第十四話:月の女神
少し時間が空いてしまいましたが、続きを投稿します。
「《月の女神》。私はこのカードでリュカを救ってみせる!」
ブランシュは、そう言い切った。その手に握られたルーンカードには、幻想的で美しい絵が描かれていた。
カードの中、深い藍色の夜空に浮かぶのは、銀色に輝く丸い月だ。その満月を背に、ひとりの若い女が立っていた。こちらには背を向け、横顔だけを見せている。
長い髪を風になびかせ、その手に握られているのは――青白くきらめく細い剣だ。
「《月の女神》か……また物騒なものを引き当てたな」
土地神の声が小さく、低い。それに返すブランシュの声もまた低く、わずかに震えているように聞こえた。
「ええ……戦いのカードだものね」
占い師として、師匠でもある祖母から何度も学んできた《月の女神》のカードの意味が、自然と頭に浮かんでくる。
《月の女神》。この世界では、戦いを司る神として知られている。同時に、非情の神としても語られてきた。冷酷に、あらゆるものを断ち切る存在だと言い伝えられている。
土地神は、ブランシュの周りを赤く光りながら回転する封印文字を避けるように、少し身を仰け反らせながら近づいてきた。
やはり土地神といえども、この封印にはあまり近づきたくないのだろうか。
「……それで、どうやってそいつを使う?」
その問いにブランシュは答えない。代わりに、片手を軽く上げて土地神を制した。今は意識を集中したい。
占い師は、カードを引くだけでは終わらない。そこから意味を読み解くことこそが、本当の力量を試される場所だからだ。
ブランシュは、ゆっくりと口を開いた。
「《月の女神》……このカードの意味は、戦い、非情。……そして断罪」
土地神は黙って聞いていた。ブランシュの声は冷静だった。
「かつて月の女神は、ひとつの国を治める女王だったと言われているの。けれど、彼女の恋人は敵国と通じ、国を裏切った……」
赤い封印文字は、ゆっくりと彼女の周りを回転していた。
「そのとき女王は、裏切った恋人を自らの剣でためらいなく切り捨てたと言われているわ。だから、このカードには《断罪》の意味があるのよ」
土地神が軽く首をすくめた。
「断罪ねぇ。罪や過ちを犯した者に、厳しい裁きを下すって意味だよな。ムチを振り回した罪で執事を裁くのか?」
ブランシュは真剣な顔で土地神に向き直った。
「そうじゃなくて。月の女神は、恋人を剣で切り捨てたのよ。だから、このカードには切る力があるかもしれないって思ったの」
土地神がハッとしたようにブランシュのほうを向いた。その視線は鋭かった。
「なるほどな……自分なりにカードを解釈したってことか」
ブランシュは、ゆっくりとうなずいた。
「もしこのカードに切る力があるのなら……使う場所はひとつだけ」
彼女は目を静かに閉じ、胸の奥に向かって語りかけ始めた。
(私が選んだこのカードの力を使って、封印を切って!)
