異世界 エピソード 後始末
一週間前に降り積もった雪がまだ残る小道を金治とネル、おばあちゃんとお姉さんの4人は郊外の河川敷へと歩いていた。なんでそんなところへ行くのかと言うと、今日、金治とネルが60年後の未来へ跳躍するからである。
未来への時間跳躍。これはネルが持っている能力の一部だ。ネルとしては未来へ跳ぶのに場所はあまり関係ないのだが、金治が万が一に備えて60年後でもこの場所を流れている川の辺を基点として選んだのだ。
「おばあちゃん、お姉ちゃん、ありがとう。さようなら。」
河川敷まで来るとネルが見送りに来てくれたばあちゃんとお姉さんに最後の挨拶をした。そんなネルにおばあちゃんがなんやかんやとお菓子を持たせながら注意をした。
「ネルちゃん、おにいちゃんの言う事をちゃんと聞いて危ないとこに行っちゃだめよ。」
ひとしきりネルに注意をしたおばあちゃんは今度は金治に向き直る。そして白い紙に包まれた何かを手渡して言葉を掛けた。
「あんまりがんばってはダメよ。ご両親が心配するからね。」
「大丈夫だよ、ばあちゃん。もう冒険は終わったんだ。後は帰るだけさ。」
金治の返事に、それでもおばあちゃんは何度も何度も念を押して釘を刺す。
そんなおばあちゃんの訓示タイムも終わり、金治はおばあちゃんたちに少し離れるように言ってネルの手を握る。
「よっしゃー!行こうぜっ、ネルっ!」
「うんっ!」
金治の言葉にネルは頷くと呪文を唱え始める。そして最後の文句を唱え終った時、金治たちの廻りの空間が丸く切り取られぐにゃりと曲がった。それはあっという間に小さくなり、なんの痕跡も残さず消え去る。後には金治とネルの足跡だけが残っていた。
「行っちゃったか・・。」
金治たちが消えた場所を見ながらお姉さんがぽつりと呟く。隣にいるおばあちゃんはいつまでも手を併せていた。
「さて、それじゃ帰りましょう。年末の用意もしなくちゃならないですものね。」
おばあちゃんがやっと顔を上げたのを見計らいお姉さんは声を掛ける。そしてふたりは晴天の冬の空の下、ゆっくりと歩き始めた。
「金治ちゃんたち、無事に帰れたかしら・・。」
やはりどうしてもふたりの事が気に掛かるのであろう、アパートまでもう少しの所でおばあちゃんがぽつりと呟く。
「きれいに消えましたからね。もしかしたらもう親御さんたちと会っているかもしれませんよ。」
「そう・・、そうね。いい子たちだものね、きっとそうに違いないわ・・。」
おばあちゃんは今来た道を振り返り空を見つめながら呟く。
そんなおばあちゃんの気を反らそうとしたのか、お姉さんが別の事を聞いた。
「おばあちゃんのお孫さんたちも年末には来るんでしょう?」
「ええ、上の子は来年中学に上がるから少しお年玉を奮発しなくちゃね。」
「男の子ですか?」
「ええ、金治ちゃんと違って大人しい子だけど優しい子なのよ。駄目な事は駄目とちゃんと言える子なの。」
「おおっ、それは凄い。さすがはおばあちゃんのお孫さんだ。」
「ふふふっ、ありがとう。」
「それじゃ私もここでお別れします。お元気でいて下さい。」
ふたりがアパートの前まで着くとお姉さんがおばあちゃんに別れを告げた。
「まぁ、あなたも行ってしまうの?お茶くらい飲んでいく時間はないの?」
「いつまでもいると逆に名残惜しいですからここでお暇します。それじゃ。」
お姉さんがおばあちゃんに背を向け歩き出そうとした時、ある事を思い出したのかおばあちゃんが声を掛けた。
「あっ、待って!あれを持っていって頂戴。ちょっと待っていてね。」
そう言うとおばあちゃんはアパートの部屋に戻って行った。しかし、用意は出来ていたのだろう、直ぐに取って返してきた。
「これ、お店であなたが美味しそうに飲んでいたから酒屋さんに頼んでおいたの。持っていって。」
おばあちゃんの手には1本の日本酒が握られている。それをお姉さんに差し出した。
