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1章ー1

 京都府の中心地である京都市西部、山城と丹波の境にある嵯峨山の麓から少し二条城に寄った右京区。京都の伝統ある建造物と日本建築が垣間見える近代的な建物が折り合っている。桜の蕾が膨らみを増して満開まで数日となり吹く風も春らしくなっていた。

 京都府、桜の名所の一角を担う大覚寺。伝統的な建築物と咲く桜を目当てに集まる観光客の多さ。楽し気に笑い、話をする声は穏やかでありながら賑やかだ。

この賑やかさに疲れたのか、親と逸れてしまったのか、5歳にも満たない女の子が1人上質な美しい着物が汚れる事を厭わず、朱柱と白い壁瓦の青い輝きが美しい心経法塔の横にある青々と空いた松の木の根元の突起に座っている。紅の地に春の花が咲く着物に黄色の帯を締めている。黒く長い髪を日本髪に結い上げられて簪がしゃらり、女の子が動く度に音を立てた。白い肌に美しく桜色の頬、小さな口元には紅が照り輝く。

その行き交う人々を眺めながら女の子は楽しそうにわらべ歌を歌い続けた。誰にも気づかれなくとも、気にすることなくあきるまで。


 前髪が春風に揺れ、襟足と耳まわりを吹き抜けさせ、心地よく焦茶の髪を靡かせた青年は急遽入った仕事の目的地へと赴く。最初の目的地である事務所を通り越して大覚寺に向かって歩き、身分証明に教団の紋章を大覚寺の職員に見せて中に入る。

 観光客のいない職員専用の通路を通り、表に出ると観光客の多さに前が見えなくなった。開かれる前の大覚寺が持つ清らかな空気とは全く違う混沌とした空気に喉が詰まった。

 昼過ぎ、いつもの歩く道は観光客達のあまりの多さで歩くことができず、風がより砂塵を舞い上げて喉が焼ける。受付や事務所に居る僧侶達とは違う僧服と袈裟に視線や観光客のカメラが向けられた。最初に訪れた時にはカメラを無断で向けられた時は戸惑ったものの、今では慣れてすぐに視線を逸らす。

「なんや、桜を見に来たんか、人を見に来たんか、わからんほどの賑わいですね」

 青年は離れていったカメラの気配に息をついた。隣を歩く身長の高く年上の青年に声をかける。

青年の姓は青城(あおき)、名を清春(きよはる)という。今年正式に使徒を育成する学院卒業試験である資格試験に合格し、使徒として京都出張所に派遣された新人である。急増する仕事量に疲れて判断が鈍る青城にとって、自身の仕事の倍をこなす篤志は超人のように感じられた。

せやなぁ、と息を吐ききながら周りを見回した後、篤志は白い歯を見せて笑った。

「けど、これは見回りや遊びに来たんとちゃうで」

しっかりしいや、と続けた篤志。

 青城に声をかけられた青年は岩沙(いわさ)(あつし)。青城が所属している教団の京都出張所の警備部を束ねる部隊長。人員不足である京都出張所の使徒達は少数先鋭で、若くして隊長を担っている篤志も大まかに三段階に階級分けされる使徒の中で最上位階級、更に3つわかれる中の下位にあたる座天使(ガルガリン)である。短気ではあるが面倒見が良く、爽やかで穏やかな性格、甘くもあり爽やかさがある整った容姿と鍛え上げられた細身の肉体、漆黒の短髪を持つ。京都出張所のスタッフに信頼されているが、特に女性スタッフには絶大な人気を誇る。

 その篤志達が所属している警備部は、悪魔討伐を担う正規部隊の花形である。事務所の警備から近隣の見回りまで担当し、依頼から生じる任務を遂行と様々。現在行っている大覚寺の見回りも警備部の日常任務の一部である。本日当番だった使徒に急の任務応援が出て出動した為、任務遂行完了した篤志達の班が担うことになった。

 不意に見上げた青空に薄桃に染まる蕾をつける桜が映え、優しく風が頬を撫でていく。

「まぁ、咲きかけの桜もええなぁ」

「また、いつみられるか―――」

わかりませんものね、青城の言葉は空に消える。穏やかだった篤志の眼差しが鋭くなり、ある一点を見つめたからだ。青城が再び声をかける前に多くの観光客をかき分けて篤志がその一点に向かって身を翻して進む。数秒何が起きたのか理解できずに固まった青城も後に早足で続く。

