迷探偵と名探偵(笑)(1)
「晨星ちゃ〜ん、アレおねが〜い」
間延びした声がアトリエに響く。
統香の視線の先、晨星と呼ばれた少女はその呼びかけにピクッと反応し、手を止め、顔をあげた。
「統香、コレどウ」
主のお願いは知ったこっちゃないのか、晨星はスケッチブックを掲げる。
そこには不恰好なりんごとガラス瓶、そしてティッシュ箱が描かれていた。
「おっイイじゃん。やっぱ武術家だけあって目が良いな。
形を正確に捉えるのって難しいのに、やるねぇ」
凡そ半月前。世界一の武術家『李・晨星』は一宮との決闘に敗れ、統香の下へ下った。
『下った』と言うとどこか命を握られるような、弱肉強食な含みを感じさせるが、実際は共に手を取り合うような、そんな平和的なものであった。
『仲間入り』『加入』と言った方が適切な、そんな気安い関係である。
「フン! もっと褒めるヨロシ!」
「でも筆圧が強すぎて画面が汚れちゃってるね」
「ウグッ!」
その気安さが、デッサンの指南を受ける様子からも見て取れた。
今回の登用はハウスメイドのまこっちゃんとは異なり、用心棒としてのもの。
主である統香は生活の場、そして鍛錬の場を提供し、晨星は一宮一人で事足りていた統香の身辺警護をより盤石のもとするために武力を提供する。
晨星からしてみれば、世界に二人しか存在しない自身を打ち負かす者が常に身近に居る。それ即ち鍛錬の質の向上が見込め、食事と寝床も確保出来る事から、浮いた時間を鍛錬に充てられるようになる。
プライドから一度は断ったものの、その実態は願ったり叶ったりなものであった。
が、それが存外暇を持て余した。
屋敷内を徘徊し、敷地内を散歩し、絢爛華美な装飾品の数々を眺めるなどして時間を潰すも、そんなものは数日で見慣れた日常へと成り果ててしまう。
一宮と組み手等実践的な鍛錬をしようにも、当の一宮は統香のお世話や来客対応、使用人への指示伝達など忙しなく活動しているため、我儘を言うのは憚られた。
また、これまでであれば日の入り以降は睡眠に充てていた晨星であるが、この家には昼夜逆転の悪魔に取り憑かれた者が存在する。
しかもその者はこの屋敷の主であり、ショートスリーパーの気が強い機械人形でもない晨星は、その生活リズムの相容れなさから肩身の狭い思いをした日もあった。
そのため晨星は、普段の鍛錬の他に、型や新技の開発等を終えた後のこの時間を、絵の練習に充てる事にしたのだ。
「ムム……」
改善点を指摘された、晨星は鉛筆を摘んだ。
筆圧が強すぎる。
これが一般の、例えば学校の美術部における顧問から部員への指導であれば、鉛筆を握る力を若干緩めるだけであるため、改善は容易だろう。
「ムムムゥ……」
しかし、彼女にはそれが酷く難しく。
「ムムムムムゥっ……!」
体質由来のため、改善も難しく。
緊張してか、その指先には若干の力が入ってしまい、
バキッと、鉛筆が割れた。
「アウッ!」
「あーりゃりゃ」
割れた──いや、潰れた。
晨星の特異な体質からなる超握力により変形してしまったのだ。
「いよいよ要るか。特注」
「……ウン」
晨星の特異体質。ミオスタチン関連筋肉肥大。
筋肉の成長を抑制するミオスタチンの機能が低下し、筋肉が強く、大きく発達する遺伝性の疾患である。
晨星が抱えるそれは通常とはやや異なり、膨張するはずの筋肉は高質高純な功夫の影響から、その外見に変化を起こす事はない。
どこにでもいるチャイナ娘の外見のまま、その中身はボディビルダー垂涎ものの肉の宮を誇っているのである。
そんな国家予算並みの筋肉を誇る晨星。武術家であるため、部位鍛錬にも余念がない。
それもあってか、このようにして日常生活へは支障が出てしまうし、息をするだけで成長を続ける筋肉の膨張を抑えるために大量の食事が欠かせないという問題がある。
比武に於いては利するも、文明社会への適応はままならない事の方が多いのが現実であった。
「それはそうとこれ、お願い」
と、落ち込む晨星へ流れをぶった斬るように統香が差し出したのは、空になったラムネ瓶である。
「あ、ウン」
“これ”
この一言で意思の疎通は取れ、晨星は右手中指の先を親指の腹で押さえた。
「ホイ」
軽く。雑に。繰り出したのはデコピン。
