第5話 「襲撃」
「いけない、寝ないと……」
午前三時になっても、春香はゲームをしていた。
女装をしながら――いや、女の子になってソシャゲを楽しんでいた。
(ああ、やばいくらい綺麗だ)
銀色の髪、白く美しい肌。それに似合うドレス。
名前は水月。
『非戦闘状態では、着替えることが可能です』
胸は控えめだけど、弾力がありながら柔らかい。
剣技というパラメーターが高く、個性を説明する文章には『水に映る月さえも切り裂く』と書かれていた。
性能を表現するレーダーチャートを見れば、剣技だけ突出していて、他のパラメーターは平均的。おそらく、武人タイプのキャラクターだと思われるが、それを実感する機会が来るかは分からない。
変身と育成は同時に行うことができて、手が空くたびに春香は鏡を眺めている。
男が持っていても不思議ではない、飾りがない少ない手鏡。首元から上しか映らないが、見とれてしまうほどの美少女が向こう側で微笑んでいる。
春香は不思議と、自分の体を性的な気持ちで見ることはなかった。
ただ美しい。穢してはならない聖域を遠くから楽しむように。
『しゃきっとしろ! 私の体は美しいが、博物館に飾ってある芸術品ではないぞ』
「え?」
『守りたい者がいるのだろう? なら、少しでも体を動かし、親和性を高める訓練をしろ』
「もしかして、水月さん?」
『もしかしなくても、それしかないだろう。あとは、さん付けはやめろ。呼び捨て以外は受け付けない』
頭の中に聞こえた声、春香に語りかける声の主は、SRキャラクターの水月だった。
「親和性を高めるって……今は"育成"しているけど」
『それとは別に、体を動かせ。そうすれば、私が補助して体を動かすとき、咄嗟に対応がしやすくなる。びっくりして拒絶されると、反応が遅れてやりにくい』
「教えてくれてありがとう。水月」
『さっきは、私の体を揉みしだかれると思ったが、そんなこともなくて安心したよ。一回だけ、さり気なく触った気もするが?』
「ははは……」
『とりあえず、今日は寝た方が良い。もう夜半過ぎだ。それにお前は……』
「分かってる。そうするよ」
その夜、春香は胸の痛みに悩まされた。
変身は既に解除していて、スマホは枕元に置いてある。
「うぐぅ」
身を削られるような痛みは、ついに頭痛まで併発する。
深夜までゲームをしていたのは、その痛みを紛らわせる為だった。
原因は分かっていた。
「はぁ……はぁ……」
苦痛の時間はしばらく続いた。
それでも、布団の中で横になっていると和らいだ。暗くした室内では、いつの間にか眠気が頭を支配しはじめる。
「ハルくん、おはようっ」
「おはよう」
朝から凪沙はとても元気だった。
そして、寝巻き姿と整える前の髪型は、とても新鮮だった。春香には、少し乱れているくらいが可愛く思えた。
「凪沙ちゃん、おはよう」
「おはようございますっ」
この日の朝食は鮭と味噌汁、そして卵焼き。いつもより一品多く、デザートとしてヨーグルトが用意されている。
「ハルくんって、いつも私より遅く登校するのに、朝は早いんだね」
「そうだな」
「いつもより疲れてる?」
「ちょっと眠れなくて。凪沙は元気だな」
「久しぶりに、ぐっすり眠れたから」
心なしか、少女の声は嬉しそうだった。凪沙が元気になったことで、家に呼んでよかったと春香は考えた。
「良かった。そろそろ用意しなくていいのか? 女子は身支度が長いって聞くけど」
「もうそろそろ用意する。ねえ、今日は一緒に行かない?」
「いや……」
春香は『嫌だ』と言おうとして、どうしようか迷う。護衛という意味では、一緒に登校する方が安全かもしれない。
「一緒に行こうかな」
「ありがとっ」
いつ以来だろうかと春香は考える。中学生の頃にはもう、並んで登校するのは恥ずかしくて控えていた。
凪沙は気分が高まり鼻歌を口ずさみながら、今日という一日が幸せでありますようにと願う。
(手、繋ぎたいな)
人は幸せを感じると、もっと幸福になりたいと願ってしまう生き物である。
二人が通学路で最も人通りが少ない場所に差し掛かった時、それは起こった。
――ピコン。
春香の携帯電話に通知音が鳴り響く。それは、急襲を意味する音楽で、鳴ったのは春香の携帯電話だけだった。
