余命二年
四十歳になる頃には鏑木烏真は死ぬらしい。
そう告げる医者の言葉があまりのも淡々としていて――
――あまりにも静かすぎて、まるで他人事のように聞こえた。
白い診察室――机の上に並ぶ検査結果。何かを説明している医者の口が動いている。病名だったのか、進行速度だったのか、治療法だったのか。
きっと、そんな話をしているのだろう。
だけど烏真には、そのほとんどが耳に入ってこなかった。頭の中でずっと《余命二年》という言葉だけが響いているだけだった。
四十歳になる頃に、どうやら生が終わるらしい。
死ぬことに不思議と恐怖はなかった。代わりに胸の奥へ広がっていったのは、どうしようもない空虚感だった。
《探索者》になりたかった。
誰よりも強く。
誰よりも本気で。
それだけを夢見て生きてきた。
だが現実は残酷だった。
魔力なし。
スキルなし。
それでも諦めきれず、烏真はダンジョンへ潜り続けた。
誰よりも長く、少しでも強くなるために。
上げ続けたレベルだけが、唯一の誇りだった。
その誇りは何の役にも立たなかった。
レベル【50】
それが烏真の限界だった。
本来ならレベルは才能によって成長速度こそ違えど、上限に辿り着くことはない。
時間さえ掛ければ誰もが【100】へ届き、才能ある探索者なら【120】から【130】へ、更にもっと上を目指すこともできる。
だが烏真だけは違った。
レベル【50】
そこで成長が止まった。
どんなモンスターを倒しても。
幾度とダンジョンへ潜っても。
数え切れぬほど命を懸けても。
それ以上だけは決して上がらなかった。
ついにはライセンス試験にも合格できなかった。
ライセンスが無ければ中層より先へは潜れない。だから烏真が行けるのはライセンスが無くとも立ち入れる上層だけだった。
それでも諦めきれなかった。
いつか――。
いつか父のようになれるかもしれない。
そう信じていた。
しかし《余命二年》という言葉は命の終わりよりも先に、夢の終わりを突き付けてきた。
「……そうですか」
烏真は現実を受け入れる言葉が漏れていた。
「……」
医者は何かを言っている。しかし烏真は立ち上がる。
これ以上聞いても意味はない。
夢は終わったのだから。
診察室を出る。そして病院の自動ドアが開いて、
「そうか……終わりか――――」
しかし烏真が終わろうが街は何も変わらない。
人々は歩き続けている。
自分だけが取り残されたような気がした。
ふと視線を上げる。
巨大な街頭モニター。
そこには攻略配信が映っていた。
『みんな~。おはひひろ~。本日は~難波ダンジョン深層に向かって攻略するよ~』
今まさに歩き続けていた人々が一斉に立ち止まり、スクリーンを眺めている。それと同時に歓声が湧き、表示されている映像には無数のコメントで埋め尽くされている。
画面越しに輝く探索者たちの姿。その中心で笑う一人の女性が見える。
自分には最後まで、届かなかった場所だ。
そして烏真は立ち止まる。
スクリーンを少しだけ眺めて、だけど目を逸らして誰もが立ち止まり配信の様子を見つめている中で烏真だけが歩き出した。
そこは自分が行けなかった場所だ。
憧れ続けて、届かなかった世界だ。
ふとポケットの中でスマートフォンが震える。
画面には祖母の名前が表示されていた。母が若かったから祖母はまだ元気だ。むしろ老人扱いすれば烏真が怒鳴られる。
電話に出るかどうか……躊躇いながらも烏真は通話ボタンを押した。
「もしもし」
『烏真かい?』
「ああ」
『どうだったんだい』
少しだけ沈黙する。
答えは簡単だった。
「ばあちゃん、俺……田舎に帰るよ」
その一言で十分だった。
『そうかい』
そして電話越しの向こうで祖母は一瞬黙ったけれど、
『いつでも帰っておいで』
祖母はそれ以上聞かなかった。
何かを察したのかもしれない。
あるいは昔からそうだったように、烏真が話したくなるまで待ってくれただけかもしれない。
病気のことも、余命のことも――何もかも聞かれることはなく、『家はいつでも空いてるよ』――そう言ってくれた。
烏真は目を閉じる。
帰る場所がある。
それだけが救いだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――烏真が戻ったのは祖母の家ではない。
父が遺した家だった。
山と田畑に囲まれた田舎町。
かつて父が《探索者》を隠居するために建てた家。
