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ハンプティ・ダンプティは笑う

 Humpty Dumpty sat on a wall,

 Humpty Dumpty had a great fall.

 All the king's horses and all the king's men

 Couldn't put Humpty together again.


 ハンプティ・ダンプティ、塀に座ってた。

 ハンプティ・ダンプティ、塀から落っこちた。

 王様の馬と家来、総がかりでも、

 ハンプティ・ダンプティ、元に戻せなかった。




「やっと弟から脱却できるような気がしていたが、別にそんなことはなかったぜ……」


 つい、独り言ちた。


 壊れたものを元に戻すことはできない。気持ちも、関係も。

 想いが一瞬で凍りついた気がした。


 昔からそうだ。兄さんも姉さんもマイペースだから、俺はきちんとしようと無駄に我慢して、結局ささいなことで切れてしまう。


 姉さんが恋人を兄さんだけに紹介していて、拗ねたことがあった。信用されていない気がして。

 エミリーには信用されすぎて、男として見られていなくて、拗ねて。エミリーが幸せならそれでいいと思っていたはずなのに。


 自分の器の小ささを痛感する。


 兄さんも姉さんも俺も、造作が整っている方なのだと思う。家族だし性格を知っているから、兄さんと姉さんを美男美女という目で見ることはできないし、自分をハンサムだと思うこともないけれど。整った顔を見慣れているから、人を見て綺麗だと思ったことはなかった。


 なんて綺麗な女の人だろう。

 エミリーと初めて会った日、一瞬で心を奪われてしまった。小学生の二歳差は大きい。四年生の俺から見た六年生のエミリーは大人の女性だった。

 俺の話をいつも笑顔で聞いてくれて、実験にも付き合ってくれて。一緒にいるだけで嬉しくて、楽しくて、好きにならずにいられなかった。


 早く大人になりたい。対等な存在になりたい。ずっとそんな風に思ってた。


 硫酸銅の結晶作りは、タネ結晶を吊り下げる糸にかかっている。結び方がまずいと、糸が解けてしまったり、綺麗に外せなくなってしまう。結晶ができるまで時間がかかるのに、駄目になるのは一瞬。


 俺の気持ちは、結局、ものすごくくだらないことで、糸が切れてしまった。




 ◇◇◇




 俺はマクレガー家の方向を可能な限り避けた。今まで隙あらば近くの道を使っていたのだ。エミリーと偶然会えることを狙って。キモい。キモすぎる。純愛とストーカーの境界線はどこにあるのだろう。


 勉強しよう。邪念を捨てて。

 高二の春から高三の五月半ばまで、正直、家と学校と予備校を行き来した記憶しかない。魔の三角地帯。ここで真剣に勉強に打ち込んだので、学校の試験も、予備校の模試も、順位がかなり上がった。よいことだ。


 高三の五月初旬。姉さんが就職活動のために帰省してきた。


「あのね! 懐かしいものを見つけたから、買ってきたの!」


 姉さんが嬉しそうに見せてくれたのは、紫色の莢の豆。


「えんどう豆! ツタンカーメンの! 今日は豆ごはんだよ!」

「ああ……」


 浮かない表情だったのだろう。姉さんが心配そうに俺を見る。


「どうかした?」

「それ、嘘。ツタンカーメンの墓に入ってたって話」


 俺の通っている中高一貫校はユニークな校風で、中学三年生に卒論を書かせる。テーマを何にしようか迷っていた時に、ネットの新着記事を見つけた。


 1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターがツタンカーメンの墓を発掘した。副葬品の一つとして発見された種子が、現在出回っているツタンカーメンのえんどう豆と言われるが。三千年前の種が発芽する可能性はほとんどなく、そもそも種子がえんどう豆であったかどうかも定かではない。おそらく園芸業者がカーターの死後にそういう触れ込みで売り込んだだけだろう、と。


 俺は種子の保存方法と発芽について調べた。保存環境の温度と湿度が低ければ、年月が経っても比較的発芽しやすい。冷凍、冷蔵、室温と、温度が上がるにつれ、発芽率は低下する。発芽するか否かは品種によっても違った。豆類は長寿な方だとはいえ、さすがに三千年前の種子を常温保存したのでは無理。そう結論づけざるを得なかった。


