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第四十三話 魔界

「ここ……は」


 エレナは、最初に目に入った光景に思わず息を飲む。

 顔を俯かせた彼女の見た光景は、彼女の知る自然の大地の色とは大きく異なっていた。

赤。砂粒一つに至るまで、大地は真っ赤に染まっていた。


「……やはり私には、魔界が、この地が、受け入れがたい」


 ドレッドは一度、この地を訪れたことがあった。かつてこの地で、何千、何万という兵士が、憎しみで焼けた血液を、この地に流して死んでいった。


 だが、まるで初めから血など流れていなかったかのように、彼らの生きた真っ赤な証は、この大地の色に飲み込まれた。


 残ったのは、大地に養分を吸い取られた、空っぽの亡骸の山のみ。

 大自然の前では、自分達の戦い等、景観にすら影響を与えないのだ。


 その時の感情を思い出し、ドレッドはあの時の虚しさを思い出す。


「すごい、薔薇が一面に咲いてるみたい」


 エレナは、目を輝かせて、この世界を見つめた。


 真っ赤な大地だけではない。緑ではなく、青い植物の葉でしき詰まった森は、高濃度なマイナスの魔力を受け、生き生きと光を放っている。


 黄色の空は、青い空とはまた違った太陽の光を、エレナ達に降り注いだ。


「グアルさん、綺麗なんだね……魔界って」


「この地を訪れて、そのような事を言った人間は、エレナ様が初めてです」


「だって、本当にそう思うから……ミルヴァさんにはびっくりしたし辛いけど、魔族の皆さんの住む世界を見れたことに関しては、良かった……」


 エレナの口元は、震えていた。ミルヴァが裏切ったからか、突如見知らぬ土地に飛ばされた不安からかは分からない。それでも、数ヶ月仕えてきた女王のことは、ドレッドにも少しずつ分かってきている。


