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ニセガミ ー双黒の調律者ー  作者: ぽみしま れい
最終幕:超越せし者
49/51

4. 無:「    」

 九道邸・地下大空洞。

 そこには球体状の水に包まれた死体を眺める不満げな顔の悪魔が居た。


「あれだけ威勢が良かったというのに、こうもあっさりとはどこまでもつまらん男だ。空虚な人間に、この俺を楽しませるだけの器は無かったということか」


「テンヤン……」


 明鏡は打つ手なしの状況に、ただ見るも無惨な死体の名をつぶやくしかなかった。


「さて、次はお前だ、明鏡よ。だが全力を以って殺してやると言ったのに、そうも無抵抗では張り合いが無い」


「黙れよロリペド野郎……ボクのようにいたいけな女児を弄んで楽しいかい……?」


「そのような性的嗜好は無いのだがな……。まあ良い。殺し方くらいは選ばせてやろう」


「黙れって言ったろ? お喋りな奴だな。さっさと殺しなよ」


「ハッ、タダでは殺されないという目をした奴がよく言う。どうせまた良からぬことを企んでいるのだろう? ……念には念を入れて、焼き殺すとしよう」


 冬真の意志に従い地を割って現れたのは、煌々と燃え滾る溶岩(マグマ)である。どろりという粘性のあるそれは竜を(かたど)り、グツグツと地獄を煮詰めたかのような音を立てていた。溶岩の這い出て来た穴の周りはドロドロに溶けている。わざわざ地底からこの溶岩を引っ張りあげてきたところを見ると、奴は“惑星の征乱者”と名乗るのに相応しい力を持っているようだ。

 業火の竜はゆっくりと明鏡に鼻先を近づける。あとほんの少しでも近づけば呑まれる距離だ。


「さて、何か言い残すことはあるか?」


「F××k you.」


「……貴様はもう少し楽しめると思っていたのだがな。いずれ地獄の底で会おうぞ」


 冬真の指が動く。それに従い、竜は大口を開けた。

 そしてまた、新たな死体が積み上げられる――


『終焉を告げる夜よ』


 ……はずだった。

 極めて穏やかな声音でありながら、その声は確かに響いた。まるで脳の中をまさぐられるような声。

 冬真は驚き、その手を止める。明鏡も聞こえたらしく、唖然とする。


「誰だ⁈」


 周囲を見回す。あるのは瓦礫の山々と、神門、銀牙の死体、宙に浮いたままの白亜、溶岩の竜……おかしい。

 天夜の死体を捕らえていたはずの水が無い。


「何故だ……黒霧天夜の死体は何処へ消えた! それにこの声、どこにいる! 明鏡、これもお前の仕業か!」


「ボクは何もしてないさ……」


 狼狽え、辺りを警戒する。これまでに無いほどの悪寒と得体の知れない恐怖を感じた冬真はぐっと身構える。


『黒き天の禊の(もと)に――』


「まさかこの感じ、神か⁈ いや、それにしては禍々しすぎる……悪魔であるこの俺ですら吐き気を催すようなこのおぞましい気配は何だ⁈」


 ――覚醒の時は来た。


「君臨せよ」


 次の瞬間、黒の雨が降った。

 フィーネの夜が濃縮された槍の雨あられは冬真と竜めがけて降りかかり、食らいつく。


「ぐああああああああ‼︎」


 冬真は重力のシールドを展開するも、反応が遅れて完全には防ぎきれず。

 致命傷こそ見事に避けたようだが数本ほどがいくらか肉を(こそ)ぎ取っていった。竜は無数の穴を穿たれ、フィーネの夜の浸食によって腐り落ち、消滅した。


「クロ、キリ……テンヤァァァァ‼︎」


 吠える冬真の頭上には、たなびく黒い雲塊を足場にして見下ろす天夜が立っていた。

 その冷ややかな眼差しとは裏腹の穏やかすぎる微笑と異様な出で立ちに、冬真も明鏡も背筋が凍りついた。

 手足の折れた箇所や肋骨の飛び出していた腹、さらには千切れたはずの首……激しく損壊したはずの身体の至るところが黒い闇でツギハギにされているその姿は、まるでフランケンシュタインの怪物。