「そうなんだ」

「姉さん、あんまりびっくりしてないね」

「夢とロマンがある嘘の方が有名になっちゃうことは、あるかもなあって」


 姉さんはふわふわした雰囲気に反して、存外肝が据わっている。いざという時、冷静さを失ってしまう俺とは逆だ。


「大和くんは悲しかったの?」

「そりゃ、信じてたものがニセモノだった訳だし」


 うーん、と言わんばかりに姉さんは首を傾げて続ける。


「でも、大和くんは一生懸命えんどう豆を育てて楽しかったし、豆ごはんもおいしかったよね」

「……うん」

「それは本当のことだよ!」


 にこにこ笑ってそう言われると、くだらないことにこだわっていた自分が本当に馬鹿みたいだなと感じる。

 そうだ、と姉さんはスマホを取り出す。


「豆ごはんができるまで、動画でも見てて!」

「動画?」

「ゼミの先生が去年オープンキャンパスで模擬授業をしたんだけど。好評だったから動画サイトに上げられてるの!」


 借りたスマホからつないでみると、再生時間45分と表示された。姉さんのギガがなくなる。姉さんはそういうことをまるで気にしない。部屋で見るからと言って、URLを自分のメールに送らせてもらった。




 部屋に戻り、パソコンで動画を再生する。勉強以外のことをするのはひさしぶり。


〈モザイクの歴史〉


 一瞬いかがわしい方向で想像してしまったことを許してほしい。高校生男子はThis video has been deletedで英文法を学び、大人になっていくのだ。


『モザイクは、紀元前3500年から3000年頃、シュメール時代が起源と言われています』


 品のいい男性がナビゲートしてくれる。


 円錐形の彩色土器や石を使って神殿を装飾したコーン・モザイク。貝殻、赤い石灰岩、青いラピスラズリ等を用い、軍隊の行進や饗宴を描いたウルのスタンダード。古代エジプトの色タイルで装飾されたピラミッドの墓室の壁、マケドニア王国のモザイク画、古代ローマの時代のモザイクで飾られた床。


 ヘレニズム時代にモザイクの技法を活用した具象的な絵画が出現し、東ローマ帝国時代にはキリスト教の非常に優れたモザイク画が多数作られた。ロシアでは正教会の教会や宮殿に、イスラム建築でも唯一神アラーを象徴するアラベスク模様に、モザイク装飾が使われている。


 色鮮やかなモザイクが次々と紹介され、なんだか圧倒された。ひさしぶりに綺麗なものを見た。

 いかがわしい方のせいで、モザイクは(もや)がかかるイメージがあったけど、本来、材料を組み合わせて絵や模様を描くものだ。宗教美術に多用されたのも、きっと、心の拠り所を美しく彩りたかったからなんだろう。

 心に靄がかかったようだなんて思っていたけれど。俺の心模様は今、どうなっているのだろう。


 動画を見終わって小一時間経った頃、姉さんから豆ごはんができたよと声を掛けられた。

 ツタンカーメンのえんどう豆は嘘だったけど、豆ごはんはとてもおいしかった。




 その夜、夢を見た。


 俺はガラスでできた卵を持っていた。

 角度を変えると色とりどりに輝いて、青が見えたり、金が見えたり、紫が見えたり、緑が見えたり。なによりも大切な宝物。なのに、俺は手を滑らせて、卵を落としてしまう。


 美しかったガラスは無残に割れて、ただのゴミになった。


 箒で掃いて、ちりとりで受ける。ゴミ箱に捨てればおしまい。

 でも、ガラスの破片は、砕けてもきらきらと美しく輝いていて。俺はどうしても捨てることができなかった。


 夢の中の俺は、軍手をはめ、ちりとりの中から破片だけを丁寧に取り出した。

 粉々に砕けてしまったから、元の形に戻すことはできない。戻すつもりもない。

 大きすぎる破片は、かなづちをそっと振り下ろして、更に砕いた。ちょうどいい大きさになるように。


 俺は塀に漆喰(しっくい)を塗り、ピンセットで破片を埋めていく。形が、色が、綺麗に見えるように吟味しながら。塀に全ての破片を埋め終えた時、とても綺麗な絵を描くことができて、俺は満足した。

