89 思いもよらない遭遇
研修医としての勤務が始まり、忙しいながらも其れなりに充実した日々を送っている。
まあ、格好良く言えばなんですがそうなんですが、毎日実際は時間に追われて何とか一日を終えているというのが本当ですけどね!
実際の患者さんの診断に立ち会って、先生とは別に自分なりの診断をする。そして、診断名に差異が無ければ良いのですが、差異が発生した時には症状などに基づき意見交換を行う。
これは、指導医の先生が合っていて私が間違っているという話ではなく、お互いに聞き取った内容から何故そういった診断をしたのか。お互いに意見をぶつけ合って原因を推察する。
勿論、指導医の先生の方が多くの経験をしている為、色々な観点、例えば私だと見落としそうな症状、今までの病歴、現在使用している薬なども考慮して判断している事を学ぶ。国家試験を通ったからと言って、まだまだ医師としては卵の殻を背負った状態。早く半人前になる為にも覚えなければいけない事が非常に多い。
「患者さんに接してるから、学生の時以上に自分の診断が合ってるのか、間違ってないのかが心配になる」
「大学の勉強と違って答えが判らないからね。解答を見れば正解が出ている訳じゃ無い。だから誤診しない様に慎重に診察しないとだね。問診から判断できる内容も非常に多いし、逆に惑わされる事も多い」
午前中の診療が終わり、午後に行われるミーティングで現状の問題点を話し合います。その中で患者さんの問題のみならず、現状私の抱える問題点なども話し合われます。
「鈴木さんは患者さんとのコミュニケーションは上手ですよね。落ち着いた話し方って言うのもありますが、キチンと聞き取りも出来ています」
看護師の水島さんから高評価を頂きますが、精神年齢を考えれば此処にいる皆さんより上なんです。勿論、医師としての経験などは論外ですが、少々難のある方とお話しする経験は結構ありますから。
「ありがとうございます。でも、子供だと具体的な説明は難しいですし、親御さんも色々とテンパってる方とか、特に若いお母さんなんかは支離滅裂な時もあって吃驚しました」
「若いお母さんって言っても、鈴木さんとそう変わらない年齢なんですがね。っていうか、鈴木さんより年上の人が多いか」
南部先生の返しに笑いが起きました。まあ晩婚化が顕著になってきていますから、結構な割合で30代中盤のお母さんが多いですね。そう考えると今の私の年齢より10歳は年上ですね。
「20代でも、30代でも、子育て初心者はかわりませんし。それに、最近は虐待とかを疑われないかって変な心配をされる人もいます。実際はどうなんですか?」
子供への虐待は、今後より社会問題になって来ます。ニュースでも度々報道される様になりますし、その兆候を見逃さない事は重要ですよね。ただ、その事に異常に神経を尖らせているお母さんとかもいて、逆にそういう方は色々と慎重に判断しないとと此方も神経を使います。
「体の痣、特にぱっと見では目立たない処の痣には注意が必要だね。あとは怪我の種類。特に火傷などの場合は原因、火傷を負った場所、状況などをしっかりと聞き取る必要があるね」
「うちの病院でも過去に通報した事もありますよ。内向的な子供は特に慎重に聞き取りが必要ね」
「ですね。あとは発達障害も慎重に判断が必要ですね。最近では広汎性発達障害やADHDも含め様々な症例が増えて来ていますが、世の中の理解が進んでいるかと言えばまだ偏見などの方が強いです。アスペルガーは有名人が自身で公表して一気に認知が進みましたが」
この頃の日本人はまだまだメンタルクリニックを受診しない傾向にあります。どうしてもご年配の方達が持つ偏見が悪い方向で残っているんですよね。その為、子供の発達障害などで悩む両親による虐待などが増加して来ています。
その何割かは親の知識不足が原因。ただ、今後の未来ではネット社会が進む過程で良くも悪くも知識を得やすくなり、少しずつ理解が得られるようになって行く。
「文字を認識出来ないとか、知らなければ判らないですよね。違和感を感じてはいても努力を強要したり。努力で何とかなる話では無いんですけど」
「難読症ですか。昔からある一定数いるとされていますが、統計を取られた事は無いですからね。親御さん達も今までは周囲に隠す傾向があります」
「幼少期の環境などの後天的なものとは違い、先天的な病気は難しいですよね」
小児内科で研修を始めてから間もなく3カ月が過ぎようとしています。その中で、一般的な内科の診察区分のみならず、子供の発達に関わる相談も多数ある事に驚きました。
「祖父、祖母と共に暮らす家庭も減ってきましたし、母親としても安心して相談できる相手が少ないんですよね。その為、母親自身が鬱などの病気を発症したりして、それが子供への暴力や育児放棄に繋がる。医学が進歩してもこればかりはね。さあ、ミーティングに戻りますよ!」
南部先生の話で一区切りをつけると、私達はミーティング内容を午前中の診察における意見交換へと戻しました。
そして、午後のミーティングが終わると研修医が集まってカンファレンスが始まりました。今後、所属する部署における情報交換や其々が抱えるテーマなどを論議します。通常夕方5時から始まるのですが、終わりが見えないところに落とし穴があったり? 6時半には終わる予定なのですが、内容によっては普通に延長します。
そして、一日の仕事を終えて帰宅する為に病院内を移動していると、目の前から見覚えのある人が車椅子を押しながら歩いてくるのに気が付きました。
「ん? あれ?」
最初に目に入ったのは車椅子に乗せられた子供でした。現在、小児内科に勤務している為、ついつい子供には視線が向きますし、ましてや車椅子に乗せられていれば気になります。
「ん~~~、骨折とかかな」
子供の右足にギブスが嵌められている事から、恐らく骨折でしょう。まだ4~5歳ぐらいの子供の為、何とも居た堪れない気分になります。そして、その車椅子を押す人物へと視線を向けると、どことなく見覚えのある顔のような?