『来るぞ!』
その声が聞こえると同時に、春香の体は光り輝く。
体を構成する細胞のひとつひとつが、上位の存在へと変化していく。
それは『バトル・エクスチェンジ』のキャラクターへ変身するときに起こる現象。
右手に感じるのは硬い剣の感触。
左手に持ったバックをその場に捨てると、凪沙を抱えるように腰を抱く。
「はっ!」
斜め前方から黒い塊が飛来してくるのを、剣を使っていなす。狙われているのはやはり凪沙で、抱えるようにしなければ、入射角からそれを撃退するのは難しかった。
「凪沙、変身して」
「え?」
いきなりの事で動揺したのか、顔を赤くして照れている凪沙。それでも、春香の姿が変化したのを見て、表情を引き締める。
黒い塊は、人間の頭ほどもある蜂だった。
春香が飛来した方向を睨むと、大量の蜂が、黒い霧のようになっているのが見えた。
「これは詰んだかな」
縁起でもないことを呟きながら、春香のとなりでは凪沙が変身する光が見えた。
「凪沙、いつもこうなのか?」
「ううん。初めて襲われたのが一週間前で、二回目が昨日。そして三回目」
「徐々に強くなってたりしないか?」
「そういえば――」
黒い蜂の"化け物"は、そんな二人に作戦会議をする時間はくれなかった。
迷う時間が長引くほど、黒い化け物たちが群がってくる。一直線になって、凪沙の元へ集まってくる。
「とりあえず、一旦逃げよう」
「うん」
二人はとりあえず、近くの茂みに走っていく。
――その姿を、黒沢 杏里が見つめている。そのことに春香と凪沙は気付かない。
「これもパパのため。恨まないで――」
人知れず呟きながら、持っている無線機に対して、杏里は話しかける。
「こちら杏里。目標に実験動物が接触。一体が撃墜」
『ほう、最初のを防ぐのか。やはり、清川博士の端末は高性能らしい』
「襲撃して、それらしき端末を奪わないのですか?」
『そんな事に興味はない。むしろ、あちらを正面から叩き潰せば、こちらの優位が証明される。映像の記録は取っているな?』
「はい」
『では引き続き、モニターだけ続けなさい』
その声はとても楽しそうだった。
ただし、聞いている杏里の顔色は優れない。
――斬っても斬っても、きりがない。
「あれに刺されたら、やばいかな?」
「普通の蜂には見えないね」
「そういえば凪沙は、SRキャラは使ってないのか?」
春香が次々と敵を切り捨てているのに、凪沙はガードしているだけで致命傷が与えられない。
そのガードすらも、増え続ける敵に対して追いついていない。明らかに、水月よりも性能が劣っている。
よく見れば、チュートリアルが終わって配られるRキャラであるのに気付いた。
「持ってないよ」
「ちゃんと、チュートリアルは見たのか?」
「見たけど、私は習うより慣れろ派なの!」
「後で教えてやるから、一回だけ無料で引けるSRガチャ引いておけよ」
そういうと春香は、凪沙を抱えて距離を稼ぐ。
建物の影に入って、突進してくる蜂を一時的に回避すると、春香は携帯を取り出してゲームを操作する。
昨日、新しく手に入れたSRキャラクター。
「晴嵐!」
『やっと出番だね』
その名前は晴嵐。
命を削られる痛みに耐えて引いた、課金ガチャから出たこのキャラクター。それは『晴れの日に、嵐を起すことができる』という、不思議な扇を使う美少女である。
「ふふふふふ」
春香は意識こそはっきりしているのに、口調だけが晴嵐に乗っ取られる。
「あはははははは」
扇を一振りすれば、小規模な竜巻が発生する。
「すごい……」
単発の攻撃力は高くない。しかし、晴嵐の本領は範囲攻撃できることにある。
「凪沙! 後ろの敵は任せたわよ」
「う、うん」
強い竜巻が起こるたびに、地面が抉れ、蜂の化け物はずたずたに切り裂かれる。
それでも、背後から奇襲を狙う敵がいる。
「えいっ!」
何度も突進を繰り返す蜂だったが、さすがに剣と打ち合い続けると耐えられない。大きな羽音は次第に乱れていき、体液を周囲に撒き散らしながら弱っていく。
風圧が収まったことを確認して、凪沙は春香の方向に振り返る。
「終わったの?」
「馬鹿! まだよ!」
「え?」
最後の一匹が、木陰に潜んでいた。
――ぐしゃり。