「いや~、参っちゃうなぁ。これじゃ私が飲んべぇみたいだ。まっ、実際そうですけど。」
「ふふふ、ここいらじゃ1本空けた位じゃ飲んべいとは言えないわ。」
「あはははっ、そうですか?なら頂いていきます。ありがとう、おばあちゃん。」
「あなたも体に気を付けてね。あんまり無理しちゃ駄目よ。」
「ん~っ、私の上役が無茶苦茶な人なんで難しいですけど気に留めておきます。それじゃ。」
そう言うとお姉さんは駅に向かって歩き始めた。おばあさんはその姿が見えなくなるまで見送ると、少し寂しそうな表情を浮かべながらもう、誰もいなくなった部屋へ戻った。
駅へ行く途中、おばあさんから見えない場所まで来たお姉さんは歩みを止めてポケットから携帯を取り出し電話を掛けた。
「あっ、みるくです。・・はい、金治たちはつつがなく跳びました。はい、そうですか、そちらでも確認出来ましたか。・・、ええ、おばあちゃんも部屋に戻りました。私もこれからそちらへ向かいます。後の処理はお任せします。」
話終わるとお姉さんは一旦電話を切り別の番号へ掛け直す。
「くろ様ですか?はい、こちらは終了しました。引っ張って下さい。えっ、嫌だ?何拗ねているんです?見せ場を金治の師匠に取られたって・・、まだそんな事を気にしているんですか?しょうがないですねぇ、いいんですか?私、おばあちゃんから1本頂いちゃっているんですけど。ひとりで飲んじゃおうかなぁ。」
お姉さんの一言で電話の向こうの主は相当慌てたらしい。何を言っているかまでは聞き取れないが早口で捲くし立てていた。
「はいはい、冗談ですよ。それではお願いします。」
そう言うとお姉さんは電話を切る。そしてぐるっと周りを見渡した。南と東には山々が連なり北には平野が広がっている。空にはこの寒空にも関わらず鳥が飛んでいた。
「こうゆう所もいいな。今度は・・」
お姉さんは何か言いかけたが、その言葉が終わらぬうちに突然お姉さんの体が消える。しかし、目の前で人が消えたにも関わらず通行人たちに気にする様子はない。いや、それどころかお姉さんが雪の上に残してきた足跡すら消えていた。
こうしてお姉さんがここにいた名残はなくなった。いやお姉さんだけではない。金治とネルがここにいた証、全てがこの世界から消えていた。秋田の小学校も、あかるい~だの水戸支部も、ここ米沢の地でさえ一辺の痕跡も一瞬でなくなった。
これぞ子神のチカラなのか。これ程のチカラを持っていながらも歴史の流れに介入するには勇者のチカラが必要なのか。如何ほどのチカラを持っていたとしても、世界の理の前には砂漠の砂に埋もれる一本の針でしかないのかも知れない。
その時、おばあさんは部屋の片づけをしていた。そしてある物を見つける。
「あら、やだ。ネルちゃんたらあんなに大切にしていた絵本を忘れていっちゃったわ。」
そう言って絵本を手に取ろうとしたおばあさんの手が止まる。
「ネルちゃん?あら、ネルちゃんって誰だったかしら?」
おばあさんは暫く考え込んだが答えを見つける事が出来なかった。そして諦めたのか絵本を棚の上に置くと孫たちへの贈り物を買いに出かけて行った。
しかし、その時異変が起きた。子神のチカラによってネルが残していった絵本も消えかけたのだが、何故か次の瞬間には元に戻った。子神のチカラは何度か絵本を消そうと試すがその度に絵本はその場に戻ってきてしまった。そして何度目かの挑戦で諦めたのか、子神のチカラはエラー報告と共にこの絵本を消す事を諦める。そんな絵本にはある変化があった。その変化とは、それまではなかった白い封筒が絵本に挟まっていたのだ。その中には60年後に跳んだ金治たちの写真と手紙が入っていた。
おばあさんはこれを見て彼らを思い出せるであろうか?いや、多分思い出せまい。しかし、その写真の意味は感じる事だろう。何故ならそれは心と心が語り合う愛情の証だからである。
-完-