 青空の下ですくすく育つ、ツタンカーメンのえんどう豆の絵。


 朝起きた時の、妙な気分といったらなかった。象徴的な夢。

 壊れたものを元に戻すことはできない。でも。割り切れなかった気持ちが少しすっきりした。




 ◇◇◇




 それからも受験生の日々は勉強一色だ。

 ただ、マクレガー家を故意に避けることはやめた。大人になりたいという言葉とうらはらに、大人げない態度だと思ったから。たまにエミリーと遭遇したら頭を下げる、その程度しかできなかったけれど。


 二月の半ば、国公立の二次試験まであと十日ほど。自由登校になっているので自宅で勉強していると、来客を告げるチャイムが鳴った。母さんは不在。居留守を使ってもよかったけれど、気分転換がてら玄関のドアを開けた。


「はい」

「や……」

「……エ」


 お互い、まさか会うと思っていなかったから、固まってしまう。

 こんなに近くで見るエミリーはひさしぶり。白いロングコートに、黒いブーツ。まとめ髪にリボン。赤い手袋をはめた手には、金のロゴが入った白い紙袋。

 震える手で、紙袋を差し出される。


「バレンタインだから、大和くんに」

「義理にしては高級な……」


 領民のために、全裸で馬に乗り行進した、誇り高き領主夫人。その伝説から名前をつけられたチョコレートメーカーの紙袋。

 夫人の姿が美しく描かれた絵を、合法的に鑑賞できるネタという目で見てしまった、高校生男子を許してほしい。ピーピング・トム。お世話になりました。

 そんなくだらないことを考えていたから、うっかり聞き逃しそうになった。


「義理じゃないよ」


 思わず目を向けると、エミリーは涙をこらえるように唇を噛み締めている。ゴダイヴァ夫人を彷彿とさせる表情。やっぱりどことなく、似てる。


「義理じゃない」


 呼び出されたあの日。俺は期待してしまったんだ。いつも動くのは俺で、エミリーから誘ってくれることなんて、それまでなかったから。


 壊れたものを元に戻すことはできない。けれど、エミリーの髪も瞳も、やっぱり綺麗で。


「ありがとう」


 差し出された紙袋を、ようやく受け取る。


「俺、絶対合格するから」


 俺が今、なすべきことは、それだけだ。




 ◇◇◇




 合格発表の日。俺は結果をネット上で知った。

 エミリーにどう告げたらいいだろう。少し考え、SNSで連絡をした。「結果が発表されました。直接会って伝えたいです」と。


 待ち合わせはマクレガー家が家庭菜園として借りている畑にした。ツタンカーメンのえんどう豆を一緒に育てた場所。あまりにもいい天気だったから、外で会いたくなった。


「大和くん!」


 俺を見つけると、エミリーは駆け寄ってきた。


「エミリー。俺……俺、大学……」


 そう言ってうつむくと、エミリーはあわてて俺を抱きしめる。


「だ、大丈夫だよ! 来年もあるから! 長い人生だもの! 一年や二年、どうってことない……」


 エミリーのやわらかい身体がぎゅっとくっつけられ、背中に回る手が優しくさすってくれる。役得。


「受かった」

「……え?」

「医学部、無事合格しました」


 エミリーはぱっと離れて、顔を真っ赤にした。


「ひ、ひどい! 騙したなあ!」

「騙してないよ。ちょっと沈痛な面持ちを演出しただけ」

「大和くんが泣いてるかと思って、私は……」

「泣いてないし、嘘も言ってない。俺、エミリーに嘘吐いたことないよ」


 ほんとに心配したんだからあ、とちょっと泣きそうになっているエミリーに言う。


「一年や二年、どうってことない、なんてこと、なかったよ」


 エミリーが少し不思議そうな表情を浮かべる。確かに、二重否定は日本語ネイティヴの俺でもたまにわからなくなる。結局どうなの?