晴嵐は手に持っていた扇で、おもいきり側面から蜂を叩きつける。
瑞々《みずみず》しい音が響くが、手は蜂の体液で汚れてしまう。
しかし、それでも止めを刺すことができず、最後に踏み潰して息の根を止める。
「終わったら必ず、周囲を確認なさい。親和性を高めれば、敵の気配も感じられるようになるわ」
「うん……」
「このままでは、すぐに死んでしまうわよ」
――そういうと、晴嵐はスマホを取り出して操作する。そして、元の春香が姿を現した。
「ハル、くん?」
「そんな泣きそうな顔をするな。あれは俺の言葉じゃない」
「でも、ハルくんがいなかったら、私は死んでた。もう、返しきれないくらいの恩ができちゃった」
「俺が決めたことだから、気にしないで。それに、次は安心できるように、これからみっちりゲームのことを覚えてもらうからな」
「うんっ」
少女は切なさを抑えきれず、少年に背を向けて泣きそうなのを我慢する。
自分は弱すぎて、守られてばかり。それが堪らなく悔しかった。
「実験動物が全て停止しました」
『そうか』
杏里が無線で報告すると、返ってきた声は思っていたより弾んでいた。悲報のはずなのに、まるで吉報を受けたかのようだった。
『良いデータが取れる。次はアレを試そうか』
「ハルくん。お昼、一緒に食べない?」
「えっと、いつも一緒にいる友達はいいのか?」
「うん」
春香はいつも一人で昼を食べている。それがいきなり、クラスでもそこそこ人気な女子と一緒に昼を食べるとなれば噂になる。
「いや、かな?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、屋上に行こう? 教えて欲しいことがあるの」
「分かった――」
(敵意?)
春香は教室を出ようとして、刺すような視線を感じた。
その方向を見ると、黒沢 杏里がいた。
目が会うと焦ったように視線を外し、何事もなかったかのようにお弁当を食べていた。
「行こう?」
「あ、ああ」
「おい、清川さんが新海と、屋上で昼飯を食うらしいぞ」
「なに? 羨ましい」
「許せない、新海」
「あの二人、幼馴染らしいぜ?」
「マジか、オレもあんな幼馴染がいたらなー」
「なによ、私じゃ不満な訳?」
背後からの喧騒を聞き流しつつ、二人で教室を出たらこうなるのが分かっていた春香は、溜息をつく。
余談だが、水月との親和性が上がってから、春香は神経が研ぎ澄まされる感覚があった。
(そういえば、水月と会話ができるようになったのも、ゲームで親和性を上げてからだったか)
「ゲームのこと、教えて?」
「食べてからな」
「うん」
食事が終わってから、春香は分かったことを凪沙に伝えていく。
「あ、キラキラした女の子が出てきた」
「それがSRキャラクターだな。暇な時間に育成したり、寝る前の時間は変身しておくと、武器を入手できるガチャが引けるようになる」
「ハルくん、そういうの好きだよね」
「ただし、さっき引いたSRガチャは初回無料だけど、次から寿命を消費すると書いてあるから、注意する必要がある。命を粗末にしちゃダメだぞ」
「ふーん。ん……?」
何を疑問に思ったのか、凪沙は鋭い視線を春香に向ける。
「ねえ、ハルくん」
「何か?」
「ハルくんは、いくつSRキャラクター持ってるの?」
「何のことかな」
「さっき、すごく強いキャラクターを二人、使ってたよね?」
寿命を一年消費するということは、つまり一年ほど命が短くなること。
今までの『不思議』を考えれば、その注意書きはただの脅しとは思えない。
――凪沙は怒っていた。
自分では『命を粗末にしちゃダメ』といいつつ、その本人は引いているとなれば。
「二人だけど……ほら、一日に一回引ける『ノーマルガチャ』から出たんだよ」
「本当に?」
「うん、本当」
視線を合わせようとする凪沙と、露骨に顔を反らして逃げるような春香。
「嘘だったら、怒るよ?」
「ごめん、引きました」
冷や汗が滲むほど、迫力のある視線を受けた春香。
「命を粗末にしちゃダメだよ? これ、ハルくんの言葉だからね」
「悪かった」
「何を悪いと思ってるの?」
「――」
問われて、凪沙が何に怒っているのか分からなかった。
(嘘をついたことか? 寿命を掛けてガチャを引いたこと?)
