ある家庭教師の話-2
……帰り道。
私は、先の自分の思考、そしてその過程について考えていた。
歩きながら外の空気を吸い、足を動かす事によって血液を脳に送り、活発化させると、先ほど少年の母親と対面していた時よりもずっと深くて広い、客観的な思考を巡らせる事ができた。
それは、或いは、ある程度発達した動物(少なくとも哺乳類)の脳にある、歩くと不安が解消されるという仕組みによって、幾分か落ち着く事ができたからなのかもしれない。
歩くと不安を解消できる仕組み。
それは、“探索”に関わる機構であるらしい。
そう、探索。
私は、探索をしていた。
ただし、もちろんそれは外界に対する探索などではない。それは、私のこころ、内なる世界の探索だった。
歩きながら、街の景色は流れて行く。
……私は何故、少年を救いたい、などと思ったのだろうか?
私はそんな事を考えていた。
私はその事を当たり前のように受け止め、疑いもしなかった。そういえば、私は、無条件に少年を被害者であると決めつけていた。
もちろん、その判断には私がかつて少年を知っていたという事も多少は影響するのだろう。だが、何度も述べるように私は、少年とそれほど親しい仲でもなかったのだ。少年について、それほど深く知っていた訳ではない。
何故、決めつけたのか?
……普段の自分であったのなら、けっして決めつけたりはしないはずなのに…。
普段の自分なら、もしかしたら、少年が、母親の言うように、単なる我侭で学校へ行っていないだけかもしれない、という可能性も考慮して考えていたはずだ。情報がないのだから、それが本当はどうだかは分からないからだ。
何故、私は、あの母親の話を聞きながら、その説明を少年の行動を肯定する方へと捉えたのだろうか? 母親の説明が正しいという可能性を考えなかったのだろうか?
……そういえば私は、まず話を聞く前に、少年の母親、あの女性に対して、反発を感じていた。そしてそれは、第一印象からあった感情だった。
あの反発が、私の中のどんな原因から発生したのかは分からない。私は世間ずれをした人間であるから、ああいった世間と混ざる事によって生きている人間が嫌いなだけかもしれないし、学習塾に勤めていた頃に、親という存在に対してほとほと辟易させられていたからなのかもしれない。
或いは、そのどちらでもなく、あれは、私のもっと深い所から発生している感情であったのかもしれないが、とにかく、それがどうであろうと、私はあの母親に対して反発を感じていた。原因は断定できないが、その事だけは確かな事実だ。
その結果、だから私は、その反発によって、母親の話を否定的に捉えようとしていたのではないだろうか?
そして、あの母親の語りには、少年を批判するニュアンスが含まれていた。それを私が否定したいのであれば、それは“少年の方が正しい”と認識しようとする思いになるはずだ。
そして更に、それを私の中で肯定化するのであれば、少年を救いたいという思いに発展させなくてはいけないはずである。
もしそうだとするなら、あの思いは本質的には、虚構であった事になる。
自身に対する言い訳からつくられた単なる虚構だ。
──だから、なのかもしれない。
少年が本当に私を必要としている可能性を、母親から提示された時、私が、あれほどまでに慌ててしまったのは。
本来の思いとは関係のない所で勝手に作り上げられたその虚構は“現実”になる事によって崩壊し、前述した私の気の弱さとも影響し合い、緊張という不安状態となってその正体を現したのだ。
だから私は、その秩序の崩壊によって生じた混乱を、何とか治める為にあの一時を、自身に言い聞かせるような、熱心な思考に集中させなくてはならなかった。
……。
――だが、とも思う。
本当に全てが嘘だったのだろうか?
