そのいち ぷりくうぇら
郊外のコンビニエンスストア。
その店内で、二人の店員がレジ打ちにいそしんでいる。店は夜十一時を回ったということもあり、客の数は少ない。
会社帰りのサラリーマン、夜食を買いにきた青年、特に何をするでもなくブラブラと日々を過ごす若者たちが、チラホラと現れては消え、現れては消え、を漫然と繰り返していた。
店員の雛口くんはレジに置かれたカゴから、水を取り出し、値段を読み上げ、バーコードをスキャンした。
「百八円が一点」
次に、真っ赤なさくらんぼがのった、美味しそうなプリンパフェを取り出し、スキャンした。
「三百九十八円が一点」
雛口くんは、このパフェにのせられたさくらんぼを軽く流し見ながら、さくらんぼをのせるかのせないかの侃侃諤諤の議論が、商品開発室で繰り広げられていたのかと考えると、少し可笑しくなって笑いかけたが、接客中であることを思い出して、なんとか押しとどめた。
最後にカゴに入っていたのは、『完全自殺マニュアル』という、誰がこんな物騒なタイトルを許可したのかと疑問符のメリーゴーランドが脳内でチャラチャラ音を立てて回りだしそうな、単行本だった。それを取り出すと、規則的に並べられた黒の縞々めがけて、どこかエロティックな雰囲気漂う赤い光線を、存分に浴びせてやった。
「七百九十八円が一点」
雛口くんは自殺マニュアルが少小遣い制のサラリーマンの一回のお昼ごはん代より高価であることに衝撃を受けた。死ぬのにお金がいるとは知らなかった。というよりも、死のうとする人間からお金を巻き上げようという商魂のたくましさに、むしろ呆れ返った。
雛口くんはそんなお金の使い方をするより、適当に宝くじでも買って果報でも寝て待っていれば良いのだと、その客へ伝えようとしたが、顔と髪型が太宰治にそっくりだったので、やめた。
「合計で千三百四円になります」
雛口くんは突如として現代に蘇ったかのような太宰治から、うやうやしく樋口一葉を受け取り、毅然とした態度でそれをレジへ放り込み、厳かな手つきで、野口英世三枚と何枚かの硬貨を、太宰に返した。そこで、夏目漱石がいなかったことに、雛口くんは並々ならぬ失望を抱かされた。野口英世は医学者である。ここはぜひとも文豪で揃えたかった。一度、素早い野ネズミが、物陰から物陰へと俊敏に走り抜けるように、福沢諭吉の仏頂面が脳内の霞で、うごめくのを感じはしたが。
でも、二万七千円の違算はとても払いきれそうになかったので、欲望にひた走る右手を、左手でしっかりと押さえて、素早く千円札を三枚返してやったのだった。
顔色の悪い太宰治はやや斜に構えて、顔に影を半分ほど作って「ありがとう」と袋を下げ、帰っていった。
雛口くんは接客が面倒になったので、(これ以上さくらんぼだとか太宰だとか諭吉などに心を煩わされるのが嫌であった)もう一人の店員、F岡さんに、仕事を引き継ごうとした。
F岡さんは、野盗に悩まされている、東欧の極貧農村の自警団みたいな汚らしい模様の入った制服をバカ正直に着こなして、全自動搬出機のように商品を棚へ詰めこむ作業に没頭していた。
「F岡さん。僕にはもう無理です」
「は? 何が?」
「レジ打ちです」
F岡さんは焼きたての栗みたいなホクホクしたまん丸い目で見つめ返してきた。
「無理?」
「無理です。もう僕はレジ打ちできません」
じゃあ、とF岡さんは手に持っていたフルーツグミの袋を差し出してきた。
「代わってあげてもいいけど」
「嫌です。僕は棚には媚びません。空いた棚には明日への希望でも詰めておけば良いのです」
「コンビニで明日への希望なんて販売してないよ」
「売ればいい! 大々的に宣伝して」
「頭のおかしなやつだと思われるよ」
