第25話 ひとときの平穏(1)
黒いローブを靡かせて、息を弾ませる。
普段はたしなめてくる使用人も今日はいない。
無事に秋の収穫を終え、また来年の豊作を願って開かれた収穫祭はランフロンド侯爵のカントリーハウスにて開かれていた。
到着して早々、父と共に主催者であるランフロンド侯爵や他の貴族への挨拶を済ませ、そのまま歓談に入る父を残して、魔女の仮装をした私は狼の仮面を被った男の子と一緒に遊んでいた。
「仲がいいね」
休憩がてら、噴水の縁に腰掛けて足をぶらつかせていた私たちは慌てて居住まいを正す。
声の主を探すと、噴水の向こうからメイドを連れた赤毛の少年が近づいて来るところだった。私たちよりも年上のように見える。
「クリス!」
知り合いなのか、狼さんが彼の方へ身を乗り出した。
「仮装しないの?」という疑問に、クリスと呼ばれた少年が白いシャツを着ただけだということに気づく。
「ああ、妹たちの仮装に時間がかかってね。僕はこれからなんだ」
そう言って、緑色の目がこちらに向く。
「初めまして。リリーナ・エドフォードと申します」
魔女の仮装をしていた私は三角帽子を外して、ドレスの代わりにローブを広げて挨拶をすると、相手もにこりと応えてくれる。
「僕のことはクリスと呼んで、リリーナ。それじゃあフラン、また後で」
これから仮装をするのか、クリスは一緒にいたメイドと共に屋敷へ向かって行く。
(フラン……?)
残された私は狼さんを見つめて首を傾げた。
それが彼の名前なのだろうか。
尋ねようとしたとき、彼が私の手を掴む。
「むこうで飲み物くばってるはずだよ。もらいに行く?」
「ええ。それで元気になったら、また出し物を見て回りましょう!」
彼の手を握ってそう言うと、仮面の奥で青い瞳が頷くのが分かった。
◇◆◇
(……そうだわ。あのとき、私だけ名乗ったんだった……だから、フランシスは私のことを覚えていたのね)
遠い記憶の中、あのとき一緒にいた少年は確かに『フラン』と呼ばれていた。
あの日はずっとふたりで一緒にいたから、名前なんて気にしていなかった。
『あなた』と呼んで、『きみ』と呼ばれて、それだけで充分だった。初めて会ったのにすぐに心が通じ合うような不思議な感覚があって、隣に彼がいるだけで満たされていた。
でも、今は後悔している。
あのとききちんと名前を聞いていれば、初恋の想い人を勘違いするなんてことはなかったのだから。
あるいは、誰もが目を奪われる彼の美しい銀髪を知っていれば、こんな遠回りなんてしなかったのに。
「……ごめん、なさい」
締め付けられるような胸の切なさに、自然と涙が零れた。
けれど、ふわりと柔らかい感触が雫を拭いとる。涙の痕を辿るようにして目尻にやってくると、それはちゅっと微かな音を立てて離れていく。
「ん……」
瞼を持ち上げると、目の前に包み込むような青い瞳があった。
「私、寝てた……?」
ああ、と答えた彼はその腕で抱えていた私をそっとベッドへ下ろした。
窓の外が暗くなっているところを見ると、すっかり夜になってしまったのだろう。
灯りの点いていない部屋で、月明りを受けたフランシスの銀髪が淡く光っているようだった。
「運んでくれたのね。ありがとう、フランシス」
今日は朝からキシンガム邸の図書室で勉強していて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
しかも、とある実験のために向かった地下の氷室でちょっとした騒動を起こしてしまったのだ。
「……メレディスの様子は?」
うかがうように見つめると、フランシスは首を振った。
「大丈夫だ。もう落ち着いている」
その言葉にホッとすると、どこからか小さな光の塊が現れる。元々はベレフという密偵と契約していた光の精霊だ。
仮面舞踏会の一件の後、屋敷へ戻った私は改めて自分と契約してくれた精霊を呼んだ。家族に気づかれないよう小さく輝きながら、精霊は私にクロムという名前を教えてくれたのだった。
「クロム、良かったわね。メレディスは怒ってないそうよ」
光の塊は嬉しそうにベッドの周りを飛び回る。
私は身体を起こして、微笑ましくそれを眺めた。
地下の氷室で行った実験というのは、他でもないこの精霊クロムの能力を確認するためのものだった。
意図しない契約だったとはいえ、私が洗礼を受けた目的は精霊魔法を使って自分の身を守れるようにすること。そのためには契約したクロムの力をよく知っておく必要がある。
外に光が漏れることのない地下の氷室であれば、クロムが全力で光っても問題ないだろうと、私は使用人に教えてもらった地下へと向かった。
暗く湿気を帯びた冷気に包まれた氷室には、冬の間に敷地内にある湖から切り出したという大きな氷の塊が並べられ、まるで時間すら凍ったかのような静寂が広がっていた。