「命が掛かってるんだよ? ハルくんは、私より先に死んだら許さないからねっ。守ってくれるのは嬉しいけど、絶対に私より長生きしなきゃ、許さないんだからっ」
一緒に戦って欲しいとお願いした時点で、春香を危険に晒しているのは承知していた。
しかし、いざとなったら自分を見捨てて、春香には生き延びることを優先して欲しかった。
何より、戦いに勝利しても、春香が死んでしまったら意味がない。
「私、ハルくんのことが――」
「誰だっ!」
春香はそこで、人の視線を感じた。それも明らかに、隠れて覗いている気配。少しだけ、穏やかじゃない敵意も混じっている。
「っ」
「捕まえた」
屋上の扉に張り付いて、盗聴していたのは黒沢 杏里。
「……杏里ちゃん?」
「離して!」
「黒沢 杏里。なぜ俺たちを見ていた?」
もみ合いになった拍子に、杏里は盗撮用のカメラを落とした。
「それを確認してくれ、凪沙」
「え、でも」
「いいから」
そこに映っていたのは、二人が変身して戦ったり、化け物に襲われている場面。
もっと前に遡れば、春香が初めて変身した時から記録が残っている。
さらに、凪沙が最初に戦ったと思われる映像もあった。
最後に至っては、杏里が転校してくるより前の出来事である。
「君が、凪沙を狙っている者なのか?」
「違う!」
「では、これは何だ?」
「……」
「黒沢? まさか、父さんと一緒に研究してた、黒沢博士の娘かな?」
「……」
『さすが、清川博士の娘さんは頭が良い。無能な杏里とは大違いだ』
「っ」
杏里のポケットに入っていた無線機、そこから声が漏れてくる。
『君たちを狙っていたのは、この私。黒沢 修三』
それはテレビで報道されていた、第三の法則を見つけた研究者の一人だった。
「なぜ、黒沢……博士が?」
『簡単に言えば、方向性の違いかな。清川博士が見つけた発見を、共に発展させ伸ばしたのは私だ。私はそれを軍事転用したかった。彼はそれに反対して姿を消した。本当にそれだけだ』
「じゃあ、なぜ凪沙を狙うんだ?」
『清川博士は以前から、娘が遊ぶ為のゲームを作ると言っていた。おそらくそれは、第三の法則を使って作られたもの。その性能を試したくなってね。少し前に清川博士宛にメールを送ったんだ。娘を襲撃するとね。そしたら彼は、慌てて試作兵器を娘に送ったんだ。面白いくらい、私の思惑通りにね』
くつくつと笑う黒沢博士は、この場にいる誰にも理解できない人物だった。
『実を言えばね、私は博士に憧れていたんだ。同じ研究をしているのに、いつも博士は私の先を行く。本物の天才だと』
杏里を見れば、既に崩れ落ちて膝をついていた。
父親に「無能」と罵られたのが、よほどショックだったらしい。
「で、あんたは結局、何がしたいんだ?」
『ああ、すまないね。もう正体が露見したからには、隠れる必要もない。二日後、最後の実験をするんだ。君たちの戦闘から得られたデータを使って、改良した化け物たちを解き放つ』
「……その目的は?」
『世界にこの技術を売り込むための、デモンストレーション。ただし、君たちにも"救い"を用意してやろう。そこの杏里に、化け物を管理する場所を聞くといい。君たちが私を止めたいと思うなら、施設にいる化け物を全滅させれば良いのだよ。簡単だろう?』
「……」
『そうだ、新海君と言ったかな。君に、やる気の出るプレゼントを用意しよう。この実験を止められたら、清川 凪沙を狙うのをやめよう。どうかな? 私は約束をきっちり守る。保証を求められても、信じてくれとしか言えないがね』
聞く限りにおいて、春香に選択肢を残していなかった。
断っても、今まで戦った化け物より強い存在が、この町に放たれる。
子供が何を訴えても、この町の大人や春香の両親でさえ、こんなスケールの大きい話を信じてくれるとは思えなかった。
逃げるにしても、対抗するにしても、どちらを選ぶ間もなく阿鼻叫喚の地獄が広がることになる。
何より今後、凪沙を狙うのをやめるという。
解釈によっては、標的を変えて春香を狙うように聞こえるが、あえてそれを飲み込んだ。
「ひとつ、付け加えて欲しい」
『何を?』
「凪沙と、そして俺の両親を狙わないこと。約束してくれるか?」
『――あはははは。いいね、君は私の言いたいことを理解しているようだ。約束しよう』
そういうと、それ以降は無線が反応を示すことはなかった。
会話はこれで終わりと、その場には重い空気だけが残った。