が、その威力は我々の知るものと隔絶していた。
『パァン』
無論──ではなく有論。
これは瓶に指先が着弾したが故の炸裂音ではない。
弾いた中指。その指先が音速を越え発生したソニックブームによるもの。
風圧で瓶を砕いたが故の『パァン』である。
瓶の上部は雲散霧消。
探そうにも視認が不可能と言えるレベルでの破壊であった。
「サンキュー。ビー玉好きなんだよなぁ」
「子供ネ」
二人は"大根を正宗で切る"を地でいくのだった。
* * *
「まこっちゃん、晨星ちゃん、さーいしょーはグー……
「あ?」
「什么?」
じゃーんけーん──
「ちょっ、は!?」
「ホイ」
ぽん」
「うあっ、りゃあっ!」
「はいまこっちゃん後出し〜しかも負け〜」
「こっ、こんなイキナリじゃしょーがねーだろ!」
「コレ何ネ?」
「ふっふっふっ。当日までのお楽しみだ」
「はぁ……?」
「真、アイツ変ヨ。距離置くヨロシ」
「置くかぁ」
* * *
それから幾日か経ち、現在。二人の艶やかな黒髪が潮風に靡いた。
一宮とジャン勝ちの晨星が、船着場に降り立ったのだ。
「いい風ですね」
「ン! 気持ちイ!」
と言うのも、そのジャンケンが催された前日にとある依頼が舞い込んで来たのである。
「うっ……ぷ……」
そのため、当然統香も居る。
船酔いでグロッキーになりながら、手摺りに捕まりやっとの思いで二人に続いた。
「マエストロ、生きてますか?」
「統香はだらしナイネ」
「お前らが、おかしいんだよ、うぷっ……はぁ……船旅で、何で平気でいられんだよ……」
船旅。
そう、依頼の舞台はキューブ南西百キロメートル沖に位置する離島『ヘミスフィア』。
極めて透明度の高い海水と白砂青松なビーチが名物のリゾート地で、比肩するものが無いとまで賞嘆される夕景や、島名の由来にもなった、どこまでも続く水平線に夕陽が沈んでいく絶景を目当てに多くの観光客が押し寄せる、キューブ有数の観光スポットである。
そんなヘミスフィアでの依頼。それは、ここ数年観光客が減少傾向にある原因とされる、とある噂の真相の調査であった。
なんでもこの時期、観光シーズンの特定の時間帯にのみ、白装束に斧を携えた謎の存在が姿を見せるそうで、その実態を確かめてほしいというのだ。
なお、本件は国から協会へ直接依頼された案件であるため、その報酬は目玉が飛び出すような額であったそう。
信用、報酬、利益。
国という太客。失敗は許されない。
そのため満場一致で槍玉に挙げられたのが、協会に所属する芸術家の中で最も信頼出来る人物。参天第壱位『八月朔日統香』であった。
「……てか、ほんとに港の目の前にあるんだな」
「まさに玄関口ですね」
と、一行は港を出てすぐ。道路を挟んだ向かいに位置する老舗の宿屋『二分輪荘』へ到着した。
二分輪荘。
その歴史は古いか、年季の入った屋号や枯山水の歓迎からは、慎ましやかな佇まいの中に確かな気品が見て取れる。統香の屋敷とはまた違った趣きを感じさせるつくりであった。
「ごめんくださぁ〜」
尤も、一刻も早く休みたい統香の目にはその一切が映らなかったが。
さて、
そんなこんなで期限は三日。
丑三つ時にのみ現れるという白装束の調査。
協会の威信にかけて必ずその真相を解き明かすべく、立ち上がらされた三人の数奇な冒険譚は幕を開けた。
* * *
「ごめんくださぁ〜」
晨星にしても聞き慣れた声が二分輪荘へかかる。
それから間も無くぱたぱたと、磨りガラスの引き戸に薄緑の影が。
「はいな、八月朔日様ですね」
静かに開かれた戸の向こうから現れたのは、一人の妙齢の女性。
日本の和を感じさせる恰好、所作でもって、ふわりと漂う桧の香りと共に、三人を淑と迎えた。
「承っております、どうぞこちらへ」
「あスあス」
対する統香。そのうち薹が立とうに、権力目当ての縁談すら一切無い理由が手に取るように分かる。
何はともあれ、三人は女将の案内に従って戸を潜った。
連れられたは『泡沫の間』。
二階角部屋。最上級らしい客室へと通され、恭しく頭を下げた女将は、静かに退室し戸を閉めた。
「結構良いんじゃね?」
「ですね。日当たりも良くて」
子連れの一家が余裕を持って宿泊出来るだろう広さに軽い感想を述べると、統香は窓を開け、そのまま煙草へ火を点けた。
