②
右へ左へ、入り込んだ小道を、あたかも目的地へと真っ直ぐ向かっているように見せ掛ける為に、迷い無い足取りで進んで行く。
足音も出来る限り消してみてはいるけれど、背後から聞こえてくる足音が消える事は無い。
同じ道を通ると不審に思われるかも知れないので、なるべく違う道を通るようにしていた。
時間がかかり過ぎているのもそうだけれど、それにより、フェロニカの体力も消耗している事の方が深刻だった。
普段、料理や宿屋の手伝い等、それなりに体力を使う仕事をしているとは言え、こんなにも長く歩いた事はない為、次第に呼吸が荒くなってきている。
このままだと、無事に撒けるのが先か、自分の体力が無くなるのが先か分からなくなってきた。
けれど、この様子では、体力が無くなる方が先かも知れない。
そんな焦りが、フェロニカの判断を誤らせたのだろう。
「(しまっ)」
目の前にそびえ立つのは、どこかの建物の壁だった。つまり、行き止まりだ。
こうなってしまえば、来た道を少し戻って他の道へ行くしかない。
後をつけて来ている者と鉢合わせしてしまう危険性はあるけれど、このまま相手が来るのを待っているよりも逃げられる可能性は高い。
そんな僅かな可能性に賭ける事にしたフェロニカは、撒く事よりも先ずは逃げる事を優先しようと踵を返した。
「よう、お嬢ちゃん。そんなに慌ててどこに行くんだ?夜道の一人歩きは感心しないぜ?」
けれど、直ぐ後ろまで既に来ていた様で、長い影がフェロニカの足元まで伸びている。
行く手を塞いだ男の言葉は軽いし、態度も軽い。
身形はどこでもよく見る格好をしている、けれど。
逆光で見えにくいけれど、男の顔はお世辞にも美しいとは言えないものだった。
かといって、別段、酷く不細工という訳でも無い。
この国の人間ばかりを見慣れてしまったフェロニカからすれば、平均よりも下の下の下のだった。
つまり、この国の人間ではないのだろうとフェロニカは思った。
と言うことは、性格も余り良いものではないのだろう。と。
今ここにいる時点で、それは予測出来ていた事だったけれど。
「ちょうど今、帰宅途中なんです。けど、ちょっとぼんやりしていて道を間違えてしまったみたいです。でも、もう目が覚めたので大丈夫です。心配して頂いてありがとうございます」
あんたはお呼びでないから、そこを退いて。
フェロニカはにっこりと微笑みながらも、内心では目の前の男を睨んだ。
「そうは言うがなあ、心配だから家まで送ってやるよ」
「いえ、この辺りは特に治安も良いですし、直ぐ近くなので大丈夫です」
偶然にしてはフェロニカの前に現れたタイミングがピンポイント過ぎるし、少し下品な言動は、怪しんで下さいと言わんばかりだ。
けれど、この男の顔に見覚えはないので、一体何の目的があって後をつけて来たのか、検討もつかない。
少なくとも、思慕が募ってという線だけは無さそうだけれど。
「そうか、直ぐ近くなら、そんなに手間でもないしな。ほら、早くしろよ」
遠回しではなく、割りと直接的に断りを入れたけれど、引こうとはしない男にフェロニカは苛立つ。
しかしまあ、後をつけて来ていた位なのだから、こんなに簡単に引くとは最初から思ってもいなかったけれど。
「本当に結構ですから」
逃げ道は男の後ろにしか無い。
なので、どうにかして男を抜き去らなければならない。
不意を突くしか無いだろうと、フェロニカは男から距離を取る為に後退った。
「チッ。イイから、コッチが下手に出てる内に早くしろ!」
少しばかり短気過ぎやしないだろうか。
一向に頷かないフェロニカに痺れを切らせた男がフェロニカに向かって手を伸ばす。
「(今だ!)」
男が近付いて来るタイミングに合わせて、フェロニカは男の方から目を反らしながら魔法を発動させた。
「何だ!?目が!?」
途端、閃光が辺りを占め、光源を直視してしまった男は両目を押さえ悲鳴を上げた。
フェロニカは保有する魔力の量は少ないけれど、無い訳ではない。
だから、こうして小さい規模の魔法は使う事が出来る。
そうして、突然視界を奪われた事で出来た隙を、逃す手はない。
悶絶している男の側を駆け抜ける。
難なくすり抜けられた事に安堵しつつも、回復した男にまた絡まれては堪らないので、そのまま大通りまで走り続ける。
陽が落ちた事で辺りは暗い為いつもと違って見えるけれど、よく見れば知っている建物ばかりだ。
これならと、大通りまでの最短ルートを選ぶ。
そうすれば間も無く、明るい通りが見えてきた。
ここまで来ればもう大丈夫だろう。
そう思い、フェロニカは走る速度を緩めた時だ。
