もらい物のバームクーヘン
突然だが、私には友人がいた。学生時代からの付き合いで、彼の本名はもう覚えていないが、私は彼を「ゆっちん」の愛称で呼んでいた。
ゆっちんは、はっきり言ってストーカーだった。
ゆっちんは、学生時代にある女性(名前は忘れたが、ゆっちんは「コヨーテ」と呼んでいた)に一目ぼれし、そしてすぐに告白、玉砕して三か月はめそめそしていた。
それからというもの。ゆっちんは狂ったように、コヨーテに依存するようになった。
ゆっちんは、盗撮したり、ゴミをあさったりと、犯罪として突き出せるような愚行を繰り返していった。
戦利品を嬉々として私に見せつけてきたときは、私は思わず携帯電話に手をかけた。
しかし。これほど悪行を重ねていたゆっちんには、コミュニケーション能力という光るものがあった。ほぼ初対面で告白できるほどの胆力もあった。
やはり、なぜストーカーになったのか分からない。
ゆっちんは、持ち前のコミュニケーション能力で、コヨーテと普通の友達として仲良くしていた。
振った相手と友達とは、気まずくないのかとコヨーテに聞いたことがあるが、コヨーテはコヨーテで告白に慣れているマドンナだったようで、全く気にならないと言われた。そんな気がする。
大学を卒業してから、私は長らく、ゆっちんと会うことはなかった。ゆっちんが、コヨーテについていくように引っ越してしまったからだと思う。年に一度、年賀はがきで生存確認をする、ついでにゆっちんの無謀な行動を馬鹿にする。そんな感じの関係が、長らく続いた。
ついこの間、本当についこの間、ゆっちんは久しぶりに私の家を訪ねてきた。
ゆっちんは手土産として、大きなバームクーヘンを持ってきた。私は一人暮らしだったので、こんなに要らないというと、そのバームクーヘンはもらい物らしく、こんな沢山食べられないから私を訪ねたのだ、と言われた。
バームクーヘンをほおばるゆっちんは、いつもの生き生きとした様子でなく、悲しそうにしていた。
社会人になった後の話をすると、双方暗い顔になってしまったので、話は自然とコヨーテ関連に移っていった。
いまだにストーカーなのかと聞くと、辞めようと思っている、と弱々しい返答が帰ってきたので、不審に思いながらも、私はゆっちんの背中をたたいた。
なにか悲しいことがあったんだな、と、私は冷蔵庫から酒を出し、ゆっちんの失恋話となくなりそうにないバームクーヘンを肴に、酔いつぶれるまで笑いあった。
翌朝、二日酔いで痛む頭を抱えていると、ドライブしないかとゆっちんに誘われた。
丁度予定もなかったので、私たちはゆっちんの車に乗り込み、ゆっちんの運転で私の住む街を周った。海辺を通りがかったとき、ゆっちんはぽつりと、何かを言った。
気づくと私は、車から投げ出されていた。どうやら、ゆっちんの自殺に付き合わされたのだと私が気づいたのは、病院のベッドの上でゆっちんの母と顔を合わせた時だった。
葬儀が終わってからひと月ほど。病院で怠惰を謳歌していた私の元に、一通の手紙が届いた。それは、ゆっちんの書き残しだった。
幸せの場でもらった、僕にはふさわしくない、あの大きなバームクーヘンを遺品としてやる、という、ぶっきらぼうに書かれた文字は、私の心を動かさなかった。
医者によれば、事故のときに失った記憶と感情は帰ってこないらしい。
そして。ゆっちんの母は、私の母を名乗ったらしい。
そんなわけない、と私は笑い飛ばして、今もまだ、惰性に沈んでいる。
解説的なものを、第二話として置いておきます。
よろしければ、ご覧ください。