 エレナはこのような状況でさえも、気丈に振る舞おうと努力している。

 きっと、言葉は本心なのだろう。だが、数ヶ月前の彼女ならば、取り乱している。

 上辺を取り繕うのが苦手なエレナが今、上辺を必死に取り繕おうとしている。

 上辺だけの強がりをすることを選んだ。それがきっと、エレナの本心なのだろう。


(女王らしくなられた)そう、ドレッドは感心する。


 家臣の裏切り、命の危機、そのような状況に陥っても、彼女は折れない。


「ね、マークもそう思うよね!」


 エレナがキョロキョロと、辺りを見回す。


「エレナ様!」


 突如、マークが叫びながら、エレナを押し倒し、覆い被さった。


 風を切る音と共に、エレナをかばうマークの頭上3ミリを、一本の矢が音速で突き抜ける。


「ちっ、この神聖な土地で奴らに武器の使い方を教えたのは、間違いだったか。魔人族の面汚し共め」


 グアルの睨み付ける眼光の先には……」


「ガ……グアーーー!!」


 何百ものゴブリンの軍団が、エレナ達の前に立ちはだかっていた。


「エレナ様、ここは魔界です。この地に巣くう全ての生物が、プラスの魔力を持つ我々の命を奪いにかかります」


 マークがエレナにそう叫ぶと、ドレッドは剣を抜いて、マークによって仰向けに倒されたエレナを見下ろし行った。


「そう、ここは……戦場なのです」


 ドレッドは引き抜いた剣を高々と掲げ、叫ぶ。


「今、この地で散った兵士達の無念を晴らす!人の血肉を欲っし、理不尽に人々の命を奪い続けたゴブリン共!かかってくるが良い!私は強くなった!」


 そこにいたのは、痩せ細り、逃げることしか出来なかったかつての青年ではない。

 幾たびの戦争を乗り越え、幾度となく魔物達の屍を積み上げた実績のある一人の兵士。


「待ってドレッド!あんなに沢山いるんだよ!死んじゃう!」


 エレナの叫びを聞いたドレッドは、覚悟を決めた目で行った。


「それでも私は今、彼らの誇りと、貴方を守らねばならぬのです」


 若き日に散った友の亡骸を思い浮かべながら、ドレッドはゴブリンの軍団へ突進する。

 慕っていたミルヴァの裏切りという現実を、掻き消すように、ドレッドは雄叫びを上げた。


「行くぞー!!」


 ドレッドの叫び声に会わせて、グアルも剣を引き抜いた。


「同族であろうと、ここはお前達を滅する他あるまい。平和のために」


 剣は青い炎をまとい始める。やがて青い炎は元の大きさの数十倍、点にも届く高さに巨大化し、剣の形へと変貌する。


「下等なゴブリンに身を落とした前世の罪を悔やむが良い」


 グアルは、巨大な青い炎の剣を、ゴブリンの軍団めがけて振り下ろす。


「ギギ、ガガー!」


 ゴブリン達から湧き上がる、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い悲鳴。

 その一撃で、グアルはゴブリンの集団の6割を消し飛ばした。


「ギ、グヤー!」


 そして、残りの4割のゴブリンの集団が、命の危機を感じ、死に物狂いでエレナ達の元へとなだれ込む。


「させん!」


 ゴブリンの軍団の中にいたドレッドは上空に青の魔法陣を展開すると、森に映えた一本の大木を転送し、ゴブリン達の前線に落した。


 その大木の真ん中をドレッドは剣で切り裂く。すると、人一人が通れる程のスペースが大木の真ん中に空いた。


 そこに、ゴブリン達がよだれを垂らしながら剣を持って走って行った。


「マーク!俺がこいつらを倒すまで、その通り道を死守しろ!」


 ドレッドの勇猛果敢な戦いに、マークは圧倒されっぱなしだった。


「これが……魔界の戦場」


 ひるみながらもマークは、大木へと歩み出す。


 だが、マークの袖を、エレナは掴んだ。


「マーク……」


 酷く、怯えた表情をしていた。だが、エレナの言葉は、マークの予想していた言葉とは違った。


「ドレッドを、皆を、助けてあげて。マークなら、絶対にできるから」


 エレナは立ち上がり、袖を放すと、マークの背中を押した。


 二人の間に、それ以上の言葉はいらない。


 ひるんでいたマークの表情は、女王を守る兵士の表情に変わっていた。


「ここ……は、うっ」


 青の魔法陣特有の景色の歪みで、エレナはまた転移酔いを起こしてクラクラしている。

 両手で口を押さえ、座り込むエレナ。すると直後、聞き覚えのある声が、猛スピードでこちらに近づいてきた。


「エレナ様――!!」


 聞き覚えのある声の正体は、マークだった。


「申し訳ありません。護衛の身でありながら、エレナ様を転移からお救いすることができず。お怪我はありませんでしょうか」


 駆けつけるやいなやエレナより目線が下になるよう片膝をつき、背中を丸める。


「怪我は大丈夫。しょうがないよ、魔法使えなかったんだし。それよりも、ここって・・・・・・」


 エレナは辺りを見回した

 一面に染まる、血のように不気味な赤い大地。

 向こうに見える森の植物の葉は、エレナの知っている物とは違い、葉の色は緑ではなく青。

 一つ一つ森の木を見てみると、太い幹の先端はぐねぐねと迷路の様に曲がっており、下半分はまるで人間の足のように幹が二股に分かれ、地面に根ざしている。枝はまるで手を繋いでいるかのように一カ所にまとまり、隣の木の枝と絡み合っている。

 そんな木々が大地の果てまで続く。

 そして、緑色の空にかかる桃色の雲。

 それを突き破る程の高さを誇る、まるで槍のように尖った形をした赤い山。

 全ての景色が、エレナにとって初めて見るものだった。


「はい、ここは恐らく・・・・・・魔界です」

「魔界・・・・・・ユートが戦ってきた魔物達が沢山いる・・・・・・」


 そして、エレナの元を離れ、ユートは魔界に旅立ったきり、帰ってくることはなかった。


 王宮で修行中に学んだ、魔界の光景。マークもこの地に足を踏み入れるのは、初めてだった。


「安心してください、エレナ様は、私が全力でお守りいたします」

「いつもありがとう、マーク・・・・・・」


だが、その学んだ知識によって導き出された答え、それは残酷なもの。


「ですが、あと数日で我々人間側は、全員死に絶えるかも知れません」

「・・・・・・死ぬって」


 エレナの心臓が、大きく波打つ。

 死の原因に関して、それにこれまで全力で向き合ってきたエレナには、察しが付いていた。


「まさか、摩擦病」


 マークがコクリと頷く。


「魔界のマイナス地帯は、ユーシア王国の魔力の乱れとは比べものにならない程急速に、人間を重度の摩擦病へと追い込み、死に至らせます。転移した場所がプラスの魔力地帯、人間の領土付近でない限り、我々には・・・・・・望みがありません」


