共和国の辺境警備隊
銀河共和国連合の辺境宙域、アルテミス・セクター。その中心に位置する惑星「新アポロン」は、かつて神話に謳われた光輝な名とは裏腹に、常に戦火の燻る最前線基地の一つだった。ここに駐屯する共和国艦隊第十三辺境警備隊は、慢性的な物資不足と士気低下に悩まされながらも、帝国軍との小競り合いに明け暮れる日々を送っていた。
その第十三辺境警備隊に、ある日、一人の若き士官が着任した。
エリオット・ヴァンス少佐。二十代半ばと若く、軍服の下に隠された華奢な体躯と、どこか憂いを帯びた眼差しは、猛々しい軍人というよりも、学者か芸術家を思わせる。しかし、彼の経歴は、その外見からは想像もつかないほど輝かしいものだった。
軍士官学校を史上最高の成績で卒業。特に戦略・戦術シミュレーションにおいては、歴代の記録を全て塗り替え、教授陣を唸らせた。だが、彼が志望したのは軍人ではなく、歴史学者だった。戦乱の時代に、その才覚を軍が見過ごすはずもなく、半ば強制的に兵籍に編入された、というのが本人の弁だった。
「ヴァンス少佐、状況を報告せよ」
第十三辺境警備隊司令官、ヴァルター・ロックウェル准将の重々しい声が、旗艦『アポロン』のブリッジに響く。
エリオットは冷静な声で報告を始めた。
「五時間前、アルテミス・セクター辺境宙域、宙域コードG-7において、大規模な海賊艦隊『シャドウフリート』が出現。補給線を狙う動きを見せています。総数は二十五隻。巡洋艦クラスが五、残りは駆逐艦、フリゲート級です」
「シャドウフリートめ、またぞろ出てきおったか。今回は数が多いな」
ロックウェル准将が苦々しげに呟く。シャドウフリートは、辺境宙域に跋扈する武装集団で、帝国軍の陽動工作員であるという噂も絶えなかった。
「本隊は現在、帝国軍との小規模衝突に備え、再編中。増援を送る余裕はありません。第十三辺境警備隊の全戦力をもって迎撃に当たれ、と本局からです」
ロックウェルは苛立ちを隠さない。第十三辺境警備隊の戦力は、正規の巡洋艦が三隻、駆逐艦六隻、フリゲート十隻。相手は数で勝る上、奇襲を得意とする。
「少佐、何か策はあるか?」
ロックウェルが唐突に問いかけた。エリオットは静かにディスプレイを見つめていた。
「……あります。ただし、現状の指示に従うならば、損害は避けられないでしょう」
「どういうことだ?」
「シャドウフリートは、正規軍との正面衝突を避け、常に少数精鋭で補給線を襲う。彼らの目的は物資の略奪と、我々への攪乱。今回の大規模な展開は、我々の戦力を分散させ、より強固な本隊の防御を薄くするための陽動である可能性が高い」
エリオットの言葉に、ブリッジの士官たちがざわつく。
「では、どうするのだ?」
「彼らが真に狙っているのは、本日午後十時に新アポロンに入港予定の、第五補給船団でしょう。食料、燃料、そして医療品を満載しています。これこそが、共和国辺境部隊の生命線だ」
「第五補給船団の航路は秘匿されているはずだが……」
「内部に内通者がいる、と考えるのが自然でしょう」エリオットは淡々と続けた。「彼らは補給船団を待ち伏せ、護衛艦が手薄になったところで一斉に襲撃するでしょう」
ロックウェルは腕を組み、唸った。エリオットの分析は冷徹で、そして的を射ているように思えた。
「しかし、二十五隻の海賊艦隊を、我々の戦力で全て叩き潰すのは困難だ」
「全てを叩く必要はありません。彼らの指揮系統を麻痺させ、補給船団への接近を阻止できれば、それで十分です」
エリオットはディスプレイを操作し、戦術図を投影した。そこには、アルテミス・セクターの広大な星図と、海賊艦隊の予測航路、そして共和国艦隊の配置が示されていた。
「第十三警備隊は、本来の迎撃航路を維持します。しかし、巡洋艦『アポロン』は単艦で、予測される襲撃ポイントの裏側へ回り込みます」
「単艦だと!? それは危険すぎる!」
「彼らが狙うのは補給船団。護衛艦隊の動向には最大限の注意を払うでしょう。その裏を掻くのです。我々の戦力の主軸はあくまで『アポロン』以外です、と錯覚させる。そして……」
エリオットは冷静な表情で、自身の戦術を説明していく。それは、常識外れの、しかし理にかなった奇策だった。