 黒く塗り潰された右の眼球からは黒い炎のようなものが灯り揺らめいていた。


「なぜ生きている……お前は確実に殺したはずだ!」


「そんなことどうだっていい。さぁ、決着(ケリ)をつけよう」


 宙から地へと降り立つ天夜。波ひとつ立たない海原のように静かな物腰。それとは対照的に放つ、鬼気迫る気迫。冬真は生唾を飲み込んだ。

 明らかにさっきとは雰囲気が違うと感じた。まるで未熟だった新米兵士が、凄腕の殺し屋にでも変身したかのような変わりよう。

 だがそれ以上におぞましいのは、征乱者であれ調律者であれ、持ちうるはずのない神と魔が混合したような気配。


「濃すぎる……なんだその気配は……」


 今にも気が触れそうな頭を押さえつけて唸る。そこで冬真は、ひとつの答えに至った。


「まさかキサマ――“次元上昇(アセンション)”を……⁈」


「相変わらずお喋りだな。さっさと始めようか」


 天夜の呟きに反応するかのように、彼から湧き立つフィーネの夜がざわつき、一層濃くなる。


「――魔神の尖兵 我が心象の管理者よ

  その穢れを纏いし姿を現世(うつしよ)に落とし込み 顕現せよ」


 濃霧のように(まば)らであったそれらは、天夜の言葉に従うようにして形を成す。闇が輪郭を縁取り、闇が中身を創る。


 本来それは、宿主の失神を伴って現れるはずのもの。


「これってもしかして、アニムス・バースト⁈ 煌覚神石も無しに、意識を保ったまま発現させるなんて……!」


 そのありえない事象に、明鏡ですら驚嘆を隠せない。

 彼女が驚くのも無理もない。本来それは、宿主が意識を持ってして対面することは叶うはずのないものである。


「来たれ、“レヴァルフ=レフィクル”」


 天夜の背後に、ひとつの影が立ち現れた。

 背丈は天夜より頭ひとつ大きく、纏う黒鎧の隙間からは瘴気が漏れ出している。

 一言で言い表すならば、それはまるで“黒竜の騎士”。

 全身を黒い鎧に包み、その端々は刺々しく尖っている。胸部も複数のプレートを重ね合わせた複合型で少々前へと出っ張るように尖ったデザイン。頭部は竜の顔を模したような禍々しい兜で顔を覆っているため素顔どころか眼光すら(うかが)えない。

 右手には大人の背丈を優に越す黒塗りの長剣。剣の幅は太く無骨で、天夜が作り上げる細身の剣とはまた少し趣向も扱い方も違うのだろう。

 そこに華美な装飾は一切無く、頭のてっぺんから爪先まで全てが黒一色。言語を発する気配はない。ただ無言で仁王立ちを貫く。


「どんな能力を得ようが、どんな決意や覚悟をしようが、人はそう簡単に神にはなれない。お前も同じだ、冬真。たかが悪魔が神になんざ容易くなれない。だから俺は--“本当の意味”で、人であることを捨てることにした」


「なぜ……“神界”に踏み込んでもいない、神との邂逅をしてもいないお前が、なぜ、次元上昇(アセンション)を……!」


「知るか。俺はただ、力を望んだだけだ」


 天夜のアニムスがその重厚な黒鎧を鳴らしながら、ずいと前へ出る。


「レヴァルフ。俺の意思は言わずとも分かるな?」


 その呼びかけに、アニムスは答えず頷きもしない。ただ無言を貫いている。けれども、全て了承している、と告げているように聞こえるほど堂々とした佇まい。


「面白い。いいだろう。お前のその覚悟と狂気への手向けに、今こそ我が真名を明かそう。俺の名はシグル=カイザル=ディメド。いずれ魔界を統べる魔皇となる者であり、神を超越せんとする者なり!」



 吼える悪魔。ひしめく空気。明らかに人間のものとは違う濃密な魔の気配が立ち込める。

 そう、もはや彼は須田冬真という人間の皮を脱ぎ捨てた、シグルという名の正真正銘の悪魔である。


「ハッ、今更名乗られても興味ねぇよ。俺はただお前を叩き潰したいだけだ。……死ぬ気でかかってこい」


 長い睨みあいの末、どちらから仕掛けたのかは分からなかった。それほどに速く、ほぼ同時の立ち上がり。ただ、お互いに確かな殺意を持って、決戦の火蓋が切られたのは明白であった。