 冷や汗を流しながら、初めてマークは、エレナの前で恐怖に歪んだ素の表情を見せた。

 これまで幾度となくエレナのピンチを、その多彩な魔力の才能と高い技術による剣捌きで、救い続けてきた。そんなマークが、護衛という立場であるにも関わらずこの発言。

 どれだけまずい状況か、エレナにも容易に想像できる。


「望み等・・・・・・ある訳がない」


 エレナとマークの会話を聞いていたドレッドは、絞り出したような声でそう言った。


「我々を排除する為に動いたミルヴァ団長が、そのような中途半端な場所に転移させるはずがない・・・・・・なぜ、なぜなんだっ!」


 ドレッドは決してエレナ達の方を振り返らず、緑の空を見ながら、肩をふるわせていた。

 彼は知っていた。ミルヴァという騎士は、敵に対して、決して慈悲を示さない。

 殺さなければならない相手ならば、彼女は殺す。例えそれが、自分の見知った人物であっても。


 10年前。一度、同盟国であったエクオル共和国が裏切り、戦争になったことがあった。

 同盟国故、共同での演習も度々行われ、両国の騎士が見知った間柄だった。

 

 皆、同じ酒を飲んだ同士達を殺す事に酷く躊躇していた。それは当然、ミルヴァも同じだった。

 皆が迷い、苦しむ中、それでも一番最初に感情を押し殺し、敵陣地へと乗り込み、圧倒的な戦闘力で基地の一つを壊滅させたのは、ミルヴァ率いる第三師団だった。

 まだ、ミルヴァが17の時である。


 この頃、魔王が召喚される以前であるため、まだマークとエレナは幼かったが、28だったドレッドは、このとてつもない力を持つ若く美しい少女に、才能という物の差と、自分の至らなさを痛感させられた。


 もしもドレッドが反逆した戴冠式のあの日、エレナがドレッドに処刑を言い渡していたならば、ミルヴァは心を痛めど、一瞬の躊躇もなく殺していただろう。


 それほどまでに、ミルヴァという騎士は、主君の命令に忠実に動く。


「あの方は、王家が失墜し、政権がグリド様からユート様へと変わった時も、ユーシアを守る為、率先してユート様に仕える姿を我々に示し、背中で語られてきたお方だ・・・・・・誰よりも忠誠心が高かったミルヴァ団長が、我々を裏切るはずが・・・・・・!」


 その時、ドレッドはある可能性に気づく。


「もしも・・・・・・団長の主君が、エレナ様じゃなかったとしたら」


 ドレッドが動揺する中、同じく転移されたグアルが現れる。


「こんな状況でまだあの女の事を考えているとは、随分と呑気な物だな」


「・・・・・・なんだと?」


 ドレッドは静かに、怒り露わにする。


「本当の事を言ったまで。お前が考えねばならないのは、ここにいる者達をどうにかして、人間達の領土へ送り届けることだろう?」


 そう言いながら、グアルはエレナ達の背後を指さす。


 そこには、子供を含めた計9人。内子供が5人、グアル含めた村の戦闘員が男女併せて4人いた。

 皆、転移前にエレナ達の一番近くに座っていた人々だった。


「今ここにいるのは皆、魔力がなくなり始めた人間だが、体が受け入れる魔力の構造は変わらん。10日もすれば半分が悪魔に戻り、半分が摩擦病で死に絶えるだろう。そしてここは、かつて我らが魔王が、初めて地上に降り立った地だ」


 グアルのその言葉で、マークとドレッドは更に絶望の表情を浮かべた。

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