File.EX -side:つみき-「積木(つみき)くづし」
本作は単体でもお読みいただけますが、全3部作の第2作目となります。
1作目となる『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』の世界観を知ってから触れていただくと、より深く楽しんでいただけるはずです。
▼『群青の嘘』はこちらから
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ゆうちゃんのお葬式が終わった翌日。
校内に漂う空気は、まるで冷たい重油でも流し込まれたかのようにどこまでも重く、不快に沈んでいた。
氷雨先輩の海での痛ましい事故。その直後に起きた、佐野先輩の屋上からの飛び降り。そして……昨夜、あまりにも突然に息を引き取った、大切な同級生のゆうちゃん。
吹奏楽部を襲った立て続けの悲劇に、学校中が気味の悪い噂話と猜疑心で満ちあふれている。誰もが互いを探るような視線を送り、廊下をすれ違うことすら怯えているようだった。
そんな狂気に満ちた放課後、わたしは指定された図書室へと向かっていた。
放課後の図書室は、不気味なほど静まり返っている。開け放たれた窓から届くはずの外の喧騒や運動部の声は、まるで別の世界の出来事のように遠く遮断され、利用者の姿はどこにもない。
西日の射し込まない奥の大型書架の影——誰も立ち入らない、誰の目も届かない隠れ家のようなスペースに、あいかはポツンと座り込んでいた。
「あいかちゃん……話って何? そんなに青い顔をして……」
わたしは、ここ最近ずっと様子がおかしく、まるで目に見えない何かに怯えるように全身を震わせているあいかを心配して、そっと優しく声をかけた。
あいかは弾かれたように顔を上げた。その顔色は死人のように青白く、目の下にはドス黒い隈が落ちている。
「つ、つみき……! どうしよう……! わたし、どうしたらいいの……ッ!?」
「え……? どうしたの、落ち着いて……」
「みーたんだよ……! みーたんが……みーたんが、みんなを消してるのかもしれないの……!」
あいかは痙攣する指先で、抱え込んでいたスクールバッグのチャックを荒々しく開けた。そして中からあの「みーたん」を取り出すと、わたしの目の前に無理やり突き出してきた。
入学当初、吹奏楽部に入部したばかりの頃。「これね、ママが入学のお祝いに手作りしてくれたんだよ」と、照れくさそうに、けれど誰よりも誇らしそうに大事にしていた、あの幸運のお守りのはずのクマのぬいぐるみだった。
「わたしね、氷雨先輩のことも、佐野先輩のことも……『嫌だな、いなくなればいいのに』って思っちゃったの! わたしがソロに選ばれたとき、先輩たちの視線がすごく怖くて……。それに、ゆうちゃんまで……みーたんのことを『イマジナリーフレンド』だなんて言っておかしくなったってバカにしたから……! だから、全部……全部みーたんが、わたしの願いを叶えて消しちゃったんだよ……ッ!」
ぽろぽろと大粒の涙を溢れさせながら、なりふり構わずすがるように必死で訴えてくるあいか。
その狂気と絶望に満ちた姿を見て、わたしの胸は締め付けられるような激しい痛みに襲われた。
——違う、そうじゃない。
あいかちゃんは、あまりにも優しすぎるんだ。先輩たちの死や、大切な友達であるゆうちゃんが事故に遭ったショックに耐えきれず、自分を責めるあまり心が壊れかけているんだ。
「——あいかちゃん。正気になって」
わたしにあいかの華奢な両肩を、痛いほど強く掴んだ。そして逃げ出さないように、真剣で、あまりにも真っ直ぐな眼差しで見つめえ返した。
「みーたんは……ただのぬいぐるみだよ。ぬいぐるみに人を殺す力なんて、あるわけないじゃない……! 連日の惨劇でショックを受けて、頭が混乱してるんだよ。辛いのは痛いほど分かる。でも……現実に目を向けて、あいかちゃん!」