 もったいぶった言葉じゃ駄目なんだ。

 兄さんと駄目でも僕が慰めてあげるよ、そんな風に受け取られかねない言い方をしたのは失敗だった。もっと直球で勝負すべきだった。


「俺は、エミリーのことが、好きです。避けてて、ごめん。やっぱり、会いたかった」


 初めて会った時、聞き取りやすいように単語を区切って、簡単な言葉を使って話したことを思い出しながら、言う。

 あの時は言葉が伝わるかが心配だったけど、今は気持ちが伝わるかが不安。


「大和くんがたくさん話してくれたから、私の日本語は上達したんだよ」


 潤んだ瞳で上目遣いをされる。エミリーにそんな気はたぶんない。単に身長差があるから上目遣いになってしまうだけだ。


「私がつらい時、大和くんはいつもそばにいて助けてくれた。でも、大和くんがいなくなって、つらくて悲しくて仕方ない時、大和くんはいなくて……」


 エミリーの瞳から涙がこぼれたので、そっと拭う。


「大和くんのことを考えると胸がどきどきして、でも、この気持ちの名前がしばらくわからなくて。大和くんはずっとこんな風だったのかなって、気づかなかった自分が恥ずかしかったし、もう、気持ちぐちゃぐちゃ」


 初めて会った時は綺麗な大人の女性に見えたエミリー。今は可愛い女の子に見える。

 時が流れ、いろいろ変わっても。エミリーを笑顔でいさせたい気持ちは、いつだって本当。


「私も会いたかったし、大和くんが好きだよう……」


 俺は結局あれから何もしなかった。だからエミリーの気持ちがなぜ変化したのかわからない。

 でも、妙に納得もする。何もしないことが必要な時もあるから。硫酸銅の結晶ができるまで、ピンホールカメラの写真が撮れるまで、そっとしておくように。


 今度は俺が紙袋を差し出す。


「……なあに?」

「お返し。バレンタインの」


 開けていいかと問われたので頷く。エミリーは袋の中の箱を取り出し、包装紙を剥がした。

 中身は宝石と同じカットを施した飴。透き通っていて、美しく、エミリーにぴったりだと思ったから。


「綺麗……!」


 エミリーが瞳を輝かせる。硫酸銅のように、今日の青空のように、吸い込まれそうに鮮やかな青い瞳。

 言葉を紡ぐ艶やかな薄紅色の唇。一体どんな感触で、どんな温度で、どんな味がするのだろう。

 どうしても知りたくて、気づけば自分の唇で確認していた。そっとふれた唇は、やわらかくて、潤ってぷるんとしていて、ほんのり温かい。


「大和くん……」


 一気に赤くなったエミリーの頬の温度を確かめるようにふれ、もう一度くちづけた。唇のあわいをそっと舌でなぞり、こじ開け、咥内を味わう。初めて絡めた舌が温かい。

 ファーストキスはレモンの味なんていう、(いにしえ)の伝承を聞いたことがあるけれど。

 あれは嘘だ。エミリーとのキスは、どこまでも甘い。


 唇が離れると、エミリーは言った。


「おめでとう」

「何が?」

「大学合格」

「そういえば、そういう話だった」


 完全に忘れてたけど。


「大学生になってもそばにいて」

「うん。ずっとそばにいるよ」


 エミリーと目が合い、抱き合って笑う。


 壊れたものを元に戻すことはできない。ただ、後から生まれたものの方がずっとずっと素敵だってことも、きっとある。


 この日を境に、俺とエミリーの関係は、新しいものに変わったけれど。ここから先は、また別のお話。

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以下にネタバレがあります。よろしければ読後にどうぞ。


活動報告 「ハンプティ・ダンプティは笑う」あとがき的ななにか
― 新着の感想 ―
[良い点] 近すぎると見えないこともあるから、ちょっと離れてみるのも大切かもね。 ほろにがからの、甘ーいラスト!ごちそうさまでした!
[一言] ここから先をムーンで読みたくなりました…! 硫酸銅を作ってみたくなってググったけど、自宅で作るのは難しそうで残念無念。 時間をかけて作る結晶と同じように、時間をかけて育った大和くんとエミリ…
[良い点] あー!良かった……良かった! 壊れたものは戻らないけど、きっとまた綺麗な別の芽が出る……良かった……。 大和クンが素直で可愛い頑張り屋な子なのを知ってるので、とても嬉しいです!
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