 心経宝塔の傍まで来て人波にのまれそうになる。いつもならば数分と経たずに駆けつけられる場所であるが、現在は観光客が多すぎて篤志の背を見失わないことが精一杯だった。松の根元にいる2人の子供のその目の前で篤志は足を止めた。一方の青城は、すみません、通ります、声をかけ続けながらやっとの思いでたどりつき、その傍に控えて数秒息を整えてから状況を把握し、疑問に思う。

 紅の地の着物に黄色の帯を締めて華やかな姿、幼い中でもわかるほどの美しい顔立ちの座っている女の子と厚手の上着とデニムを履いている洋服で決めている男の子がいた。女の子は不思議そうに男の子を見返し、一方の男の子は耳の先まで真っ赤に染め上げながら大きな声で怒りを露わにしている。

至って普通の日常、子供同士の口喧嘩に留まっているだけ良いだろう。困惑して篤志の顔色を窺った。鋭い眼差しはなりを顰め、溌剌とした笑顔を浮かべて男の子の視線に合わせて少々乱雑にしゃがんだ。

「どないしたんや、そない大きな声出して」

 篤志の声に、男の子は弾かれるように顔を上げた。口の開閉を繰り返しており、話したいことを感情が阻んでいることが見て取れる。小さな体も微かに震えていた。

―――子供の御守りかぁ、青城は心中で呟く。

「教えてくれへんか?」

 優しく背中を優しく篤志が撫でる。しばらくするとそのリズムに沿って深呼吸するとゆっくりと男の子は話し出す。

「あの子、間違った歌、歌っているのに、間違ってないって。間違っているのに!!」

「そうかぁ。そのわらべ歌、俺も知ってんで。住んでいる所で歌って変わるから面白いよなぁ」

 男の子は憑き物が落ちたように篤志を見つめて首を傾げた。

「住んでいるところで、ちがうの?」

「おん。でも、俺もばあちゃんからしか聴かんかったなぁ。きっと俺も君と同じのしっとうよ」

僕は先生に教えてもらったよ、小さく声が聴こえる。篤志は己の錫杖を隣にいた青城に渡した。―――その時だった。

 大きな声で女性が緊張した様子で誰かの名前を叫ぶ声が近くなってくる。その声に男の子が声の場所を探して視線と一緒に顔が動き始めた。

 擦れ違う観光客は皆、咲きかけの桜に夢中で子供のことなど気にする素振りはない。スマートフォンを片手に桜を被写体として数多くの写真を撮影して、そのアングルを確認しながら楽しく会話をしている。止めどなく聞こえる多くの話し声とシャッター音。その間から聞こえる女性の声を必死に探している。

「お母さんか?」

「うん」

そうか、小さく頷く。篤志は徐に懐に片手を入れて目的のものであるお守りを取り出した。深い藍色のお守りを男の子の片手に置き、その手に強く握り込ませる。

「これやるわ。このお守りが無くなってしもたら、また寺にお参りにおいで」

「これなんてよむの?」

「やくよけまもり、いうんや。悪いことから神さんや仏さんが護ってくれはるで」

 怒りと焦躁で震えながら女性が男の子の名前を呼び、どこ行っていたのよ、肩で息をしながら篤志の背後に立った。男の子は弾かれたように母親である女性の方に顔を向け、恐怖で身を固めて篤志の影に隠れた。篤志はにこやかに振り返り、男の子の背を軽く押して母親の前に立たせる。

「よかった。お母さんですね」

「もう・・・すみません」

「いえいえ、気を付けてくださいね」

申し訳なさそうに深く頭を下げる母親。爽やかに笑いながら篤志は落ち着いた声で言葉をかけた。足早に去って観光客の人波に消えていく母親に手を引かれた男の子は最後に小さく手を振った。篤志も笑顔のまま男の子に向かって手を振り返し、親子が人波に紛れるまで見送る。


 ―――完全たる子守。

 青城は女の子の片手を握りしめながら考える。青城の右隣には赤い着物の女の子が楽しそうに歩いていた。その反対側を篤志が女の子の手を握り、見回りの再開をして最後の大沢池を歩く。

