93 その頃の姉
「ねえ、日向は将来的に独立するの?」
ネットで猫の動画を見ていると、ソファーに座っていた美穂が私を見ながらそんな事を尋ねて来た。
「突然何よ。まだ病院で働き始めて1年も過ぎて無いよ」
研修医を終え、4月からは専門医として柴田医院で働き始めたばかりである。まだまだ学ばなければならない事も多く、今の段階で独立したいとは欠片も思っていない。
「うん。だけど将来的な事を考えれば独立しても可笑しくないでしょ? 資金的な面で不安は無いだろうし」
まあ、将来的に柴田医院で不足するであろう診療科目について気にしているんだろう。実際の所、働き始めて思うのだけど、今まで働いていた病院と比べても設備の老朽化などが感じられる。
「独立するつもりは無いよ? 今の処は開業するメリットは感じられないし、収入面に於いても不満は無いから」
そこまで高給を期待している訳でもない。一生働かなくても問題ないくらいの資産は既にあるし、その為、周りの雑音に振り回されずに集中出来ている気がする。
「そこは、美穂が居るから他には行かないよっとか言って欲しいなあ」
相変わらず馬鹿な事を、態々私をチラチラと見ながら言う美穂。
まあ、そんな能天気な所に救われている事もあるんだけどね。そんな事を思いながら、美穂の頭を軽くはたく。
「で? 馬鹿な事言ってないで、何を悩んでるの?」
私と同じく4月から柴田医院で働き始めた美穂だけど、やはり院長の娘という事で何かとプレッシャーを感じているようだ。
「改めて働き始めて思うんだけど、ここ5年、10年とかで世代交代が必要だよね? 日向は今後も働いてくれるとしても、色々と問題ありそう。人員不足は否めないなあ。にぇ、日向ぁ」
個人病院としては中々の規模を誇る柴田医院だけど、それ故に抱える問題と言うのは結構深刻だ。働き出したからこそ判るのだけど、一番の問題点はやはり医師の高齢化だろうか。
「何となく何を言いたいのか判るけど、日和は駄目よ。あの子は昔から内科か小児内科を希望しているんだから美穂の希望とはズレるでしょ」
「そんなぁ。でも、内科だったらうちに来れば良いじゃん。小児科は無いけど」
「小児科は将来的に先細りしそうだからね。今から無理して作る必要は無いよ。ただ、内科はまだ余裕があるでしょ?」
出生率が減少の一途を辿っている。その余波は医療関係にも影を落とすことは間違いがないし、医療科目の中で一番影響を受けそうなのは小児科だろう。
そもそも日和まで柴田医院に取り込もうと考えているのが甘いと思うけど、まあ其処は指摘せず今は放っておこう。ただ、今の柴田医院に不足するであろう診療科を見た時に、やっぱり日和は戦力にはならない。
私自身が専門科目を決める際に、頭の片隅に柴田医院の事が過らなかったと言えば嘘になる。そんな私だってまだまだ未熟な手技を必死に鍛えている所だ。あと10年はベテランの外科医が居て貰わなければ困る。
しかし、何と言っても美穂は柴田医院の後継ぎである。各診療科目における後継者の確保は、将来的な課題であることは間違いがない。
「うちの両親ももうじき還暦でしょ? それに外科の堀田先生が55歳だし。日向が来てくれたにしても、更に補充として引っ張れそうな人が欲しいなあ」
「うん、外科だとやっぱり経験がいるし、生半可な人は嫌でしょ? 私としてもベテランが居なくなるのは怖いし、出来れば40代の先生が居て欲しい」
何と言っても外科手術は命に直結する。それ故に手術のみならず事前の診断においても経験が大きく影響してくる。
「そうだよね。でも、中々これって先生は居ないんだよね。大学に誰か良い人が居たら紹介して欲しいって頼んであるんだけど」
国公立の大学病院などに勤務する先生が狙い処ではあるんだけど、それは誰もが考える事だ。それ故に狙い処は私学の大学病院で経験を積んだ先生になるだろうか。
「あ、そう言えばMRIが欲しいんだけど、寄付するから買っちゃダメ? 柴田医院ってCTはあるけどMRIは無いでしょ? やっぱりMRIは欲しいんだよね」
MRIによる画像診断は重要である。それ故にMRIの画像を他の病院に依頼して撮影してもらう事がある。それは何かと不便であるのだが、その価格は本体だけでも1億から2億円程、更に設置場所などの改装費が発生する事で柴田医院では購入を見送っていた。