「ここなら誰もいないし、大丈夫ね。よし、全力で光ってみて!」
私の合図に、クロムが意気揚々と光を膨らませていく。瞬く間に膨大な光が辺りを白く塗りつぶしたその瞬間、頭の奥をつんざくような悲鳴が走った。
慌ててクロムを止めると、暗い室内にキラキラとしたダイヤモンドダストが降り始める。
「な、なんなの? さ、さむい……っ!」
急に低下していく気温に理解が追い付かずにいると、出入り口の扉が乱暴に開かれた。
「メレディス! 何が……」
異変を感じ取ったのか、現れたフランシスは厳しい表情を浮かべていた。
彼は私がいることに気づくと、すぐに背後に鎮座する氷塊へ視線を移す。
「落ち着け。急にどうしたんだ」
氷の粒が降り続ける中、フランシスは虚空へ呼びかける。
「……なに、光?」
訝し気に眉をひそめたフランシスに、私はちょうどクロムの力を確認しようとしていたことを話す。
「なるほど。どうやら俺の精霊が光に驚いて悲鳴を上げたようだ」
言われてハッとする。
フランシスと契約しているのは氷の精霊。氷室のひんやりとした空気の中を漂っていても不思議じゃない。
「ご、ごめんなさい! てっきり誰もいないと思っていて……驚かせるつもりじゃなかったの」
フランシスの視線の先にある氷の塊に向かって、そこにいるであろう精霊――メレディスへ心から謝罪したのだった。
「氷室で休んでいたら急に辺りが明るくなって、かなり驚いたらしい」
フランシスはそう言って、私を横たえたベッドの脇に座った。
「あの悲鳴は精霊のものだったのね。……迂闊だったわ。私には姿が見えなくて」
「メレディスは姿を見せるのが好きじゃないんだ。君のせいじゃない。それに引き換え、君の精霊はよく姿を見せに来るが……これも性格の違いなのか」
「そ、そうなの!?」
「ああ。よく屋敷を駆け回っているのを見る。ただ、寝床にしている氷室にまで現れるとはメレディスも思っていなかったようだ」
途中で止めたためどれほど発光できるのかは不明なものの、その後にもいろいろと試したおかげでクロムが光速移動できることがわかっていた。
(光速というのは一秒に世界を八週できるほどの速さ……私が知らないうちに、ここへも顔を出してるのね)
「クロム、勝手に人様のお屋敷に入っちゃダメよ」
私の呼びかけに、浮かんでいた光が落ち込むように小さくなった。
そんな光に照らされて、フランシスの端正な顔がじっとこちらを見つめてくる。
「……」
「どうしたの?」
フランシス・キシンガムという青年は若くして侯爵の爵位を継いだことと、銀髪碧眼という稀有な容姿の美しさから、社交界では常に噂の的となっている。
彼が精霊教の巡礼に同行するため二年間国を離れている間も、それは止むことはなかった。
若き侯爵が巡礼から戻ればいよいよ結婚相手選びに本腰を入れるのではないかと、年頃の娘を持つ貴族たちはむしろ色めき立つ気配すらあったくらいだ。
そんな多くの貴族たちから注目される彼は今、その瞳に私だけを映している。
対する私は、彼こそが初恋の相手だと分かった今も、見つめられると気恥ずかしくて仕方ない。
「君は婚約者なのだから、この屋敷は君のものでもある。遠慮する必要はない」
クロムに節度を持った行動を促したつもりが、フランシスには他人行儀に聞こえてしまったらしい。
「フランシス……」
私たちの婚約に最後まで首を縦に振らなかったマルディニー大公は、先日の事件を受けて直接謝罪したいと邸宅へ招待してくださった。
これは貴族らしい遠回しな言い方ではあるけれど、顔合わせをしたうえで婚約を承諾するという意味だ。
「正式な婚姻までには面倒な手続きが残っているが、いつでも準備はできている」
巡礼から戻ってすぐに再会したときも、マシューお兄様のいる前で堂々と結婚を求めただけあって、彼の言葉に嘘はないのだろう。
(あのときは、てっきり政略的な判断で私と結ばれようとしているのだと思ったけど、ずっと本気だったのね)
ということは、彼の眼差しに独占欲のようなものを感じるのも、あながち間違いではないのかもしれない。
ギシ、とベッドが軋み彼がこちらへ身を乗り出す。
整った顔が近づいてきて、私はシーツを頭から被ってしまいたい衝動をなんとか堪える。
「……早く、君を迎えたい」
甘い囁きが耳元に吹き込まれて、そのまま彼の唇が首筋に落とされる。
「んっ」
ゆっくりと鎖骨まで下りてきた唇の行先に、身体が敏感に反応しそうになる。
「あ……それ、以上は……」
不定期更新になりますが、気が向かれましたらお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




