縦に振った。
「はぁ……ウルフは全部お見通しかよ……いつから見てたの?」
友樹が言うと、エゼルウルフは楽しげに笑う。
「そりゃあもう、友樹君が僕を想像して剣を振りまくって、呆気なく負けて落ち込んで、剣と睨めっこする所からだよ」
「全部じゃないか!」
「そうとも言うね」
「そうとしか言わないよ、もう…………」
「で、どうしたの。お兄さんに言ってみな、アドバイスくらいしてあげるよ」
自信満々に言うエゼルウルフが妙に気に食わない。お兄さんと言ってもたった一つしか違わない彼は確かに大人びていて、その表情には揺らぐことのない自信が見て取れた。
それは育った環境によるものなのか、本人の研鑽の賜物なのか分からないが、友樹はどこか劣等感を抱いてしまったのかもしれない。
だが、それでも一人で抱え込むのはよくないと知っているし、誰かに話せば楽になることもあると理解していた。
だから一言、また一言と言葉を重ね、友樹が何を見て何を言われたかを友人へと伝えた。
「――あいつも豊姉も勇者なんてやめちまえって意見なんだと思う。僕だって進んで誰かを傷つけたくないし、殺したくなんてない。それに多分殺せないと思うし……そんな僕はもう戦うのを止めたほうがいいんじゃないかって思うんだ……」
友樹の言葉をエゼルウルフは静かに聞いていた。
「ふむふむ、なるほど。でも、友樹君は止めたくないんでしょ?」
そしてまた、当然のように言った。
――どうして、と友樹が発する前に再びエゼルウルフが口を開く。
「恐くて、つらくて、諦めたくて、でも剣を振る。戦いたくない奴が武器を自分から手に取るなんてできないからね。きっと、友樹君には戦う理由があって、それでも《殺し》が恐い、それだけなんだろうね」
エゼルウルフは手に持っていた大剣を立てかけると、代わりに演習所に置かれた剣を手に取った。
「久しぶりに型打ちやろうか、覚えてるよね?」
型打ちとは二人一組で行う訓練の一つで、お互い決められた手順で攻撃と防御を繰り返し、技の錬度や技量を競い合うものである。武術で言えば組み手に当たるものだろう。
友樹は少しばかり剣技が上達した頃からエゼルウルフと型打ちをやってきたが、一度も最後までついていけたことが無かった。
「今から、ですか?」
友樹は戸惑いながらも木剣を構えてエゼルウルフと向き合う。
「そ、上段から行くよ」
エゼルウルフは悠然と一歩を踏み出す。
地面が踏み込みに合わせて鳴動したかと思うと、頭上には振り上げられた木の剣があった。熟練させた技は常人には出が理解できないことが多くある。
友樹は内心で慌てながら、手に握った剣を横に構えて受け止めた。
「ぐっ……」
ずしりと重い衝撃が両手に広がった。
与えられた加護と肉体が無ければ友樹などとっくに粉砕されていたことだろう。
受け終わりと共にエゼルウルフが引き、今度は友樹の番となった。
久しく忘れていた張りつめた空気。そして強敵との打ち合い。
気を抜けば一瞬で堪えきれなくなる。
友樹にとって幸運だったのは手に持った獲物が木である事だった。鉄の剣とは違い、安全面を考慮された武器が重くなった気持ちを和らげてくれたのだ。
剣を振ることが友樹は好きだった。まるで体育の剣道をしているみたいに技を競えるのが楽しかった。エゼルウルフはさながら部活に所属する同級生と言った所だろうか。勿論相手が上手だがただ負ける気にはなれない。必死に抗って、争うことが楽しく思えて仕方が無かった。
「行くよ」
たった一歩の踏み込みにただ全力を。
友樹は力の流れに身を任せたまま、最短で最高の一撃を放つ。
打っては守り、守っては打つ。
演習場に響き渡る衝突音が鳴り止む頃、空はいつの間にか暮れていた。
「っはぁ、はぁ…………」
「…………ふぅ、ここまでにしようか」
肩で息をする友樹にエゼルウルフが言った。
「…………うん……もう、限界……疲れた……」
「いやー、思ってた以上に鍛えてるじゃないか、驚いたよ」
満足しきった風にエゼルウルフは言うが、友樹はもの凄く疲れていてそれどころではない。
そもそも朝練を少しやるつもりがいつの間にか夕方になるまで打ち合ってしまったのだ。腹も空いたし、汗もかいた。心身共に疲れ果てた友樹はふと疑問を口にした。
「あれ? そういや、何でこんなになるまで剣振ってたんだっけ?」
