9.転生してきた武士
兄ヒサシ視点
真夏に妹が連れて来た男は、冬には新郎になった。
田舎はひざ下まで大雪が積もっても、東京には降らない。
家族総出で出席した妹の結婚式は盛大なものだった。
白無垢に色打掛、その上白いウェディングドレスとカラードレスに着替えた妹は、とても綺麗だった。
親父は号泣していた。
ゴンドラからスモーク焚いて現れたときはどうしようかと思った。
あれ、俺には出来ない。
最近の流行りらしいが。
「ヒサシも婚約者がいる身なんだから、ひなたちゃんの結婚式を参考にして、いい式挙げなさいよ」
親戚のオバサマというのは、どうしてこうも口うるさいのだろう。
俺の婚約者として出席してくれたマユミは、「わたしはここまで派手なのは、ちょっと……」と言ってくれたのでほっとした。
「でもお色直しは何回かしたいなぁ」と言ったので覚悟はしようと思う。
マユミの顔を見ながらふと思い出した。
『シロさん』が我が家に来た日と、彼女を認めてくれた日を。
シロは今日の新婦である妹ひなたがある日突然連れて来た白い大きな犬。
最初は家族のだれをも威嚇し、唸り、彼に触れるのは妹だけだった。俺以外の家族はそれを容認していたが、俺は彼にさわりたくて、何度もチャレンジしては玉砕していた。
そんなある日、住み込みで働いているミヨ姉が『シロさんに慰められた、肩をぽんってしてくれた』などと言い出した。
あの警戒心の強いシロが自分から人に触れるなんて、ミヨ姉の勘違いだと思っていた。
時間が経つとシロは家族に対して寛容になった。あるいは緊張感を解いたというべきか。
俺に対しては迷うようになった。
吠えて拒否を表明すべきかそれとも逃げるべきか迷った挙句、不承不承触るのを許す、といった調子だった。俺が触っていると、彼の緊張感が半端ないのが伝わった。
たぶん、ひなたに何か言われたんだろう。おにいちゃんはシロと仲良くしたいんだから、シロも我慢してとかなんとか。妹の命令には絶対服従のシロは自分の矜持と板挟みになりつつ、俺とも仲良くしてくれるようになった。
ブラッシングさせてくれるまで数年を要したが、それでも彼は隙を見せることはなかった。
一度、結婚したい女を連れて帰郷したとき、シロさんは彼女を激しく拒絶した。
『そいつはこの地にそぐわない。引き裂かれたくなくば去れっ』
そう言われた気がして、這う這うの体で逃げ出した。
すぐさま興信所を使った結果、俺が結婚したいと思った女は三股するわ、年を誤魔化すわ、挙句の果てに『妊娠したのあなたの子よ』と恥ずかしげもなく口にするような女だった。その当時の俺たちはまだ身体の関係がなかったにも拘わらず、だ。とんでもないアバズレだった。
シロさんのお陰で地雷女と手を切ることができた。感謝しかない。
改めて結婚したいと思った女性をつれてシロさんに面通ししたときは、途轍もなく緊張した。またシロさんに怒られたらどうしよう、そう思っていた。その時は俺の女を見る目が最低なのだから、もう結婚は諦めようとも思っていた。
シロさんは、マユミを拒絶しなかった。初めて会ったときの親戚や家族と同じ扱いをした。
マユミはシロさんを見た瞬間から彼に触りたがったが、彼はそれを許さなかった。
まるで、初めてうちに来たときのシロさんと俺だなと思ったら、なんだか可笑しかった。
成田空港で新婚旅行へ出かける妹夫婦を見送った俺は、東京の俺のアパートに帰宅した途端、田舎からの電話で愕然とした。
シロさんが行方不明。
留守番をしていたおチヨは、いつもなら夜になると帰るシロさんが、昨日に限っては帰って来ない、今日になっても戻らないと不安がっていた。
じいさまは、覚悟の家出だろうと言っていた。
シロさんも15歳を過ぎている。犬としては老齢の域にいた。自分の死期が近いことを悟り、死に場所を己で選んだのだろうと。
親父もおふくろも、似たような意見だった。
あのクールなシロさんのことだ。弱っていく自分の姿を俺たちに見せたくなかったのだろうと。
ひなたの結婚式当日の失踪、というのは自分の役目は終わったと感じたのだろうと。
そして誰もが困った。
ひなたには、誰が知らせる? と。
自分の結婚式当日に消えた愛犬。
ひなたのショックは半端ないものになるだろう。
「でも、ひなたにはシロさんが認めたタカヤくんがいるから、大丈夫だよ」
電話越しの俺のことばに、おふくろは納得したようだった。
泣いてもひなた専属のSPはもう来ない。でも永遠を誓った伴侶が傍にいるのだ。
シロさん。
あんた、やっぱりすげぇよ。潔い男の見本みたいだ。クールでストイックでご主人様一筋で。死の間際までかっこいいなんて、あんた前世は武士だったんじゃねぇの?
シロさん。
もし次に生まれ変わるなら、ひなたの子どもになってくるのもアリじゃねぇの?