そう結論してしまうのも、何か、あまりに安易すぎるような気がした。
………。
反発。
私の中には反骨精神がある。それは確かに分かる。それは、漠然とした、この社会全てに向けられた思いだ。だが、その反骨精神は、普段は表面には現われない。私の内でひっそりと息をひそめている。
何度も述べるように、私は気が弱い。
反発したいという思いがあるからといって、そのままのその行動を起こせる程強くはないのだ。第一、反発する為には何をすれば良いのかだって分からない。そして更に、だからといって、大人しく社会に迎合する事もできていない。
だから、結局、世間からは隔絶されたような立場を自ら取るのだ。そして、就職活動も熱心に行わず、毎日、ただだらだらと無為に過ごしている。
つまりは、いじけているのだ。
私は、本当に、情けない人間だ。
そう思う。
私は、そんな情けない自分と少年を同調させていたのかもしれない。自分と重ね合わせて、少年の立場を想像していた。
だからこそ、少年を批判する母親の見解が気に入らなかったのだ。
私は、少年の登校拒否という行動を、反発であると思いたがっていたのではないだろうか?
そして、だから、少年を救いたかったのかもしれない。学校になど通わなくても良い、と考えたのかもしれない。
“自分の為の、他人への愛情だってある”
自分で述べた言葉だ。
そして、だとするなら、それは、少年を救おうとする情動であると同時に、自分を救おうとする情動でもあった事になる……。
私は、それに気付けない事を愚かだと、自分で述べた。さっきまでの自分は、それに気付けていなかった…。
(私は、愚かなのかもしれない)
だが、今は、その可能性がある事に気付く事ができた。
私はこれから少年と対峙し、見つめる際、自分にとって都合の良い見方をするかもしれない。それは、恐らく消そうと思っても、完全には消去できないだろう。だが、少なくとも、今はその見方が、自分の主観的な要因によって左右されている事を頭に入れる事ができた。
少年についての可能性はまだ分からない。それは、実際に会ってみてから判断しなくてはならないだろう。
そして、やはり私は、少年を絶対に救う、などとは思わない方が良いのかもしれない。
それはある種、傲慢な視点だからだ。
傲慢さは、視野狭窄を生じさせる。
自分のエゴイズムによって、少年に対しての判断を誤らせる。
私は、私がやるべきだと判断した、私のやれる事をやる。
それで良いはずだ。
それが、少年を客観的に観るのに役立つだろう。
もし仮に少年が苦しんでいて、救いを必要としていたのだとしても、私にはそれしかできない。例えその結果として、少年が救えなくても、それは仕方のない事だ。
絶対に救おうという思いに、私自身を救おうとする欲望があるかもしれないのなら、私自身を救う目的で、少年を救おうとするかもしれない。その結果取った方法が、少年にとって良く働くとは限らないのだ。
うん、この心構えが重要だろう。
このメンタルバランスが、今私の直面している事に臨むのには、丁度良い。
私はそう判断を下して、その思考の迷路を抜けた。
………。
………
………、
もしかしたら、私の心の何処かに、本当に純粋に、少年を救いたいという思いが存在しているのかもしれない。
或いは、注意深くもっと探せば、その情動を見つけられるかもしれない。
……私は、気の弱い人間だ。だから、求められている事を知って、対人不安から、本当に単に自信がなく、緊張を覚えただけなのかもしれない。
どうでも良いと思われている立場と、重要視されている立場では、そのプレッシャーの度合いは変わってくる。
人の一つの心理現象、心の動きに、原因が一つだけとは考え難い。
………。
しかし、
今その事は、考えないようにした。
私が家庭教師として、少年の部屋を初めて訪れた時、少年は机の前の椅子に座り、俯いていた。
その姿からは、とてもじゃないが、私を歓迎しているような印象は受けなかった。
部屋は薄暗く、どうやら勉強机の前に座るその体勢は、私の家庭教師を待ち受ける構えであったらしい。机の上には、教科書やノート類が置いてある。母親に導かれ、部屋を訪れた私に、少年は少しも挨拶をしなかった。それどころか、こちらを見ようとしない。
