失われた神話
それは一冊の本だった。
ナイル王国の書庫の奥、最早誰も足を踏み入れない様な古い記録が整理される事もなく乱雑に積み上げられている場所で、一人の少年が一冊の本を夢中になって読んでいた。
魔族の角にエルフの耳、獣人の尾を持つその少年はこの国の王家の末っ子として生を受けたのだが、その生活は不幸では無いが、幸福とも言えない物だった。
王族としての地位と高い魔力を持つ為、冷遇されている訳ではなく、また両親や兄姉からも愛情は受けているが、そこには目には見えない壁があった。
混合種で有る少年は、どの種族にも属さないが故に孤独であった。
そんな少年が手にしているのは既に神話と呼ばれる様になって久しい歴史の記録。
遥か昔、『イブ』と言う一人の少女が居た。
慈愛に満ちた少女は人々の為に身を粉にして働き、人々もそんな少女を愛した。
ある日、大きな災害が起きて大地に異常な魔力が溢れた時、少女は自らの身を器にその魔力を抑え込んだ。
その結果、少女は精霊となった。
そして死後、今はその名も忘れられた古の神々により天界に招かれた少女は、この世界から旅立つ神々に代わり、この世界を見守る役目を与えられ女神となったので有る。
そして、少女が神となった時。
存在が変質する時にこぼれ落ちた力は幾つかのカケラになって少女が愛した人々の魂へと宿った。
それが『イブ』の力。
『イブ』の力は世代を超えて人々の魂を渡り歩き、様々な恩恵を与えた。
世界の歴史に稀にあらわれる希代の天才や英雄として、あるいは世界に危機を齎す脅威として時たま歴史に顔を出す。
本を閉じた少年はその目を輝かせる。
少女の生き方に感動し、その愛に心を震わせ、世界の命運を左右する力に畏れ慄いた。
幼き日の憧憬は次第に歪んだ憧れとなり、人の身でありながら天界へと至ると言う目標を抱く様になる。
自らもまた『イブ』の力を宿す少年は、天界と人間界の間に存在する精霊城に封じられた魔神の復活を目論む悪魔と、倫理観を持たない知識の探求者で有る魔族の錬金術師と出会う事で、その目標に向う速度を上げる事になった。
そして今、青年となった彼はその目標に手を掛ける所まで来ていた。
距離は有った物の、確かに愛してくれた家族や生まれ育った国、守るべき民を犠牲にして天界へと繋がる道を開いた。
目的は違うが、同じ道を目指す強大な悪魔の英雄の力も利用し、ここ迄来た。
目の前で魔力を吐き出す自らが作り上げた人造精霊。
そして青年と同じ……いや、更に大きな『イブ』の力を宿す女。
あと一歩。
あと一歩なのだ。
夢の実現を目前にした青年は心の底から湧き上がる歓喜を笑みで表して足を踏み出す。
「さぁ、これで仕上げだよ、エリー。キミの『イブ』の力を頂く……俺の為に死んでくれ。神器【三日月の夜】」