ブランシュに反応したように、赤い封印文字の回転が加速し、よりいっそう締め付けるように輪を小さくしていく。
光の玉もブランシュの言葉に応えるように飛び出そうともがくが、封印に押し戻されてしまう。
祖母の封印は強力だった。
このままではリュカを助けられない。苛ついたブランシュは、思わず怒鳴ってしまった。
「もう! これじゃあまるで、お祖母様が私に課した試験みたいじゃない!」
「かなりの難関試験みたいだな。どーすんだ? リュカは見殺しか?」
キッと土地神を睨みつけたブランシュだが、土地神をかまっている暇などない。急がなければリュカが危ない。
祖母の封印などに負けてたまるかと、ブランシュは大声で言い放った。
「封印を切るのよ!断ち切れ!」
ブランシュの体内で輝く光の玉は、しばらく激しく動いたあと、動きがゆるやかになり、輝きまでも小さくなってきた。
「おいおい、その光玉、大丈夫かよ。弱ってきてぞ?」
ブランシュの目から見ても、光の玉は弱ってきていた。ブランシュは、自分が封印されることになったあのときの出来事を思い出した。
あのときは、確かに助かった。トカゲのような魔獣の襲撃を止めてくれたのだ。
いや、止めたどころではない。実際には、魔獣は一匹残らず全滅した。
ただ魔獣を全滅させたあと、ブランシュは力のコントロールを失ってしまい、部分的ではあるが街の破壊を許してしまった。
そのときのことを思い出すと、ブランシュは猛烈に腹が立ってきた。
「ちょっと! あんた、なんで弱ってきてるのよ!私の街を破壊したときの勢いはどこへ行ったの!ああ、そうなのね?あんた、私のおばあちゃんには敵わないんだ!」
ブランシュが罵ると、光の玉はピクンと動いた。その動きに勝機を見出したブランシュは、さらに煽る。
「ヴェルナーが無能無能ってうるさかったけど、ここで一番無能なのはあんたよ! ほんと、役立たず!」
その瞬間、ブランシュの胸のあたりで光の玉が生きているかのように脈動し始めた。
ブランシュの鼓動が、そのまま伝わったかのように、光の玉は力強く脈打つ。 そして、その脈動に合わせて、周囲を回っていた赤い封印文字が揺らぎ始めた。
「お、おい、封印がおかしくないか?」
土地神がそう言って指差した先には、ひび割れ始めた封印文字があった。
そのひび割れの内から、赤黒い光がとろりと漏れる。そして雫が垂れるように落ち、スッと消えていく。
まるで乾いた砂が崩れるように、ぱらぱらと封印文字が崩れ落ちていき、最後は霧のように消えていった。
「おいおいおい、封印を切るっていうより、引きちぎってないか?」
土地神は慌てて石畳を足先で払うようにして、封印文字の名残を探した。だが封印文字は何も残さず、全て消え去った。
封印文字の消失は、光の玉に絶大な変化をもたらした。弾かれたように飛び上がり、ブランシュの体の外へと飛び出していったのだ。
それは、細かな光を散らしながら空中でひときわ強く輝くと、そのまま石畳へと突っ込んだ。石畳の上で二度、三度跳ねると、そのままブランシュの顔の横を勢いよく通り過ぎた。
「うわっ!ちょっと、やめて!」
驚いたブランシュが、思わず腕で顔をかばう。しかし光の玉は止まらない。
怒りをぶつけるかのように、ブランシュのすぐ目の前を横切り、今度は彼女の周囲で荒々しく飛び跳ね始めた。
「おーおー、怒ってる怒ってる。無能って言われたのが効いたか?ははは」
緊急時だが、光の玉の動きがおかしかったのだろう。土地神は思わず吹き出してしまったようだ。
「土地神様、笑ってないでコレを止めてちょうだい!」
ブランシュは暴れ回る光の玉から身を守りながら、土地神に抗議の声を上げた。光の玉は、長い間、封印されていた怒りを、そのままぶつけているかのように激しく飛び跳ねている。
「いま、そんなことしてる場合じゃないのよ!」
そんなブランシュの焦りを見透かしたように、光の玉はわざと顔のすぐそばをかすめ、挑発するように鋭く跳ねた。
そのときだった。不意に、すぐ近くで鋭い音が響いた。
――ビュッシッ!