母親はそんな少年の態度に腹を立てたようだったが、少年はそれを無視した。私は何も言わなかった。母親がやがて諦め、そのまま出て行くと、私はまず少年に向かってこう言った。
「久しぶりだね」
少年は何も答えない。
私は、少年の机の隣に用意されてあった椅子に腰を下ろすと、
「勉強はどれくらいまで進んでいるのかな?」
そう少年に尋ねた。
それでも少年は何も答えなかった。私は注意深く少年を観察しながら、できるだけ穏やに説明を付け加え、再度尋ねてみた。
「うん。家庭教師をやるのにもね、まず、君がどれくらい勉強が進んでいるのかが分からないと、始められないんだ。それが分からないと、何から教えるべきなのか分からないだろう?」
無反応だった。
一呼吸置き。
「どうだろう? 教えてくれないかな?」
また尋ねた。すると、少年の様子に変化があった。少年は口をわずかに動かすと、何かを発音した。
「……は、ちゃんとしてます」
うまく聞き取れない。
「うん?」
「…勉強はちゃんとしてます。国語は、教科書は見てないけど、読書はしてるし、他の教科は、多分だけど、学校よりかも遅れている事はないと思う」
私はその言葉を聞いて喜んだ。少年が初めて反応してくれた事ももちろんあったが、その語る内容が、母親の、単に嫌だから学校へは行っていない、という考えに反するモノだったからだ。少なくとも、怠けたがっている訳ではない事は分かった。
取り敢えず、第一歩か。
「そうか、なら、勉強を開始するよ。大体、学校と同じところからで良いね。もし、進みすぎていたり、もう君がやっているところをやっていたりしたら、言ってくれよ」
私がそう言うと、少年は無言で頷いた。
私はそれを確認すると教科書を開くように指示を出し、勉強を開始した。
……少年は、言葉通り本当に真面目に勉強をしているようだった。教えるのにほとんど苦労をしない。勉強を嫌がっているような素振りも見せなかった。そして、誰からも教わらないで独りで勉強をしていたにしては、驚くほどよく理解をしていた。基盤ができているのだ。
(どうやら、楽な仕事になりそうだ)
私は、その時そう思った。
そしてまた同時に、その事実を確かだと確認した時、益々疑問に思わずにはいられなかった。
“どうして、少年は学校へ行かないのだろうか?”
勉強が嫌でない事は、ここでまずはっきりしたのだ。登校拒否をしているのは、それ以外の理由がある事になる。
そして、
“どうして、少年は私の家庭教師なら受けても良いと言ったのか?”
そこから連想され、その疑問も、また強く頭に浮かんできた。
だがしかし、私は、それら二つの疑問を少年に質問しなかった。
何故なら、今は時間をかけて慣れる事の方が重要なのではないかと思えたからだ。少年が私の存在に慣れ、私が少年の存在に慣れなければいけない。焦り、少年に対し強引に働きかければ、その関係を早々に壊すかもしれない。
私は慎重に対応したかったのだ。
それに、恐らく、後者の疑問に関しては、少年は、私がその事実を母親から聞いている事を嫌がるのではないか、と私には思えた。
少年は、母親が私にその事実を話した事について腹を立てるのではないだろうか?そして、もしそうなら、私が家庭教師をやる事にもその影響は少なからず飛び火する可能性がある。
今の段階では、まだ触れない方が良い部分だろう。
私は、そう判断した。
………。
家庭教師は、週に四日頼まれていた。
私は、初日はほとんど無言で過ごしたが、二日目は少々の雑談を交えて教えた。
そうして、段々とこの状況を、お互いにとって不自然ではないモノにしていこうとしたのだ。
雑談は、くだらない事からちょっとした知識になる事まで幅広く語った。例えば、ごくごく簡単な数学の話などをした。
「数量と数字の差って分かるかい?」
私がそう尋ねると、少年はちょっと考えて、
「分かるような、分からないような気がする」
と、答えた。
その日は、初日から数えて三日目で、少年は、少なくとも以前学習塾に通っていた頃並には、私と会話をしてくれるようになっていた。
「例えばね、0~9までの数字があるだろう? 数字でいえば、9はもちろん9なのだけど、数量でいえば、9は十番目の数字なんだよ」
少年はちょっと考えると、
「0があるからだね」
と、言った。
わずかの時間しか考えなかったにしては、的確に答えられている。
「うん、そうだね。でも、これの根本的な原因は、0がある事じゃないんだよ」