雛口くんは本当に渋々、渋々、渋々ながら、自らジューシーを標榜するグミを、F岡さんから受け取った。グニュリと押してみると、ぶよぶよという弾力が指に伝わってきた。
雛口くんはグミをフックに吊るすと、ただそれだけの行為にもかかわらず、自分でも何故かはよくわからなかったが、負けたような気がして、悔しさがグツグツと心臓の奥の辺りからこみ上げてくるのを感じた。
しかし、一通り補充し終えてみると、隙間なく並んだグミやら飴やらが、綺麗な隊列を思わせて、これも悪くない、とすっかり心変わりしていた。
雛口くんがグミたちの前で、各隊員たちの特徴を重視した、前衛的かつ実務的なあだ名を付けていると、店の自動ドアが開いて、二人組の大学生くらいの女性たちが入店してきた。
雛口くんの拳サイズの心臓が、ズキュウゥゥゥン! と音を当てて飛び上がるかと思われた。雛口くんは即座に命名式を途中で放棄し、こっそりと彼女たちを見守る任務に移行した。しかし、ここで予想されるであろう、雛口くんが被るいわれなき誹謗中傷、あるいは糾弾、彼を罵り叩きのめさんとする人々の、強い信念を持った攻撃、あるいは社会的制裁や、本人や親族、並びに関係者たちへの、徹底された拷問的侮蔑的言動、さらには国家の担う責任を一身に背負う莫逆の友を自称する愛国者たちの宣戦布告に対して、あらかじめ言っておかなければならないだろう。
つまり、雛口くんは変態ではない!
もう一度、読者の皆様に。
せーの、雛口くんは影から女の子を見守るストーカーでは断じてありません!
ここ、大事ですよ。テストにも出るかもしれませんよ。
雛口くんには使命があるのです。それはどれほど小さな命よりもずっと重く、チャレンジャー海淵よりも深く、アルプスの雪解けがもらたす清流のように澄みきった汚れのない、純潔極まりない使命なのです。
雛口くんは男です。だけど、女の子が好きです。おや、接続詞を間違えてしまいました。
最近流行っているという『いせかいてんせい』になぞらえて言うと、
ハイスペックな女性に転生して、女性をたくさん侍らせたい。
というやつです。
そこ、ザワザワしないの!
雛口くんはよく小説を読みます。感情移入というのは良いものです。
雛口くんは、二人組の仲睦まじげな女性を目の前にすると、感情移入をして、勝手に妄想を膨らませます。しかし、これは小説を読むのと同じく、全く『けんぜん』な行為なのです。お間違いなきようお願いしますよ、いやホントに。
二人の女性は、店に入ってくると、一人はサラダが陳列されたエリアへ、もう一人はお菓子の棚に向かった。お菓子の棚の前で、新商品のチョコレートを物色していた、店内の照明を乱反射させてキラキラ輝く、明るい金髪を緩やかにウェーブさせた、春色のコートを羽織った小柄な女性が、棚越しに、向こうにいる相方に声をかけた。
「ちょ、新商品出てるし。ポテッキィィィイの『おかしいぞ…… ド・グラン・マロン・グラン味』だって。ねぇ、食べたことある?」
サラダの棚から二つ隣の飲料の棚に移動していた、黒髪ストレートのキャラTシャツを着た、どちらかと言えば地味な女性が、後ろを振り返ることなく言った。
「えー、そんなの出たんだ。てかなにその味」
雛口くんはそのやりとりを、じっと見守っていた。どうも、雰囲気だけで読み解ける範囲で推測するなら、二人は友達のようであった。付き合っている感じには見えなかった。しかし、雛口くんはもう、さっさと結婚しちゃえばいいんだ、と心中で、南国のリゾートあたりでの二人の挙式、ならびに披露宴の準備をしていた。
「ちょっと見て、私これ前飲んだんだけどさ、意外といけたわ」
お菓子の棚から缶詰の棚を迂回して、隣に来ていた金髪が、キャラT黒髪の指差した商品をまじまじと見つめた。