 天夜が駆ければ、アニムスであるレヴァルフも追随するように踏み込む。それに対して冬真――いや、シグルは、樹・水・溶岩から成る三つ首の竜を瞬時に発現させ応じる。


「レヴァルフ、デカブツは任せた」


 その命令に返事は無かったが、直後、黒鎧の騎士は地を蹴り、背丈に似合わぬ身軽な跳躍をしてみせた。

 刃渡りおよそ200センチはあるであろう大剣を振りかざし、騎士は竜と衝突する。


 同じくして、天夜もまたシグルとぶつかりあう。一方は黒い長剣の切っ先を、もう一方は掌を突きだす。

 本来なら切っ先が掌を貫くのが常識的な結果だろうが、人の理を外れた者同士の戦いにそんなことは起こり得ない。

 天夜が前傾姿勢になりながら繰り出した渾身の突き技は、あろうことかシグルの掌の寸前で停止している。


「やっぱりそう簡単にやられてはくれねぇか」


 重力操作によってシグルへの物理攻撃は全て無に帰す。もう嫌というほど味わった事実だ。

 そう頭では分かりつつも、とにかく一発喰らわせやらなければ気が済まない。そんな衝動に駆られて、天夜は続けざまに重力の壁へと斬りかかる。以前の剣速を遥かに凌ぐ神速の斬り込みにより、あらゆる方向からおよそ二十合。人体の限界を超えた凄まじい連撃に自身の肉体が耐えられるのは、フィーネの夜で全身を補強したからだろうか。

 だがいずれにせよ、不可視の盾を持つシグルには届かない。全て空しく弾かれる。


「そろそろ頃合いだな」


 とどめと言わんばかりに、更に深く踏み込み、剣に体重を乗せる。繰り出されたのは、再び突き技。先ほどよりも速く、鋭く、力強い一撃。

 そして再現される、先ほどと同じ光景。攻める者と守る者の構図。しかし明らかに違う点もあった。

 シグルが重力の盾を展開していたと思しき空間には亀裂が入り、そこから黒い霧のようなものが漏れ出していた。


「爆ぜな」


「な……ッ!」


 途端、衝撃音のようなものが響いた。重力の壁が破壊された音なのかは分からないが、亀裂のあった範囲内に霧が立ち込めた。その隙を天夜が見逃すはずも無く、霧へと飛び込み、その先へといるシグルに襲いかかる。

 グシャリ、という確かな手応え。視界が悪くよく見えないが、確かに骨を砕き、肉を貫いた感触が手に伝わって来た。

 同時に、シグルが召喚して見せた竜の咆哮が聞こえた。おそらくレヴァルフが竜を蹂躙しているのだろう。


「どうだ、もう降参か?」


「テ……ン、ヤン……」


 霧の先から聞こえたのはシグルの悪辣な声ではなく、か細い少女の声であった。


「明、鏡?」


「やるな……ただ闇雲に打ち込んだわけではなく、俺の重力フィールドに切り込みを入れ、そこから天力を流し込んで重力を腐敗させ切り崩したか。俺の能力に干渉するなど、どのような理屈かまでは読めんが……ここまでの物量と力技、やはり神の寵愛を受けたようだ。しかし、詰めが甘い。周りをもっとよく見るべきだったな」


 霧が晴れ、突きいれた剣先が露わになる。

 そこに居たのは、明鏡を盾にして身を防いだシグルだった。剣が深々と突き刺さった明鏡の肩口からは滔々と血が流れている。貫通した剣は明鏡の服を引っ掴むシグルの掌をも刺していたが、大した傷ではない。

 天夜はあわてて剣を引き抜き距離を取る。


「重力操作で無理やり明鏡を引っ張ってきたか。ひでぇ野郎だ」


「心にもないことを……。一度殺される前よりも随分と迷いのない正直者な表情かおになったではないか。その、まるで自分以外などどうでもいいといったような態度、どうせこの小娘を斬りつけてしまったことに何の感傷も湧かんのだろう? 根本的な心理は違うが少しばかり、あのケモノ風情と似ているな」


「さぁな。さっきから言ってるが、俺はただお前が気に食わないから叩き潰したいだけだ。いちいち人の心配なんかしてられるか」


「……まあいい。ならば共に死ね!」


 叫ぶやいなや、シグルは明鏡の身を天夜めがけて突き飛ばす。その陰を利用して悪魔は猛進する。


「おっと!なんつう乱暴しやがる」


 天夜は小柄な少女を片手で抱きとめると、飛来した拳を刃で受け止める。

 重力操作で何十倍にも増幅させた拳圧は既に人の範疇を超えている。防御する天夜の足元は地面にめり込み、その威力がいかに必殺の一撃であるかを物語っている。


「ふざけた馬鹿力だ……ギリウス以上だな!」


 負けじとフィーネの夜を剣からジェットエンジンのごとく噴出させつつ切り返し、その推進力でシグルを弾き飛ばす。

 不意の反撃に面喰らい、シグルは滑走するかのように後退した。


「そんな使い方も出来るのか……天力の濃度と言い扱い方と言い、先ほどとはスペックが段違いだな。だが次元上昇アセンションによって得られる力はまだそんなものではないだろう。さぁ、もっと力を解放しろ!」