私は少し微笑みながらそう言ってみた。
少年はキョトンとしている。
「数量が実質的な量であるのに対して、数字というのは記号なんだ、これはね、その違いなんだよ」
少年は理解できていないようだった。
「例えばさ、9~4までの数量を計算式を使って求めてごらん」
私がそう言うと、少年はこんな簡単な問題に意味があるのか? といったような怪訝そうな顔をしつつも、
「えっと、9―4=で……。あ、いやいや、4も含まれるから、6か…」
と、そう答えてきた。やや、煮え切らない顔をしている。
「計算式を使うと?」
「9―3=6かな?」
「うん。じゃあさ、今度は0~9までの数量を、その考え方で、計算式を使って求めてみてくれないかな?」
少年は黙り込んだ。悩んでいる。その私の問い掛けで、自分の考えが、正確には正しくないという事に気付いたのだろう。
「……9―(―1)?」
そして、ちょっとの時間が経つと、困惑した顔のままでそう答えた。
「なんかおかしいだろう?」
少年はこくりと頷く。
「まあ、答えはそれで間違ってはいないのだろうけどね。結果は同じだし。これは、記号として出てきた数を、数量の数として見てしまっている事が原因なんだよ。だから、それを変換しなくてはしっくりいくはずはないんだ。0~9までの数なら、全体の数を10と置き換えなくちゃいけないんだ。それで、0~9までの数を求めろというのなら、10-0で、答えは10という事になる。先の4~9の問題だと、全体の数は10で、そこから4を引いてるから、10-4で、答えは6というのが正解」
少年は、私のその説明を聞くと、晴れやかな顔になった。
どうやら、理解できたらしい。
それで喜んでいるのだ。
何か分からなくて、あやふやである事が、はっきりと理解できる瞬間というのは、気持ちが良いものだ。曖昧な記憶なのだが、確か、快感の脳内麻薬が分泌されるという説明を聞いた事がある。
「普段ではこんな知識、役には立たないけどね。例えば、ナンバリングされたカードの数量を、引き算を使って求めるだとかいった場合には、この理解が明確でないと混乱するかもしれないよ。まあ、実は、そう言う僕は、過去に混乱した経験があるのだけどね」
私はそう言った後で笑ってみせた。少年もそれにつられてか、笑顔をつくる。
………。
私は、最初の何週かは、そういった表面上の会話で終始させるつもりでいた。少年の内面を探るような話をするつもりはなかったのだ。それはもちろん先に述べた、お互いの存在にまずは慣れなくてはいけない、という考えが私の中にあったからなのだが、その私の考えとは異なり、どうやら少年自身は、その苦しみを解決する為に、私という存在を、もっと早急に欲していたようだった。
それは最初の週の最終日、四日目の事だった。
私が、その日の家庭教師を終りにして、帰ろうと玄関で靴を履いていると、その時に少年がやってきたのだ。
かなり気楽に付き合えるようになってきていたとはいえ、その少年の行動は、私にとって予想外のものだった。それで驚いていると、少年はそんな私に向かって、スッと無言で、ノートを差し出して来たのだ。
どうやら、受け取れ、という意味らしい。
少年の表情には、見送りに来たとかいった気楽な感じはなかった。どちらかといえば、その表情は、重苦しく緊張していた。
かなり慣れて来ていると思っていた私は、少年のその表情に戸惑ってしまったのだが、しかし、不安になりながらもそれを無言で受け取った。すると少年は、何の説明もせず、無言のままで、急ぎ足になって自分の部屋に戻って行ってしまった。
私は、そのノートが何なのか尋ねようと思ったのだが、途中でそれを思い止めた。ただその代わり、少年の部屋の前まで行くと、「このノートは、見ても良いのだね」と一言だけ告げた。
少年の部屋からは、何の返答もなかった。
このノートが何なのかは分からないが、きっと少年は、勇気を振り絞ってこれを私に差し出したのだろう。
それが何となく感じ取れた私は、それ以上追及する事をしなかった。
あれだけ必死になって渡し、それでも何の説明もしないというのならきっと、何も説明をしたくないだけの、或いはできないだけの理由が少年にはあるのだろう。
私は、自宅に帰ってから、その少年のノートを開いてみた。
すると、そこには、少年が綴ったのであろう、物語が書かれていた。