「ちょっと! 簡単に言うけどMRIって高いのよ! そんな簡単に言わないで!」
日向が相当の資産を持っている事を美穂も知っている。そんな資産家である日向にとってMRIの購入は負担にならない訳では無いだろうが許容範囲なのだろう。日向の言動からそれは感じるのだが、美穂としてもだからと言って簡単に済ませても良い話ではない。
「ずっと働くなら有る方が便利でしょ? 寄付するからおじさんに上手く話してよ。将来的にも絶対にマイナスにはならないから」
「そりゃあ病院的にはマイナスにはならないけど、MRIの寄贈は普通じゃないよ! 給料の何か月分になるって思ってるの! 日向、あなたちょっと可笑しいからね! 自重して」
日向は、美穂に言われて首を傾げた。
「自重って、普段から自重してるでしょ? そんなに高い買い物とかもして無いし、そりゃあ今回のMRIはちょっとかもだけど。それ以外だと前に買った車? あれだって車検通して今も乗り続けているし、服や鞄も邪魔になるからってそんなに買ってない。まあ、時計と金は投資的な意味で少し買ってるけど、あれは投資も兼ねてるし」
日向には、前世で時計や金が異常な値上がりをしていた記憶があった。
「うわ! これ少し前だともっと安かったよね!」
前世ではそんな事を何度も思ったのだ。
勿論、株などの知識は欠片も持っていなかった日向だったが、アクセサリーや時計などに関しては日和以上に知識がある。そして、当時は子供である小春に掛かる費用の事もあり、買い取り屋で金のネックレスなどを売却した経験もあった。
「うわ! 金の値上がりが真面目にヤバい! でも、助かった」
母子家庭という事で子供に負い目を負わせたくない。そんな思いで育児をしていた為、両親達の支援があったとはいえ月によっては思いっきり足が出る月もあったのだ。
今生に於いては母と妹のお陰でお金を心配する必要が無くなった。自分は一切関知しない所で、妹のお陰で大金を持つことが出来た。前世においてお金に苦労しただけに、妹への感謝の念は非常に強いし、自分では無駄使いを控えていたつもりである。
それ故に美穂の指摘に思わず首を傾げた。必要以上に無駄なお金を使ったつもりは欠片も無かったから。
「うん、無駄って言ったら違うかもだけどさ。日々の食事やら何やらで普通じゃないの自覚しよ? そもそもお給料の範囲では毎月赤字出てるでしょ? まあ、日向はマンション収入もあるから、そっち含めれば黒字何だろうけど」
「え? そう? あまり気にして無かったけど」
そもそも、私は家計簿を付けていない。スーパーや飲食店での買い物も含め支払いはカードが殆ど。そのお陰で毎月の支出金額はだいたい把握しているつもりだったのだけど。
「カード以外にも割り勘だけど光熱費もあるし、ガソリン代もあるでしょ?」
「銀行引き落としもあるし、気にはしている。でも、其処までの金額にはならなくない?」
そう言って改めて収入と支出を突き合わせると、確かに病院のお給料だけでは足りていない。
「ほら、専門医になったお給料で足りてないんだから」
美穂と一緒に収入と支出を書き出して、思わず絶句してしまった。
「気が付かなかったけど、結構支出してたわ。え? 結構ショックなんだけど」
私の発言に、美穂がわざとらしく溜息を吐いた。
「まずは化粧品。あと、外商に勧められるままに物を買うな!」
うん、そこはちょっと自覚があったりする。特に金の購入をした辺りでデパートの外商さんが来るようになった。中々時間が無い私としては、色々と便利なので重宝していたんだけど。
「そもそも、外商がつくって事は、それだけ買い物をしているって事だから! そこを自覚しなさい」
「うう、判りました。でもさあ、私が目を付けられたのって美穂のせいな気はするけど」
「うん、気のせい。日向が其処まで買い物していなければ気にもされない」
でもね。そういう美穂だけど、美穂もちゃんと? 外商のお世話になっている。美穂のお父さんがデパートのゴールドメンバーなんだ。そして、外商で駐車券のサービスを受けに行った時に声を掛けられたのが始まりだし。
「で、話しが逸れたんだけど、MRI買っても良い?」
上目遣いで美穂にお伺いを立てると、大きな溜息の後に不承不承で美穂のお父さんにお伺いを立ててくれる事になった。
でもさあ、お金出してMRIを買ってあげるって言ってるのに、何で私が怒られるんだろうか?