そうなったら、今度は俺が伯父としてお前を猫可愛がりしてやるんだけどなぁ。
◇◇◇◇◇◇
「おとーさん、これがおとーさんのうまれたいえ?」
お盆休み。家族を連れて車での帰省。
父親の生家を初めてちゃんと見た三歳の息子は大喜びだった。過去に庄屋で一帯の豪農だったという実家の庭はそれなりの広さを誇る。自然大好き昆虫大好き息子が大はしゃぎするのは想定内だ。前に帰省したときは、じいさまとばあさまの葬儀や法事のときだったし息子自身も乳児だった。ゆっくり庭探検なんてできなかったから、その喜びもひとしおってところだろう。
そして初孫を迎え入れた俺の両親も大喜びだった。
「タケシ、じいじと近所に探検にいくか」
「うん!」
ひとしきり庭の探検を終えたあと、親父が息子を誘って散歩に出た。目の中にいれても痛くないって顔してたな。
俺は仏壇にお線香をあげる。じいさまとばあさまは先年に相次いで亡くなった。あの二人は仲良し夫婦だった。せめて息子の記憶に残るまで生きていて欲しかった。
「お父さんったら、タケシちゃんが来るって楽しみにしちゃって。子守りはあの人に任せてちょうだい。マユミさんも遠い処をありがとうね、ちょっとは休んでね」
お袋が麦茶をだして妻と話しをしている。……お袋、俺の分の麦茶は?
「やっとおじいさんたちの喪も明けたし、ひと段落着いたって感じかしら」
「ひなたちゃんたちは? 今回帰省するんですか?」
「それがねぇ、仕事の都合でマレーシアから帰れないって」
お袋がジェスチャーで「自分の分は自分で!」と示すので仕方なく自分でコップを持ち出す。
……なんというか、俺のこの家での扱いが昔から雑な気がする。
「あいつら仲良くやってんだろ? じゃあ、いいじゃないか」
「そうだけどねぇ、もっと気安く海外と連絡が取れればいいなあって思うのよ。ほら、国際電話って高いでしょう?」
お袋が愚痴を溢すのを真剣な顔で聞く妻。しょーもない話なんだから、話半分に聞いていればいいんだぞ? とはいえ、俺がノーリアクションだと妻が対応に困るだろう。んなことは簡単に想像がつくので俺も話に口を挟む。
「いずれテレビ電話が普及するよ。海外にいても目の前で喋っているみたいな時代が来るって……いつになるか分かんないけど」
SFの世界だねぇ。
「タケシが大人になるときには、そんな時代になってるかもしれませんね」
「そんときは、俺生きてるかなぁ」
「ねーねー、おとーさーん!」
親父と散歩に行っていたはずの息子が縁側から顔を出した。
「じぃじって、まえはもっとまっしろだったよねぇ?」
「まっしろ?」
「うん! あたま、まっしろだった!」
俺のじいさまは、年をとっても頭髪がフサフサで真っ白な人だった。親父はちょっと毛量が少なめで、真っ白というよりはグレー系。
……タケシ、誰と比べてる? 誰のことを言ってるんだ?
妻の父親は彼女が学生時代に亡くなっているので、タケシは会ったことなどない。
タケシにとっての『じいじ』は、俺の父だけのはずなのだが。
「近所に頭が真っ白のじいさん、いるか?」
「……居ないよ。保育園の園長先生はツルツル先生だし」
俺が妻とコソコソと話していると、焦れた様子でタケシが声を大きくする。
「おとーさん! ぼくまえにじいじとおさんぽしたとき、じいじはまっしろだったんだよ」
前にお散歩? そんな悠長なことしてたか?
「ヒサシ。もしかしてタケシは、じいさまの事を言っているんじゃないのか?」
タケシの後ろから姿を現した親父が、そう言いながら縁側に腰を下ろした。縁側にそのまま上がり込みそうな勢いの孫の靴を脱がせている。靴を脱いで部屋に上がるよう促された息子は、嬉しそうに俺の膝の上に乗った。
「タケシは『まっしろなじいじ』と散歩、したのか」
「うん! しょーがっこーまでいったよ! カエルがとびだしてきてふみそうになったの!」
「カエル、踏んだのか」
「ふまないよ! しょーりょーばったもぴょーんって!」
「バッタも踏んだのか」
「ふまないってば! おとーさんはひとのはなしをちゃんときいてる?」
三歳児のくせによく口の回る息子は、妻の口癖まで真似るから俺は遠い目になる。
「親父。小学校まで行ったのか? もうあそこ廃校だろう?」
「行っとらんよ」
「え?」
「俺たちは近所をぐるっと一周しただけだ……いやはや、勝手知ったるで庭から縁側を目指すし。頭が真っ白なじいさまと小学校まで散歩したのは、誰だったかなぁ……」
そう言った親父の視線の先には仏壇。
頭が真っ白なのは俺のじいさま。彼のいい笑顔の遺影が飾られている。
そしてその隣には、手作りのお位牌。
涙から立ち直った妹が作った『シロさん』のお位牌が並んで飾られている。
「……シロさん……」
俺の呟きを聞いた息子が、無邪気な笑い声をあげて俺を見上げた。
「ぼくタケシだよ、おとーさん!」
シロさんや。
まさか、俺のところに来るとは思ってもいなかったよ。
「伯父」の立場だったら無責任に猫可愛がりできただろう。
けれど「父親」だと猫可愛がりができないんだよ? 責任が伴うからね?
俺の膝の上で疲れて眠りこけた息子の寝汗を拭きながら、俺はそんなことを考えていた。
【おしまい】
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