父が母と出会ったのもこの村で……この村の一角にいつか穏やかに暮らすためにこの家を建てたらしい。だが、その未来は訪れなかった。烏真の父と母はもうこの世にいない。
それでも家だけは残った。まるで帰りを待ち続けるように。
祖母は近所に住んでおり、時々様子を見に来てくれる。だからまだこうして綺麗なまま残っている。
こうして全てを諦めた男は、逃げるようにこの地に帰って来た。
それから季節が巡る。
春は過ぎた。
夏が過ぎた。
秋も過ぎた。
冬も終わった。
烏真は何もしなかった。
何かを始めることも、何かを終わらせることもなく。
剣を握ることも、ダンジョンへ向かうことも。
気付けば余命の半分を終わらせた。
夢が叶うこともなく。
病気が治ることもなく。
ただ生きているだけだった。
残された時間はあと一年。
その日も特に理由はなかった。
納屋の掃除をしていただけだ。どうして気付かずに見落としていたのだろうか。布に包まれた埃をかぶった一本の剣。
見間違えるはずがない。
それは……父の剣だった。
「父さんみたいに……」
烏真は静かに手を伸ばす。
「……誰かの力になれる《探索者》になりたかった」
一瞬、伸びた手が止まったけれど――その手はしっかりと父の剣に触れた。
重い。
だが不思議と馴染んだ。
子供の頃、父はこの剣を担いでダンジョンへ向かう背中を見た。
名声のためではない。
金のためでもない。
助けを求める誰かのために。
それが格好良かった。
だから《探索者》になりたかった。
烏真は父のようになりたかった。
「……情けないな」
苦笑が漏れる。
三十九歳――そんな烏真は一年後、四十歳を迎えて死ぬ。
ライセンスなし。
レベルは【50】で止まったまま。
結局、探索者として認められることはなかった。
だが、どうせ死ぬのだ。
あと一年しかないのだ。
ならば――
「だったら最期くらい――」
剣を肩に担ぐ。
夕陽が射し込む。
長い影が床へ伸びた。
「――夢を追いかけてみよう」
父のようにはなれなかった。
それでも最期くらいは、あの日あこがれた背中を追ってみたかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
翌日。
早朝。
関西最大のダンジョン――《難波ダンジョン》
ゲートを潜った瞬間だった。
「……え?」
ダンジョンに入った瞬間だけ身体が軽くなった。
胸を締め付けていた痛みが消えている。息が苦しくない。まるで病気になる前みたいに。いや、それ以上かもしれない。
烏真は思わず周囲を見回した。
理由は分からない。
だが、不思議と恐怖はなかった。
むしろ嬉しかった。
久しぶりに。
本当に久しぶりに。
生きていると感じられたからだ。
そうして歩き出した時だった。
「……あれは、なんだ?」
視界の端。
病のせいで左眼の視界も悪かったのに、いまはやけによく見える。
壁の一角に違和感があった。壁と壁の間が透明のように見えて、その先に道が見えるのだ。それをなんというか、
入口。
そうとしか思えない空間。
それなのに誰も見向きもしない。
探索者たちは誰一人としてもう一つの入口に気づかずに通り過ぎていく。誰一人としてまるで存在しないかのようにすら思えてしまって。
このまま無視して進むべきか……烏真は立ち止まる。あんなものは見覚えがない。
少なくとも難波ダンジョン上層をひたすら歩き続けている烏真にとって庭にすらひとしい場所だ。このまま一気に中層の入口に向かって行くつもりだったのに。上層にこんな入口があるなんて聞いたことがない。
(隠し通路か……?)
いや、そんな報告は聞いたことがない。
ダンジョンには未発見領域が存在するのを聞いたことがある。ネット上の都市伝説だとばかり思っていたが……。
今の状況ならその可能性がいちばん自然だろう。
しかし、そんな入口が上層にもあるとは思えない。だけど、どうせ死ぬのなら――本来なら立ち入られない中層より先まで行くつもりだった。
(俺にだけ……見えてるのか……?)
誰一人としてその入口を進もうとはしない。
どれだけ最大規模を誇るダンジョンであろうとも上層で足を止める探索者などいるわけもなく、いまはもう烏真だけしかいない。
そんな烏真だけがその入口へ足を踏み入れる。
しかし烏真は、まだ知らない――
自分にだけ見えたその入口が――終わるはずだった人生を大きく変えることを。
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