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何かを証明しようとする時、最も愚かなのは最初から不確かな大きな標的に手を出すことだ。
大伯父であるアルベルトから印刷所の広大な保管庫の使用許可を得た翌日、レオンハルトは机の上に広げた無地の紙を前に冷徹な消去法を組み立てていた。
ソフィーを調べる前に生物の共通設計を確かめる。では何を解剖すべきか。
王都の路地裏を走るネズミやそこらの野良猫では駄目だ。仮説通りにすべての生物に生体魔石が眠っているとしても、肉体そのものが小さすぎればそのどこかにある石は砂粒かそれ以下になってしまう。この眼をもってしても肉の海の中からそれを見落としてしまうリスクは無視できない。
検証にはある程度の体躯を持った生物が必要だ。しかしこの王都で怪しまれずに、かつ一般の平民が容易に手に入れられる大きな家畜とは何か。
牛や馬は高価すぎるし個人で買い付ければ一族の網に頼らずとも目立つ。豚は肉が厚すぎて解剖そのものに余計な時間がかかる。
「……山羊だな」
レオンハルトはぽつりと呟き紙にその二文字を書き加えた。
王都の市場で乳用としても肉用としても最も一般的に流通している家畜。サイズも人間の上半身に近く骨格や内臓の配置を比較するサンプルとしてはこれ以上ない。彼は本家の手回しを使い市場の端から一頭の平凡な老いた山羊を秘密裏に買い付け、北街の印刷所へと運ばせた。
印刷所の最奥過去のすべての出版物や見本が整然とアーカイブされた地下保管庫。
古いインクの匂いと紙の湿り気が満ちるその空間の一角に、レオンハルトはフリードから譲り受けた頑強な鍛冶タガネに数本の刃物、一族の酒造から横流しした高濃度のアルコールを並べ、誰の目にも触れない即席の実験室を作り上げた。
カンドルと頭上の光が、台の上に横たえられた山羊の白い毛並みを照らし出す。
レオンハルトは躊躇わなかった。一族の秘伝であるアルコールで自らの指先と刃を厳重に清めると、器用な手先でその肉体へと刃を立てた。
血の匂いが立ち込める。しかし、レオンハルトの胸に嫌悪はない。
彼の眼が切り開かれた肉の奥にある筋肉の繊維、血管の奔流、骨の噛み合わせを、三次元的の構造として脳裏に刻んでいく。
口伝の中、生物の肉体が持つ完璧な機能美。
レオンハルトは山羊の肉体の正確な座標を脳内で割り出し、その最も深い場所、心臓のすぐ裏、脊椎との隙間の奥深くへと躊躇なく指を突き立てた。
ぬるりとした熱さのなかで、指先が周囲の組織とは明らかに異なる硬い異物に触れた。
慎重に肉を引き剥がし、レオンハルトが取り出したのは彼の指の先ほどの小さな白い塊だった。
こびりついた血をアルコールで洗い流すとその全貌が光の下で露わになる。
それは、白く、濁りのない結晶。現文明の人間が市場で取引している、魔道具の店に並ぶ未使用の魔石と見た目においては何一つ区別がつかないものだった。
「……本当に、あった」
レオンハルトは、自分の指先にあるその白い石を見つめ、驚きよりも深い戦慄を覚えていた。
魔物ではない。ただの、魔法を一切使えない老いた山羊の、その肉体に、魔道具のエネルギー源となるはずの石があった。人間だけがその仕様から外れる理由はないという曾祖父の仮説が、今、完全に実証されようとしていた。
だが、まだ半分だ。これがただの骨の変形や結石ではなく、本当に魔石として機能するのかを確かめなければ完璧な実証とは言えない。
レオンハルトは、あらかじめ用意しておいたごく微弱な熱を発するためだけの、現文明でも最もレガシーな魔道具の刻印が施された小さな金属板を取り出した。
そして、その刻印の面を、山羊の肉体から取り出したばかりの白い魔石へと、静かに接触させた。
自身のわずかな魔力を、金属板を通じてその白い塊へと流し込む。
瞬間、レオンハルトの指先にかすかな脈動。
ジ、と小さな音を立てて、白い魔石の表面が微かに青白く発光しほんの数秒の間、触れている金属板がじんわりと温かくなった。山羊の体内にあった未知の物体が魔道具としての機能を完璧に発揮した。
「…間違いない。生物はみな、生まれつき魔石を内包している」
レオンハルトは光の消えた白い石を握りしめ、深く息を吐いた。
彼は興奮に震える手を抑え山羊の筋肉のトポロジー、内臓の配置、そしてその奥深くに眠っていた魔石の構造を、驚異的な精度で紙の上へと描き写していった。線のなかに、生命の立体的な意味が完璧に宿る狂気的なまでの解剖スケッチ。
この生きた線図を携えて、彼は再び、あの冷たい地下図書館へと降りる。
週の後半。地下図書館の空気は数日前と変わらずひんやりと張り詰め、誰の姿もない。
古文書の影、いつもの席に座るソフィー・オルタンスの前に、レオンハルトは足音を殺して立ち、静かに一枚の分厚い画用紙を机の上に滑らせた。
ソフィーは古文書から目を離さず、ただ冷ややかな声を出力した。
「……ご勝手にどうぞ、と言ったはずですが。また私の邪魔を…」
「これを、見てほしい」
レオンハルトの静かな、しかし確信に満ちた声に、ソフィーは怪訝そうに視線を画用紙へと動かした。
そして、彼女の青い瞳が、激しく見開かれた。
そこに描かれていたのは、山羊の肉体を内側から精密に解体した、見たこともない解剖図だった。
筋肉の重なり、血管の配線が、まるで生きているかのような圧倒的な立体感を持って描かれており、その完全な重心の奥深くに、指先ほどの白い魔石が鎮座している図面。
「これは……何ですか」
「山羊の解剖図だ。僕が自分で切り裂いて、この白い魔石を見つけ出した。そして、ごく短時間だけど、これが本物の魔石として機能することも証明した」
レオンハルトは机に両手をつき、彼女を見つめた。
「魔物じゃない、魔法を使えない家畜にさえ、魔石は存在している。人だけが例外であるはずがない。君の肉体の中にも、必ず、その石は眠っているんだ」
ソフィーは、息をすることすら忘れたようにそのスケッチを見つめ続けていた。
だが、彼女の驚きはただその解剖の事実に向けられたものではなかった。彼女の感性、キュビズムの才を持つその眼が、レオンハルトの描いた線の奥にある奇妙な既視感を捉えていた。
この、線の引き方、立体的な空間の捉え方、初見ではない。
ソフィーの脳内で、これまでの人生で図書館の底から漁ってきた数々の古い論文や色褪せた手書き文書の記憶がパチパチと高速で重なっていく。
名前も場所ももう覚えていない。だがその底に眠っていた圧倒的な空間の獲得の残影が、目の前の十五歳の少年が描いた解剖図の線と、寸分の狂いもなく脳内で重なり合った。
「あなた、本当に……」
ソフィーは震える声を絞り出し、紙からレオンハルトへと視線を上げた。
「……私の身体を、どうするつもりですか」
邂逅としてはまだ遠い。だが、彼女の声からは、先ほどまでの冷徹な拒絶は、完全に消え去っていた。