「いちいち指図するなよ。けどまあ、そのお喋りな口がどこまで持つか見物だぜ。明鏡、死にたくなきゃ上に戻ってろ」


「分かった……もう死なないでくれよ」


「死ぬのはもう飽きたさ」


 明鏡は不安げに頷き、階段を登ってゆく。

 シグルは手出しもせず、唯一のギャラリーを見送る。互いの表情は嬉々としながらも、鬼気迫っていた。

 充満する二人の決死の闘気が、この地下を(ねぶ)ってゆく。

 レヴァルフが天夜の傍へと戻り、三つ首の竜と睨み合う。天夜は竜の主であるシグルと睨み合う。

 竜はレヴァルフの攻撃によって所々に黒い綻びが見え、満身創痍にも思えたが、すぐにそれぞれ新しい部品が補填されるかのようにたちどころに修復される。“フィーネの夜”が変質した天力であれば、新たに天力を注いで上書きすればいいということだ。

 対するレヴァルフには傷一つ無い。自然界に存在する物質の攻撃ではアニムスという理外の存在に対しては効果が薄いのだろうか。


 そうしてまた始まるのは、まさに死闘。

 文字通り血で血を洗う闘い。

 尋常ならざる速度で二人が衝突し、それに従う異形の眷属たちも再び死合う。


(黒霧天夜……奴の身体能力の急激な向上に加え、フィーネの夜の出力が段違いだ。これでは先ほど重力の壁を破壊されたように、重力の拘束もすぐに断ち切られるであろうし、自然物質を発生させても瞬時に消滅させられる……ならば狙うはやはり、直接奴の肉体を破壊する!)