「おっと、そこまでだぜ嬢ちゃん」
「!?」
背後から腕が伸びてきたと思えば、その手はフェロニカの口を塞ぎ、片腕も捕まれてしまう。
反射的に振りほどこうともがいたけれど、男の腕はビクともしなかった。
大通りは目の前だ。人々の声がはっきりと聞こえてくるので、助けを呼べば誰かに気付いて貰える距離だ。
空いている片手で、口を塞いでいる手を退けようとするけど、やはりビクともしない。
「大人しくしろって。アイツ、一人で十分だとか偉そうな事言ったクセに娘っ子一人捕まえられねぇとか、ザマァねぇな」
そう笑う男の口ぶりからして、顔は見えないけれど、先程とは違う男のようだ。
一人を相手にする事も大変なのに、二人同時に相手をするのは無理だ。
下手をすると、二人よりも人数は多いのかも知れないし。
逃げられるとしたら今しかないだろう。
そう思ったフェロニカは今までよりも更に強く抵抗を始めた。
口を塞いでいる手に爪を立てて、足の爪先めがけて踵を踏み下ろした。
前世にどこかで聞きかじった痴漢撃退法だ。
前は使う機会が無かった為、初めて使ったけれど、案外上手く決まった事にフェロニカは驚いた。
「いってー!このクソアマ何しやがる!」
けれど、驚いてばかりいる暇は無い。
踏まれた方の足を抱え、ピョンピョン跳び跳ねる姿は滑稽だけれど、所詮は足止め程度の威力しかない為、直ぐに復活する事は目に見えていた。
「待ちやがれ!」と怒鳴る男を後目にフェロニカは大通りを目指して走った。
もう少しで、この暗い路地も明るい大通りから見える所まで行く事が出来る。
日中歩き回り、今も全力で走っている為、フェロニカの体力は限界に近い。
それでも足を止める訳にはいかないと叱咤し、走る。
「おっと、追い駆けっこはそこまでだぜ?」
けれど、再び背後から伸びてきた腕に片手を捕まれたかと思えば、口を塞がれ拘束されてしまう。
咄嗟に、先程と同じように爪を立て、足先を踏もうとしたけれど、捕まれている腕を捻り上げられた痛みで失敗してしまう。
「んなの、俺には通用しねぇっての。それにしても、お前ら二人とも、マジで情けねぇぞ。こんな楽勝な仕事にいつまでも手こずってんじゃねぇよ」
フェロニカの動きを読んでいたらしい男は、捻り上げる力を更に強くする。
余りの痛さに声を上げるけれど、口を塞がれている為、くぐもった声は闇に消える。
「るせーよ。ちょっと手加減し過ぎただけだっての」
「誰か呼ばれても困るから、オンビンにやろうとしたんだよオレは」
フェロニカの想定していた悪い方が当たってしまったようだ。
今フェロニカを拘束している男の背後から、二人の男の声が増えた。
「んで、どうするんだ?ここで始末すんのか?」
「バカ言え。始末するなら始めの人気のないとこでやってるっての」
「んじゃあどうすんだよ」
「このまま、路地裏通って戻るだけだ」
「ここから戻るのか?始末した方が楽じゃねぇか」
「追加報酬がいらねぇんなら、お前らはもう帰れば良いじゃねえか」
「あぁ、そういえば、そんな事も言ってたな。どうせ始末すんなら、貢物の足しにとか何とか」
「貢物なぁ。どっかの金持ちが若い女集めてるって噂、ヤツらの事かもな」
「若い女ばっか集めて何すんだか」
「何ってナニに決まってんじゃねぇか」
「イイねえ。オレもあやかりたいもんだ。この国じゃあ、そいつがチンチクリンに見える位別嬪が多いからな」
フェロニカからは見えないけれど、ゲラゲラと声を上げている男二人が下品な笑みを浮かべているのは想像に容易かった。
その会話から、今すぐには殺されないだろうという事が分かったけれど、この後どうなってしまうのか、考えないようにしていた事を聞かされたフェロニカは目の前が真っ暗になりそうだった。
その時、どこからか熱波を感じたかと思えば、自分を拘束していた手が離れている事に気付く。
「あ?」
拘束している筈のフェロニカが何故離れたのか、男は首を傾げたけれど、次の瞬間、己の肘から先の腕が無くなっている事に気付き絶叫する。
男が上げた絶叫に、フェロニカは反射的に振り返ってしまう。
「、っ!?」
フェロニカが見たのは、切り離されてしまった腕の根元を押さえ踞る男の姿だった。
前世でも今世でも争い事とは無縁の生活を送っていたフェロニカにとって、あまりにも恐ろしい光景に悲鳴を上げる事すら出来なかった。
「(誰がこんな事を!?)」
込み上げてくる物を耐えるように口元を手で押さえ、目を反らした。
その先に、一つの影が映り込む。
「その話、詳しく聞かせて貰おうか」
書いてたの載せるの忘れてたわ。