 心経宝塔の松の根元で座っていた女の子は、男の子が姿を消しても一言も話すことなく篤志の僧服の袖を握りしめて離さなかった。篤志は拒む事無く袖を掴む女の子の小さな手を握りしめて歩き出したのだ。篤志の錫杖を返して青城は錫杖を返したその手で女の子の空いている左手を掴んだ。

至極嬉しそうに笑って共に歩き出した女の子は可愛らしく、それでもいいか、と考えを改めた。

 かごめ かごめ みやいのなかのとりは 

 いついつであう よあけのばんに

 あかとあおがおっこちた 

  うしろのしょうめんだあれ

 女の子は嬉しそうに握り染めた手を左右交互にしながら前後に揺らして歩いている。

 男の子が怒った時も篤志が笑いかけた時も女の子は話すことはなかったため、一方的に怒られて話すのが怖かったのか、と青城は思っていた。どうやら違うらしい。

「珍しいわらべ歌やな、誰に教えてもろたん?」

唄が一巡した時、篤志は前を向いたまま女の子に問いかける。女の子はこともなげに答えた。

「みんな歌っているよ。とどかないだけ」

「そうか、それは残念な話やなぁ」

 見回りは全て終了し、事務所に声をかけて大覚寺を出た。教団の事務所に帰るために市街地に出る。そこには観光客の姿は無い。地元の人間もいない時間帯らしく、落ち着きのある静けさがあった。畑と住宅の間をアスファルトがぬって通っており、古墳や古道が多いこの地域の建物は低く空が近い。傾き始めた太陽が3人の影を長く伸ばす。

「・・・で、何しに来たんや」

「―――え、あ」

 普段の面倒見の良い活発な兄貴肌の篤志が発する鋭い声に青城は息を詰めた。女の子が怖がってしまいますよ、篤志に言いたくても青城の口元は震えて動かない。

「さがしにきたの。でも、見つからないからかえる」

「ひとりで帰れるか?」

「うん」

 平然と答える女子は笑みを崩さず、篤志と青城の手を離して数歩前に出てくるりと振り返って紅の着物が綺麗に舞う。笑みをそのままに女の子は篤志の顔を覗き込んだ。

「おにぃさんは死相が出ているから、次の大きなお仕事せんほうがええよ」

 わらべ歌を歌いながら女の子は春の風に吹かれ、はじめからそこに居なかったように消え去った。

「・・・は?え、消えた?」

 消えたんですか、衝撃のあまり脳内に繰り返す青城。見たものが脳で理解された瞬間、驚愕の叫び声を上げる。歩き出していた篤志も立ち止まり、立ち止まっていた青城の方に振り返った。

「なんや、気づいてなかったんか。普通の迷子やったら大覚寺の人に預けるやろ」

「―――あ、そっか・・・」

今頃気づいたか、篤志は小さく笑う。ため息を付き、青城は深く項垂れた。

 何故、あの時気づかなかったのか、今までの事象を振り返ってみれば気づかないはずがない。男の子が母親に連れていかれた時、周囲の視線が無くなった。モデルよりも美しい小さな女の子の着物姿、それが見えていたのならば観光客の被写体になり、撮影会場に早変わりしていてもおかしくない。青城はその光景を既に体験したことがあった。あの地獄は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。何故、そうならなかったのか、答えは1つ。観光客に女の子が視えなかったからだ。自覚した途端恥ずかしくなり首元から熱がせり上がる。

 夕日が顔にあたって暑いのか、自身の熱で暑いのか青城にはわからなかった。その青城の姿をみた篤志は歯を見せて爽やかに笑う。

「ようは慣れや。まぁ、そのうち嫌でもわかるようになるわ」

「―――は、はい」

 かえるで、気の抜けた篤志の声。先を歩く篤志を待たせてはならない大きく返事を返し、青城は足早に隣に並んだ。

「篤志さん、次の仕事が大きかったら死ぬ、ゆうことですよね」

「こないな仕事していたら死相なんて気にしてらそれこそ死んでしまうわ。第一俺は死なん」

「それ聴いて安心しました」

 篤志は深いため息を付きながら断言する。強い意志のこもった声に安心した青城は白い歯を見せて笑う。篤志が青城の髪をかき混ぜるように粗く頭を撫ぜた。


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