そんな思いが表情に出ていたのだろう。というか、思いっきり不貞腐れた顔をしていたかもしれない。美穂がくつくつと笑いながら私にしがみついてくる。
「何よ! 重いんだけど」
「拗ねない拗ねない。でもさあ、日向のお父さん側の親族って馬鹿なことしたよね~。親しい関係を築いていたら老後だって安泰だったでしょうに。億単位の寄付を簡単に決めるんだよ? 毎月100万くらいなら介護費とかでくれそう」
先日、日和の勤務する病院に従兄が来たとの連絡が入った。まあ、美穂にはとっくに父方の親族との関係は伝えてあったので、その際も面倒事に成らなければ良いねと言われただけだけど。
「う~ん、今更想像は出来ないけどね。ただ、四日市のお祖母ちゃんの為なら思いっきり支援するよ。今はお母さんが色々と手配しているけど、何かあれば私も日和も支援すると思う」
「だよね。日向もそうだけど、日和ちゃんも身内判定した人にはスッゴイ甘いよね。ほら、良子ちゃんなんて普通なら支援何てせずに退学してたか、意に沿わない結婚して不幸街道まっしぐらだったよ。いくら金銭的に余裕があるとはいえ、良く介入するなあって思ったもん」
うん、あれには実は私も吃驚した。今では何かと親しくしている良子ちゃんだけど、私だったら恐らく友人関係が解消されて終わってた。まあ、もし美穂が同じような境遇になっていたら思いっきり介入していたと思うけど。
「日向もだけど、日和ちゃんも優しいよね。でも、二人ともちょっと無防備かなあ? 日向も悪い男に騙されないように気を付けてね。絶対お金目当てで擦り寄って来る男とかいるから。気になる男がいたら相談してよね?」
「なんか話が飛んでない? そもそも、私は一緒に暮らしてるよね! 異変があれば美穂だって気が付くでしょ! 伊達に小学生からの付き合いじゃないんだし!」
何か結構マジな感じで美穂が言うので、私も咄嗟に真面目に返してしまった。しかし、日和はともかくとして、私は大丈夫じゃないだろうか?
「日向って、結構男を見る目が無さそうだからなあ。まあ、洋一君で決めるなら及第点?」
「ちょ! 何を言い出すの! 洋一さんとは別にお付き合いして無いから! 怖! 何言い出すの!」
洋一君とは美穂の従兄の事だ。幾度か柴田家での集まりで顔を合わせ、確かに何度かは食事をした事がある。ただ、今一つ決定打に欠ける所がある為、それ以上のお付き合いには発展していない。
「う~~~ん、まあ、まだそんな感じかあ。うん、判った」
「何が!」
うんうんとワザとらしく頷く美穂に対し、私は必死に話を聞き出そうとするのだった。
ちょっと文章がごちゃごちゃしたので修正しました。
修正出来ていると良いなあ