ロックウェル准将は、若き少佐の眼の奥に宿る、冷徹なまでの洞察力と、大胆不敵な発想に舌を巻いた。
「ヴァンス少佐、君の言う通りに動いてみよう。だが、もし失敗すれば、責任は全て君が取ることになるぞ」
「承知しております」
エリオットは表情一つ変えなかった。彼の心には、勝利への確信と、同時に、またしても戦火の渦中に身を置かねばならないという、深い憂鬱が去来していた。
作戦は、奇跡的な成功を収めた。
エリオットの予測通り、シャドウフリートは第五補給船団への襲撃を敢行。共和国艦隊の主力が陽動に徹する中、単艦で忍び寄った『アポロン』は、補給船団を襲撃しようとする海賊艦隊の旗艦に、奇襲攻撃を仕掛けた。
エリオットは、電子戦部隊と連携し、海賊艦隊の通信を一時的に麻痺させ、混乱に乗じて旗艦へと猛攻を集中。旗艦を撃沈されたシャドウフリートは、指揮系統を失い、烏合の衆と化して散り散りに逃走した。
損害は軽微。補給船団は無事。共和国は、辺境宙域における重要な勝利を収めた。
ブリッジに歓声が響き渡る中、エリオットは一人、静かに窓の外の星空を見つめていた。
「少佐、見事な采配でした! あなたは本当に指揮官の天才だ!」
副官の興奮した声にも、彼は淡々と答える。
「……戦場で天才などと持て囃されるのは、私にとっては苦痛でしかありません、少尉」
彼の眼に映るのは、勝利の輝きではなく、散っていった海賊たちの、名もなき命の残滓だった。彼らは悪党だったかもしれない。しかし、その背後には、きっと貧困や絶望があったはずだ。
エリオットは、勝利の先に、本質的な平和がないことを知っていた。この勝利は、新たな戦いの種を蒔いただけに過ぎない。
その日の夜、新アポロンの基地内にある、粗末なカフェテリア。
エリオットは、一人、淡い光を放つタブレット端末を眺めていた。そこに表示されているのは、古代の歴史書の一節。
「人は常に戦いを求める。それは種の宿命か、あるいは意識の檻か。銀河の歴史は、血と鉄の繰り返しに過ぎないのか……」
彼の集中を遮るように、向かいの席に、一人の女性が座った。
「ヴァンス少佐でいらっしゃいますね? 新アポロン通信社のセレスティン・ライラです。お話、少しだけ伺ってもよろしいでしょうか?」
彼女は、亜麻色の髪をなびかせ、まっすぐな瞳でエリオットを見つめていた。その眼差しには、ジャーナリストとしての鋭い探求心と、どこか純粋な正義感が宿っていた。
「……私に話すことなど、特にありませんが」
エリオットは、そっけなく答えた。戦場の英雄として祭り上げられることに、彼は辟易していた。
「今回のシャドウフリート掃討作戦、見事でした。ですが、私が知りたいのは、その裏側にあるものです。なぜ、人は戦うのか。なぜ、このような辺境で、人々は命を削り合わなければならないのか」
セレスティンは、彼の眼の奥の憂鬱を見抜いているかのように、問いかけた。
「あなたは、戦いを望んでいないように見えます。ですが、あなたは誰よりも戦術に長けている。その矛盾は、私には理解できません」
エリオットはタブレット端末から目を上げ、彼女を見つめた。
「あなたは……」
「はい、私はジャーナリストです。ですが、それ以上に、一人の人間として、この戦争の真実を知りたい。そして、それを人々に伝えたいのです」
セレスティンの言葉は、エリオットの心の奥底に、静かな波紋を広げた。彼は、初めて、自分の内なる葛藤を理解しようとする人間に出会った気がした。
「真実など、この銀河にはどこにもありませんよ。あるのは、それぞれの正義と、それぞれの利害だけだ」
しかし、彼の表情は、先ほどまでの冷徹さとは違い、どこか人間味を帯びていた。
「それでも、私はそれを追い求めたい。あなたもそうなのではありませんか? ヴァンス少佐」
問いかけるセレスティンの言葉に、エリオットは答えなかった。ただ、古書に記された一文を、再び心の中で反芻する。
『歴史は、常に新たな問いを突きつける。そして、その答えを見出すのは、いつの時代も、真に歴史を理解しようとした者だけである』
この銀河の歴史の中に、まだ見ぬ答えがあるのならば。その問いに、自分はどのように向き合うべきなのか。エリオットの心に、小さな灯火が揺らぎ始めた。