執事ヴェルナーのムチだ。
「あはははは!この無能め!その体にお前の無能さを刻みつけてやる!」
ヴェルナーの狂ったような笑い声が、円形広場に反響する。
リュカは執事から逃げ回るうちに、いつのまにかブランシュたちの近くまで追い込まれてきていたのだ。
ブランシュの目に、リュカが石畳の上を転がるように逃げているのが映る。
リュカはもうぼろぼろだ。体中をムチで打たれたのだろう。それでも、うまく逃げ回っていたのか、動けなくなるような傷はまだ負っていないようだった。
ただ、目の横は赤く腫れ上がっていて、ドレス姿ではなおさら痛々しい。
「うわっ!」
リュカの悲鳴が聞こえ、その声に被さるように再びムチが振り上げられる。
「リュカ!」
ブランシュは叫びながら、リュカの方へ走り出す。
「お姉ちゃん!こっちに来ちゃ……駄目ッ!」
リュカはブランシュを止める。背後から土地神の声も届く。
「行くな!お前も一緒にやられる!」
だがブランシュは、自分を引き止めるリュカの声も、土地神の声も無視して走る。
だが――
「間に合わないっ……リュカ!」
悲鳴にも似た声を上げるブランシュの横を、空気を切り裂く勢いで何かが飛んでいく。
「あれは!」
思わず声をもらしたブランシュの視線の先には、封印から解放された光の玉があった。
光の玉はスピードを緩めず、ヴェルナーの側を通り過ぎた。通り過ぎざまに、彼の頬を軽くかすめたように見えた。
ほんの少し、かすっただけ。そう見えたのに、ヴェルナーは勢いよく吹き飛ばされてしまう。
「グへ……シッ!」
かすれた悲鳴と共に地面を転がったヴェルナーだが、すぐさま頭を振り、意識をはっきりさせると、ふらつきながらも立ち上がった。
頬を手で押さえて痛みをこらえようとしたヴェルナーだが、その目はリュカに向かっているブランシュの姿をとらえた。
「まーた、お前か!ヴァレリー男爵の娘め。可愛いリュカリオン坊ちゃまは、私が躾をしている最中だ!手を出すなッ!」
ヴェルナーはそういうと、憎悪のこもった顔をにやりと歪ませ、リュカへとムチを振り上げた。
「ギャハハ!誰も私を止めることはできない!私は誰よりも優秀だぁー!」
――ヒュン。
空を裂いたヴェルナーのムチは、そのままリュカへと勢いよく振り下ろされた。
「リュカッ!危ないっ!」
叫びながら手を伸ばしたブランシュだったが、ムチの速さには敵わない。だがまだ距離がある。とても間に合わない。
もう駄目だと思った瞬間――
ブランシュの頬を、強い風圧が押す。
光の玉はリュカへ振り下ろされたムチへ一直線に飛び込み、その一撃を真正面から受け止める。
その瞬間――眩しい光が弧を描いて、あたり一面に解き放たれた。
「くそっ、眩しいッ!目が……目がッ!」
ヴェルナーは、両手で目を押さえて悶絶し始めた。
ブランシュもリュカも眩しさに咄嗟に目を閉じた。
輝きが収まったあと、リュカのそばに立っていたのは、ブランシュとそっくりな少女だった。
その片手で、ヴェルナーのムチを絡め取っていた。少女は身を挺してリュカを守ったのだ。
少女の肩のあたりまで伸びた、まっすぐな黒髪は、ブランシュの3本に編んだ銀色の髪とはまったく似ていない。
漆黒の髪は、白い神官服の色をいっそう際立たせ、目に痛いほど鮮やかだった。
そしてなぜか、空いているもう片方の腕には、茶色のクマのぬいぐるみが抱かれていた。
だが、何よりも奇妙だったのは、その顔がブランシュとまったく同じことだった。
「え?ブランシュお姉ちゃんが二人?」
「おいおい、双子か? 髪色が違うだけで、そっくりじゃねえか」
土地神はいつものように大げさな仕草で驚いてみせたが、今回は本気で面食らっているようだった。
ただ、ブランシュだけは驚いていない。むしろ緊張した顔つきで、自分とそっくりな少女に声をかけた。
「――ルナリア、リュカを助けてくれたのね」
ブランシュからルナリアと呼ばれたその少女は、目の痛みに悶絶するヴェルナーから視線を外さないまま答えた。
「まったく……いい加減にしてくださる?」
ルナリアは、ため息をつくように言った。その声もまた、ブランシュと同じ声だった。
「困ったときだけ無理やり呼び出して、そのあと封印するなんて。恥を知りなさい」
ルナリアの言葉に、ブランシュは反論しようとする。
「それは、あなたが街を破壊し――」
だがルナリアは、ブランシュに最後まで言わせなかった。
「まあいいわ。久しぶりの外出ですもの、楽しまないとね?」
そういうと、ぺろりと上唇をなめた。
「安心してよろしくてよ?街を壊すのは控えるから」
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