次いで一宮も火を点ける。
「ふあぁ〜〜……」
「フゥ……」
ヤニカス率が過半数を占めるこの部屋であるが、喫煙に異を唱えるとはいかないまでも、疑問に思う者が若干一名。
「ソレ、そんなニ美味いカ?」
武術家『李・晨星』。
武術の鍛錬に人生の大半を費やしている身からすれば、心肺へ悪影響を及ぼす煙草は毒と言えた。
そのため晨星に煙草を吸った経験は無く、また、吸うつもりも無い。
無いがしかし、二人のヤニカスが見せる至福の表情には若干の求心力があった。
故郷の大人はいつも難しそうに煙草を吸っていた。何か作業をしながら眉間に皺を寄せ、まるで、口寂しさから仕方なく吸っているかのようだった。
否が応でも興味を惹かれた晨星は、副流煙を少し吸い、よくわからない香りに「う〜ん?」と唸り、終ぞ直接尋ねるに至ったのだった。
「美味い。美味いと言うか、美味い」
「です。都市部の爛れた空気より身体にも良いです」
しかしいざ返ってきたのは、要領を得ないカスの感想である。
これでは肝心の味がよく分からない。
こっそり吸おうと机の上に置かれた箱へ手を伸ばすも──
「こら、未成年に吸わせたら私が怒られるんだから、吸うなら屋敷に戻ってからにしな」
パシンと叩かれてしまった。
「ム……ワタシ十九。故郷じゃ成人ヨ。お酒も飲んだ事あるネ」
晨星は手の甲を摩りながら恨めしそうに統香を見つめるも、
「でもキューブは日本と同じ。二十歳までは駄目なんです」
「ングゥ」
一宮からの正論援護に押し黙ってしまった。
「ごめんよ。帰ったら吸おうぜ」
「ムゥ、約束ヨ……」
私有地内であろうと法律違反に違いは無いのだが。
* * *
一服を堪能し、時刻は十五時。三人は女将をはじめとする従業員への聞き込みを開始した。
明確な役職はないらしい、謂わば雑用担当である若い衆である大和田、佐藤、村井の三人は、どうやら日本の企業より派遣されたリゾートバイトのスタッフのようで、噂の仔細、またその背景等は何も知らないようであった。
──かに思われたが。
「陰謀ですよ陰謀!
属国であるキューブの栄華が気に食わない日本政府の陰謀です!
キューブ上位の収入源であるこの島の観光業へ大打撃を与えるために政府が流布した根も葉もない噂です!」
目を充血させ、鬼気迫る表情で唾を飛ばしながら熱弁するは大和田。
「普通にイベントかなんかなんじゃないんすか? 夜叉から逃げろって、リアル脱出ゲームみたいなノリでしょ」
どこか冷めたようにそう語るは佐藤。
佐藤は人の目をあまり見ないタイプのようで、その視線は常に廊下のあちこちへ向いていた。
「でも観光客が減っているのは事実みたいですね。
私らバイトも数年前は十人くらいいたらしいですけど、今年は私らの他に二人しか居ませんからね。
陰謀論が囁かれるのも、馬鹿馬鹿しいとは思いますけど納得しちゃいますよ」
穏やかな口調で答えるは村井。三人の中では唯一の女性であるが、聞くところによると残りの二名も女性だそう。
男女比二対三とは、大和田と佐藤は役得である。
尤も、この二人に靡く女性は稀有だろうが。
「なるほどね……おっけ、ありがと」
簡潔にメモを取り、統香は手帳を閉じる。
「時間取らしてごめんよ。お仕事頑張ってね」
「ありがとうございます。何かございましたらお気軽にどうぞ」
柔和な笑顔でそう返す村井であったが、
「ただのイベントっしょ」
「陰謀!陰謀!」
「っ……アハハ……」
それは二人の声に引き攣った。
可哀想な村井であった。
そんな村井と他二人に見送られ、三人は廊下を進む。
「んじゃ、次は女将か?」
「ですね。短期バイトのスタッフじゃあんなものでしょう」
「港で聞くも良いヨ」
「ふむ……」
陽は既に傾き始めており、このまま固まって行動するのは非効率的か。統香は提案する。
「となると、一旦別れて各自で聞いて回るか」
丁度右手の庭園に池の鯉へ餌をやる女将の姿を認めた事もあり、
「私女将と従業い〜ん」
と、統香は二分輪荘への聞き込みに決まり、
「ワタシ港ネ」
晨星は港方面へ。
「では私は島内全域を」
過労死ポジへは適役の一宮が就いた。
夕食は十八時に泡沫の間。つまりは客室へと配膳される。
それまでには戻ってくるよう取り決め、三人は方々へ別れたのだった。




