第30話 暗い穴の中への誘い ーーオパール視点
私たちが、ナナシの後を追って、第十層にやって来た。
途中ですれ違う人たちは、恐怖に満ちている人。 第十層に残った、部隊長を心配する人、凄いスピードで逆走する青年に驚く人などだった。
当然私たちは、ガランド調査隊の人たちに逆走を止められたが、押し切ってここまで来た。
第十層は、吹き抜けの大広間だった。 そこには、死の温泉と書かれた垂れ幕がある。
ーー温泉にしては、変な湯気だよね。 邪気かなぁ?
「……噂で聞いてたけど。 本当にそうだったのね……」
「うん……」
姉さんが、呆れたように、垂れ幕を見ている。 私だって信じられないよ。
ーー噂によると、死の温泉として掲げるようになったのは、最近のことらしい。
ガランド調査隊の隊長が大の温泉好きで、この鉱山の第十層にある、水源に目をつけたそうだ。 それが思いの他、自身以外にも好評で、いつしか未来の観光名所と噂されるものになったらしい。
ーーきっと、部隊長だから初老のオッサンだろうか?
広場に駆け込むと、そこにはナナシの他に、もう一人いた。 あの人がおそらく、その部隊長だろう。
私は、その姿を見て驚いた。 緑色の髪の、なんて美しい人。
「……君。 何を考えているんだ? 死ぬつもりか?」
「……どけ、俺に構うな……」
「……無理な話だな……」
「……なんだと……」
緑髪の美人が、すらりとした立ち姿で、ナナシと何やら言葉を交わしている。
声は届かないけれど、二人の距離が私にはやけに近く見えた。
ナナシが、知らない誰かとあんな風に向き合っている。
ーー胸の奥が、痛んだ。 悔しい!
なに、これ。嫉妬? まさか、私。
でも、否定しきれない自分がいる。 ナナシの隣は、なんとなく私と姉さんの場所だと思っていたのに。 あの緑髪の人が、そこに立っているだけで落ち着かない。
そして、それは私だけじゃない。 横にいる姉さんも同じだ。
「ナナシっ!」
「……! なにぃ?!」
姉さんが、二人の元へ突撃していった。 地を蹴る勢いが、凄まじい。
緑髪が、慌てた様子でナナシを庇うように前に出た。
「下がれナナシ! ……まさか、まだ残っていたなんて……」
緑髪は、真剣な表情を浮かべていた。 私も慌てて、その後を追う。
「姉さん、待ってよ!」
「もう一人だと?!」
緑髪は焦ったように、私たちを見つめている。
一方、私たちは二人で割り込むようにして、ナナシと緑髪の人の間に滑り込む。
緑髪が、きょとんとした顔で私たちを見下ろした。 近くで見ると、本当に綺麗な人だった。
「……君たちは? 魔症を受けてない?」
「魔症って、この気持ち悪い霧のこと?」
「そうだ! ……まさか! 平気なのか、君たちは……」
緑髪は、私たちをオロオロしながら見ていた。 私と姉さんは頭を縦に振る。
緑髪は表情を曇らせた後、ゆっくりと名乗った。
「僕は、エメラルド。 旧王国ガランド調査隊の、隊長を務めている」
ーー隊長。 声も顔立ちも中性的で、よく分からない。 とにかく、私たちより少し年上の、この第十層を仕切っている人らしい。
エメラルドさんは、たった今この場所で起きたことを、淡々と話してくれた。
地の底から、異形の魔物が這い上がってきたこと。 自分は単身でそれを止めるつもりだったこと。
「そこへ、彼が現れた」
エメラルドさんが、ナナシを見た。
「あの異形は、彼がたった一打、打ち合っただけで……霧のように、消えた」
「消えた? ……ということは。 ナナシ! やったのね!」
「……」
姉さんが、ナナシに向けて笑顔になった。 しかし、ナナシどころか、エメラルドすらも表情が晴れていない。
「……いや、違うんだ。 ……やった、ではなく消えたんだ」
えっ、と私と姉さんの声が重なった。
「消えた? 倒したんじゃなくて?」
「ああ。 手応えはあった、ように思うよ。 だが、そのあと。 形が崩れて、霧になって下へ、潜っていった。 ……まるで、深い層へと誘うように……」
ナナシは、相変わらず何も言わない。 ただ、自分の剣をじっと見つめている。
ーーその剣は、見事に折れていた。
ナナシは、たぶん、気づいてしまったんだ。
あれが、ただの魔物じゃなかったことに。「消した」のではなく、「逃がしてしまった」ことに。
「深い層、か…………ふ」
エメラルドさんが、暗い坑道の奥を見つめて、何かを呟いた。
「これ以上に恐ろしい何かが下にいる。 逃げたあれは、きっとそこへ還った。 追うなら第十一層よりもっと下だ……」
その声にほんの少し。 ずっと我慢していたものが滲んでいる気がして。
私はなんだか、この綺麗な隊長さんから、目が離せなくなった。