 重力で強化された拳を、脚を、シグルが力任せに振るい、天夜は剣と体術のコンビネーションを用いてそれらを打ち弾く。

 天夜も防戦一方というわけではなく激しい攻防の隙間を縫うようにして反撃の一手を時折繰り出す。だがいずれも虚しく空振るか防がれて終わり。

 果たして何合打ち合ったか分からない。

 二人は息つく暇もなく地を揺らすほどの攻防を繰り返す。その中には常人には見切れない駆け引きもあった。

 お互いに一撃でもまともに喰らえば、片やフィーネの夜によって零落、片や重力による内臓破壊などの必殺というリスクがある。予断を許さない切迫した駆け引きだ。

 気を抜けば即死は免れない状況の只中で、純粋な力と技のぶつかり合いが繰り広げられる。


「やるじゃないか……まさに儀式を完成させるに相応しい相手だよお前は。黒霧天夜よ、お前と俺は何処か似ているのかもしれんなぁ」


「吐き気がするような冗談はよせ。お前とお似合いなんて死んでもゴメンだ」


 拮抗した力は多くの血を流し、地面に広大な湖のごとく広がる。常人であれば致死量の血液が戦いの凄絶さを物語る。

 天夜には時折、竜の強烈な支援攻撃が襲いかかり、妨害を行う。

 樹木が地を穿ち、水弾が飛び交い、溶岩が大気を焼く。大味な攻撃ばかりなのでのらりくらりと躱すことはできるが、これも天夜が攻めあぐねている要因のひとつだった。


「クソ、めんどくせえ。レヴァルフ、ウォーミングアップは済んだだろ? もう力を抑えなくてもいい。さっさとそのデカブツを片付けていい加減こっちに手を貸せ」


 その命令に対して「御意」と言わんばかりにレヴァルフの鎧から噴き出す闇が、さらに濃密なものとなる。

 たちどころに全長20メートル以上の大鎌が闇から形成され、レヴァルフの手に収まる。

 人の手には負えないほどの得物を手にするその姿は、死神の王と形容するに相応しい。

 振りかざされる大鎌は漆黒の刃を煌めかせ、三つ首の竜の喉元へと喰らいつく。

 その恐ろしき一振りは竜の首を一息に、過たず断ち切った。

 しかしそれだけではない。瞬時にフィーネの夜を注ぎ込み、天力によって生み落とされたたその身を腐敗させたのだ。

 ウイルスが蝕むかのように黒く染まりゆき、竜は強烈な断末魔を吼えあげる。

 そして最後には朽ち落ち、塵となった。


「これが次元上昇(アセンション)を果たしたアニムスの力か……素晴らしい」


 口端を歪ませ、レヴァルフの力を目の当たりにしたシグルは歓喜に打ち震える。


「さぁ、残るはお前だけだ。そろそろケリをつけようか」


 レヴァルフは天夜のもとへと戻り、付き従うかの如く仁王立ちする。まるで王とその側近のように。


「いいだろう! 二人まとめて来い!」


 シグルの挑発を皮切りに、天夜はレヴァルフと同時に地を蹴る。

 レヴァルフはその巨体に似つかわしくないスピードでシグルの背後を取り、天夜と挟み撃ちの形を取る。

 防御姿勢の隙間を縫うような長剣と、豪風を巻き起こしながら全てを破壊せんと振るわれる大剣。

 無手で応じるシグルは、双方向から飛来した剣撃をいかにして対処するのか。

 重力操作による防御を使うとしても、レヴァルフの大剣を止めるのであれば一箇所に集中して天力を注がねばならない。かと言ってそちらに気を取られれば天夜の正確無比な剣に貫かれるだろう。

 己を中心として重力バリアを張り、躱すこともできるであろうが、それは悪手だ。二の太刀を許せば防戦一方となり追い詰められる。

 となればシグルが取るべき手段は--


「甘い……甘いぞ!」


 シグルは一瞬にして二人の目の前から消え、二つの剣は空振り、交差する。


「なに……!」


 床に目を見やると、人ひとりが入れるほどの穴が穿たれていた。天夜はシグルの能力が地球上に存在する自然物質を自在に操れることを失念していた。

 床の素材は大理石。であれば、その形状を変えることも可能なはず。


「驚いたか? 莫大な天力さえあれば、緻密な天力コントロールを必要とせずとも物質を分子レベルに分解することさえ可能ッ!」


 気付けばシグルは、いつの間にか他の場所に穴を開けて地上に戻り、天夜たちから少し離れた場所へと立っていた。


「なら……本来この地球上に存在してはならない物質ならどうだ?」


 蘇生した天夜が放っていた黒い重圧。それは今までの比にならないほどの威圧感であったが、一段……いや、三段飛ばし程度さらに濃くなる。

 其れは全てを()むもの。其れは全てを犯すもの。其れは全てを書き換えるものだ。

 濃く、濃く、濃く。

 黒く、黒く、黒く。


 肉体、精神、空間、時間--あらゆるものが黒に塗り潰されるような感覚。

 シグルはその惨たらしい殺気とも狂気ともつかぬ、未知なる感覚に全身が総毛立った。


「ま、ま……まだ全力を出していなかったというのか⁈」


「さっきの言葉、そっくりそのまま返すぜ……“驚いたか?” テメェのそのツラが見たかった。動揺してもすぐ余裕な態度かましやがる奴が、心底怯えるその無様なツラがな。人間は未知のものに恐怖する……そう考えるとお前、自分のことを悪魔とほざく割には随分と人間くせぇじゃねえか」


 そうしてシグルはハッとした顔を見せ、ようやく気付いた。目の前にいる人間風情と侮蔑していた者が、己よりも遥かに高位の存在から力を借り受けていることを。


「……な…………馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な! 認めん! 認めんぞ! 貴様がまさか、あの魔神の寵愛を受けたなど! 我ら悪魔ですら怯え、ひれ伏し、畏敬する魔神の力を、貴様のような人間風情がァァァァ!」


