(81) 取引
「この度は本当に申し訳ないことをした。」
ダミアンが立ったまま、深々と頭を下げている。
カーセルに馬車が着いたとたん、待っていた商業ギルド職員によって、あっという間にギルドの応接室に連れてこられた。荷台にあった魚はギルドの職員が箱ごと運んでいった。アンドリューと挨拶をする暇もなかった。
リーズとセレネは顔を見合わせる。この何日間かで何があったのだろうか。リーズに嫌な予感が走った。
セレネがダミアンに遠慮がちに声をかける。
「頭をあげてください。取引をしかけたのは私ですから。何があったのか教えてもらっても良いですか?」
顔を上げたダミアンは憔悴した顔をしていた。
「あの後領主さまに連絡を取ったのだ。すぐに連絡がきたよ。シプランと魚の取引をするから保冷箱を優先的に回すようにとの話だった。魚の売値についてもしばらくは優遇せよと。」
「ええ。取引の話は領主様から聞いてました……って話しましたよね。」
リーズがいうとダミアンはうなだれる。
「領主様が関わっていることを信じなかったのは私だ。しかも嵐がやってくると知らせがあった。3日以内に戻ってこなければ誓約書が効力を発揮してしまうと思うと生きた心地がしなかった。」
ダミアンの言葉に、リーズは内心首を傾げる。セレネの失敗を待っていたのではなかったのか。セレネが何かに気づいたように顔を上げた。
「ダミアン、あなた、わざと怒っていたのね?馬車を貸し出しできるように。」
呆れたようなセレネの言葉にアンドリューはそっぽを向く。
「魚がとれるかどうかは半信半疑だった。ただ、セレネは無茶な賭けはしない。今は採算が取れなくても、必ず何とかする算段があるのだろうと思っていた。領主の話は信憑性を持たせるための嘘だと……そう考えていた。」
「だから情報は早めに確認するべきたと前から言っていたでしょう?」
思わず出てしまったセレネの叱責が、以前の関係を垣間見せた。
先走るダミアンをセレネがとりなし、どうすれば良いか二人で考える。
そうやってギルドを支えてきたのだろう。
ダミアンは怒った様子もなく、つるりと顔を撫でた。
「ああ、本当だな。お前の言う通りだった。」
「でも、魚を持ってきたんだから別に問題ないですよね?タダで馬車を貸していただけるので、私たち的にはありがたいだけで。後は窓口開設をしてもらえれば。」
元々魚を持ってこられなければ嘘つき呼ばわりされるだけの誓約書だ。それでも冒険者ギルドに迷惑をかけてしまうことにはなってしまうけれども、約束は守ったのだから問題はない。
リーズの言葉に、セレネも大きく頷く。
「そうね。そのために私たちも頑張ってきたのだし。生きた心地がしなかったのは私も同じだけれども。期限を5日に延ばすべきだったわ。」
少し悔しそうなセレネに苦笑すると、ダミアンは机の上のベルを鳴らす。
しばらくして、男が書類と金の入った袋を盆に乗せて入ってきた。
「窓口開設はすでに終わっている。これはギルド本部からだ。人数も増えたから予算を増やすとのことだ。それぞれの給料については希望があればいつでも払うことができる。ギルド証が必要だが。」
随分と仕事が早い。でもリーズには気になるところがあった。
「あの、魚を持ってきたら窓口開設という約束では。」
「領主から連絡をもらった時点でその約束は破棄させてもらった。」
セレネが悲鳴のような声を上げる。
「破棄って!それじゃ商業ギルドに報告が行ってしまうじゃないの。」
ダミアンは黙って頷いた。
「ああ。全ては私の責任だと本部には話してある。冒険者ギルドにも詫びを入れた。そのうち何らかの処分が下されるだろう。」
「そんなことって……。」
沈黙してしまったセレネを見ながら、ダミアンは咳払いをする。
「その、セレネ。私の代わりにギルド長にならないか。ご両親のことがなければ、君が本来座るはずだった場所だ。必要なら補佐もしよう。」
目を見開いたセレネがダミアンを見つめる。
戻ってこないか。ダミアンは多分、ずっとそう言いたかったのだ。
じっと見つめ合う二人だったが、先に目を逸らしたのは、セレネだった。
「お断りするわ。一度離れた人間にそんなことをしたら、ずっと働いていた人に失礼よ。それに私は今の仕事が気に入っているの。魚もそうだけれど他にも売れそうな商品ができそうだし。こんなに仕事にワクワクするのは久しぶりよ。」
セレネの言葉にダミアンは表情を緩めた。
「そうか。君はちゃんと立ち直れたんだな。」
「もちろんよ。どれだけ仕事が大変だったかは今度教えてあげるわ。」
「君が大変だというのなら、かなり大変だったのだろうな。」
軽く笑ったダミアンが、居住いをただす。
「さて。処分が降りるまでは私がギルド長だ。早速今回の取引について話をしたい。」
「分かったわ。今回の納品リストはこちらになります。」
すっと仕事の顔になったセレネが書類を取り出す。
「20年近くも取引がなかったからな。一応以前取引していた時の書類がこれになる。」
ダミアンが出してきた書類をリーズも横から覗き込む。魚の名前と数字が書いてあるのが見えた。今回取れたのは、ほとんどがマクレットだ。あまり大きくはなく、たくさんとれるので、20年前の値段もかなり安くなっている。
「この値段では採算が取れないわ。保冷箱も小さくてたくさんは運べない。」
「今回のように氷魔法で凍らせることはできないのか?」
「そのためには誰か専属でついてもらわないと。その分人件費がかかるわよ。そうね、この値段の10倍かしら。」
ダミアンは渋い顔をする。
「それではこちらが損をしかねない。売れるかどうかも分からないんだぞ。」
「領主様が買い上げてくれるわよ。魚料理がお気に召したようだから。同じ料理を作る店をつくれば、売れるんじゃないかしら。」
魚の料理は下処理が必要になる。20年も扱ったことがなければ買うのに躊躇するだろう。しかし、料理屋で出してみれば食べる客はいるのではないか。セレネがそう訴えると、ダミアンはうーんと腕を組む。
「むしろ高級料理店から攻めてみるか。それならそれなりの値段がつけられるな。これでどうだろうか。」
ダミアンがセレネに手で何かを形作って見せるとセレネは首を振ってまた手で別の形を作る。値段を表す符牒だろうか。それがお互い段々速くなっていくのを、リーズは目を丸くして見守った。
「分かった。これでどうだ。」
やけくそ気味の声で出したダミアンの手を見て、セレネがにっこりと笑う。
「それで手を打ちましょう。」
お互い立ち上がって握手をする。それで取引成立のようだ。
「今回の分はギルドで買い取って、試しに店で作ってもらう。」
「それが良いと思うわ。どの店にするの?」
セレネの問いにダミアンは少し思案する顔になる。
「そうだな。『銀の森』でどうだ。」
知っている店だったようで、セレネは軽く目を見開く。
「親父さん、まだ元気なの?」
「ああ。あの親父さんなら魚料理も大丈夫だろう。この後一緒に行ってみないか。」
リーズが部屋にいることはどうやら忘れられているらしい。仕方がないので机の上に置かれているお茶を飲むとすっかり冷たくなっていた。リーズは小さくため息をついた。
遅くなりました。
やっとセレネの仕事姿が少し書けました。
リーズがほとんど透明人間と化しています。主人公なのに。
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