「……さあ?」
友樹はただ清清しそうにするだけのエゼルウルフに文句の一つでも言ってやろうかと思っていると、
「でも、もう剣、ちゃんと握れるでしょ?」
そう言ってエゼルウルフが友樹の鉄剣を指差した。
実は途中から木剣では物足りないとごねるエゼルウルフ相手に真剣で訓練をしていたのだ。
思えば、訓練中は夢中になりすぎて余計なことは一切考えなかった。と、言うより考える余裕さえなかったのだ。
「僕としては友樹君はもう大丈夫だと思うんだよね~、何せ僕の親友だし」
「いや、意味わかんないよ!」
相変わらず自信満々に言うエゼルウルフだが友樹には彼が何を言いたいのかが分からない。
思えば今日は一日中剣を振ることしかしていなかった。
確かに剣を握るときの違和感は消えたが、結局友樹は魔族を殺す覚悟なんてできていない。
「う~ん、ま、心配しなくても友樹君は戦えるって事だよ。まあ確かに友樹君は優しいから誰かを殺すなんてできないのかもしれないけど……もし君の大切なものを守るとき、きっと君は躊躇い無く敵を斬ることができる、と僕は確信している」
エゼルウルフは何時に無く真剣に告げる。
「少しだけ僕たちの話をしようか――――勇者が死に一番近しい職と言うなら、王族ってのはね、死を他者に強要する職業なんだよ。僕たちは大局を見て命に質と量というはかりを与える。それを時と状況に照らして天秤にかける。必要な部分を確保し、致し方ない部分は切り捨てる覚悟も必要になってくる。それを持って自国を豊かにしていくのが王の仕事だ。極端な物言いをすれば、王国民の死は全てその天辺である王様の責任である、とも言えるしね」
それはきっと、友樹には計り知れない重責なのだろう。
言葉を発するエゼルウルフは間違いなく王族としての語りようだった。
「年間で約二千人――何の数か分かるかい?」
「…………」
友樹はそれに首を振る。
「王国が国境の魔族相手に派遣している兵士達、その死傷者の平均数だよ。これは勿論王国だけの数字だし、他国と合わせた連合軍の被害はさらに大きい。平和で安穏と暮らしてきた僕達王族が彼らに命令するわけだ、戦場で戦って来い、と。勿論これだけじゃない、夜盗に襲われた商隊も国道の警備が甘い王国の責任だし、スラム街の住人や不衛生で死んでいった者達だって王国の責任。僕達王族が未熟なせいで腹を抱え、恋人と引き離され、命を散らし、涙を零す、そんな現状が確かにある」
エゼルウルフの瞳はどこか遠くを見据えているようだった。その様はまるで友樹の知る紅刃のように見えた。
「だから、戦う。僕が、僕達が戦うんだ。王族全てが城に引き篭もってるんじゃ面目が立たないしね、一人くらいは命を欠けて前線に行くべきだと僕は思う。血と命をかけて民を守るしか僕にはできないしね。
さて――じゃあ、まあそれは置いといて――
友樹君は思い悩んでまで剣を取ったんだ、手放そうとしても手放せなかった。きっと、その剣で守りたいものがあるんだろ? じゃあ、もう心配するだけ無駄だよ」
エゼルウルフは漆黒の大剣を天へと掲げた。
剣は辺りに散る茜色の光を飲み込み、深く、そして暗く輝いていた。
「武人ってのは、剣を手に持った時にはとっくに覚悟は終わっているものなのさ。
まあ、もしそれでも、己の持つ力が恐くなったら、覚悟の所在が不安になったら、思い出してみるといい、君は何のためにその剣を取ったのかを」
そう言って、エゼルウルフは剣を下ろし、そっと息を吐いた。
「はい、もうおしまい。ガラにもないことして疲れたよ、もう。さあーお風呂いこう、それからご飯ねー」
そう言ってそそくさと去っていくエゼルウルフを友樹は無言のまま追った。
「僕は……もう、二度と見捨てたくない……」
覚悟の所在。
それは確かに過去への悔恨も含まれるかもしれない。
だが、それ以上に、
「豊姉を、古兄を、アリス姉を――皆を僕が助けたい」
きっと、友樹の助けなど無くとも、皆平然と生きていく人達だとは思う。
だが、それでもきっと友樹が勇者なんて面倒で覚悟が必要なものを選ぶとしたら、それ以外の理由は思い浮かばなかった。
久しぶり、と言ってもたった一週間と少しだが会えなかった友人の背を追って、友樹は妙に古風な銭湯の暖簾を潜る。
汗まみれになった一足の靴を手に持って、友樹は覚悟を新たにした。