「うるせぇ! そんなの俺にはどうでもいいことだって何回言わせりゃ気が済むんだテメェは」


 レヴァルフと天夜は剣を交えたまま、剣先を天へと向ける。

 交差した刃の間にはありったけの天力が集束し、得体の知れないナニかが生み出されようとしていた。

 それは球体ではあるが、球体ではない。黒いように見えて黒ではない。たとえ認識できたとしても、正しい色形ではない。

 神の力に触れなければ理解できない、理外の理。

 これが、シグルが恐れ慄いた元凶だ。


「ようやく仕上げだ。レヴァルフ、魔神の手先であるお前から力を借りるのは正直癪だが、とことん働いてもらうぞ」


 シグルの脳内には、嫌悪で吐き気を催すような薄気味悪い音が直接響く。

 あまりにも濃い瘴気に耐えられずシグルの肉は徐々に剥離し始め、関節も悲鳴を上げる。

 ところどころ筋繊維が剥き出しになった身体も無惨だが、その精神はもっと残酷に引き裂かれていく。

 直接触れてもいないのに、辺り全てを呑み込むようなフィーネの夜に何もかもが影響され浸食されていく。

 壁や床には幾筋にも連なる黒い染みが浮かび、空間はけたたましく鳴動する。

 その音と威圧感を形容する言葉は無く、理解することもできない。


「やメロォォ! ヤめろォぉ!!」


 重力を利用して逃げようと試みる。だが雲霞のように消える。ならばと覇力で相殺しようと試みる。だが結果はこちらも同じ。

 体内から生み出すエネルギーは全て指の隙間から零れ落ちる砂のように消え、あの黒い球体のようなものへと吸い込まれてゆく。

 たとえ覇力が使えたとして、シグルに宿る覇力は一般的な調律者とそう変わらない。正しい使い方を匡冥獄で習得したわけでもない。

 天夜の作り出すあの物体は--そもそも物体と言っていいのか分からないが-ーシグルの覇力で相殺できるような生易しいものではない。

 つまり、ほぼシグルの詰み(チェックメイト)だ。


「これより此処に顕現するは、真なる黒化の業

 (すなわ)ち万象を冒涜する絶理の秘奥

 あらゆる生命(いのち)を掠め取り あらゆる事象を染め上げる

  傾聴せよ 刮目せよ いかなる者なれど叛逆は禁忌なり--」


「この……中身の無い人形風情がァァァ!」

 

 シグルは両手を胸の前で交差させ、眼を血走らせる。

 体内に巡る全ての天力を全開で循環させ、精製し、放出する。生みだした天力がすぐに奪われるのは分かっている。広範囲に展開した重力の盾などでは、あの混沌たる能力を防ぐことなど出来はしない。

 であれば、それを上回る量を炉心に焚べ、燃焼させ、一点集中の覇力で守護しつつ研ぎ澄ました一筋の光を鍛刀するのみ。

 まさしく刀匠のごとき精密なる(わざ)

 それは泥臭い足掻きにも見えるが、れっきとした反抗。瞳には恐怖の曇りは失せ、勝利への確信が滾る。


「星の意志よ! 呼応せよ!

 我が(かいな)に星の生命を捧げよ!

 覇者となりうるこの俺に、力をッ!!」


「確かに俺の中身は空っぽさ。だからこそ真っ黒に染まってやったのさ。人形だろうがなんだろうが構わねえ。俺は俺の見える世界を思い通りにできる力さえありゃそれでいい」


 シグルの右腕には空間を、未来を、全てを照らし出す、まばゆく青冷める光が灯った。それはまるで、不浄なる闇を祓う生命の光。

 光は束となり、神すらも斬り裂く剣と化す。

 

「君臨するは恐怖と狂気の体現--」


「此処に顕すは(あまね)く魂の法則ッ!!」


 “フィーネの夜”の集合体がひときわ大きく膨らみ輝いたかのように見えたかと思えば、突如として小さく収束した。

 しかし、その存在感は更に大きく、黒く、濃く、歪んでいる。

 天夜とレヴァルフは一糸乱れぬ足取りで同時に駆ける。


 受けて立たんといわんばかりにシグルは激昂し、咆哮し、必滅の刃と化した右腕を振りかざす。

 

 そして--生命を冒涜する闇と、生命を輝かせる光が衝戟を産んだ。




「“黒蝕の挽歌(ニグレド・アルス)‼︎”」


「“異端なる終極星(ゼノ・エクステラ)‼︎”」




 訪れたのは、“無”。

 強大な光と闇がぶつかり合い、呑み合う。

 一切合切、森羅万象、天変地異。

 音も光も介入する余地はなく、何人たりともその行く末など予想できない。

 たった二人の間だけが異空間と成り果て、内包しきれないほどの自然法則の破壊が、阿頼耶のうちに那由多のごとく生じ、無の境地を手招いた。

 その“無”を観測できるとすれば、神以外には不可能。

 つまりこの事象の結果は箱を開けねば分からないシュレディンガーの猫であるが、天夜を縛る呪いが、事象を既に固定させていた。

 故に、この戦いは運命に沿って終焉へと動きだす。


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