わたしは心から危惧していた。
出会った頃のあいかちゃんは、控えめだけれどフルートを吹くことが大好きで、誰よりも純粋で温かい心を持っていた。そんな彼女が、怪奇現象や呪いなんていう妄想に逃げ込んで自責の念に押しつぶされようとしている。
だからこそ、一番の親友であるわたしがしっかりしなくちゃいけない。わたしが彼女を現実に引き戻し、守ってあげなきゃいけないんだと、そう強く信じて疑わなかった。
しかし、わたしの言葉を聞いたあいかの顔から、すっと感情が抜け落ちていった。
「……なんで?」
「え……?」
「なんでつみきまで、そんなこと言うの……? わたし、本当のことを言っているのに……! 一番の親友なのに……なんで信じてくれないの……!?」
「信じるとかそういう問題じゃなくて……! あいかちゃんを助けたいから——」
「もういい!! つみきなんて、大嫌い!!」
その瞬間だった。
室内を包んでいた空気が、急激に凍りついた。
泣き叫ぶあいかの背後に、目視できるほどの濃密な「何か」が立ち上る。
それはぞっとするほど巨大で、人の形をしたおぞましい「黒い影」だった。無機質なボタンの目を鈍く光らせ、わたしを嘲笑うように、歪んだ口元で不気味に嗤っていた——。
「きゃっ、あいかちゃん、何をするの……!?」
「いなくなってよ! みんな、みんな消えちゃえばいいんだ——っ!!」
あいかの細い腕を、まるでその黒い影が背後から操るように重なる。
彼女は狂人に取り憑かれたようなあり得ない力で、目の前にそびえ立つ巨大な木製の本棚へとつかみかかり、全体重を預けて勢いよく押し倒した。
メリメリメリッ……ドゴォォォォォンッ!!
悲鳴のような木材の軋み音と共に、数え切れないほどの重い美術書や大型専門書が、まるで牙を剥く崩落のように雪崩を打って崩れ落ちてきた。
「きゃあぁぁぁぁッ——!?」
逃げる間もなく、押し倒された重厚な木製本棚が、わたしの小さな体の上に容赦なく全体重を乗せて覆いかぶさる。
「……ッ、がはっ……!」
みぞおちを直撃した殺人的な重圧に、肺の中の空気が一瞬で吹き飛んだ。
バキリ、と自分の骨が折れる嫌な音が頭の中に響く。鈍い衝撃音の直後、倒れた本棚の隙間から大量の分厚い本と、わたしの体内から漏れ出したドス黒い赤色の液体が、冷たいリノリウムの床へと静かに、けれど確実に広がり出していった。
視界が真っ赤に染まっていく。
息が吸えない。体が、ぴくりとも動かない。
激痛の向こう側で、本棚の向こうに立つあいかの脚が見えた。
あいかは、血を流して倒れるわたしを……うつろな目で見下ろしていた。
その手には、あの紫色のクマのぬいぐるみ——「みーたん」がしっかりと握られている。
——あれは、一体何なの……?
あいか、それは本当に……ママが作ってくれた幸運のお守りだったの……?
遠ざかっていく意識の中で、わたしの脳裏をよぎったのは、恐怖でも、裏切られた怒りでもなかった。
巡ってきたのは、出会った日の記憶。吹奏楽部の見学で、不安そうにフルートを抱えていたあいかちゃんの笑顔。一緒に練習して、笑い合った放課後の温かな時間。
こんな姿になっても、わたしの胸を満たしていたのは、ただ一つだけの想いだった。
(……私があいかを、守ってあげなきゃ……)
(……あの子は、あの化け物に……食い荒らされているんだから……)
冷たくなっていく視界の隅で、声にならない血の泡を吐き出しながら、わたしはただ、暗闇の中へと完全に呑み込まれていく親友の背中を、いつまでも見つめ続けることしかできなかった。
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