「えー。私パクチー、マジ無理。ないない。あんたさ、前から思ってたけど味覚おかしいよね」
「おかしくないって。別に。商品として売ってるんだし」
金髪はそのまま流れるようにおにぎりの棚に移動した。
「ねぇ、なんか食べる?」
「うん。あ、私これにしよっかな」
キャラTがツナサラダを手に取った。金髪は、おにぎりの棚をためつすがめつして、エビマヨに手を伸ばしかけた。が、その手が触れる直前、生き別れた妹に、一緒に遊んでいたゲーム機を罵声とともに投げつけられた未亡人のような哀愁漂う表情を浮かべると、時間をかけてゆっくりと手を降ろしてしまった。
「私やっぱお腹空いてないからいいわ」
金髪は再び店内をぐるぐると回り始めた。化粧品、生理用品の置かれた棚で、しばらくアイシャドウを手に取ったりしていたが、すぐにまた店内を回り始めた。
「こないださ、VR体験したんだけどさ、超スケスケだった」
「Vガール?」
金髪がプッと吹き出した。
「ブイ・アール。仮想なんちゃらってやつ。てか、Vガールってなに」
「え、Vガール……あれだよ、コマネチみたいな」
金髪が大声で笑い出した。
「何それ、ちょっとやってみてよ、Vガール」
金髪がキャラTの隣で膝をくねらせて笑い続けていた。その横で、キャラTが伝説のギャグを聴衆一名(プラス雛口くん)の前で披露した。
「コマネチ……Vガール」
金髪はそれが非常に気に入った様子で、腹を抱えて店内に笑い声を響かせた。雛口くんは途端に恥ずかしくなってきた。あっけらかんとした彼女たちとは対象的に、自分は影から観察しているだけなのだ。自分も明朗快活な大音声で「女の子が好きだ!」と叫んでみたかった。
だけど、実行しても意味がないという確固たる事実に、わりと早く気が付いた。だいたいの人間は女の子が好きなのである。少なくとも雛口くんはそう信じている。
二人はその後も五分ほど往年のギャグで笑い合っていた。やがて、その波がおさまると、また店をウロウロして、新商品のスイーツやアイスを見て回った。
そのうち、また来店を告げるメロディが店内に流れてきた。
入店してきたのは、ひどく酔っ払っているのが一目で分かる、派手な格好をした女性だった。極端に伸び上がったまつ毛、バスローブのようなサファイア・ブルーのファーコート。胸元を強調するニット・セーター。強いオリエンタル系の香水の香りが、店内に一気に流れ込んできた。
どう贔屓目に見ても、風俗嬢にしか見えない、その女性客は、フラフラと商品棚にぶつかりそうになりながら、ペットボトルの並べられた飲料コーナーに向かって歩いていた。
F岡さんは、それに気をとめるでもなく、雛口くんが隊列をそろえただけで満足して終えてしまった品出しの続きを、情事で現場から飛ばされた分隊長の後片付けをさせられている新任隊長のような、規律と私憤のこもった手つきで、黙々と片付けていた。
キャラTが金髪を呼んで、お惣菜の棚の前で、ヒソヒソと密談をしていた。雛口くんは内容が聞けないことにわずかに落胆するが、そこは得意の妄想力で補っていた。
きっとこんな会話だろう。
「見て、あんなに酔ってる。……私もあなたに酔わせてほしいわ」
「帰ったら存分に、ね」
「ウフフ」
「ウフフ」
「ウフフ」
最後の「ウフフ」は雛口くんの心の中で密かに生まれていた「ウフフ」である。しかし、全ては空想である。つまり三つとも、全部雛口くん謹製の「ウフフ」に違いはないのだ。
雛口くんがその後の、諸事情により読者の皆様にはお見せすることができないめくるめく展開を、脳裏にありありと描こうとしたまさにその時! ペットボトル飲料が並んだガラス戸の前で、怪訝そうに何かを見つめている二人の姿が、網膜を通して雛口くんの脳に伝達されてきた。