あれ? もしかして、和夫さん?
父方の従兄弟の和夫さんとは、もう何年も会っていません。それでも、最後にあったのが和夫さんが大学生になったくらいだった為、大きく容姿が変わる事が無かった為に気が付くことが出来ました。
うわあ、それでも老けたなあ。そっか、子供がいるって事は結婚したんだ。家とは絶縁状態だから連絡も取りようが無いしね。
以前あったお金の無心などで、結局父方とは絶縁状態になりました。
最後の決め手と言っては何ですが、今のマンションに引っ越しした事も連絡しませんでしたし、あちらは私達が今どこに住んで居るかは知らないと思います。お父さんも会社を辞めちゃいましたし、携帯電話なども着信拒否になっているはず?
こちらにお金があると判ると、思いっきり当てにされそうですし。それによって私やお姉ちゃん、そしてお母さんへの態度が変わる事も無いでしょうし。まあ、態度が変わってもですけどね。
どうしようかなあ。向こうがこっちを覚えているとは限らないし、私が医者に成った事も知らないはず。それに、私が和夫さんに最後にあったのが高校生くらいだから、容姿も大分変わったし判らないよね? 大丈夫だよね?
そんな事を思いながら、内心では思いっきり緊張して横を通過する事にしました。視線は車椅子に座っている子供に固定です。
前を向くことを意識しながら和夫さんの横を通り過ぎますが、ついついすれ違う瞬間に、ほんの一瞬だけ和夫さんを見ちゃいました。そして、和夫さんも何気なく? こちらを見ていた為に視線が合わさったけど、うん、私の事に気が付いた様子は無い? 無いよね?
何とかこのまま無事にすれ違えるかと思ったのですが、その時、タイミング悪く後ろから声を掛けられてしまった。
「鈴木先生!」
「はい」
「はい! っえ?」
周りに患者さんなどがいるからの先生呼びで瀬古さんが声を掛けて来た。声で瀬古さんだと判った私は、何気ない風を装って瀬古さんに返事を返す。
「瀬古先生お疲れ様です。急ぎましょう」
このまま立ち止まるのも良い結果を生まないと、瀬古さんを急かして移動する。瀬古さんは一瞬怪訝そうな表情で私を見る為、私は視線というか、目の動きで瀬古さんへと注意を促した。
「足を止めさせてすみません。急ぎましょう!」
私の様子に何となく変だなっと思った瀬古さんは、チラリと和夫さんに視線を向けた後に私を押すようにして移動を開始する。
「本当にごめんなさい。若しかして変なタイミングで声かけちゃいました?」
「そんな事無いですよ。まあ、タイミングが悪かったのは確かですけど」
苦笑を浮かべる私です。
その様子に何となく違和感を感じた瀬古さんは、後ろを振り返り怪訝そうな表情を浮かべた。
「さっき鈴木さんの横にいた患者さんの家族っぽい人、じっとこっち見てるけど知り合い? 鈴木先生って呼んだらあっちも反応してたけど」
「あちゃあ、気づかれちゃったかなあ。実は絶賛絶縁中の親戚」
「うわ! ごめん! 最悪のタイミングで声かけちゃった」
謝ってくれる瀬古さんに、苦笑いを浮かべながら大丈夫だよと返事をする。ただ、今後何かしらの接触を図って来ても可笑しくは無い。
下手に話が伝わるとお金の無心をしてくるとかは有りそうだなあ。お父さんに援助しろみたいな事言ってきてたみたいだし。姪が医者に成ってるって判ったら、そりゃあねぇ。
あっちの祖父母の印象は非常に悪い。そして、それに輪を掛けて印象が悪いのは伯母だ。何かにかけて母をライバル視して貶して来る。従兄弟の二人に対しては男の子だった事もあり一緒に遊んだ記憶も無いし、あまり印象に無いというのが本当かな。
「久しぶりだから気が付かないでくれると助かるんだけど、名前を調べられたら解っちゃうか。しかし、子供連れてたけど結婚してたのかぁ」
「それも知らなかったんだ! ってことは、マジでごめんなさい」
まだ確定じゃ無いかもしれないけど、名前を確認されればバレると思う。鈴木だけなら兎も角、日和は割と珍しい名前だからなあ。面倒な事にならないと良いけど、無理だろうなあ。そんな思いだけが頭に過るのでした。




